ガラスの中で光速が c/1.5 になるのに、光速不変が破れないのはなぜか
水に入れたストローが折れて見えます。理由は「水の中では光が遅いから」。実際、水の屈折率は 1.33 なので、光の速さは \(c/1.33\) に落ちます。ガラスなら \(c/1.5\)、ダイヤモンドなら \(c/2.42\) ── 真空の 4 割強です。ところが相対論は「光速は不変」だと言う。これは矛盾していません。なぜなら ── 遅くなっているのは光子ではないから。原子と原子のあいだを飛ぶ光子は、いつでもきっちり \(c\) で走っています。遅いのは、光と物質の分極が混ざった「別の波」のほう。そしてその混ざり方を追うと、屈折率という数がどこから出てくるのかがはっきりします。ついでに、教科書でもよく見る「原子が光を吸収して、少し遅れて再放出するから遅くなる」という説明がなぜまちがいなのかも分かります。
| 物質 | 屈折率 n(可視光) | 光の速さ |
|---|---|---|
| 真空 | 1 | 3.00×10⁸ m/s |
| 空気 | 1.0003 | ほぼ同じ |
| 水 | 1.33 | 2.25×10⁸ m/s |
| ガラス | 1.5 | 2.00×10⁸ m/s |
| ダイヤモンド | 2.42 | 1.24×10⁸ m/s |
| シリコン(赤外) | 3.5 | 0.86×10⁸ m/s |
これは実測です。ダイヤモンドの中で、光は真空の 41% の速さしか出ません。では相対論の「光速不変」はどうなるのか。
相対論が不変だと言っているのは、因果が伝わる最高速度 \(c\) です。光がたまたま \(c\) で進むのは、光子の質量がゼロだから。質量ゼロの粒子は \(c\) でしか進めません。
物質の中を進む「光」は、じつは純粋な光ではありません。だから \(c\) でなくてよい ── 何も破れていない。問題はむしろ、では何が進んでいるのかです。
先に、広く流通している誤った説明を片付けます。
「原子が光子を吸収して励起状態になり、少し遅れて再放出する。これを繰り返すので、正味では遅くなる」
魅力的ですが、少なくとも4つの理由でだめです。
| 問題 | なぜだめか |
|---|---|
| 向きが保たれない | 励起された原子はほぼ等方に再放出します。もしこれが起きていたら、ガラスは透明ではなくすりガラスのように真っ白になる。実際にはビームはまっすぐ抜けます |
| 時間が合わない | 原子の励起状態の寿命はナノ秒級。1 cm のガラスの中に \(10^7\) 層あるとして掛け算すると何ミリ秒にもなる。実際の遅れはピコ秒です |
| 位相が保たれない | 自発放出はコヒーレンスを壊します。干渉やレンズの結像ができなくなる |
| そもそも吸収しない | ガラスが可視光で透明なのは、その振動数に共鳴がないから。吸収する準位がないのに「吸収して」は成り立たない |
要するに、実際には光子は吸収されていません。では何が起きているのか。
入ってきた電場が原子の電子を揺らします(共鳴から離れていれば、吸収ではなく強制振動)。揺れる電荷は電磁波を出す ── これが散乱波。
そして、たくさんの原子が出した散乱波は、前方だけで位相がそろって強め合い、他の方向では打ち消し合います(規則正しく並んでいるか、波長より十分密なため)。だから光はまっすぐ進む。
残るのは もとの波 + 前方散乱波 の重ね合わせ。ここで決定的なのは ── 共鳴から外れた強制振動の応答は、駆動場に対して 90 度ずれること。90 度ずれた小さなベクトルを足すと、長さはほとんど変えずに、向きだけが回ります。
振幅は変わらず、位相だけがずれる。それが屈折率です。
厚さ \(dz\) の薄い層を通ると、電場に \(i\,k(n-1)\,dz\) だけの寄与が加わります(\(i\) が「90度」です)。積み上げると
$$E(z)=E_0\,e^{ik(n-1)z}$$\(n\) が実数なら、これは複素平面での純粋な回転 ── 長さは変わりません。真空中の波に対して \(k(n-1)z\) だけ位相が遅れる。それを「速さが \(c/n\) になった」と読み替えているだけです。
もし \(n\) に虚部があれば、回転しながら縮む ── それが吸収で、第5回の主題になります。
下の図の左は複素平面(フェーザ図)です。横向きの太い矢印が入射波。そこに原子の層が出す小さな散乱波を1枚ずつ足していきます。各寄与が 90 度ずれているので、先端は円を描きます ── 長さが変わらないまま、向きだけが回る。
右は、その結果できる波と真空中の波の比較。山の位置がずれていくだけで、高さは同じです。これが「遅くなった」の正体。
吸収スライダーを上げると、フェーザが内側へ巻き込みます ── これが吸収。第5回の予告です。
物質の中を進んでいるものには名前があります。ポラリトン ── 電磁場と、物質の分極(揺れている電子)が混ざったひとつの波です。
進んでいる波の一部が物質でできているから。物質には慣性があるので、その分だけ全体の歩みが鈍る。
光子そのものは、原子と原子のあいだをいつでも \(c\) で飛んでいます。遅れているのは「混ざりもの」としての波の位相。光は遅くなっていない。遅いのは波のほうというのは、この意味です。
この見方は第6回で効いてきます ── 混ざり方を物質側に振り切ると、光は秒速 17 メートルまで落ち、さらには「止まり」ます。そのとき止まっているのは、もはや光ではありません。
厚さ \(d=1\) cm、\(n=1.5\) のガラスを通ると、真空を進んだ場合との差は
$$\Delta t=\frac{(n-1)d}{c}=\frac{0.5\times0.01}{3.0\times10^8}=1.7\times10^{-11}\ \mathrm{s}=17\ \mathrm{ピコ秒}$$波の山にすると、可視光(波長 550 nm)で 約 9000 波長ぶんの位相のずれ。これが積み重なってレンズが像を結びます。
ちなみに ── 「吸収して再放出」説だと、原子の励起寿命 ns × 層数 \(10^7\) でミリ秒級になります。実測の 17 ps と8 桁違う。それだけでもあの説明は落第です。
確立していること:屈折率が入射波と前方散乱波のコヒーレントな重ね合わせから生じること(ファインマン物理学 I 巻 31 章の標準的な扱い);共鳴から外れた強制振動の応答が駆動場と 90 度ずれ、そのため振幅を変えずに位相だけをずらすこと;\(E(z)=E_0e^{ik(n-1)z}\);物質中を伝わる励起がポラリトン(光子と分極の混成)であること;各物質の屈折率の実測値。いずれも標準的な光学・物性です。
注意すること:① 「吸収して再放出」説の否定は、コヒーレントな透過についての話です。共鳴に近い振動数では実際に共鳴吸収と自発放出が起こり、そのときは光は散乱・減衰します(不透明になる)。透明な領域での話だと限定してください。② 「散乱波が前方だけで強め合う」のは、原子間隔が波長より十分小さいときの結果です。X線のように波長が原子間隔と同程度になると、他の方向にも強め合いが生じます(ブラッグ回折)。③ 図は各層の寄与を等しい大きさの離散ベクトルとして描いた模式で、実際の連続媒質の計算そのものではありません。④ ポラリトンという言葉は文脈により指す範囲が違います(励起子ポラリトン、フォノンポラリトンなど)。ここでは「電磁場と物質の分極が混成した伝搬モード」の意味で使っています。⑤ 屈折率は振動数に依存します(分散)。表の値は可視光域の代表値です。
ガラスの中で光の速さは \(c/1.5\) になりますが、相対論は無傷です ── 不変なのは因果の速さ \(c\) であって、物質中を進んでいるのはそもそも純粋な光ではないから。
正しい絵はコヒーレントな前方散乱です。入射場が電子を揺らし、揺れた電荷が波を出し、それが前方だけで強め合う。共鳴から外れた応答は駆動場と 90 度ずれているので、足すと長さは変わらず向きだけが回る ── \(E(z)=E_0e^{ik(n-1)z}\)、純粋な位相のずれ。それが屈折率です。
だから「原子が吸収して再放出する」という説明はまちがい ── 向きも位相も保たれないし、時間が8桁合わないし、そもそも透明な領域には吸収する準位がありません。進んでいるものの正体はポラリトン(光と分極の混成波)で、その一部が物質でできているから遅い。光は遅くなっていない。遅いのは波のほうです。
印刷 / PDF 化:⌘+P(Windows は Ctrl+P)。画面では層を1枚ずつ足していくと、フェーザの先端が円を描くのが見えます。吸収スライダーを上げると内側に巻き込みます(第5回の予告)。「答えを見る」で解答が開きます。