つくる格子第 4 回 / 鏡は、戻ってこない

平坦時空の対称性は、ポアンカレではなく無限次元だった ── そしてそれは、測れる

鏡は、戻ってこない 重力波が通り過ぎたあと、LIGO の鏡は元の位置に帰りません
永久にずれる。その量が、平坦時空の対称性が無限次元であることの直接の証拠になります。
1962年の幾何学、1965年の散乱振幅、1974年の重力波 ── 50年間ばらばらだった3つが、
同じ一つの構造の三つの顔だった。そして最後に、平坦時空のホログラフィーが現れます。

必要な道具:球面調和関数の気分、第2回・第3回、対称性の自発的破れ この回の芯:永久変位 ≒ 陽子半径の 1/3600

第3回で、舞台は平坦でいいことを確かめました。曲率は舞台の性質ではなく、舞台の上の場でよい。
では、その平坦な舞台にはどれだけの対称性があるのか。誰でも「ポアンカレ群だろう」と答えます ── 並進4つとローレンツ6つで、計10個。
それが間違っていました。 しかも1962年から知られていた。無限遠での本当の対称性は無限次元で、その事実は抽象的な数学に留まらず、重力波検出器の鏡が元に戻らないという、きわめて具体的な形で現れます。
この回は、その無限次元の対称性を追いかけて、最後に平坦時空のホログラフィーまで行きます。

01無限遠の対称性は、ポアンカレではない

「物質から十分離れれば時空は平坦になる。だから漸近的な対称性はポアンカレ群だろう」── 自然な推論です。

Bondi–van der Burg–Metzner (1962) と Sachs (1962) が、重力波を厳密に扱うために光的無限遠 \(\mathscr{I}^+\)(スクライ・プラス)での漸近対称性を計算しました。出てきたのは ──

BMS 群
$$\text{BMS}=\underbrace{\text{ローレンツ}}_{6\ \text{個}}\;\ltimes\;\underbrace{\text{超並進}}_{\textbf{無限次元}}$$

超並進とは何か

鍵は、無限遠には方向によって別々に到達することです。天球上の各方向が、\(\mathscr{I}^+\) の別の点に対応している。

通常の並進は、遅延時刻 \(u\) を定数だけずらします。ところが ──

$$u\;\longrightarrow\;u-f(\theta,\phi)$$

角度に依存した量だけずらしても、漸近構造は保たれる。これが超並進です。\(f\) を球面調和関数で展開すると、構造が見えます。

やってみよう ── ポアンカレはどこにいるのか $$f(\theta,\phi)=\underbrace{\sum_{\ell=0,1}c_{\ell m}Y_{\ell m}}_{\textbf{通常の並進(4個)}}\;+\;\underbrace{\sum_{\ell\ge2}c_{\ell m}Y_{\ell m}}_{\textbf{超並進(無限個)}}$$

内訳

\(\ell=0\)(1個)が時間並進、\(\ell=1\)(3個)が空間並進。ポアンカレ群の並進部分は、無限の塔の最初の4段でしかありませんでした。

02なぜ Coleman–Mandula に殺されないのか

ここで警戒すべきことがあります。前回、時空対称性を大きくすることは Coleman–Mandula の定理で禁じられている、と確認しました。BMS はその禁令に触れないのでしょうか。

触れません。理由は一行です。

回避の理由

超並進は自発的に破れている。

真空が BMS 不変ではありません ── 超並進で互いに結ばれた縮退した真空が無限個ある。そして Coleman–Mandula が制限するのは、破れていない S 行列の対称性です。

破れた対称性が生むのは、散乱への拘束ではなく南部・ゴールドストーン粒子です。そしてこの場合、それは ──

ソフトグラビトンは、破れた超並進のゴールドストーン粒子である。

◇ ◇ ◇

03赤外三角形 ── 50年かけて、別々に見つかった

ここからが面白いところです。独立に発見された3つの現象が、同じ構造の三つの顔だと分かりました(Strominger ほか、2013–17)。

50年、別々の分野で
1962漸近対称性(BMS)一般相対論。無限遠の対称性が無限次元だと判明
1965ソフト定理散乱振幅。Weinberg が \(q\to0\) の普遍極を発見
1974 / 1991記憶効果重力波天文学。試験質量が永久変位する

頂点① ソフト定理(Weinberg 1965)

任意の散乱振幅に、運動量 \(q\to0\) のグラビトンを1本足すと ──

$$\mathcal{M}_{n+1}(q\to0)=\left(\frac{\kappa}{2}\sum_i\frac{(p_i\cdot\epsilon)^2}{p_i\cdot q}\right)\mathcal{M}_n+O(q^0)$$

先頭項は \(1/q\) ので、係数は外線の運動量だけで決まる ── 相互作用の詳細に一切依りません

Weinberg はこれを使って等価原理を導出しました。すべての粒子が同じ強さで重力に結合しなければ、ソフト定理が矛盾する。第3回で「等価原理は仮定ではなく結論」と書きましたが、これはその散乱振幅版です。同じ結論に、まったく別の道から到達している。

頂点② 記憶効果(Zel'dovich–Polnarev 1974、Christodoulou 1991)

自由に浮かぶ試験質量 ── LIGO の鏡だと思ってください。重力波のバーストが通過する。過ぎ去ったあと、時空はまた平坦に戻る。

ところが、鏡は元の位置に戻りません。 振動ではなく永久変位です。

そして3本の辺

関係
対称性 ⟺ ソフト定理S 行列の BMS 不変性を Ward 恒等式として書くと、そのまま Weinberg のソフト定理になる。超並進電荷が「ハードな部分(物質に作用)」と「ソフトな部分(ゼロ運動量グラビトンを生成)」に分かれるので、ソフト定理があの形をしている。
ソフト定理 ⟺ 記憶効果互いのフーリエ変換。記憶効果は、位置空間で見たゼロ振動数(=ソフト)極限。
記憶効果 ⟺ 対称性波が通過すると、いる真空が変わる。前も後も「平坦」だが、別の平坦な真空で、両者は超並進で結ばれている。永久変位の量=超並進のパラメータ。

真空の無限縮退という抽象的な話が、鏡の位置という測れる量になっている。それを図で見ます。

図:自由に浮かぶ試験質量のリング。重力波のバーストが通過します。「再生」を押してください(strain は見えるように \(10^{21}\) 倍に誇張しています)
元の円(波が来る前) いまの試験質量 波形 \(h_+(t)\)

波が過ぎたあと、赤いリングは灰色の円に重なりません。楕円に潰れたまま止まる。右の波形を見ると、振動が収まったあとに ゼロに戻らない段差が残っているのが分かります。これが記憶です。

傾斜角を 0°(真正面)にすると、記憶が消えます。この角度依存性は、次節で式として出てきます。

◇ ◇ ◇

04実際に計算する

数字を出しましょう。連星合体で効くのは非線形記憶(Christodoulou 記憶)で、源は重力波自身のエネルギー流束です。優勢な \((2,0)\) モードからの記憶振幅は ──

記憶の振幅
$$h_{\rm mem}(\iota)\;\simeq\;\frac{G\,E_{\rm rad}}{c^4\,R}\cdot\frac{\sin^2\iota\,\bigl(17+\cos^2\iota\bigr)}{96}$$

角度因子を先に見ておきます。

傾斜角 \(\iota\)0°(真正面)30°60°90°(真横)
角度因子0.00000.04620.13480.1771

真正面から見ると記憶はゼロ、真横で最大。 記憶は純粋な \(+\) 偏極の効果だからです。

実イベントに入れます。

実際の重力波イベントでの記憶
イベント          E_rad      D_L    傾斜     h_mem      振動ピーク比
                [Msun c²]  [Mpc]  [deg]
GW150914          3.00       440    150    1.51e-23      1.5%
GW150914(真横なら) 3.00       440     90    5.78e-23      5.8%
GW190521          7.60      5300     90    1.22e-23      2.0%
GW170817(中性子星) 0.04        40    152    1.95e-24      2.0%

スケーリング検算: h ∝ E_rad / D_L
  GW190521/GW150914 の予想比 (7.6/3.0)/(5300/440) = 0.2103
  実際の比(真横どうし)                          = 0.2103

GW150914 の記憶が小さいのは距離のせいではなく向きです。傾斜 150°、つまりほぼ真正面だったので \(\sin^2\iota\) で 1/4 に落ちている。

で、それは何メートルか

LIGO の腕は 4 km です。掛け算します。

やってみよう ── 永久変位を長さにする $$\Delta L = h_{\rm mem}\times 4\,\mathrm{km}$$

GW150914(実際の傾斜)

\(1.51\times10^{-23}\times4000\,\mathrm{m}=6.0\times10^{-20}\,\mathrm{m}\) ── 陽子半径の約 1/14000

GW150914(仮に真横だったら)

\(5.78\times10^{-23}\times4000\,\mathrm{m}=2.3\times10^{-19}\,\mathrm{m}\) ── 陽子半径の約 1/3600

そして重要なのは大きさではありません。それが戻らないことです。振動なら通り過ぎれば終わりですが、この 6×10⁻²⁰ m は永久に残る。宇宙のどこかで起きたブラックホール合体が、あなたの検出器の幾何を恒久的に書き換えた

05なぜ、まだ観測されていないのか

記憶効果は未観測です。振動する波形より 1〜2 桁小さいだけなのに、なぜ捕まらないのか。

理由は大きさではなく周波数です。記憶はほぼ直流(DC)の段差です。ところが LIGO は帯域通過型の装置で、10 Hz 以下ではほとんど感度がありません。地面振動に埋もれる。いちばん感度の無い場所に信号がある。

戦略は積み上げです。1イベントの記憶 SNR を \(\rho\) とすると、\(N\) イベントで \(\sqrt{N}\rho\)。

3σ に必要なイベント数
単一イベントの記憶 SNR   3σ に必要な N
   ρ = 0.05                 3600
   ρ = 0.067                2005
   ρ = 0.10                  900

文献の見積もりは、aLIGO 設計感度で \(O(10^3)\) イベント規模。LISA なら、はるかに容易です(低周波が主戦場なので、記憶の置き場所と装置の得意分野が一致する)。

正直な線 ── これは予報であって、結果ではない 記憶効果はまだ一度も観測されていません。上の数字は、既知のイベントから計算した期待値と、文献の検出見込みです。
「無限次元の対称性が実験で確かめられた」とは、まだ言えません。言えるのは「言えるようになる道筋が、具体的な数字として存在する」までです。
◇ ◇ ◇

06そして、平坦時空のホログラフィー

最後に、この回でいちばん遠くまで行く話をします。

ホログラフィーの最大の弱点は、制御できている実例が反ド・ジッター空間(\(\Lambda<0\))だけだということでした。我々の宇宙は \(\Lambda>0\) です。

セレスチャル・ホログラフィーは、平坦時空でホログラフィーをやろうとする綱領です。境界は AdS の境界ではなく、光的無限遠の天球 \(S^2\)

仕掛けの核心は、ひとつの群論的事実です。

なぜ天球なのか
$$\underbrace{SO(3,1)}_{\textbf{4次元のローレンツ群}}\;\cong\;\underbrace{SL(2,\mathbb{C})}_{\textbf{S}^2\textbf{ の大域共形群}}$$

4次元のローレンツ変換は、天球上の共形変換そのものです。

だから散乱振幅を、運動量固有状態ではなくブースト固有状態の基底で書き直す(メリン変換を使う)と、4次元の振幅が2次元 CFT の相関関数の形になります。

そして赤外三角形が、そのまま CFT の構造に翻訳されます。

4次元・平坦時空セレスチャル CFT(天球上)
散乱振幅相関関数
超並進カレント代数
ソフトグラビトン応力テンソル
超回転(subleading soft)Virasoro

ソフトグラビトンが CFT の応力テンソルになる。平坦時空の赤外の物理が、丸ごと2次元共形場理論の言葉に写る。

正直な線 ── 未完成です セレスチャル CFT は、独立に定義された理論としてまだ構成されていません。いまのところ振幅の書き換えであって、AdS/CFT のような「両側が厳密に定義された双対性の実例」ではない。
相関関数も異様です(連続スペクトル、超関数的)。標準的な CFT の枠に収まっていない。超回転の正しい拡張(Virasoro か \(\mathrm{Diff}(S^2)\) か)も決着していません。
方向であって、到達点ではありません。
寄り道 ── ソフトヘアと情報パラドックス 超並進電荷が無限個あるなら、ブラックホールも無限個の「ソフトな毛」を持つはずだ ── Hawking–Perry–Strominger (2016) はそこに情報パラドックスの解決を見ました。
ただし受け入れられていません。ソフトヘアの存在自体は概ね認められていますが、「情報を蓄えるには量が足りない」という強い反論があります(Bousso–Porrati ほか)。本シリーズの言葉で言えば、これは魅力的なパズルの段階です。
練習問題
  1. 超並進は無限個あるのに、そのうち4個だけが「通常の並進」と呼ばれる。どの4個か。
    答えを見る
    球面調和関数 \(Y_{\ell m}\) の \(\ell=0\)(1個)と \(\ell=1\)(3個)。前者が時間並進、後者が空間並進の3方向。\(\ell\ge2\) がすべて新しい超並進。
  2. BMS は時空対称性を無限次元に拡大するのに、なぜ Coleman–Mandula に抵触しないのか。
    答えを見る
    超並進が自発的に破れているから。CM が制限するのは真空を不変に保つ(破れていない)対称性で、破れた対称性はゴールドストーン粒子(この場合ソフトグラビトン)とソフト定理を生むだけ。散乱を自明化しない。
  3. 記憶効果は振動する波形より1〜2桁小さいだけなのに、なぜ検出がずっと難しいのか。
    答えを見る
    記憶はほぼ直流の段差で、周波数がゼロ付近にある。地上干渉計は 10 Hz 以下でほぼ感度が無い(地面振動)。信号が、装置のいちばん苦手な帯域に置かれている。大きさではなく周波数の問題。
  4. 真正面(\(\iota=0\))から見た連星合体では、記憶がゼロになる。式のどこから来るか。
    答えを見る
    角度因子 \(\sin^2\iota\,(17+\cos^2\iota)/96\) の \(\sin^2\iota\)。記憶は純粋な \(+\) 偏極の効果で、円偏極になる正面向きでは打ち消し合う。GW150914 は傾斜 150°(ほぼ正面)だったため、真横の場合の約 1/4 に落ちている。

この回で分かったこと

平坦時空の対称性は、ポアンカレではない。 光的無限遠での漸近対称性は BMS 群=ローレンツ ⋉ 超並進で、無限次元。通常の並進4つは、球面調和関数の \(\ell=0,1\) という最初の4段でしかなかった。

Coleman–Mandula には触れない。 超並進が自発的に破れているから。そしてソフトグラビトンは、その破れのゴールドストーン粒子である。

50年間ばらばらだった3つが、同じものだった。 漸近対称性(1962)=ソフト定理(1965)=記憶効果(1974/91)。ソフト定理は BMS の Ward 恒等式で、記憶効果はそのフーリエ変換で、永久変位は超並進のパラメータそのもの。

そして測れる。 GW150914 の記憶は \(h=1.5\times10^{-23}\)、LIGO の 4 km 腕で \(6.0\times10^{-20}\) m ── 陽子半径の 1/14000。大きさより、戻らないことが本質。ただし直流信号なので装置の苦手な帯域にあり、\(O(10^3)\) イベントの積み上げが要る。まだ未観測。

そして平坦時空のホログラフィー。 \(SO(3,1)\cong SL(2,\mathbb{C})\) ── 4次元のローレンツ群は天球の共形群そのもの。ソフトグラビトンがセレスチャル CFT の応力テンソルになる。未完成だが、\(\Lambda<0\) に縛られないホログラフィーの、いま唯一の道筋。

この文書は「つくる格子」シリーズ第4回、物理好きの高校生・大学生向け読み物です。姉妹編「わかる」が既知の物理を解説するのに対し、本シリーズは作業そのものを見せます。

確立した内容:BMS 群と超並進(Bondi–van der Burg–Metzner 1962、Sachs 1962)、Weinberg のソフトグラビトン定理(1965)、記憶効果(Zel'dovich–Polnarev 1974、Christodoulou 1991)、これら3者の等価性(Strominger ほか 2013–2017)、\(SO(3,1)\cong SL(2,\mathbb{C})\)。記憶効果は未観測です ── 本文の \(h_{\rm mem}\) は公表されたイベントパラメータから上式で計算した期待値で、必要イベント数は文献の見積もりに基づく予報です。使用した記憶振幅の式は優勢モードのみを取った近似で、係数には定式化による差があります。セレスチャル・ホログラフィーは進行中の研究綱領であり、完成した双対性の実例はまだありません。ソフトヘアによる情報パラドックスの解決には有力な反論があり、決着していません。図の strain は \(10^{21}\) 倍に誇張してあります。

本編:第1回第2回第3回 | 番外編:①物理は、もっと簡単に書けないのか②「ct = 一定」は、どこまで通用するか | 姉妹編:わかる相対論 ── 印刷する場合はブラウザの「印刷」から「PDF に保存」を。

印刷 / PDF 化:⌘+P(Windows は Ctrl+P)。図の「再生」で、鏡が戻ってこないところを見られます。