物理でいちばん面白い部分は、たいてい摂動論の「外」から入ってくる
物理の計算のほとんどは、摂動論です ── 小さい量で展開して、1次、2次、3次と足していく。量子電磁力学はこれで12桁合うところまで来ました。人類が作った最も精密な理論です。ところがこの成功の裏には、奇妙な事実が隠れています。摂動展開は収束しません。足していくとある所までは近づき、そこから発散し始める。しかも、いちばんよく近づいたときの誤差の大きさが ── ちょうど \(e^{-1/g}\)、すり抜けや BCS ギャップと同じ大きさなのです。これは偶然ではありません。摂動論は、自分が見落としているものの大きさを、壊れ方によって教えてくれる。この回でその仕組みを見て、最後に第5回の宿題 ── 超伝導とすり抜けが「第2段」でどうつながるか ── を回収します。
電子の異常磁気モーメント(\(g-2\))は、微細構造定数 \(\alpha=1/137\) で展開して 5 次まで計算されていて、実験と 12 桁一致します。他の分野なら「合う」と言うのも憚られる精度です。摂動論を疑う理由は、実用上はまったくありません。
にもかかわらず、1952年にダイソンが、たった 2 ページで恐ろしいことを示しました。
もし \(\alpha\) の冪級数が \(\alpha>0\) のどこかで収束するなら、複素平面で原点のまわりの円板で収束するはずです。すると \(\alpha<0\) でも収束していなければならない。
ところが \(\alpha<0\) は「同符号の電荷が引き合う世界」── 真空が電子・陽電子の対を無限に作り出して崩壊してしまい、そもそも基底状態がありません。収束するはずがない。
したがって、収束半径はゼロ。摂動級数は「収束しない級数」です。
では 12 桁合うのはなぜか。漸近級数だからです ── 収束はしないが、途中まではどんどん近づく。近づくのをやめる場所があって、そこが「その理論で到達できる限界の精度」になります。
摂動係数が \(a_n\sim n!/S^n\) で増えるとき、\(n\) 項目の大きさは \(|a_ng^n|\sim n!\,(g/S)^n\)。これは \(n^*\approx S/g\) で最小になり、そのときの大きさは(スターリングの公式から)
$$|a_{n^*}g^{n^*}|\ \sim\ e^{-S/g}$$つまり ── 「最良の打ち切りで残る誤差」と「摂動論に見えない項」が、ぴったり同じ大きさ。摂動論は自分の限界のところで、見落としているものの正体を漏らしています。
量子電磁力学なら \(g=\alpha=1/137\) なので、最良の打ち切りは 137 次あたり、そのときの誤差は \(e^{-137}\approx10^{-60}\)。これ以上は原理的に近づけません(もっとも、いまは 5 次までしか計算できていないので、当分先の話ですが)。
言葉だけだと信じにくいので、実際に計算します。とても簡単な積分を使います:
$$Z(g)=\frac{1}{\sqrt{2\pi}}\int_{-\infty}^{\infty}\!\!e^{-x^2/2-gx^4/4}\,dx$$これは0次元の \(\phi^4\) 理論と呼ばれる、場の理論のいちばん簡単なおもちゃです。\(g\) で展開すると係数は \(a_n=(-1/4)^n(4n-1)!!/n!\) で、階乗で増えます。厳密値は数値積分で出せます。
下の図で、部分和を1項ずつ足していってください。最初は厳密値(緑)にぐんぐん近づき、ある次数で最接近し、そこから暴れ出します。最接近の誤差が、\(e^{-1/(4g)}\) の目盛りと同じ高さにあることを確かめてください。
ここが美しいところです。係数が \(n!/S^n\) で増える理由は、\(S\) という作用をもつ非摂動的な解が存在するからです。因果が逆向きに見えますが、そういうものです。
| 現象 | 指数 | 肩に乗っているもの |
|---|---|---|
| すり抜け(第1回) | \(e^{-2S_E/\hbar}\) | ユークリッド作用 ÷ \(\hbar\) |
| BCS ギャップ(第5回) | \(e^{-1/N(0)V}\) | 結合の逆数 |
| ヤン–ミルズのインスタントン | \(e^{-8\pi^2/g^2}\) | 結合の2乗の逆数。強い相互作用の真空構造を決める |
| シュウィンガー効果 | \(e^{-\pi m^2c^3/e E\hbar}\) | 強電場が真空から電子対を引き出す。臨界電場 \(1.3\times10^{18}\) V/m ── まだ未到達 |
| QCD のスケール \(\Lambda\) | \(\mu\,e^{-1/2b_0g^2}\) | 無次元の結合が、エネルギーの単位に化ける(次元転換) |
| 真空の崩壊(第7回) | \(e^{-S_E/\hbar}\) | バウンス作用。宇宙の寿命 |
並べると、物理の「なぜこの大きさなのか」という問いの多くが、この列に入っていることがわかります。陽子の質量も、超伝導の転移温度も、真空の寿命も ── みんな \(e^{-1/g}\) の肩の上で決まっています。摂動論に見えない部分に、世界のスケールが書いてある。
最後に、第5回で「第2段でつながる」と約束したところを回収します。
フェルミ面のまわりでエネルギーの窓を \(\Lambda\) から狭めていく(=粗視化する)と、電子どうしの引力 \(g\) はひとりでに強くなります。1ループの流れは
$$\frac{dg}{d\ln(1/\Lambda)}=+g^2\quad\Longrightarrow\quad g(\Lambda)=\frac{g_0}{1-g_0\ln(\Lambda_0/\Lambda)}$$分母がゼロになるところ、つまり
$$\Lambda_{\rm BCS}=\Lambda_0\,e^{-1/g_0}$$で結合が発散します ── これが第5回のギャップ \(\Delta\approx2\hbar\omega_De^{-1/N(0)V}\) そのもの(\(\Lambda_0=\hbar\omega_D\)、\(g_0=N(0)V\))。
「わかる繰り込み」第4回の分類でいうと、クーパーチャンネルの結合はtree レベルでは marginal(次元がちょうどゼロ)で、1ループで marginally relevant に転ぶ。だからどんなに小さくても、粗視化を続ければ必ず強結合に到達する ── これがクーパーの「どんなに弱い引力でも束縛する」の正体でした。
この構造には名前があります。次元転換(dimensional transmutation)。入力は無次元の結合 \(g_0\) ひとつなのに、出力は \(\Lambda_0e^{-1/g_0}\) というエネルギーの目盛り。
| 系 | 入力 | 出てくるスケール |
|---|---|---|
| 超伝導 | \(N(0)V\) | \(\Delta\sim\hbar\omega_De^{-1/N(0)V}\) |
| 強い相互作用 | \(g^2\) | \(\Lambda_{\rm QCD}\sim\mu\,e^{-1/2b_0g^2}\)(陽子の質量の出どころ) |
あなたの体重のほとんどは、この指数から来ています。陽子の質量の大半はクォークの質量ではなく、QCD が強結合になるスケール \(\Lambda_{\rm QCD}\) が決めている(姉妹編「わかる質量」)。非摂動的な指数が、物質の重さを決めているのです。
確立していること:\(e^{-1/g}\) が \(g=0\) で非解析でありテイラー係数が全次数でゼロであること;摂動級数が一般に発散する漸近級数であること(Dyson 1952 の議論);漸近級数の最良打ち切りが \(n^*\approx S/g\) で誤差が \(e^{-S/g}\) 級になること;大次数の振る舞い \(a_n\sim n!/S^n\) が非摂動解の作用 \(S\) を与えること(Bender–Wu 1969–73、Lipatov 1977);ヤン–ミルズのインスタントン作用 \(8\pi^2/g^2\);シュウィンガー効果と臨界電場 \(1.3\times10^{18}\) V/m;QCD の次元転換と \(\Lambda_{\rm QCD}\);クーパーチャンネルの結合が marginally relevant で \(\Lambda_0e^{-1/g_0}\) に発散すること(Shankar 1994、Polchinski 1992 の繰り込み群による定式化)。いずれも確立した結果です。
注意すること:① 図の 0 次元 \(\phi^4\) 積分はおもちゃのモデルで、場の理論そのものではありません。ただし漸近級数の性質を厳密に示せる貴重な例です。② この積分はボレル総和可能ですが、現実の場の理論では話が難しくなります。QCD には「レノルマロン」というインスタントンとは別種の発散源があり、ボレル総和が素直にはできません。③ リサージェンス/トランス級数は現在進行形の研究分野です(Écalle の数学、Dunne–Ünsal らの物理)。「摂動と非摂動を1つの展開にまとめられる」ことは、簡単な系では示されていますが、4次元ゲージ理論一般では未完成です。④ 1ループの流れ \(dg/d\ln(1/\Lambda)=g^2\) は係数を 1 に規格化した模式で、実際の係数は状態密度などに依ります。⑤ 「摂動論に見えない」はその結合での展開に見えないという意味で、別の展開(\(1/N\) 展開、格子計算など)では見えることがあります。実際、格子 QCD は非摂動的な計算法です。
摂動級数は収束しません(ダイソン 1952)。それでも量子電磁力学が 12 桁合うのは、漸近級数だから ── 途中までは近づき、\(n^*\approx S/g\) 次で最接近して、そこから発散します。そして最接近したときの誤差の大きさが、ちょうど \(e^{-S/g}\)。摂動論に見えない項と、摂動論の限界精度が、同じ大きさなのです。
係数が \(n!/S^n\) で増える理由は、その \(S\) をもつ非摂動解が存在するから(ベンダー–ウー、リパトフ)。摂動論は、自分に見えないものの大きさを自己申告している ── これを一つの展開にまとめる試みがリサージェンス理論で、いまも研究が続いています。
そしてこの穴から、すり抜け・BCS ギャップ・インスタントン・シュウィンガー効果・\(\Lambda_{\rm QCD}\)・真空崩壊が入ってきます。入力が無次元の結合ひとつなのに、出力がエネルギーの目盛りになる(次元転換)── あなたの体重のほとんどは、この指数が決めています。第5回の宿題も回収しました:超伝導とすり抜けは第2段(同じ枠組みの別解)でつながっていた。兄弟であって、親子ではない。
印刷 / PDF 化:⌘+P(Windows は Ctrl+P)。画面では項数スライダーを1つずつ動かして、部分和が厳密値に近づいてから暴れ出す様子を確かめてください。「最良の打ち切りへ」でその折り返し点に飛びます。「答えを見る」で解答が開きます。