平坦時空の対称性は、ポアンカレではなく無限次元だった ── そしてそれは、測れる
第3回で、舞台は平坦でいいことを確かめました。曲率は舞台の性質ではなく、舞台の上の場でよい。
では、その平坦な舞台にはどれだけの対称性があるのか。誰でも「ポアンカレ群だろう」と答えます ── 並進4つとローレンツ6つで、計10個。
それが間違っていました。 しかも1962年から知られていた。無限遠での本当の対称性は無限次元で、その事実は抽象的な数学に留まらず、重力波検出器の鏡が元に戻らないという、きわめて具体的な形で現れます。
この回は、その無限次元の対称性を追いかけて、最後に平坦時空のホログラフィーまで行きます。
「物質から十分離れれば時空は平坦になる。だから漸近的な対称性はポアンカレ群だろう」── 自然な推論です。
Bondi–van der Burg–Metzner (1962) と Sachs (1962) が、重力波を厳密に扱うために光的無限遠 \(\mathscr{I}^+\)(スクライ・プラス)での漸近対称性を計算しました。出てきたのは ──
鍵は、無限遠には方向によって別々に到達することです。天球上の各方向が、\(\mathscr{I}^+\) の別の点に対応している。
通常の並進は、遅延時刻 \(u\) を定数だけずらします。ところが ──
$$u\;\longrightarrow\;u-f(\theta,\phi)$$と角度に依存した量だけずらしても、漸近構造は保たれる。これが超並進です。\(f\) を球面調和関数で展開すると、構造が見えます。
内訳
\(\ell=0\)(1個)が時間並進、\(\ell=1\)(3個)が空間並進。ポアンカレ群の並進部分は、無限の塔の最初の4段でしかありませんでした。
ここで警戒すべきことがあります。前回、時空対称性を大きくすることは Coleman–Mandula の定理で禁じられている、と確認しました。BMS はその禁令に触れないのでしょうか。
触れません。理由は一行です。
超並進は自発的に破れている。
真空が BMS 不変ではありません ── 超並進で互いに結ばれた縮退した真空が無限個ある。そして Coleman–Mandula が制限するのは、破れていない S 行列の対称性です。
破れた対称性が生むのは、散乱への拘束ではなく南部・ゴールドストーン粒子です。そしてこの場合、それは ──
ソフトグラビトンは、破れた超並進のゴールドストーン粒子である。
ここからが面白いところです。独立に発見された3つの現象が、同じ構造の三つの顔だと分かりました(Strominger ほか、2013–17)。
| 1962 | 漸近対称性(BMS) | 一般相対論。無限遠の対称性が無限次元だと判明 |
| 1965 | ソフト定理 | 散乱振幅。Weinberg が \(q\to0\) の普遍極を発見 |
| 1974 / 1991 | 記憶効果 | 重力波天文学。試験質量が永久変位する |
任意の散乱振幅に、運動量 \(q\to0\) のグラビトンを1本足すと ──
$$\mathcal{M}_{n+1}(q\to0)=\left(\frac{\kappa}{2}\sum_i\frac{(p_i\cdot\epsilon)^2}{p_i\cdot q}\right)\mathcal{M}_n+O(q^0)$$先頭項は \(1/q\) の極で、係数は外線の運動量だけで決まる ── 相互作用の詳細に一切依りません。
Weinberg はこれを使って等価原理を導出しました。すべての粒子が同じ強さで重力に結合しなければ、ソフト定理が矛盾する。第3回で「等価原理は仮定ではなく結論」と書きましたが、これはその散乱振幅版です。同じ結論に、まったく別の道から到達している。
自由に浮かぶ試験質量 ── LIGO の鏡だと思ってください。重力波のバーストが通過する。過ぎ去ったあと、時空はまた平坦に戻る。
ところが、鏡は元の位置に戻りません。 振動ではなく永久変位です。
| 辺 | 関係 |
|---|---|
| 対称性 ⟺ ソフト定理 | S 行列の BMS 不変性を Ward 恒等式として書くと、そのまま Weinberg のソフト定理になる。超並進電荷が「ハードな部分(物質に作用)」と「ソフトな部分(ゼロ運動量グラビトンを生成)」に分かれるので、ソフト定理があの形をしている。 |
| ソフト定理 ⟺ 記憶効果 | 互いのフーリエ変換。記憶効果は、位置空間で見たゼロ振動数(=ソフト)極限。 |
| 記憶効果 ⟺ 対称性 | 波が通過すると、いる真空が変わる。前も後も「平坦」だが、別の平坦な真空で、両者は超並進で結ばれている。永久変位の量=超並進のパラメータ。 |
真空の無限縮退という抽象的な話が、鏡の位置という測れる量になっている。それを図で見ます。
波が過ぎたあと、赤いリングは灰色の円に重なりません。楕円に潰れたまま止まる。右の波形を見ると、振動が収まったあとに ゼロに戻らない段差が残っているのが分かります。これが記憶です。
傾斜角を 0°(真正面)にすると、記憶が消えます。この角度依存性は、次節で式として出てきます。
数字を出しましょう。連星合体で効くのは非線形記憶(Christodoulou 記憶)で、源は重力波自身のエネルギー流束です。優勢な \((2,0)\) モードからの記憶振幅は ──
角度因子を先に見ておきます。
| 傾斜角 \(\iota\) | 0°(真正面) | 30° | 60° | 90°(真横) |
|---|---|---|---|---|
| 角度因子 | 0.0000 | 0.0462 | 0.1348 | 0.1771 |
真正面から見ると記憶はゼロ、真横で最大。 記憶は純粋な \(+\) 偏極の効果だからです。
実イベントに入れます。
イベント E_rad D_L 傾斜 h_mem 振動ピーク比
[Msun c²] [Mpc] [deg]
GW150914 3.00 440 150 1.51e-23 1.5%
GW150914(真横なら) 3.00 440 90 5.78e-23 5.8%
GW190521 7.60 5300 90 1.22e-23 2.0%
GW170817(中性子星) 0.04 40 152 1.95e-24 2.0%
スケーリング検算: h ∝ E_rad / D_L
GW190521/GW150914 の予想比 (7.6/3.0)/(5300/440) = 0.2103
実際の比(真横どうし) = 0.2103 ✓
GW150914 の記憶が小さいのは距離のせいではなく向きです。傾斜 150°、つまりほぼ真正面だったので \(\sin^2\iota\) で 1/4 に落ちている。
LIGO の腕は 4 km です。掛け算します。
GW150914(実際の傾斜)
\(1.51\times10^{-23}\times4000\,\mathrm{m}=6.0\times10^{-20}\,\mathrm{m}\) ── 陽子半径の約 1/14000
GW150914(仮に真横だったら)
\(5.78\times10^{-23}\times4000\,\mathrm{m}=2.3\times10^{-19}\,\mathrm{m}\) ── 陽子半径の約 1/3600
そして重要なのは大きさではありません。それが戻らないことです。振動なら通り過ぎれば終わりですが、この 6×10⁻²⁰ m は永久に残る。宇宙のどこかで起きたブラックホール合体が、あなたの検出器の幾何を恒久的に書き換えた。
記憶効果は未観測です。振動する波形より 1〜2 桁小さいだけなのに、なぜ捕まらないのか。
理由は大きさではなく周波数です。記憶はほぼ直流(DC)の段差です。ところが LIGO は帯域通過型の装置で、10 Hz 以下ではほとんど感度がありません。地面振動に埋もれる。いちばん感度の無い場所に信号がある。
戦略は積み上げです。1イベントの記憶 SNR を \(\rho\) とすると、\(N\) イベントで \(\sqrt{N}\rho\)。
単一イベントの記憶 SNR 3σ に必要な N
ρ = 0.05 3600
ρ = 0.067 2005
ρ = 0.10 900
文献の見積もりは、aLIGO 設計感度で \(O(10^3)\) イベント規模。LISA なら、はるかに容易です(低周波が主戦場なので、記憶の置き場所と装置の得意分野が一致する)。
最後に、この回でいちばん遠くまで行く話をします。
ホログラフィーの最大の弱点は、制御できている実例が反ド・ジッター空間(\(\Lambda<0\))だけだということでした。我々の宇宙は \(\Lambda>0\) です。
セレスチャル・ホログラフィーは、平坦時空でホログラフィーをやろうとする綱領です。境界は AdS の境界ではなく、光的無限遠の天球 \(S^2\)。
仕掛けの核心は、ひとつの群論的事実です。
4次元のローレンツ変換は、天球上の共形変換そのものです。
だから散乱振幅を、運動量固有状態ではなくブースト固有状態の基底で書き直す(メリン変換を使う)と、4次元の振幅が2次元 CFT の相関関数の形になります。
そして赤外三角形が、そのまま CFT の構造に翻訳されます。
| 4次元・平坦時空 | セレスチャル CFT(天球上) |
|---|---|
| 散乱振幅 | 相関関数 |
| 超並進 | カレント代数 |
| ソフトグラビトン | 応力テンソル |
| 超回転(subleading soft) | Virasoro |
ソフトグラビトンが CFT の応力テンソルになる。平坦時空の赤外の物理が、丸ごと2次元共形場理論の言葉に写る。
平坦時空の対称性は、ポアンカレではない。 光的無限遠での漸近対称性は BMS 群=ローレンツ ⋉ 超並進で、無限次元。通常の並進4つは、球面調和関数の \(\ell=0,1\) という最初の4段でしかなかった。
Coleman–Mandula には触れない。 超並進が自発的に破れているから。そしてソフトグラビトンは、その破れのゴールドストーン粒子である。
50年間ばらばらだった3つが、同じものだった。 漸近対称性(1962)=ソフト定理(1965)=記憶効果(1974/91)。ソフト定理は BMS の Ward 恒等式で、記憶効果はそのフーリエ変換で、永久変位は超並進のパラメータそのもの。
そして測れる。 GW150914 の記憶は \(h=1.5\times10^{-23}\)、LIGO の 4 km 腕で \(6.0\times10^{-20}\) m ── 陽子半径の 1/14000。大きさより、戻らないことが本質。ただし直流信号なので装置の苦手な帯域にあり、\(O(10^3)\) イベントの積み上げが要る。まだ未観測。
そして平坦時空のホログラフィー。 \(SO(3,1)\cong SL(2,\mathbb{C})\) ── 4次元のローレンツ群は天球の共形群そのもの。ソフトグラビトンがセレスチャル CFT の応力テンソルになる。未完成だが、\(\Lambda<0\) に縛られないホログラフィーの、いま唯一の道筋。
この文書は「つくる格子」シリーズ第4回、物理好きの高校生・大学生向け読み物です。姉妹編「わかる」が既知の物理を解説するのに対し、本シリーズは作業そのものを見せます。
確立した内容:BMS 群と超並進(Bondi–van der Burg–Metzner 1962、Sachs 1962)、Weinberg のソフトグラビトン定理(1965)、記憶効果(Zel'dovich–Polnarev 1974、Christodoulou 1991)、これら3者の等価性(Strominger ほか 2013–2017)、\(SO(3,1)\cong SL(2,\mathbb{C})\)。記憶効果は未観測です ── 本文の \(h_{\rm mem}\) は公表されたイベントパラメータから上式で計算した期待値で、必要イベント数は文献の見積もりに基づく予報です。使用した記憶振幅の式は優勢モードのみを取った近似で、係数には定式化による差があります。セレスチャル・ホログラフィーは進行中の研究綱領であり、完成した双対性の実例はまだありません。ソフトヘアによる情報パラドックスの解決には有力な反論があり、決着していません。図の strain は \(10^{21}\) 倍に誇張してあります。
本編:第1回|第2回|第3回 | 番外編:①物理は、もっと簡単に書けないのか/②「ct = 一定」は、どこまで通用するか | 姉妹編:わかる相対論 ── 印刷する場合はブラウザの「印刷」から「PDF に保存」を。
印刷 / PDF 化:⌘+P(Windows は Ctrl+P)。図の「再生」で、鏡が戻ってこないところを見られます。