第3回の宿題を、論証から計算に変える ── 歪みは要らない。ただし差分には条件がひとつ
このシリーズの読者から一貫して出ている立場があります ── 空間は歪まない。歪む代わりに光の進み方が変わる。そして宇宙は差分で計算できる。
第3回はこれに「テンソルなら建つ」と答えましたが、建てて見せてはいませんでした。この回は建てます。使うのは平坦なユークリッド座標だけで、格子は最後まで直交したまま。
結果は二つに分かれます。物理は完全に通ります ── 42.9807 秒角/世紀、GR 比 1.0000。
そして差分には、省略できない条件が一つ見つかりました。好みの問題ではなく、倍精度で解ける/解けないの境目です。
座標はこれだけです。最後まで変えません。
$$dx^2+dy^2+dz^2\qquad\text{(ユークリッド。直交格子。歪まない)}$$歪む代わりに、各点に関数を2つ置きます。
\(\rho=\sqrt{x^2+y^2+z^2}\) はただのユークリッド距離。近似ではありません ── これはシュワルツシルト解を書き直したもので、厳密です。
ここが要点です。空間の部分は \(dx^2+dy^2+dz^2\) のままで、前に \(B^4\) という数が掛かっているだけ。格子は歪んでいません。歪んだように見えるのは、格子の上に載っている「進みにくさ」が場所によって違うからです。
関数が2つあることが、あとで効きます。時間側の \(A\) と空間側の \(B\) は別の関数です。これが第3回の「一語」の正体でした。
ハミルトニアン形式で書くと、差分に落としやすい形になります。\(c=1\)、\(F=A^{-2}\)、\(G=B^{-4}\) として ──
\(E\) は保存量(時間方向の運動量)。近日点から接線方向に打ち出し、RK4 で回して、近日点を通るたびに方位角を記録します。方位角は途中で \(2\pi\) に畳まず、最初から累積で持ちます ── ここは実際に一度間違えました(後述)。
# 太陽 m = GM/c^2 = 1476.6250 m # 水星 a = 5.790905e10 m, e = 0.2056302, T = 87.9691 日 # 弱さの目安 m/a = 2.550e-08 一般相対論の予言 6 pi m /(a(1-e^2)) = 5.018663e-07 rad/周 = 42.9807 arcsec/世紀 # 刻みの収束(厳密シュワルツシルト、4周) steps/周 = 2000 42.9860 GR比 1.000124 (0.1 秒) steps/周 = 5000 42.9808 GR比 1.000004 (0.2 秒) steps/周 = 10000 42.9807 GR比 1.000000 (0.4 秒) steps/周 = 20000 42.9806 GR比 0.999999 (0.9 秒) # 本番(10000 steps/周、6周) 厳密シュワルツシルト(等方座標) 42.9807 arcsec/世紀 GR比 1.0000
出ました。座標は一度も歪ませていません。ユークリッド格子の上に \(A\) と \(B\) を置いて測地線を積分しただけです。
第3回の主張を検証します ── 空間側の関数を落としたら、どれだけ外すのか。
PPN 形式で書くと、ちょうど一つのつまみになります。\(U=m/\rho\) として
$$ds^2=-\bigl(1-2U+2\beta U^2\bigr)dt^2+\bigl(1+2\gamma U\bigr)\bigl(dx^2+dy^2+dz^2\bigr)$$\(\gamma\) が「空間側の一語」です。\(\gamma=0\) は空間を素のユークリッドに戻すこと ── 時間の進みだけが場所で変わる、いちばん素朴な「可変光速」の読み方です。一般相対論は \(\gamma=1\)。
モデル 近日点移動 GR比 ----------------------------------------------------- 厳密シュワルツシルト 42.9807 arcsec/世紀 1.0000 PPN gamma = 1 42.9807 1.0000 PPN gamma = 0.5 28.6538 0.6667 PPN gamma = 0 14.3269 0.3333 解析式 (2 + 2 gamma - beta)/3 : gamma=1 -> 1.0000 42.9807 gamma=0.5 -> 0.6667 28.6538 gamma=0 -> 0.3333 14.3269 全桁一致
空間側を落とすと、答えが 3 分の 1 になります。14.33 秒角/世紀。水星の近日点移動は 19 世紀から測られていて、一般相対論以外の説明が全部失敗した歴史があります ── 3分の1は、失敗の側です。
そして \(\gamma\) は独立に測られています。カッシーニの電波遅延から
$$\gamma-1=(2.1\pm2.3)\times10^{-5}$$\(\gamma=0\) は、この誤差で言えば 4万σ 以上離れています。「時間だけ変わって空間は素のまま」という読み方は、観測で潰れている。第3回の「一語」は、本当に必要な一語でした。
格子線をよく見てください。一本も曲がっていません。回っているのは軌道だけです。
この回を計画したとき、私は「光は \(F/G\) の比しか見ないから \(\gamma\) を判定できない」と考えていました。間違いでした。計算すると光も \(\gamma\) を見ます。
| 光の曲がり(太陽の縁) | 水星の近日点 | |
|---|---|---|
| 重みの形 | \(\dfrac{1+\gamma}{2}\) | \(\dfrac{2+2\gamma-\beta}{3}\) |
| \(\gamma=1\)(GR) | 1.75120″(理論 1.75119) | 42.98″ |
| \(\gamma=0\) | 0.87560″(ちょうど半分) | 14.33″(ちょうど1/3) |
両方とも \(\gamma\) に反応しますが、重みが違います。そして光は \(\beta\) をまったく見ません ── 光の式に \(\beta\) が入っていない。だから \(\gamma\) と \(\beta\) を分離するには、光と水星の両方が必要です。観測が二種類ある理由が、式から出てきます。
ここが、この回のいちばん実用的なところです。
上の運動方程式には \(F'\) と \(G'\) が出てきます。解析的な導関数を使えば通ることは、もう見ました。では、それを中心差分に置き換えたらどうなるか。「宇宙は差分で計算できる」という主張の、いちばん素直なテストです。
frac(刻み / rho) 近日点移動 GR比 ------------------------------------------------- 1e-08 -135214.89 arcsec -3145.94 1e-06 9168.33 213.31 1e-04 -153.46 -3.57 1e-03 22.49 0.52 1e-02 18.28 0.42 どの刻みでも合わない。符号すら合わない。
符号が飛ぶほど壊れています。これは物理ではなく精度の問題です。理由を見積もると、はっきりします。
主力(ニュートン重力)に対して \(m/a=2.55\times10^{-8}\) の相対補正。1% の精度で出したければ、導関数の相対誤差は \(\eta\lesssim2.5\times10^{-10}\) でなければならない。
\(F-1\simeq2m/\rho=5.1\times10^{-8}\)。1 のオーダーの数を倍精度で差分すると絶対誤差 \(\varepsilon\simeq2.2\times10^{-16}\) が乗るので
$$\eta\;\simeq\;\frac{\varepsilon}{4\,(m/\rho)\,\mathrm{frac}}\;=\;\frac{2.2\times10^{-9}}{\mathrm{frac}}$$丸めから \(\mathrm{frac}>8.5\)。打ち切り(\(\sim2\,\mathrm{frac}^2\))から \(\mathrm{frac}<1.1\times10^{-5}\)。
刻みが半径の 8.5 倍かつ \(10^{-5}\) 倍でなければならない ── 不可能です。
計量をそのまま差分する素朴なやり方では、倍精度で水星の近日点移動は計算できません。
刻みをどう選んでも駄目です。必要なのは約 6 桁ぶんの余分な精度 ── 四倍精度にすれば通りますが、それは代金です。
直し方は、数値相対論が実際にやっていることです。「1 からのずれ」を、桁落ちしない閉じた形で書く。
どちらの右辺にも「ほぼ 1 同士の引き算」がありません。だから \(u\) が \(10^{-8}\) でも、有効数字が丸ごと残ります。
これを差分すると、丸め誤差が「1 に対して」ではなく「\(F-1\simeq5\times10^{-8}\) に対して」になります ── 8 桁の得。
frac(刻み / rho) 近日点移動 GR比 ------------------------------------------------- 1e-09 42.9533 0.999361 1e-07 42.9826 1.000042 1e-06 42.9812 1.000010 1e-05 42.9808 1.000000 1e-04 42.9807 0.999999 1e-03 42.9811 1.000009 通る。しかも 4 桁ぶんの刻みで安定。 (見積りでは窓は 4e-7 〜 1e-5 の 1.4 桁だったので、見積りが保守的だった)
平坦な格子 + 2つの屈折率関数 = 一般相対論。厳密に。
歪みは要りません。差分で解けます。水星は 42.9807 秒角/世紀 で回ります。
ただし「1 からのずれ」を変数にすること。これは書き方の好みではなく、倍精度で解ける/解けないの境目でした。数値相対論が deviation 変数(\(\gamma_{ij}=\delta_{ij}+h_{ij}\) の \(h_{ij}\) を持つ、など)を使うのは、まさにこれが理由です。
| 結果 | |
|---|---|
| 歪まない格子で GR が出るか | 出る。42.9807″/世紀、GR 比 1.0000。座標は最後までユークリッド |
| 「一語」は本当に必要か | 必要。落とすと 1/3(14.33″)。カッシーニの \(\gamma-1=(2.1\pm2.3)\times10^{-5}\) から 4万σ 以上 |
| 差分で解けるか | 解ける。ただしずれを変数にすること(素朴にやると倍精度では不可能) |
| 大域構造 | 届かない。地平面やトポロジーは座標の張り替えでは書けない(第3回の代償のまま) |
| 平坦背景は観測できるか | できない。だから優先系としては使えない ── 第2回の18桁問題も起こさないが、物理的な格子でもない |
最後の行が、この立場の芯です。平坦な格子は「計算のための格子」としては完璧に使えて、「世界の基本構造としての格子」にはならない。そして計算のためだけなら、それで足ります ── 数値相対論は毎日それをやっています。
第16回で調べていたのは「刻みが物理的なとき」の話でした。そちらはローレンツ破れが発生し、対称性の機構が要る。この回でやったのは、刻みが数値的なときの話です。そちらには何の障害もありませんでした。
歪まない格子の上に、一般相対論がそのまま建つ。 座標は最後まで \(dx^2+dy^2+dz^2\)。置いたのは \(A(\rho)\) と \(B(\rho)\) の2つだけ(等方座標のシュワルツシルト、厳密)。測地線を RK4 で積分して 42.9807 秒角/世紀、GR 比 1.0000。刻み 2000→20000 steps/周で収束を確認。
第3回の「一語」は本当に必要だった。 PPN の \(\gamma\) が空間側の一語。落とす(\(\gamma=0\)、空間を素のユークリッドに戻す)と 14.3269 秒角/世紀 = ちょうど 1/3。\(\gamma=0.5\) なら 2/3。解析式 \((2+2\gamma-\beta)/3\) と全桁一致。カッシーニの \(\gamma-1=(2.1\pm2.3)\times10^{-5}\) から、\(\gamma=0\) は4万σ 以上離れている。
光でも判定できる ── 計画時の見立てが違っていた。 「光は \(F/G\) しか見ないから \(\gamma\) を判定できない」と考えていたが、光の曲がりは \(\gamma=1\) で 1.75120″、\(\gamma=0\) で 0.87560″(ちょうど半分)。重みが \(\frac{1+\gamma}{2}\) と \(\frac{2+2\gamma-\beta}{3}\) で違うだけ。ただし光は \(\beta\) を見ないので、\(\gamma\) と \(\beta\) の分離には光と水星の両方が要る。第3回の「光は共形不変だから当たる」は FRW の話で、これとは別だった。
差分は解ける。ただし素朴にやると倍精度では不可能。 \(F,G\) をそのまま中心差分すると、どの刻みでも符号すら合わない。理由は、近日点移動が主力に対して \(m/a=2.55\times10^{-8}\) の補正なのに \(F-1\) が \(5.1\times10^{-8}\) しかないこと。丸めから \(\mathrm{frac}>8.5\)、打ち切りから \(\mathrm{frac}<1.1\times10^{-5}\) ── 両立しない。
越え方は「ずれを変数にする」。 \(F-1=\frac{4u}{(1-u)^2}\)、\(G-1=\frac{-u(4+6u+4u^2+u^3)}{(1+u)^4}\) と代数で先に 1 を引いておく。丸めが \(5\times10^{-8}\) に相対的になるので 8 桁得をし、frac \(10^{-7}\)〜\(10^{-3}\) の広い範囲で GR 比 1.00001 以内。これは書き方の好みではなく、解ける/解けないの境目。数値相対論が deviation 変数を使う理由がここにある。
そして残るもの。 大域構造(地平面・トポロジー)には届かない ── 第3回の代償のまま。そして平坦背景は観測できないので、優先系としては使えない。つまりこの格子は「計算のための格子」としては完璧で、「世界の基本構造としての格子」にはならない。第16回で調べていたのは後者(刻みが物理的な場合)で、そちらには対称性の機構が要る。前者には、何の障害もありませんでした。
この文書は「つくる格子」シリーズ第17回、物理好きの高校生・大学生向け読み物です。姉妹編「わかる」が既知の物理を解説するのに対し、本シリーズは作業そのものを見せます ── 自分が踏んだバグと、計画時の見立て違いを含めて。
確立した内容:等方座標におけるシュワルツシルト解、PPN 形式と \(\gamma,\beta\)、光の曲がりの \(\frac{1+\gamma}{2}\) 依存と近日点移動の \(\frac{2+2\gamma-\beta}{3}\) 依存、一般相対論の近日点移動 \(6\pi GM/(c^2a(1-e^2))\)、水星の軌道要素、カッシーニによる \(\gamma-1=(2.1\pm2.3)\times10^{-5}\)(Bertotti–Iess–Tortora 2003)、太陽縁での光の曲がり \(4GM/c^2R_\odot=1.751''\)。
本稿の数値(42.9807 秒角/世紀、\(\gamma=0.5,0\) での 28.6538・14.3269、光の 1.75120・0.87560、刻みの収束表、差分の各表)は、著者が書いた RK4 積分コードの出力です。解析式との比較を各所に併記してあるので、そこが判定になります。1% 精度に必要な \(\eta\) と frac の見積りは桁の議論であり、係数 4 や 2 は概算です(本文が示すとおり、実測の許容窓は見積りより広い)。
「平坦な格子+2つの関数=一般相対論」という言い方自体は本稿の独自の主張ではありません ── 等方座標は 100 年前から知られており、数値相対論は日常的に直交格子で解いています。本稿がやったのは、第3回で論証にとどめた部分を実際に走らせて数値で確かめ、そのときに現れる桁落ちの条件を定量化したことです。
大域構造に届かないこと、平坦背景が観測できないことは第3回のとおりで、この回で改善していません。
本編:第1回|第2回|第3回|第4回|第5回|第6回|第7回|第8回|第9回|第10回|第11回|第12回|第13回|第14回|第15回|第16回 | 番外編:①/②/③ ── 印刷する場合はブラウザの「印刷」から「PDF に保存」を。
印刷 / PDF 化:⌘+P(Windows は Ctrl+P)。図で、格子が歪まないまま軌道だけが回ることを確かめられます。