つくる格子第 10 回 / 3次元では、もう証明されている

前回の予想は、次元を一つ落とせば定理でした ── 証明の型と、4次元で欠けている3つ

3次元では、もう証明されている 前回、予想を一文で書きました ── 面積 \(A\) のヌル面に乗る Carrollian 理論は \(e^{A/4G}\) 個の状態を持つ
では、どうやったら証明できるのか。調べると、証明の型は既にあり、3次元では終わっていました
しかも決定的なのは、その型が微視状態を一つも同定せずにエントロピーを出すこと。
つまり第8回で行き止まりだった「理論の定義がない」は、この問題では障害にならないかもしれません

必要な道具:第8回・第9回、対数、分割数(本文で作ります) この回の芯:BMS₃ で \(c_M=3/G\)

第9回で出した一文は、本シリーズの規律6に従って「候補であって、解ではない」と書きました。ではその候補は、どうすれば解になるのか。証明の道筋があるのか、それとも見当もつかないのか。
これは大きな違いです。第8回で未解決を三分類したとき、「本質的」の箱に入れたのは何が足りないのかも分かっていないという意味でした。
調べ直したら、そうではありませんでした。型はあり、3次元では成功済みで、4次元で欠けているものは3つに名指しできます。 しかもそのうち一つは、第8回で既に「未解決」と書いていたものでした。

01証明の型 ── Strominger の BTZ

1998年、Strominger は3次元のブラックホール(BTZ)のエントロピーを、\(1/4\) ごと導出しました。使ったのは3段だけです。

$$\underbrace{\text{漸近対称性}}_{\text{Brown–Henneaux}}\;\longrightarrow\;\underbrace{c=\frac{3\ell}{2G}}_{\text{中心電荷}}\;\longrightarrow\;\underbrace{S=2\pi\sqrt{\frac{c\,L_0}{6}}}_{\text{Cardy の公式}}\;=\;\frac{A}{4G}$$

ここが決定的です。微視状態を一つも同定していません。

「ブラックホールの中に、これこれの状態が \(e^{A/4G}\) 個ある」とは言っていない。何を数えたのか知らないまま、正しい数が出てきます。

なぜそんなことが可能なのか。Cardy の公式が、対称性だけから状態密度の漸近形を決めてしまうからです。

02Cardy の公式を、実際に確かめる

「対称性だけから状態数が出る」は、信じにくい主張です。確かめられる例でやってみます。

いちばん簡単な2次元 CFT ── 自由ボソン1個(\(c=1\))を取ります。この理論のエネルギー準位 \(n\) の状態数は、整数 \(n\) の分割数 \(p(n)\) になります。\(n\) をいくつかの正整数の和に分ける方法の数。

やってみよう ── 微視状態を、本当に数える

\(p(4)=5\):  \(4\)、\(3{+}1\)、\(2{+}2\)、\(2{+}1{+}1\)、\(1{+}1{+}1{+}1\)

これは漸化式で正確に計算できます

\(p(100)=190{,}569{,}292\)。一つ残らず数え上げられるので、Cardy の予言と突き合わせられます。

いっぽう Cardy の公式は、理論の中身を一切見ずに \(c=1\) だけから ──

$$S=\log p(n)\;\simeq\;2\pi\sqrt{\frac{c\,n}{6}}\qquad(c=1)$$

数えた答えと、対称性だけの答え。合うでしょうか。

図:分割数を実際に数え上げた \(\log p(n)\) と、Cardy の公式の比較。あなたのブラウザが漸化式で \(p(n)\) を計算しています
実際に数えた \(\log p(n)\) Cardy の先頭項 Cardy + 対数補正

先頭項だけだと、\(n=100\) では比が 0.74 ── ずれています。Cardy は漸近公式なので当然です。ところが対数補正(Hardy–Ramanujan)まで入れると ──

数え上げ vs 対称性だけの公式
   n      log p(n)    Cardy 先頭項   比      Cardy+対数補正    比
   50       12.227       18.138   0.674       12.290   0.99484
  100       19.066       25.651   0.743       19.110   0.99766
  500       49.187       57.357   0.858       49.207   0.99960
 1000       72.258       81.116   0.891       72.272   0.99981
 2000      105.168      114.715   0.917      105.178   0.99991

0.99991。 一つ一つ数え上げた答えと、\(c=1\) という数だけから出した公式が、ここまで一致します。

これが Strominger のやったことです。BTZ では \(c=3\ell/2G\) を漸近対称性から取り、Cardy に入れた。ブラックホールの中身を一度も見ずに。

03なぜ、中身を見なくてよいのか

仕掛けはモジュラー不変性です。

2次元 CFT をトーラスの上に置くと、分配関数はトーラスの形 \(\tau\) の関数になります。ところがトーラスには、二つのサイクルを入れ替えても同じ形になるという対称性がある ── \(\tau\to-1/\tau\)。

そしてこの入れ替えは、高温と低温を交換します

Cardy の仕掛け

低温側では、分配関数は基底状態だけで決まる ── そしてそのエネルギーは \(-c/24\)、つまり中心電荷ひとつ

モジュラー不変性がそれを高温側に翻訳する。だから高エネルギーの状態密度が、\(c\) だけで決まってしまう。

「一番簡単な端(基底状態)を、対称性で一番難しい端(高励起)に運ぶ」── これが Cardy の正体です。中身を知らなくてよいのは、そのため。

そしてここに、後で効いてくる前提が3つ隠れています。 「基底状態だけで決まる」と言うためには、スペクトルが離散で、ギャップがあり、ユニタリでなければなりません。06 節に戻ってきます。

◇ ◇ ◇

04そして3次元の平坦時空では、もう終わっています

ここが、この回でいちばんの発見でした。

Strominger の BTZ は AdS の話です。では平坦時空ではどうか。3次元の漸近平坦時空の漸近対称性は BMS₃ ── 第5回で見たとおり、共形 Carroll 代数です。

やることは同じでした。

3次元平坦時空では
漸近対称性BMS₃(=2次元共形 Carroll)
中心電荷AdS₃ 代数の縮約から \(c_M=3/G\)(Barnich–Compère 中心電荷)
Cardy 型の公式BMS-Cardy: \(S=2\pi L_0\sqrt{c_M/24M_0}\)(\(c_M=3/G\) の規約。第11回で陽性対照済み)
結果3次元平坦宇宙論の地平面エントロピーを再現

Barnich (2012)、および Bagchi–Detournay–Fareghbal–Simón。第9回で予想として書いた一文の、3次元版は定理です。

つまり

「面積 \(A\) のヌル面に乗る Carrollian 理論は \(e^{A/4G}\) 個の状態を持つ」
── これは3次元では、既に示されている

予想の身分が変わります。「見当もつかない」ではなく、「一つ下の次元では成立が確認されている主張の、次元を上げた版」

054次元で欠けているのは、3つ

3次元の成功を分解すると、4次元で何が要るかがそのまま出ます。

要るもの3次元では4次元では
① 中心電荷\(c_M=3/G\)不明
② モジュラー不変性の類似物BMS₃ 指標で確立未解決(\(\mathbb{R}_u\times S^2\) 上で何が対応するか)
③ Cardy 型の状態密度公式BMS-Cardy あり未解決

そして ① について、重要なことに気づきます。

第8回の未解決が、ここで正体を現します 第8回の「無いものリスト」に、こう書きました ── 「セレスチャル中心電荷:応力テンソルは同定できているのに、中心電荷が何なのか(ゼロなのか)が不明。2次元 CFT なら最初に決まる量が、決まらない」
あれは細かい技術的な穴ではありませんでした。Cardy 経路の、最初の入力そのものです。証明に必要な最初の数が欠けている。
第8回で「選択の問題」ではなく上の箱に入れるべきだった、ということになります。
◇ ◇ ◇

06順番についての、重要な帰結

ここで、01 節の「微視状態を同定していない」が効いてきます。

第8回で、この路線の核心的な欠落を「境界理論の独立な定義がない」と診断しました。作用も、構成的定義も、ブートストラップも、同定もできていない、と。

ところが Cardy 経路は、理論が何であるかを知らなくても走ります。要るのは対称性と中心電荷とモジュラー類似物だけで、ヒルベルト空間の中身は要らない。

順番

第8回の「定義がない」は、エントロピー問題のブロッカーではないかもしれない。

定義が先に必要だと思っていたが、逆かもしれない ── エントロピーのほうが先に落ちる可能性がある。

実際そうでした。BTZ のエントロピーが Cardy で出たのは 1998年。それは 「BTZ の微視状態とは何か」を誰も知らないまま受け入れられました。順番として、先に落ちたのはエントロピーのほうです。

07ただし、障害も同じ場所にあります

03 節の最後に隠しておいた前提を、回収します。

Cardy の導出は無条件ではありません。「低温側は基底状態だけで決まる」と言うために、離散スペクトル・ギャップ・ユニタリ性を仮定しています。

そして第8回で確認したのは、まさにこれでした。

Cardy が仮定するものセレスチャル/Carrollian CFT では
スペクトルが離散連続(主系列 \(\Delta\in1+i\mathbb{R}\))
ギャップがある連続なので、基底状態が孤立しない
ユニタリ性による正値性通常の形では成り立たない

ブートストラップが効かない理由と、まったく同じです。 第8回で「道具の前提が崩れる」と書いたその道具の中に、Cardy も入っていた。

3次元でうまくいったのは、BMS₃ に対してモジュラー不変性の類似物が実際に見つかったからです。4次元の Carrollian で同じものが立つかは、まだ誰も知りません。

08で、何をやるか

本シリーズの規律2は「陽性対照を先に取る」でした。それに従うと、順番はこうなります。

手順やること
1陽性対照。 まず3次元の結果を、自分の道具で再現する。BMS₃ の \(c_M=3/G\) と BMS-Cardy から、平坦宇宙論の地平面エントロピーを出す。ここで合わなければ道具が壊れている
24次元の中心電荷を計算する。3次元共形 Carroll 代数の中心拡大 ── Brown–Henneaux の \(3\ell/2G\)、BMS₃ の \(3/G\) に相当するもの
3\(\mathbb{R}_u\times S^2\) 上でモジュラー類似物を探す。連続スペクトルのままで何が言えるか
4状態密度を出して \(A/4G\) と照合する

手順1が一番大事です。第1回で \(E_h\) を掘り当ててから未知に向けたのと、同じ作法。答えが分かっている場所で機械を検証してから、分からない場所へ持っていく。

09「証明」には、強さの段階があります

最後に、目標の水準をはっきりさせておきます。

方法得られるもの
ユークリッド経路積分\(A/4G\) は出るが、何を数えたか分からないGibbons–Hawking(1977)
Cardy 型\(A/4G\) が出る。微視状態は同定しないBTZ(1998)、BMS₃(2012)
明示的な数え上げ状態そのものを列挙Strominger–Vafa(1996)

第9回の予想に対する現実的な目標は真ん中です。BTZ がその水準で受け入れられているので、同じ水準に到達すれば証明として通ります。

練習問題
  1. \(p(4)=5\) を手で確かめよ。そして \(p(5)\) を求めよ。
    答えを見る
    \(4\)、\(3{+}1\)、\(2{+}2\)、\(2{+}1{+}1\)、\(1^4\) で 5 通り。
    \(p(5)=7\):\(5\)、\(4{+}1\)、\(3{+}2\)、\(3{+}1{+}1\)、\(2{+}2{+}1\)、\(2{+}1{+}1{+}1\)、\(1^5\)。
  2. Cardy の公式が「中身を見なくてよい」のはなぜか。仕掛けを一行で。
    答えを見る
    モジュラー不変性 \(\tau\to-1/\tau\) が高温と低温を交換するから。低温側は基底状態(エネルギー \(-c/24\))だけで決まるので、その一つの数が高温側の状態密度に翻訳される。一番簡単な端を、対称性で一番難しい端に運んでいる。
  3. Cardy の導出が Carrollian CFT にそのまま使えない理由を三つ挙げよ。
    答えを見る
    (1) スペクトルが連続(主系列 \(\Delta\in1+i\mathbb{R}\))で離散でない。(2) 連続なのでギャップがなく「基底状態だけで決まる」が言えない。(3) 通常の形のユニタリ性・正値性が成り立たない。第8回でブートストラップが効かない理由と同じ。
  4. 「境界理論の独立な定義がない」ことが、エントロピー問題では障害にならないかもしれないのはなぜか。
    答えを見る
    Cardy 経路は微視状態を同定しないから。要るのは対称性・中心電荷・モジュラー類似物だけで、ヒルベルト空間の中身は不要。実際 BTZ のエントロピーは 1998年に導出されたが、「BTZ の微視状態とは何か」は当時も今も未解決のまま。順番として、エントロピーのほうが先に落ちうる。

この回で分かったこと

証明の型は、既にある。 漸近対称性 → 中心電荷 → Cardy 型の公式 → \(A/4G\)。Strominger が 1998年に BTZ でやった手順で、微視状態を一つも同定していない

そして Cardy は本当に効く。 自由ボソン(\(c=1\))の状態数は分割数 \(p(n)\) で、一つ残らず数えられる。数えた \(\log p(2000)=105.168\) と、\(c=1\) だけから出した公式(対数補正込み)\(105.178\) ── 比 0.99991

3次元の平坦時空では、もう終わっている。 BMS₃ の中心電荷 \(c_M=3/G\) と BMS-Cardy 公式が、3次元平坦宇宙論の地平面エントロピーを再現する(Barnich 2012 ほか)。第9回の予想の3次元版は定理。

4次元で欠けているのは3つ。 ① 中心電荷 ② モジュラー不変性の類似物 ③ Cardy 型の状態密度公式。そして ① は第8回で「セレスチャル中心電荷が不明」と書いたもの ── 細かい穴ではなく、証明の最初の入力だった。

順番が変わるかもしれない。 Cardy 経路は理論の定義を要求しないので、第8回で核心の欠落とした「独立な定義がない」は、エントロピー問題では障害にならない可能性がある。BTZ も、微視状態が分からないまま先にエントロピーが落ちた。

ただし障害も同じ場所にある。 Cardy は離散スペクトル・ギャップ・ユニタリ性を仮定し、Carrollian CFT はその三つを全部破る ── ブートストラップが効かないのとまったく同じ理由。3次元で通ったのは BMS₃ のモジュラー類似物が見つかったからで、4次元で立つかは未解決です。

この文書は「つくる格子」シリーズ第10回、物理好きの高校生・大学生向け読み物です。姉妹編「わかる」が既知の物理を解説するのに対し、本シリーズは作業そのものを見せます。

確立した内容:Brown–Henneaux の中心電荷 \(c=3\ell/2G\)、Cardy の公式とそのモジュラー不変性からの導出、Strominger による BTZ エントロピーの導出(1998)、自由ボソンの状態数が分割数であることと Hardy–Ramanujan の漸近形、BMS₃ の Barnich–Compère 中心電荷 \(c_M=3/G\) と BMS-Cardy 公式、およびそれによる3次元平坦宇宙論の地平面エントロピーの再現(Barnich 2012、Bagchi–Detournay–Fareghbal–Simón)。
いっぽう4次元での中心電荷、モジュラー不変性の類似物、Cardy 型の状態密度公式はいずれも未解決です。したがって第9回の予想は、この回でも証明されていません。「定義がなくてもエントロピーが先に落ちうる」という見通しも、3次元の前例に基づく推測であって保証ではありません。図の \(p(n)\) はブラウザ上で漸化式により厳密に計算していますが、倍精度の範囲で扱える \(n\) に限っています。

本編:第1回第2回第3回第4回第5回第6回第7回第8回第9回 | 番外編: ── 印刷する場合はブラウザの「印刷」から「PDF に保存」を。

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