つくる格子第 3 回 / 舞台は、平坦でいい

曲率は帳簿の付け方であって、物理の中身ではない ── 平坦な舞台の上で、どこまで行けるか

舞台は、平坦でいい 第2回で、時空に刻みは要らないと分かりました。では 歪み は要るのか。
重力を「平坦時空の上で光速が場所ごとに変わること」として書く描像は、ワイルテンソルに阻まれて詰みます。
でも足りなかったのは 一語だけです。それを補うと、平坦な舞台の上で一般相対論がまるごと建ちます。
そしてその先に、曲率を基本要素として持たない記述 ── ホログラフィーがあります。

必要な道具:テンソルの気分、共形変換、第2回 この回の芯:曲率は場であって、舞台ではない

「空間が曲がる」というのは、相対論でいちばん有名で、いちばん飲み込みにくい主張です。ゴム膜に重りを置いた絵を見せられて、なんとなく納得したことにして先へ進む ── そういう人は多いはずです。
ここで、素直な疑問を最後まで押してみます。本当に曲がっている必要があるのか。 舞台は平坦なまま、その上で何かが起きている、では駄目なのか。
結論を先に言うと ── 駄目ではありません。厳密に成立します。 ただしそこに至るには、素朴なやり方がどこで詰むのかを正確に診断し、足りなかったものを一つだけ補う必要があります。そして補った先で、もっと強い立場が待っています。

01まず、どこで詰むのかを正確に

「重力とは、平坦時空の上で光速が場所ごとに変わることだ」── まず、この描像から始めます(この読み替えを最後まで追ったものが番外編②です)。屈折率 \(n(x)\approx1-2\Phi/c^2\) を置くやり方です。光の曲がりも重力赤方偏移もシャピロ遅延も、これで正しく出ます。

この描像を式で書くと、こういう計量を仮定していることになります。

$$ds^2=\Omega^2(x)\,\eta_{\mu\nu}dx^\mu dx^\nu$$

平坦な計量に、場所ごとのスカラー倍がかかっただけ。これを共形平坦といいます。そして厳密な判定条件があります。

判定条件

計量が共形平坦 \(\iff\) ワイルテンソルがゼロ

これで境界線が引けます。そして結果は、きれいに分かれます。

時空ワイルテンソルスカラーだけで書けるか
FRW(膨張宇宙)\(=0\)書ける。しかも厳密に
シュワルツシルト(星)\(\ne0\)原理的に書けない

膨張宇宙は本当に共形平坦です。共形時間に座標を移すと、光は厳密に 45° の直線を走ります。偶然ではありません ── 膨張宇宙は文字どおり「平坦時空 × スケール因子」であって、この意味で曲がっていない。あなたの直観は、宇宙論に関しては定理として正しい。

ところがシュワルツシルトは違います。真空解なので \(R_{\mu\nu}=0\)、つまり曲率が全部ワイル曲率です。

やってみよう ── 消えない曲率 $$R_{abcd}R^{abcd}=\frac{48G^2M^2}{c^4r^6}\neq 0$$

これは潮汐力そのもの

リッチがゼロなのに曲率不変量がゼロでない ── 残っているのは全部ワイル。だから共形平坦にできない。スカラー \(\Omega(x)\) をどう選んでも、星ひとつ書けません。

なぜ「光だけ」は合ってしまったのか

ここが面白いところです。屈折率描像が「静的弱場の」にしか使えない理由に、機構的な説明がつきます。

ヌル測地線は共形不変です。 光の経路は \(\Omega^2\) を掛けても変わらない。だから計量の共形類さえ合っていれば、光の曲がりは構造的に必ず再現できてしまう

つまり屈折率描像は、光については当たるようにできている。でも共形因子で潰れない部分 ── ワイル曲率、時計の進み方、物質の軌道 ── には、スカラー1個では触れられない。

◇ ◇ ◇

02足りなかったのは、一語だけ

では何が足りないのか。具体例で見ると一瞬で分かります。

フレームドラッグを考えてください。回転する天体のまわりを、光が右回りに一周する時間と、左回りに一周する時間が違います(実測されています)。

スカラー \(c(x)\) には、これが書けません。その点での値が1つしかないので、向きによって違う答えを返せない。

書くには \(c(x,\hat n)\) ── 方向に依存する光速が要ります。重力波も同じです。TT 偏極は一方向を伸ばし、直交方向を縮める。スカラーには異方的な伸縮が書けない。

足りなかった一語

各点で 方向ごとに 速さを与えるもの。
それを数学ではテンソル場と呼び、物理では 計量 \(g_{\mu\nu}\) と呼びます。

ここで「なんだ、結局計量か。曲率に戻っただけじゃないか」と思うかもしれません。それが違うんです。 ここからが本題です。

03平坦時空の上に、テンソル場を置く

一般相対論は、平坦なミンコフスキー時空の上に住む、自己相互作用する質量ゼロのスピン2場 \(h_{\mu\nu}\) の理論として構成できます。Gupta (1954)、Feynman、Deser (1970)。

Deser の議論が一番きれいです。

やってみよう ── 級数が閉じる

手順1. 平坦時空 \(\eta_{\mu\nu}\) の上に、質量ゼロのスピン2場 \(h_{\mu\nu}\) を書く(自由場)。

手順2. この場は物質のエネルギー運動量に結合する。ところが場そのものもエネルギーを持つ。だから自分自身にも結合しなければならない。

手順3. 補正項を足す。するとその補正項もエネルギーを持つので、また足す。反復する。

結果

級数が閉じて、アインシュタイン方程式そのものになります。そして

$$g_{\mu\nu}=\eta_{\mu\nu}+h_{\mu\nu}$$

が「実効的な計量」として結果的に現れる。最初から仮定したのではなく、出てきた。

Weinberg はさらに強いことを示しました。ローレンツ不変な質量ゼロのスピン2粒子が保存源に結合する理論は、低エネルギーで必ず一般相対論になる。つまり ──

この回の芯

等価原理は、仮定ではなく結論です。
「重力質量=慣性質量」を手で置く必要はない。平坦時空上のスピン2場という設定から、導出されます

ですから「空間は歪んでいない。平坦な舞台の上で、場がそう振る舞っているだけ」は、詩的な言い換えではなく厳密な定式化です。曲率は舞台の性質ではなく、舞台の上に乗ったになります。

図:同じ光の曲がりを、二通りに記帳する。左=「空間が曲がっている」、右=「空間は平坦で、場がある」。スライダーで質量を変えてください
光の軌跡(両側でまったく同一) 質量が無ければ通ったはずの直線

赤い軌跡は、左右で1ピクセルも違いません。同じ配列を二度描いています。違うのは背景の描き方だけ ── 左は格子を歪ませ、右は格子を正方形のまま置いて場を影で示した。

観測されるのは赤い線だけです。 背景の格子は、どちらもあなたが紙の上に引いた線であって、自然の中にはありません。

04代償① ── 平坦背景は、観測できない

正直な線を引きます。この定式化には、奇妙な代償があります。

何も \(\eta_{\mu\nu}\) だけには結合しません。物差しも時計も光も、すべて \(g=\eta+h\) で測る。ですから「本当は平坦だ」と言うことはできるけれど、その平坦さを検出する実験は原理的に存在しません

微妙な立場です。優先系のようでいて、完全に見えない優先系。

ただし ── だからこそ第2回の病気にかかりません 第2回で見た18桁のファインチューニングは、物理的な優先系が輻射補正で増幅されることから起きました。
平坦背景 \(\eta_{\mu\nu}\) は、それとは違います。何にも結合しないので、繰り込みにも効きません。見えないものは増幅されない。
「安全だが、同時に空虚でもある」── この二面性が、この定式化の性格を言い当てています。物理的な内容がゼロだからこそ、害もゼロ。

05代償② ── 大域構造が苦手

もう一つ、こちらは実質的な限界です。

平坦背景まわりの展開は、地平面の内側、自明でないトポロジー、閉じた宇宙をうまく覆えません。摂動級数が届く範囲が限られる。

「局所的には完全に正しく、大域的には不十分」という形です。ブラックホールの内部を \(\eta+h\) で書こうとすると、\(h\) が小さいという前提が崩れる。

正直な線 ── 「基本的でない」は「実在しない」ではない どの定式化を選んでも、潮汐力は測れます。\(R_{\mu\nu\rho\sigma}\) には観測可能な帰結がある。
あなたが選んでいるのは帳簿の付け方であって、物理を削っているわけではありません。「曲がっていない」と言うのは自由ですが、それで消える現象は一つもない。
◇ ◇ ◇

06そして、差分で解ける

ここまでは「そう記帳してもよい」という話でした。でもこの立場には、実用上の見返りがあります。しかもそれは思考実験ではなく、いま現実に動いているものです。

格子が歪まないなら、空間に正方形のセルを並べて、微分を差分で置き換えられます。プログラムを書く人にとって、これは決定的に嬉しい。

$$\frac{\partial f}{\partial x}\;\longrightarrow\;\frac{f_{i+1}-f_{i-1}}{2\Delta x}$$

そして ── 数値相対論は、まさにこれをやっています。

実際にやられていること

平坦な直交格子をメモリ上に並べる。その各点に \(g_{\mu\nu}\)(実際には BSSN や Z4c と呼ばれる変数)を場の値として置く。有限差分で時間発展させる。

格子は絶対に歪みません。 曲率は格子ではなく、格子点に載っている数値の中にあります。

LIGO がブラックホール合体を検出したとき、観測データと突き合わせた波形テンプレートは、この方法で作られました。曲がった時空を、歪まない格子の上で計算している。

そして構造的に、これは 03 節の Deser の定式化そのものです。舞台は平坦、曲率は舞台の上の場 \(h_{\mu\nu}\)。定式化と実装が、同じ形をしている。

ただし、難所は格子ではありません

正直に、何が難しいかを並べます。どれも「格子が歪まないこと」が原因ではないのが要点です。

難所中身
① 葉層化(ゲージ)差分をするには時空を「空間 × 時間」に切る必要がある。どう切るかは自由だが、切り方を間違えると格子点がブラックホールに落ちて計算が破綻する。1+log slicing、gamma-driver shift、moving puncture といった手法が要る。
② 拘束条件の破れアインシュタイン方程式は「発展方程式」と「拘束条件」に分かれる。差分は必ず拘束をわずかに破り、その誤差が指数的に増大する。BSSN・Z4c・一般調和形式といった拘束減衰つきの定式化でようやく解決した。
③ 特異点ブラックホールの中心は数値が発散する。切り取る(excision)か、座標を工夫して回避する(puncture)。
40年止まっていた理由 数値相対論は 1960 年代に始まりましたが、ブラックホール連星を最後まで計算できるようになったのは 2005 年です。約40年かかった。
止めていたのは ② の拘束条件の破れであって、格子でも差分でもありませんでした。平坦な格子に場を乗せるという発想自体は、最初から正しかった。

なぜこれは安全なのか ── 第2回の区別が効く

ここで第2回の表を思い出してください。格子には (a) 計算道具(b) 時空の基本構造 という別々の役割がありました。

数値相対論の格子は、完全に (a) です。格子間隔 \(\Delta x\) は人工的で、細かくして収束を確かめる。「時空が格子でできている」とは一言も主張していない。

だから第2回の18桁のファインチューニング問題は、まったく発生しません。優先系を物理として導入していないからです。

この節の芯

「空間が歪まない」から差分で解ける ── これは正しく、しかも実際にそうしている。
歪んでいないのは計算格子であって、時空が離散だと主張しているわけではない。だから安全。

07もっと強い版 ── ホログラフィー

ここまでは「曲率を場として書き直す」話でした。平坦背景は残っていて、ただ見えないだけ。

もっと徹底した立場があります。曲率も、曲がった時空も、そもそも基本的な要素として存在しないという立場です。

AdS/CFT において、境界の理論には重力がありません。曲率もありません。 普通の場の理論が、固定された平坦な背景の上に乗っているだけです。そして ──

創発する時空

バルクの曲がった時空は、境界のエンタングルメント構造から創発する。
曲率は基本的な存在ではなく、平坦な場の理論の記述の一形態である。

「空間の歪みは必要ない」の、いちばん強い版がこれです。第03節では舞台が平坦なまま残っていましたが、ここでは曲がった舞台という概念そのものが、基本の記述から消えます。

そして揃うものが多い。

欲しかったもの境界理論では
空間の歪みが無い○ 平坦な固定背景
空間の刻みが無い(第2回)○ 連続的な場の理論
厳密なローレンツ不変性○ 共形不変ですらある
有限の情報量○ ホログラフィック境界
計算可能○ 普通の場の理論

第2回の \(6\times10^{-20}\) にも、18桁のファインチューニングにも、この立場はまったく触れません。優先系を作らず、刻みも入れないからです。

08正直な線

最後に、この立場が支払っているものを並べます。

制御できている実例は AdS だけです。 \(\Lambda<0\)。ところが我々の宇宙は \(\Lambda>0\)。de Sitter におけるホログラフィーは未解決で、そこがこの路線の最大の弱点です。

「境界が平坦」も、ある意味で選択です。 境界理論が乗る背景は固定されていますが、それを「平坦」と呼べるのは共形不変性のおかげで、実際には共形類が決まっているだけ。ここも帳簿の話に戻ります。

そして \(1/4\) やページ曲線の導出は、特殊な設定でのものです。 3次元重力、JT 重力、超対称・極限ブラックホール。一般のシュワルツシルト・ブラックホールで同じことができているわけではありません。壁を一箇所だけ抜いた段階です。

練習問題
  1. 「平坦時空+スカラー可変光速」がシュワルツシルトを書けない理由を、一行で述べよ。
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    スカラー倍は共形変換であり、共形平坦な計量しか作れない。共形平坦の条件はワイルテンソル \(=0\) だが、シュワルツシルトは真空解(\(R_{\mu\nu}=0\))でありながら \(R_{abcd}R^{abcd}=48G^2M^2/c^4r^6\ne0\)、つまり曲率が全部ワイルなので不可能。
  2. にもかかわらず、屈折率描像で光の曲がりが正しく出るのはなぜか。
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    ヌル測地線が共形不変だから。光の経路は計量の共形類だけで決まり、\(\Omega^2\) を掛けても変わらない。だから共形因子を調整するだけで光には必ず当たる ── そして光以外には当たらない。
  3. Deser の構成で、なぜ「平坦背景の上のスピン2場」から等価原理が出てくるのか、筋だけ述べよ。
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    スピン2場は保存するエネルギー運動量テンソルに結合する。そして場自身もエネルギーを持つので、自分自身にも同じ強さで結合せざるを得ない。「すべてのエネルギーに同じように結合する」がまさに等価原理であり、それが反復の構造から強制される。仮定ではなく整合性の帰結。
  4. 平坦背景 \(\eta_{\mu\nu}\) は優先系のように見えるのに、第2回のファインチューニング問題を起こさない。なぜか。
    答えを見る
    第2回の問題は、物理的に検出できる優先系がループ補正で増幅されることだった。\(\eta_{\mu\nu}\) には何も単独で結合せず、あらゆる観測量は \(g=\eta+h\) を通る。検出できない構造は繰り込みにも現れないので、増幅されるものが無い。

この回で分かったこと

スカラーでは詰む。判定条件はワイルテンソル。 膨張宇宙はワイル \(=0\) なので「平坦時空 × スケール因子」で厳密に書けるが、星はワイル \(\ne0\) なので原理的に書けない。光だけが合ってしまうのは、ヌル測地線が共形不変だから。

足りなかったのは「方向依存」の一語だけだった。 各点で方向ごとに速さを与えるもの ── それがテンソル場。フレームドラッグも重力波も、これで書ける。

平坦な舞台の上に、テンソル場を置けば一般相対論が建つ。 質量ゼロのスピン2場の自己相互作用を反復すると、級数が閉じてアインシュタイン方程式になる(Gupta–Feynman–Deser)。\(g=\eta+h\) は仮定ではなく結果。そして等価原理が結論として出てくる(Weinberg)。

代償は2つ。 平坦背景は原理的に観測できない(=だからこそ第2回の18桁問題も起こさない)。そして大域構造 ── 地平面やトポロジー ── には届かない。

そして極限がホログラフィー。 境界理論には重力も曲率も無く、曲がった時空はエンタングルメントから創発する。歪みも刻みも優先系も無しに、有限の情報量と計算可能性が手に入る。ただし制御できている実例は \(\Lambda<0\) だけで、我々の宇宙は \(\Lambda>0\) です。

この文書は「つくる格子」シリーズ第3回、物理好きの高校生・大学生向け読み物です。姉妹編「わかる」が既知の物理を解説するのに対し、本シリーズは作業そのものを見せます。

確立した内容:共形平坦性とワイルテンソル消失の同値性、FRW の共形平坦性、シュワルツシルトのクレッチマン不変量、ヌル測地線の共形不変性、平坦時空上のスピン2場からの一般相対論の再構成(Gupta 1954、Deser 1970)、質量ゼロスピン2粒子から等価原理が従うこと(Weinberg)。いっぽう「曲率は創発的である」というホログラフィーの読みは、研究中の立場であって確立した結論ではありません。制御された双対性の実例は漸近的 AdS に限られ、\(\Lambda>0\) の場合は未解決です。図は模式で、背景格子の歪ませ方は定量的な計量の描画ではなく、光の軌跡のみが弱場の屈折率 \(n=1+2\mu/r\) による数値積分です。

本編:第1回第2回|番外編:①物理は、もっと簡単に書けないのか②「ct = 一定」は、どこまで通用するか | 姉妹編:わかる相対論 ── 印刷する場合はブラウザの「印刷」から「PDF に保存」を。

印刷 / PDF 化:⌘+P(Windows は Ctrl+P)。図のスライダーで、同じ軌跡が二通りに記帳できることを確かめられます。