つくる格子最終回(第 19 回)/ こっちのほうが、計算が楽だ

18回ぶんの棚卸し ── 新しい物理は出なかった。出たのは、間違え方の台帳と、道具が3つ

こっちのほうが、計算が楽だ このシリーズは「未解決の物理を作りにいく」という建前で始まりました。
新しい物理は、一つも出ていません。そこは最初に書いておきます。
出たのは、閉まった扉が4枚、通った計算が1つ、反証可能な数字が1つ。
そしてもう一つ ── どういう書き方をすると間違えにくいかの記録が残りました。それが最後の話です。

必要な道具:これまでの回。とくに第1回・第11回・第17回 この回の芯:不変量が付く表現は、壊れた瞬間が分かる

最終回なので、成果を数えます。新しい物理:0。18回やって、人類が知らない式は一つも出ませんでした。
ただし空手でもありません。否定を4つ確定させ、既知の結果を1つ自分で再導出し、反証可能な数字を1つ作った。そして最も再利用できるものは、たぶんそこではありません ── 自分がどこで間違えたかの台帳です。
台帳を並べると、はっきりした偏りが出ました。間違いは物理の難しさに比例していませんでした。比例していたのは、表現に規約がいくつあるかでした。

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0118回の棚卸し

種類中身
閉まった扉4 第13回 BMS₄ に中心電荷は入らない(\(\dim H^2=0\))/ 第14回 係数は物質の自由度からは出ない/ 第15回 壁は第1回の定理だった/ 第16回 創発は重力で漏れる
通った計算1 第17回 平坦格子で水星 42.9807 秒角/世紀、GR 比 1.0000
反証可能な数字1 第18回 112 PeV(ただし表の一マスぶん)
新しい物理0ゼロです。ごまかしません

第1回の総当たりが \(p=0.67\) で終わったのと、同じ結末です。あのとき「否定は情報だ」と書いたので、その約束は守ります ── 4枚の扉は成果に数えます。

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02間違え方の台帳

ここが本題です。18回で出したバグを、全部並べます。

表現の重さバグ誰が捕まえたか
第1回中(次元行列)\(c,\hbar,G\) の核が自明だった自力(例を差し替え)
第3回弱場の外挿を強場に伸ばした自力(範囲を制限)
第8回閾値幅と FWHM の混同自力
第9回\(10^{-122}\) の出典を取り違え読者(GitHub 上で指摘)
第12回格子の丸めが数値に混入自力
第11回重(BMS 中心電荷)規約の混在。\(\sqrt{12}\) 倍陽性対照
第16回 前段中(文献依存)検索要約の数値を信用(21倍 → 実は1000倍)原典
第17回軽(ODE 4本)\(2\pi\) の巻き戻し漏れ陽性対照(即座に切り分け)
第17回桁落ちで差分が壊れる見積りで説明
第18回タイトルが内容より広い読者
台帳から読めること

自力で気づけなかったバグは、形式論が重い回か、文献に依存した回に集中しています。

いっぽう常微分方程式4本の回で出たのは、帳簿丸めだけ ── 物理のバグは1件も出ていません。出る余地が無いからです。

\(\sqrt{12}\) の件がいちばん分かりやすい例です。BMS₃ の中心電荷を扱った回で、代数を \(c/12\) 規約で書きながら公式を別規約で使うという混在をやりました。エントロピーが 3.46 倍過大になっていたのに、式を眺めても分かりません。

対して第17回のバグは、近日点の方位角を \(\pi\) 以内に畳んで \(2\pi\) を落としただけ。物理はどこも間違っていませんでした。

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03効いた道具は、3つだけ

道具何を捕まえたか
陽性対照
答えが分かっている場合で先に試す
\(\sqrt{12}\)(第11回)。\(2\pi\)(第17回 ── 光の曲がりが先に 1.75119 に合っていたので、積分器ではなく記録側だと絞れた)。第13回の \(\dim H^2=0\) も、bms₃ で \(m^3-m\) が出ることを先に確かめたから信用できた
原典を読む
要約で済ませない
21倍 → 1000倍(第16回 前段)。Solodukhin の式を自分で評価して \(48\pi\)(要約は \(12\pi\) と書いていた)。BMS-Cardy の規約(第11回)
主張を数字に変える
「矛盾しない」で止めない
第2回の「矛盾しません」→ \(n=2\) で3桁の余裕。第12回の「係数が出ない」→ 1ビットあたり 2.773 プランク面積。第17回の「一語が足りない」→ 1/3。そして 112 PeV

物理の知識が増えて改善したのではありません。3つとも作法です。

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04なぜ平坦座標が楽なのか ── 不変量が付く

第17回で使った形をもう一度。\(F=g^{00}\) の絶対値、\(G=g^{ij}\) の係数として

$$H=\tfrac12\bigl(-E^2F+|\vec p\,|^2G\bigr)=-\tfrac12$$

右辺が定数です。正しく積分していれば、\(H\) は動きません。だから積分中ずっと自己検査ができます。

組み込みの検算(第17回のコードで確認)
  出発時の H            = -0.4999999999999999
  6周(60000 ステップ)後の H のずれ最大 = 2.220e-16

  # つまり倍精度の限界まで動かない。壊れた瞬間が分かる。

クリストッフェル記号で測地線を積分すると、この不変量が自動では付きません。別に \(g_{\mu\nu}\dot x^\mu\dot x^\nu\) を作って監視する必要があります。

図:\(|H+1/2|\) をステップごとに見る。正しい式なら \(10^{-16}\) に張り付いたまま。ボタンで式にわざと間違いを入れると、即座に立ち上がります ── これが「壊れた瞬間が分かる」の意味です
正しい式 間違いを入れた式
ただし、不変量が拾えないバグもあります 第17回の \(2\pi\) のバグは、\(H\) をまったく破りません。積分は完璧に正しく、記録の側が壊れていたからです。
だから道具は2つ要ります ── 不変量は「式」のバグを捕まえ、陽性対照は「帳簿」のバグを捕まえる。今日の2件は、ちょうど1件ずつでした。片方だけでは足りません。
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05だから、楽な方を取っていい

ここが最終回の結論です。そして根拠は好みではなく、定理です。

座標は自由

\(c=\) 一定の座標系と、\(c\cdot t=\) 一定(平坦背景+可変な進み方)の座標系は、同じ物理です。微分同相不変性なので、永久に破れません。

第17回でそれを数値で踏みました ── 平坦格子で 42.9807 秒角/世紀。標準の一般相対論と同じ。

同じなら、間違えにくい方を使えばいい。

そして「間違えにくい」には中身があります ── 三添字の縮約をしない。規約の選択肢が少ない。不変量が自動で付く。この3つです。

じっさい第17回で必要だったのは、スカラー関数2つとその一階微分、常微分方程式4本だけでした。クリストッフェル記号(4次元で 40 成分)も、共変微分も、座標近傍も出てきません。

これは新しい主張ではありません Dicke(Rev. Mod. Phys. 29, 363, 1957)が「Gravitation without a Principle of Equivalence」で、平坦な絶対空間に屈折率を置く形式を作り、光の曲がりが観測と合うことを示しています。分類名も付いていて、conservative VSL。
そして数値相対論は毎日、直交格子で解いています。格子は歪みません。歪むのは格子の上の場です。
この回が言えるのは「その表現は、規約が少ないぶん壊れにくい」という作業上の性質だけです。
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06決めなくていいことは、決めない

もう一つ、このシリーズが最後に受け取った整理があります。離散か連続かを決める必要はない。

成立の強さいつまで
座標系の同等性
\(c=\)一定 と \(c\cdot t=\)一定 は同じ
定理永久
離散と連続の区別不能
CD とレコード
いまのところ\(\sim10^{-3}M_{\rm Pl}\) まで。動く

ここは正確にしておきます。信号処理の Nyquist は厳密ですが、時空の格子は厳密ではありません。カットオフ以下でも \((E/E_{\rm LV})^2\) の残差が出る ── だから 112 PeV という数字が存在します。厳密な区別不能なら、そんな数字は無い。

つまり ── 「決めなくていい」は正しく、そしていつまでも正しいわけではない。期限が付いています。

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07残っているもの

状態
\(1/4\) の由来出ていない。第1回の定理により、\(G\) が次元を持つ以上そのままでは出ない(第15回
地平面の Carrollian 理論未構成(第8回第11回第12回
4次元の Cardy 型公式中心電荷経由は閉じた。次元還元型は単独では効かない
刻みは物理的か保留。境界は \(\sim10^{-3}M_{\rm Pl}\)、決着の一つは 112 PeV
Kerr を同じ形で書けるかたぶん書けるが未検証。非対角項が要る
場そのものの発展やっていない。数値相対論の難所は測地線ではなく拘束条件と安定性

最後の2行は、このシリーズが手を付けていない場所です。「与えられた場の中の運動」は通りましたが、「場を作る側」は触っていません。そこは正直に空欄で残します。

手を動かす(最後の3問)
  1. \(H=\frac12(-E^2F+|p|^2G)\) が保存することを、運動方程式 \(\dot x_i=p_iG\)、\(\dot p_i=-\frac12(-E^2F'+|p|^2G')x_i/\rho\) から確かめよ。
    答えを見る
    \(\dot H=\frac12\left[-E^2F'\dot\rho+|p|^2G'\dot\rho\right]+G\,\vec p\cdot\dot{\vec p}\)。ここで \(\dot\rho=\frac{\vec x\cdot\dot{\vec x}}{\rho}=\frac{G\,\vec x\cdot\vec p}{\rho}\)、\(\vec p\cdot\dot{\vec p}=-\frac12(-E^2F'+|p|^2G')\frac{\vec x\cdot\vec p}{\rho}\)。代入すると第1項と第2項がちょうど打ち消しますこの打ち消しが「組み込みの検算」の正体です。
  2. 4次元でクリストッフェル記号は何成分あるか。\(\Gamma^\mu_{\nu\rho}\) は下2つの添字について対称。
    答えを見る
    \(4\times\frac{4\cdot5}{2}=\mathbf{40}\) 成分。各々が計量微分3項の和。ただし \(\partial_\lambda g^{\mu\nu}\) も同じ 40 成分なので、数だけなら得をしていません。得をするのは三添字の縮約を書かずに済むことと、不変量が付くことの2点です。
  3. このシリーズで自力で気づけなかったバグは何回に出たか。共通点は何か。
    答えを見る
    第9回(\(10^{-122}\) の出典)、第11回(\(\sqrt{12}\))、第16回前段(21倍)、第18回(タイトル)。共通点:形式論が重いか、文献に依存しているか、文章の側。常微分方程式を回した回で出たのは帳簿と丸めだけで、しかも陽性対照で即座に捕まりました。間違いは物理の難しさではなく、規約の数に比例していました。

シリーズ全体で分かったこと

新しい物理は0。 18回やって、人類が知らない式は出ませんでした。出たのは閉まった扉4枚(\(\dim H^2=0\)、係数は自由度から出ない、壁は第1回の定理、創発は重力で漏れる)、通った計算1つ(42.9807 秒角/世紀)、反証可能な数字1つ(112 PeV、ただし表の一マス)。第1回で「否定は情報だ」と書いたので、4枚は成果に数えます。

間違いは、物理の難しさに比例しなかった。 自力で気づけなかったバグは、形式論が重い回(第11回の \(\sqrt{12}\))と文献に依存した回(第16回前段の 21倍)と文章の側(第9回・第18回)に集中。常微分方程式4本の回で出たのは帳簿(\(2\pi\))と丸め(桁落ち)だけで、物理のバグは1件も出ていません。比例していたのは表現に規約がいくつあるかでした。

効いた道具は3つ、すべて作法。陽性対照(答えの分かっている場合で先に試す)── \(\sqrt{12}\) と \(2\pi\) を両方これで捕まえた。②原典を読む ── 検索要約の 21倍、Solodukhin の \(48\pi\)。③主張を数字に変える ──「矛盾しない」を3桁の余裕に、「係数が出ない」を 2.773 プランク面積に。物理の知識が増えて改善したのではありません。

不変量が付く表現は、壊れた瞬間が分かる。 \(H=\frac12(-E^2F+|p|^2G)=-\frac12\) が積分中ずっと \(2.2\times10^{-16}\) 以内。クリストッフェル経由にはこれが自動で付かない。ただし \(2\pi\) のバグは \(H\) を破りません ── 不変量は「式」のバグを、陽性対照は「帳簿」のバグを捕まえる。道具は2つ必要でした。

だから、楽な方を取っていい。 \(c=\)一定 と \(c\cdot t=\)一定 は同じ物理(微分同相不変性、永久に破れない定理)。同じなら、三添字の縮約が無く、規約が少なく、不変量が付く方を使えばいい。これは新しい主張ではありません ── Dicke が 1957 年に平坦背景+屈折率で光の曲がりを合わせており、数値相対論は毎日直交格子で解いています。この回が言えるのは作業上の性質だけです。

決めなくていいことは、決めない。ただし期限が付く。 座標系の同等性は定理で永久。離散と連続の区別不能はいまのところで、境界は \(\sim10^{-3}M_{\rm Pl}\)。信号処理の Nyquist は厳密だが時空の格子は厳密でなく、\((E/E_{\rm LV})^2\) の残差が出る ── だから 112 PeV という数字が存在します。厳密に区別不能なら、そんな数字は無い。

そして空欄。 \(1/4\) の由来、地平面の Carrollian 理論、4次元の Cardy、Kerr を同じ形で書けるか、そして場そのものの発展。最後のが一番大きい ── このシリーズは「与えられた場の中の運動」は通しましたが、「場を作る側」には触っていません。数値相対論の難所は測地線ではなく、拘束条件と安定性のほうです。

つくる格子 ── 完

本編 19 話+番外編 3 話。新しい物理は出ませんでしたが、間違え方の台帳は残りました。

姉妹編「わかる」が既知の物理を解説するのに対し、こちらは作業そのものを見せるという建前でした。見せるものが失敗と訂正ばかりになったのは、予定どおりです。

目次に戻る | 最初から読む:第1回 まだ誰も取っていない比を、機械に探させる

この文書は「つくる格子」シリーズ最終回(第19回)、物理好きの高校生・大学生向け読み物です。

確立した内容:測地線のハミルトニアン形式 \(H=\frac12g^{\mu\nu}p_\mu p_\nu\) とその保存、クリストッフェル記号の成分数、等方座標のシュワルツシルト解、微分同相不変性、Dicke の平坦背景+屈折率による形式(Rev. Mod. Phys. 29, 363, 1957)、数値相対論が直交格子を用いること、Nyquist の標本化定理、および本シリーズ各回で引用した文献。
本稿の数値(\(H\) のずれ \(2.2\times10^{-16}\)、クリストッフェル 40 成分)は著者が計算・検算したものです。バグの台帳は本シリーズの実際の作業記録であり、各回の記事および訂正コミットに対応します。
「間違いは表現の規約の数に比例する」という読みは、本シリーズの著者による整理であり、統計的な主張ではありません ── 標本は十数件で、回ごとに主題も難易度も違います。示せるのは「今回はそういう偏りが出た」までです。
「平坦座標+ハミルトニアン形式が楽である」という性質も、与えられた計量の中で粒子や光の運動を解く場合に限った話です。場の方程式そのものを発展させる問題(拘束条件、ゲージ、安定性、特異点や地平面の扱い)には、この回の議論は及びません。Kerr など非対角項を持つ計量での検証も行っていません。

本編:第1回第2回第3回第4回第5回第6回第7回第8回第9回第10回第11回第12回第13回第14回第15回第16回第17回第18回 | 番外編: ── 印刷する場合はブラウザの「印刷」から「PDF に保存」を。

印刷 / PDF 化:⌘+P(Windows は Ctrl+P)。図で、式を壊すと検算が即座に反応することを確かめられます。