「遅くなる」と「距離が伸びる」は同じこと ── そして距離が変わるとは、計量が変わるということ
第1回の最後にこう書きました ── 「遅くなる」と「光路が長くなる」は同じことを別の言い方で述べている。光学では屈折率 \(n\) の媒質を \(d\) だけ進むことを光路長 \(nd\) と呼び、真空を \(nd\) 進んだのと同じに扱います。距離が伸びた、と言えるわけです。そして距離の測り方が変わるということは ── 計量が変わったということ。この回はその読み替えを最後まで押します。媒質の中では光の円錐が狭くなり、光線はその計量の測地線になり、スネルの法則は幾何の帰結になる。「重力は力か、それとも曲率か」という姉妹編「わかる相対論」の二重性が、そっくりそのまま現れます。ただし譲れない一点がある ── 狭くなったのは光の円錐であって、因果の円錐は 1 ミリも動いていません。実効計量は、本物の円錐の内側にできるもうひとつの円錐です。
屈折率 \(n\) の媒質を距離 \(d\) 進んだときの位相の進みは \(k_0 n d\)(\(k_0\) は真空での波数)。真空を距離 \(L\) 進んだときは \(k_0 L\)。両者が等しいのは
$$L=nd\qquad\text{── これを}\textbf{光路長}\text{という}$$つまり「\(n=1.5\) のガラスを 1 cm 進む」は、位相の上では「真空を 1.5 cm 進む」と区別できません。
速さが \(1/n\) になったと言っても、距離が \(n\) 倍に伸びたと言っても、同じことを述べています。
時空図で描いてみます。真空では光は \(x=\pm ct\)、つまり 45 度の線を進みます。媒質の中では \(x=\pm ct/n\) ── より立った線になる。円錐が狭くなります。
「狭い円錐」を式で書くと、それはひとつの計量です:
$$ds^2_{\rm opt}=-\frac{c^2}{n^2}\,dt^2+dx^2+dy^2+dz^2$$この計量で \(ds^2_{\rm opt}=0\)(ヌル)となる線が、まさに \(|dx/dt|=c/n\)。光線は、この実効計量の光的測地線を走ります。
これは 1923 年にゴルドンが導入した光学計量と呼ばれるもので、いまでは「アナログ重力」や「変換光学(メタマテリアルによる透明マント)」の土台になっています。
「\(c\cdot t=\)一定 の座標系で見ると、光が遅くなるのと等価」という直感は、ここで正確な形になります ── 等価なのは座標系ではなく計量で、そして \(c\cdot t\) の代わりに \(c\cdot t/n\) を使う、ということです。
光学には昔から「フェルマーの原理」があります ── 光は光路長 \(\int n\,dl\) を最小(正確には停留)にする道を通る。1662 年です。
いまの言葉で読み直すと、これはそのまま測地線の定義です。空間の距離を \(dl_{\rm F}=n\,dl\) と測り直せば、\(\int n\,dl\) はその計量での長さ。長さを最小にする曲線 = 測地線。
屈折率が \(y\) だけの関数 \(n(y)\) のとき、フェルマーの原理から出る保存量はひとつです:
$$n(y)\sin\theta=\text{一定}\qquad(\theta\ \text{は層の法線からの角度})$$境界で \(n\) が \(n_1\to n_2\) と飛ぶ場合に書けば \(n_1\sin\theta_1=n_2\sin\theta_2\) ── スネルの法則そのもの。
「屈折の法則」は、実効計量の測地線が持つ保存量にすぎませんでした。
下の図の左は時空図です。破線の 45 度が真の因果円錐、実線が媒質の光円錐。\(n\) を上げると内側へ倒れていきます。
右は屈折率が高さで変わる媒質(蜃気楼や光ファイバ)。光線をフェルマーの原理から数値的に追跡してあります。そして光線に沿ってその場所の光円錐を小さく描いてあります ── 光線が曲がるのは、場所ごとに円錐の開き方が違うから。それだけです。
ここまでで「\(c\cdot t=\)一定 の見方」は正確な形になりました。そのうえで、絶対に外してはいけない一点があります。
| 因果の円錐 | 媒質の光円錐 | |
|---|---|---|
| 開き | \(x=\pm ct\)(45°) | \(x=\pm ct/n\)(狭い) |
| 変えられるか | 変えられない | 物質を選べば変えられる |
| 何を縛るか | あらゆる因果関係 | この波の伝わり方だけ |
| 実効計量は | ── | 因果円錐の内側にできる(\(n>1\) のとき) |
実効計量は、本物の時空を書き換えたのではありません。本物の光円錐の内側に、もう一本細い円錐を描いただけです。だから ──
・光速不変(因果の \(c\))はまったく無傷。
・そのうえで、波にとっては実効計量が本物と同じくらい有効に働く。
・そして「内側に狭い円錐がある」という構造こそが、次節のアナログ重力を可能にします。
ここが面白いところです。媒質が流れている場合を考えます。流速 \(v\) の媒質の中を、波は \(c/n\) で進む。もし \(v>c/n\) になったら ── 波は上流へ進めなくなります。
流れが \(c/n\) を超える面は、波にとって越えられない境界 ── 姉妹編「わかる温度」番外編①で見た地平面とまったく同じ構造です。
ウンルーが 1981 年に音で同じことを指摘し(音響ブラックホール)、いまでは水の流れ、ボース凝縮体、光ファイバ、そして超伝導回路で「アナログ地平面」が作られています。ホーキング輻射に対応する現象も報告されています。
本物の因果円錐は無傷なまま、内側の円錐だけで地平面が作れる ── これがアナログ重力の全体像です。だから実験室でできる。
アナログ系は同じ方程式に従う別の系であって、時空そのものの検証ではありません。「音響ブラックホールでホーキング輻射が見えた」は「ホーキング輻射が実証された」を意味しません。この区別は、姉妹編「わかるすり抜け」番外編①でも同じ形で出てきました。
確立していること:光路長 \(nd\) と、位相の上で「遅くなる」と「距離が伸びる」が区別できないこと;静止した等方媒質に対する光学計量(ゴルドン計量、1923)\(ds^2_{\rm opt}=-(c^2/n^2)dt^2+d\vec x^2\) と、光線がその光的測地線になること;フェルマーの原理 \(\delta\int n\,dl=0\) が空間計量 \(n^2\delta_{ij}\) の測地線方程式と等価であること;層状媒質での保存量 \(n\sin\theta=\)一定 とスネルの法則;動く媒質で流速が \(c/n\) を超える面が波にとって地平面として働くこと(Unruh 1981 以来のアナログ重力);変換光学の基礎。いずれも標準的な結果です。
注意すること:① 実効計量は本物の時空計量ではありません。因果の円錐(\(x=\pm ct\))は一切変わらず、実効計量はその内側にできる「波にとっての」円錐です。光速不変は無傷です。② ゴルドン計量が単純な形になるのは等方・非分散・非吸収の媒質についてです。分散があると \(n\) が振動数に依存するので「ひとつの計量」では書けず、振動数ごとに違う計量になります(第3回・第5回)。異方性(複屈折)があると、そもそもスカラーの \(n\) では書けません。③ フェルマーの原理は幾何光学(波長が構造より十分小さい)の近似です。回折が効く領域では成り立ちません。④ 図の光線追跡は \(y''=n n'/C^2\)(フェルマーの原理から導かれる式)の数値積分で、実際の大気や光ファイバのプロファイルを再現したものではありません。⑤ アナログ重力は「同じ方程式に従う別の系」であり、時空での検証ではありません(本文の注記どおり)。⑥ 「\(c\cdot t\) の座標系で見る」という言い方は、正確には「座標変換」ではなく「別の計量を導入する」ことです。座標変換だけでは物理は変わりません。
位相の上で「遅くなる」と「距離が伸びる」は区別できません(光路長 \(nd\))。距離の測り方が変わるとは計量が変わるということで、実際こう書けます ── \(ds^2_{\rm opt}=-(c^2/n^2)dt^2+d\vec x^2\)(ゴルドンの光学計量、1923)。光線はこの計量の光的測地線を走ります。
すると 1662 年のフェルマーの原理 \(\delta\int n\,dl=0\) は、そのまま測地線の定義になり、スネルの法則は測地線の保存量 \(n\sin\theta=\)一定 になります。「重力は力か曲率か」と同じ二重性が、屈折にもある。
そして「\(c\cdot t=\)一定 で見ると光が遅くなるのと等価」という直感は、ここで正確な形になりました ── 等価なのは座標系ではなく計量で、\(c\cdot t\) の代わりに \(c\cdot t/n\) を使うということ。ただし因果の円錐はまったく動いていません。実効計量は本物の円錐の内側に描かれる、この波のためだけの円錐です ── そしてその構造こそが、実験室でアナログ地平面を作れる理由でもあります。
印刷 / PDF 化:⌘+P(Windows は Ctrl+P)。画面では左の n を上げると光円錐が内側に倒れ、右では屈折率の勾配と打ち出し角で光線が曲がります。光線に沿った小さな円錐の開きが場所ごとに違うことを確かめてください。「答えを見る」で解答が開きます。