「中心電荷はゼロ」── ところが3次元でも、そちらはゼロだった
前回、第9回の予想を証明する型が見つかりました ── 漸近対称性 → 中心電荷 → Cardy。そして4次元で欠けているものが3つに絞れました。その筆頭、中心電荷を調べにいくのがこの回です。
出てきたのは、素直に読めば行き止まりでした。ところが3次元の成功例をもう一度分解すると、同じ行き止まりが3次元にもあったことに気づきます。それでも entropy は出た。
この回は結論を出しません。出せるのは、問いを正しい形に置き直すところまでです。それでも書く価値はあると思っています ── 本シリーズが繰り返し確かめてきたのは、探し方が間違っていると何も出ないということでしたから。
4次元の中心電荷について、文献が言っていることは二つあります。どちらも歓迎できません。
拡張 BMS₄(+シャドウ対称性)の構成で、Virasoro 中心電荷は \(c=0\) と報告されている。
Cardy の公式 \(S=2\pi\sqrt{cL_0/6}\) に \(c=0\) を入れると、\(S=0\)。エントロピーがゼロになってしまいます。
そもそも BMS₄ の中心拡大は、定数の中心電荷ではない。Barnich が扱ったのは中心拡大された BMS₄ リー亜代数(Lie algebroid) ── 場に依存する構造で、BMS₃ の \(c_M=3/G\) のような「一つの数」ではありません。
入れるべき数が無く、あるものはゼロ。素直に読めば、Cardy 経路は4次元で塞がっています。
ここで前回の成功例を、もう一段細かく分解します。
BMS 代数は半直積です ── 超回転(Virasoro)が超並進に作用する形。
$$\text{BMS}=\underbrace{\text{超回転}}_{L_n}\;\ltimes\;\underbrace{\text{超並進}}_{M_n}$$半直積なので、中心項が入りうる場所が2箇所あります。
中心電荷が二つある
\(c_L\) は Virasoro どうしの括弧に、\(c_M\) は超回転と超並進をまたぐ括弧に入ります。後者は Barnich–Compère 中心電荷と呼ばれます。
そして3次元アインシュタイン重力の値が、これです。
| \(c_L\)(Virasoro 側) | \(c_M\)(超並進側) | |
|---|---|---|
| BMS₃(3次元平坦重力) | \(0\) | \(3/G\) |
\(c_L=0\) です。 3次元でも、Virasoro 側の中心電荷はゼロでした。
それでも BMS-Cardy は動いた。動かしたのは、もう一つの側です。
BMS₃ の Cardy 型公式は、二つの中心電荷が両方入った形をしています。
この公式は文献では \(S=2\pi[\,c_L\sqrt{M_0/2c_M}+L_0\sqrt{c_M/2M_0}\,]\) と、分母が 2 で書かれていることがあります。それは中心項を \(c\,m(m^2-1)\) と裸で書く規約(Bagchi ら、\(c_{LM}=1/4\))での形です。
本稿は 02 節で代数を \(\frac{c}{12}m^3\) と書き、\(c_M=3/G\) を使っています。この規約では \(c_{LL}=c_L/12,\;c_{LM}=c_M/12\) なので、代入すると両項とも分母が \(2\to24\) になります。
混ぜると \(\sqrt{12}=2\sqrt3\approx3.46\) 倍ずれます。この記事は初出時それを混ぜていました ── 下の陽性対照で捕まえて訂正したものです。
アインシュタイン重力では \(c_L=0\) なので、第1項が丸ごと落ちます。残るのは第2項だけ ──
$$S=2\pi L_0\sqrt{\frac{c_M}{24\,M_0}}\qquad(c_L=0)$$エントロピーは、完全に \(c_M\) が担っています。動かして確かめてください。
# 3次元平坦宇宙論(flat space cosmology)で、既知の答えと突き合わせる # 計量 ds^2 = 8GM du^2 - 2 du dr + 8GJ du dphi + r^2 dphi^2 [Barnich 1208.4371] # 地平面 r_C = sqrt(2 G J^2 / M) 幾何側 S = 2 pi r_C / 4G = pi|J| / sqrt(2GM) # 場の理論側 c_L = 0, c_M = 3/G, M_0 = M, L_0 = J G M J | 幾何 S BMS-Cardy 比 ----------------------------------------------------------------- 10 3 | 2.1074444193 2.1074444193 1.000000000000000 100 17 | 3.7764504974 3.7764504974 1.000000000000000 1e+04 250 | 5.5536036727 5.5536036727 1.000000000000000 1e+06 3e+04 | 66.6432440724 66.6432440724 1.000000000000000 2.5 1.3 | 1.8264518301 1.8264518301 1.000000000000000 最大相対偏差 = 2.2e-16 → 陽性対照 通過 (分母を 24 でなく 2 にすると、比は全行で 3.4641016151 = 2*sqrt(3) に揃う)
この確認は飾りではありません。4次元で同じ型を使うつもりなら、3次元で答えが分かっている場合に道具が正しく動くことを先に見ておく必要があります。実際、ここで係数の取り違えが一つ見つかりました ── \(\sqrt{12}\) は、目で見ても気づかない大きさです。
「アインシュタイン重力」を押すと、灰色の棒(\(c_L\) の寄与)がゼロになり、青い棒(\(c_M\) の寄与)だけが立ちます。これが3次元でエントロピーが出た実際の姿です。
逆に \(c_M\) をゼロにすると、\(c_L\) をいくら上げても ── 第1項は \(1/\sqrt{c_M}\) なので発散し、公式そのものが壊れます。\(c_M\) は、あってもなくてもよい飾りではありません。
01 節の「悪い知らせ」を、02〜03 節を踏まえて読み直します。
| \(c_L\)(Virasoro 側) | \(c_M\) 類似物(超並進側) | |
|---|---|---|
| BMS₃ | \(0\) | \(3/G\) ← エントロピーを運んだ |
| BMS₄ | \(0\)(報告あり) | ? |
「4次元の Virasoro 中心電荷はゼロだ」は、3次元でもそうでした。 悪い知らせだと思ったものは、実は成功例と同じ状況だった。
だとすれば、問うべきことが変わります。
セレスチャル CFT の中心電荷は何か
BMS₄ の超並進セクターに、\(c_M\) の類似物はあるか
前回挙げた②「モジュラー不変性の類似物」も、調べると事情が変わります。
2次元 Cardy の仕掛けはトーラス \(T^2\) の \(SL(2,\mathbb{Z})\) でした(第10回 03 節)。二つのサイクルを入れ替えると高温と低温が交換される。
ところが4次元の境界は \(\mathbb{R}_u\times S^2\)。熱的に \(u\) を巻いても \(S^1\times S^2\) で ── \(S^2\) には、交換すべき相手のサイクルがありません。 トーラスの構造そのものが無い。
ルートAは、構造的に塞がっています。ですが、高次元で Cardy 型の公式が作られていないわけではありません。
| ルート | 仕掛け | 必要な入力 |
|---|---|---|
| A:モジュラー不変性 | トーラスの \(SL(2,\mathbb{Z})\) | 中心電荷(\(S^1\times S^2\) では使えない) |
| B:熱的有効作用 | 熱的円周を小さくして KK 還元、微分展開 | 異常係数・カシミールエネルギー |
ルートBが、高次元での実際のやり方です。熱的な円周が他のスケールより十分小さい極限で次元還元し、微分展開の係数が CFT のデータを符号化する。Di Pietro–Komargodski が \(d=4,6\) の超対称理論で Cardy 公式を導いたのがこの路線です。
そしてルートBを取ると、①の中身がまた変わります ── 必要なのは中心電荷ではなく、熱的有効作用の係数になる。
| 手順 | やること |
|---|---|
| 0 | 陽性対照。 3次元の BMS-Cardy を、原論文の規約で再現する。\(c_M=3/G\) から平坦宇宙論の地平面エントロピーを出す。ここが合わなければ道具が壊れている → 実施済み・通過(03 節)。相対偏差 \(2.2\times10^{-16}\)。ただし一度落ちて、係数の取り違えが一つ見つかりました |
| 1 | 分岐点。 BMS₄ の超並進セクターに \(c_M\) 類似物があるか。純粋な代数の問題で、答えは二値 → 実施済み。答えは NO。\(\dim H^2(\mathfrak{bms}_4)=0\) ── 第13回で計算 |
| 2a | あれば → ルートA'(BMS-Cardy の4次元版)。ただしモジュラー構造の代替が要る → 閉じた |
| 2b | 無ければ → ルートB。\(S^1_\beta\times S^2\) 上の Carrollian 熱的有効作用を作る |
| 3 | 状態密度を出して \(A/4G\) と照合 |
手順1が二値の的です。 第2回(アノマリー相殺)、第6回(代数が閉じる)、第8回(ツイスターへの持ち上げ)に続いて、四度目 ── 満たすか満たさないかで決まる的。本シリーズが繰り返し「これだけが情報を持つ」と書いてきた形です。
結論は出ていません。それでも状態は動いたと思います。
| 前回まで | この回のあと | |
|---|---|---|
| 中心電荷の状況 | 「\(c=0\) だから行き止まり」 | 3次元でも \(c_L=0\)。行き止まりではない可能性 |
| 問いの形 | 「中心電荷は何か」 | 「超並進セクターに中心項はあるか」(二値) |
| ①②③ の関係 | 独立な3つだと思っていた | ②が①を決める。順番が逆だった |
| ②の見通し | 「モジュラー類似物が無い」 | ルートAは塞がっているが、ルートB(熱的有効作用)がある |
悪い知らせは、二つあった。 拡張 BMS₄ の Virasoro 中心電荷は \(c=0\) と報告されており、そもそも BMS₄ の中心拡大は定数ではなく場に依存するリー亜代数。素直に読めば Cardy 経路は塞がっている。
ところが3次元でも \(c_L=0\) だった。 BMS 代数は半直積なので中心電荷が二つ入り、3次元アインシュタイン重力では \(c_L=0\)、\(c_M=3/G\)。BMS-Cardy の第1項は落ち、エントロピーは完全に \(c_M\)(超並進セクター)が運んでいた。
だから問いが書き換わる。 「セレスチャル中心電荷は何か」ではなく ── 「BMS₄ の超並進セクターに \(c_M\) 類似物はあるか」。二値で決まる問いで、四度目の「二値の的」。
②も書き換わった。 \(S^1\times S^2\) にはトーラスの \(SL(2,\mathbb{Z})\) が無いのでルートA(モジュラー)は構造的に塞がっている。代わりにルートB(熱的有効作用)があり、その場合必要な入力は中心電荷ではなく異常係数になる。
そして ①②③ は独立ではなかった。 ②が何かを決めないと ① が「何の係数か」すら決まらない。前回「一つずつ」と並べたのは、順番が逆でした。結論は出ていませんが、問いの形は変わりました。
この文書は「つくる格子」シリーズ第11回、物理好きの高校生・大学生向け読み物です。姉妹編「わかる」が既知の物理を解説するのに対し、本シリーズは作業そのものを見せます。
確立した内容:BMS 代数が超回転と超並進の半直積であること、BMS₃ に二つの中心電荷 \(c_L, c_M\) が入ること、3次元アインシュタイン重力で \(c_L=0\)・\(c_M=3/G\)(Barnich–Compère)であること、BMS-Cardy 公式が二項からなること、拡張 BMS₄(+シャドウ対称性)の構成で Virasoro 中心電荷が \(c=0\) と報告されていること、Barnich による中心拡大された BMS₄ リー亜代数、および Di Pietro–Komargodski による \(d=4,6\) 超対称理論の Cardy 公式と熱的有効作用の手法。交換関係と Cardy 公式の具体形は文献により規約が異なります。
いっぽう「探す場所が超回転セクターに寄りすぎている」という読みは本シリーズの著者の推論であり、確立した指摘ではありません。BMS₄ の超並進セクターに \(c_M\) 類似物が存在するかは未解決で、存在しない可能性も含みます。この回は第9回の予想を証明しておらず、問いの形を置き直したところまでです。図は BMS-Cardy 公式の二項の相対的な寄与を示す模式で、単位は任意です。
本編:第1回|第2回|第3回|第4回|第5回|第6回|第7回|第8回|第9回|第10回 | 番外編:①/②/③ ── 印刷する場合はブラウザの「印刷」から「PDF に保存」を。
印刷 / PDF 化:⌘+P(Windows は Ctrl+P)。図で、どちらの中心電荷がエントロピーを運んでいるか確かめられます。