つくる格子第 9 回 / 二つの空白は、一つだったのか

第1回が「数える対象が要る」と書いた ── その対象の、候補が出ます

二つの空白は、一つだったのか 前回、本質的な未解決が2つ残りました ── 地平面の状態数と、de Sitter
ところがこの2つ、同じ問いである可能性があります。決め手は単純で、
de Sitter の宇宙論的地平面もヌル超曲面だから。
そして正しければ、宇宙のヒルベルト空間の次元が一つの数として出ます ── \(10^{9.76\times10^{121}}\)。

必要な道具:第7回・第8回、対数目盛りの気分 この回の芯:\(S_{\rm dS}=2.25\times10^{122}\)

第8回で、未解決の一覧を三種類に分けました。技術的なもの、選択の問題、そして本質的なもの。最後の箱に残ったのは2つだけでした ── 「地平面の Carrollian 理論の状態数は \(e^{A/4G}\) を与えるか」と「\(\Lambda>0\) のホログラフィーは何か」。
この回で扱うのは、その2つが別の問題なのかという問いです。結論から言うと、同じ問いに見える理由がはっきりあり、同じだった場合の答えは一文で書けます
ただし、同じでない可能性も3つあります。そして分野自体が、この点で二派に割れています。

01決め手 ── de Sitter の地平面も、ヌル面

第7回で確立したことを思い出してください。

ヌル超曲面 \(\Longrightarrow\) 計量が退化 \(\Longrightarrow\) Carroll 多様体

この議論はヌル性しか使っていません。そして de Sitter 空間の宇宙論的地平面も、ヌル超曲面です。 静的パッチの果て、観測者が原理的に情報を受け取れなくなる面。

さらに Gibbons–Hawking (1977) が示したとおり、この面は温度とエントロピーを持ちます。

Gibbons–Hawking
$$T=\frac{\hbar H}{2\pi k_B},\qquad S=\frac{A}{4G}$$

ブラックホールと、まったく同じ式です。

つまり第7回で「宇宙には Carroll 面が2枚ある」と書きましたが ── 3枚でした

ヌル面面積そこに理論が乗れば
\(\mathscr{I}\)(光的無限遠)無限平坦時空のホログラフィー
ブラックホール地平面有限ブラックホールのエントロピー
de Sitter 地平面有限宇宙全体のホログラフィー

そして、第8回で残った2つの空白はこの表の下2行です。同じ種類の面についての、同じ種類の問い。

02もし同じなら、答えは一文で書けます

仮に、同じ結論だとすると

面積 \(A\) のヌル面に乗る Carrollian 理論は、
\(e^{A/4G}\) 個の状態を持つ。

この一文で、三つとも片付きます。しかも整合性が取れている。

ヌル面面積帰結
\(\mathscr{I}\)無限無限次元ヒルベルト空間 = 普通の場の理論。矛盾しない
ブラックホール地平面有限ベッケンシュタイン–ホーキング。既知の答えを再現
de Sitter 地平面有限宇宙全体のヒルベルト空間が有限次元

一行目が効いています。平坦時空では \(\mathscr{I}\) の面積が無限なので、状態数も無限 ── これは普通の場の理論と同じで、何もおかしくない。同じ公式が、平坦時空では既知の結論に落ちる。

三行目は、まったく違う主張です。宇宙は有限状態機械であると言っている。

◇ ◇ ◇

03我々の宇宙の、数

数を入れましょう。de Sitter 地平面の半径は \(r_H=c/H_0\)。

やってみよう ── 宇宙の状態数

\(r_H=c/H_0=1.367\times10^{26}\,\mathrm{m}\)(14.45 Gly)。面積 \(A=4\pi r_H^2=2.35\times10^{53}\,\mathrm{m^2}\)。

プランク面積 \(\ell_P^2=\hbar G/c^3=2.61\times10^{-70}\,\mathrm{m^2}\) で割ると

$$\frac{S}{k_B}=\frac{A}{4\ell_P^2}=\mathbf{2.25\times10^{122}}$$

したがって

$$\dim\mathcal{H}=e^{S/k_B}=10^{\,9.76\times10^{121}}$$

比較のために、エントロピーの階梯を見てください。すべて同じ式 \(S=A/4\ell_P^2\) で計算されています。

図:ヌル面のエントロピー(\(\log_{10}\) 目盛り)。すべて同じ式 \(S=A/4\ell_P^2\) から出ています。スライダーでブラックホールの質量を変えてみてください

M87* の超巨大ブラックホール(\(6.5\times10^9\,M_\odot\))でさえ、de Sitter 地平面より 25.7 桁小さい。

検算 ── 偶然ではない一致 \(S=S_{\rm dS}\) となるブラックホールの質量を逆算すると \(4.63\times10^{22}\,M_\odot=9.2\times10^{52}\,\mathrm{kg}\)
観測可能宇宙の質量はおよそ \(1.5\times10^{53}\,\mathrm{kg}\) ── 比 0.61、同じ桁です。
これは偶然ではなく、我々の宇宙がだいたい自分の地平面スケールにある(\(\Omega\approx1\))という事実の現れです。整合性の確認になります。
◇ ◇ ◇

04そして、第1回が求めていたもの

ここで第1回に戻ります。ただし、戻る先は総当たりの結果ではありません。あの回が最後に書いた注文です。

第1回の 08 節は、次元解析が \(O(1)\) 係数を出せないという壁の話でした。そこにこう書きました。

第1回 08 節より

ブラックホールのエントロピーで言えば、\(S\propto A\) までは次元で出るのに、\(1/4\) だけが出ない。そこを埋めるには、数える対象そのもの ── 状態、機構、対称性 ── が要る。

この回の 02 節でやったのは、まさにその数える対象を名指しすることでした。

「面積 \(A\) のヌル面に乗る Carrollian 理論の状態」

第1回は「何かを数えなければならない」と書いて止まりました。第9回は「これを数えるのではないか」と候補を出した。まだ数えていませんが、注文に対する返答の形にはなっています。

ついでに、\(\Lambda\) も繋がります

第1回 08 節が例に使ったのは、宇宙定数と臨界密度の一致でした ── \(\Lambda c^2/(G\rho_c)=17.3\) に対して \(8\pi=25.1\)。あそこで「次元解析では出せない \(O(1)\)」の実例として登場した \(\Lambda\) が、この回では宇宙の状態数そのものを決めています。

そして、宇宙定数問題でよく引かれる数 \(\rho_\Lambda/\rho_{\rm Pl}\sim10^{-122}\) との関係を書いておきます。\(S_{\rm dS}=3\pi/(\Lambda\ell_P^2)\) で、\(\rho_\Lambda/\rho_{\rm Pl}\propto\Lambda\ell_P^2\) なので ──

同じ数の、裏表
$$S_{\rm dS}\;\propto\;\frac{1}{\rho_\Lambda/\rho_{\rm Pl}}$$

数値でも \(1/(2.25\times10^{122})=4.4\times10^{-123}\) ── \(3\pi\) の因子の範囲で \(10^{-122}\) と一致します。

宇宙定数がなぜ小さいのかという問いは、宇宙のビット数がなぜ \(10^{122}\) なのかという問いと同じものでした。

とはいえ、説明されたわけではありません 意味がついたことと、なぜその値なのかが分かったことは別です。言い換わっただけ。
ただし言い換えとしては大きい ── 宇宙定数問題が、情報量の問題になりました。

05「宇宙は計算できる」が、数になる

第2回で、こう書きました ── 計算可能性に必要なのは有限の情報量であって、空間の刻みではない。

その「有限の情報量」に、いま値がつきました。

もし 02 節が正しければ

宇宙は、状態数 \(e^{2.25\times10^{122}}\) の有限状態機械である。

比喩ではなく、\(\Lambda\) から計算できる数として。

第2回では「格子は要らない」と結論しました。ここでも要りません ── 有限性の出どころは空間の刻みではなく、地平面の面積です。共変に定義されていて、優先系を作らない。

ただし、有限次元であることには厳しい代償もあります。有限次元のヒルベルト空間には、厳密な連続スペクトルの観測量が存在しません。厳密な S 行列も定義できない(散乱の「無限の未来」が地平面で切られるので)。「計算できる」と引き換えに、「厳密に測れる」を失います。

◇ ◇ ◇

06それでも、同じだと示されてはいません

ここから正直な線です。2つの問題が同じだと期待できる理由は 01 節で見ましたが、同じでない可能性が3つあります。

非対称性ブラックホールde Sitter
① 内と外観測者は地平面の観測者は地平面の(静的パッチ)
② 観測者依存性地平面はほぼ一意観測者ごとに別の地平面。「誰の地平面か」問題
③ 有限性の質全体のヒルベルト空間は無限次元全体が有限次元 ── 質的に別物

③ が特に重い。ブラックホールがあっても、漸近平坦時空全体のヒルベルト空間は無限次元のままです。de Sitter では宇宙そのものが有限次元になる。これは「大きさが違う」ではなく「種類が違う」。

07分野も、二派に割れています

もう一つ正直に書いておくべきことがあります。de Sitter ホログラフィーには、統合されていない二つの綱領があります。

綱領双対の住処性質
dS/CFT
(Strominger 2001)
\(\mathscr{I}^+\)(空間的な境界)ユークリッド的・非ユニタリ・中心電荷が虚数
静的パッチ/地平面地平面(ヌル面)有限次元。観測者に紐づく

この回の議論が繋がるのは、後者だけです。 前者の \(\mathscr{I}^+\) は空間的な面なので、ヌル面ではなく、したがって Carroll 多様体でもない。第7回で作った道具が効きません。

つまり「二つの空白は一つだった」という見立ては、de Sitter ホログラフィーの二派のうち一方を選んだ上で成り立つ話です。選択が正しいかどうかは、まだ決着していません。

正直な線 ── この回の身分 01〜03 節は確立した事実です(Gibbons–Hawking のエントロピー、ヌル面が Carroll 的であること、数値計算)。
04 節の \(S_{\rm dS}\propto1/(\rho_\Lambda/\rho_{\rm Pl})\) も、式変形だけの恒等式です。
いっぽう 02 節の「一文」は予想です ── 面積 \(A\) のヌル面に乗る Carrollian 理論が \(e^{A/4G}\) 個の状態を持つことは、示されていません。それを示すのが、そもそも第8回で残った空白でした。
本シリーズの規律6に従って書けば ── これは候補であって、解ではありません。
練習問題
  1. なぜ de Sitter の地平面は Carroll 多様体になるのか。第7回の議論のどこを使うか。
    答えを見る
    第7回の議論は「ヌル超曲面 → 誘導計量が退化 → Carroll 多様体」で、ヌル性しか使っていない。de Sitter の宇宙論的地平面もヌル超曲面なので、そのまま適用できる。だから宇宙には Carroll 面が3枚ある(\(\mathscr{I}\)、ブラックホール地平面、de Sitter 地平面)。
  2. 02 節の「一文」が、平坦時空で矛盾を生まないのはなぜか。
    答えを見る
    \(\mathscr{I}\) の面積は無限なので \(e^{A/4G}=\infty\)、つまり無限次元ヒルベルト空間。これは普通の場の理論と同じ結論で、何もおかしくない。同じ公式が、平坦時空では既知の答えに落ちる ── だから三つを統一する候補になりうる。
  3. 宇宙定数問題でよく引かれる \(10^{-122}\) と \(S_{\rm dS}\) の関係を式で示せ。
    答えを見る
    de Sitter では \(H^2=\Lambda c^2/3\) なので \(S_{\rm dS}=\pi c^5/(\hbar G H^2)=3\pi/(\Lambda\ell_P^2)\)。いっぽう \(\rho_\Lambda/\rho_{\rm Pl}\propto\Lambda\ell_P^2\)。したがって \(S_{\rm dS}\propto1/(\rho_\Lambda/\rho_{\rm Pl})\) ── 互いに逆数。数値でも \(1/(2.25\times10^{122})=4.4\times10^{-123}\) で、\(3\pi\) の因子の範囲で一致する。
  4. 「宇宙のヒルベルト空間が有限次元」だと、何を失うか。
    答えを見る
    厳密な連続スペクトルの観測量が存在しなくなる。また厳密な S 行列も定義できない ── 散乱の「無限の未来」が地平面で切られるため。計算可能性と引き換えに、厳密な測定可能性を失う

この回で分かったこと

Carroll 面は3枚あった。 第7回で2枚(\(\mathscr{I}\) と地平面)と書きましたが、de Sitter の宇宙論的地平面もヌル超曲面なので Carroll 多様体。しかも Gibbons–Hawking により、ブラックホールと同じ式 \(S=A/4G\) のエントロピーを持つ。

だから第8回の空白2つは、同じ問いに見える。 仮の答えは一文 ── 「面積 \(A\) のヌル面に乗る Carrollian 理論は \(e^{A/4G}\) 個の状態を持つ」。この一文で三つとも片付き、しかも平坦時空では既知の結論(無限次元=普通の場の理論)に落ちる。

我々の宇宙の数。 \(S_{\rm dS}=2.25\times10^{122}\)、\(\dim\mathcal{H}=10^{9.76\times10^{121}}\)。M87* の超巨大ブラックホールでさえ 25.7 桁下。\(S=S_{\rm dS}\) となる質量は観測可能宇宙の質量の 0.61 倍で、整合している。

そして第1回の注文に、返答の形がついた。 第1回 08 節は「\(1/4\) を埋めるには数える対象が要る」と書いて止まりました。02 節の一文は、その対象を名指ししています ── 面積 \(A\) のヌル面に乗る Carrollian 理論の状態。あわせて \(S_{\rm dS}\propto1/(\rho_\Lambda/\rho_{\rm Pl})\) なので、宇宙定数問題の \(10^{-122}\) は de Sitter エントロピーの逆数であり、宇宙定数問題が情報量の問題に言い換わる。

ただし、同じだとは示されていません。 内と外、観測者依存性、有限性の質 ── 三つの非対称性が残る。そして de Sitter ホログラフィー自体が二派に割れていて、この回の議論が繋がるのは地平面側の一派だけ。02 節の一文は候補であって、解ではありません。

この文書は「つくる格子」シリーズ第9回、物理好きの高校生・大学生向け読み物です。姉妹編「わかる」が既知の物理を解説するのに対し、本シリーズは作業そのものを見せます。

確立した内容:de Sitter 宇宙論的地平面がヌル超曲面であること、Gibbons–Hawking の温度とエントロピー \(S=A/4G\)(1977)、\(S_{\rm dS}=3\pi/(\Lambda\ell_P^2)\) という式変形、本文の数値(\(H_0=2.1927\times10^{-18}\,\mathrm{s^{-1}}\) から計算)、および dS/CFT と静的パッチ・ホログラフィーという二つの綱領が併存していること。
いっぽう 02 節の「面積 \(A\) のヌル面に乗る Carrollian 理論は \(e^{A/4G}\) 個の状態を持つ」は予想であり、示されていません。地平面の Carrollian 理論の状態数がベッケンシュタイン–ホーキング・エントロピーを再現するかは第8回で挙げた未解決問題そのもので、この回はそれを解いていません。また二つの空白が同一の問題であるという見立ては、de Sitter ホログラフィーの二派のうち地平面側を選んだ上で成り立つもので、その選択の正否も決着していません。数値は最新の宇宙論パラメータの選び方で数割動きます。

本編:第1回第2回第3回第4回第5回第6回第7回第8回 | 番外編: | 姉妹編:わかるブラックホール宇宙は計算機 ── 印刷する場合はブラウザの「印刷」から「PDF に保存」を。

印刷 / PDF 化:⌘+P(Windows は Ctrl+P)。図で、ブラックホールが de Sitter に届かないことを確かめられます。