1個ずつの偶然が、そろった巨視的な流れになる ── そして「1ボルト」の定義になる
ここまで、すり抜けは1個ずつの、めったに起きない偶然でした。α 粒子が 45 億年に1回、陽子が 90 億年に1回。この回でそれが変わります。超伝導体を厚さ 1 nm ほどの絶縁膜で挟んで電線をつなぐと ── 電圧をかけていないのに、電流が流れます。しかも流れる量を決めるのは、電圧でも温度でも絶縁膜の抵抗でもなく、両側の超伝導体がもつ「位相」の差だけ。1962年、ケンブリッジの大学院生ブライアン・ジョセフソンが 22 歳で予言し、翌年アンダーソンとロウエルが確認しました。すり抜けの主語が「粒子」から「位相」に変わる ── その一歩が、いまや電圧の定義と、ほとんどの量子コンピュータの土台になっています。
超伝導がなぜ起きるのかは第5回に回します。この回で必要なのは、結果だけです。
超伝導体の中では、電子が2個ずつ組(クーパー対)になって、全部が同じ一つの波として振る舞います。だから超伝導体は、1 cm あろうと 1 m あろうと、全体でひとつの波動関数で書けます。
$$\Psi=\sqrt{n}\;e^{i\theta}$$\(n\) はクーパー対の密度、そして \(\theta\) が位相。ふつうの物質では 10²³ 個の電子がてんでばらばらの位相を持っていて、平均すると意味を失います(姉妹編「わかる繰り込み」第3回のデコヒーレンス)。超伝導体では、それが1個の数字になる。
ここで自然な疑問が出ます ── 位相って観測できるのか? 単独では、できません。位相の絶対値には物理的な意味がなく(ゲージの自由度)、観測にかかるのは2つの超伝導体の位相の差だけです。だから、2つ用意してつなぐ必要がある。
薄い絶縁膜(1〜2 nm)で挟みます。クーパー対はこの膜を第1回のとおりすり抜けます。すると:
直流ジョセフソン効果 ── 電圧ゼロで流れる電流:
$$I=I_c\sin\Delta\theta$$交流ジョセフソン効果 ── 電圧をかけると位相差が回りだす:
$$\frac{d(\Delta\theta)}{dt}=\frac{2eV}{\hbar}$$2本目が特に効きます。位相差が一定の速さで回るなら、\(\sin\Delta\theta\) は振動する ── つまり直流電圧をかけると、交流電流が出てくる。振動数は
$$f=\frac{2eV}{h}=483.6\ \mathrm{THz}\ \text{per volt}$$1 マイクロボルトで 483.6 MHz。電圧が、そのまま振動数に化けます。
ジョセフソン接合の振る舞いは、位相差 \(\delta\) を「粒子の位置」だと思うと一気に見通せます。エネルギーを書くと:
第1項はコサインの波打ち(洗濯板)、第2項は電流による傾き。
・電流を流さない(\(I=0\))と、板は水平。位相差は谷の底でじっとしている ── 電圧ゼロ。
・電流を増やすと板が傾く。それでも谷が残っているうちは、位相差はまだ捕まったまま ── まだ電圧ゼロ。これが「電圧をかけずに電流が流れる」の正体です。
・\(I\) が \(I_c\) を超えると谷が消え、位相差は転がり落ちる。\(d\delta/dt\ne0\) ということは、交流ジョセフソンの式から \(V\ne0\)。超伝導が「壊れた」ように見える瞬間です。
そして、ここが第3回とつながります。谷がまだ残っていても、位相差は壁をすり抜けて逃げ出せます。逃げ方は2つ ── 熱で乗り越えるか、すり抜けるか。第3回でやった話が、そっくりそのまま出てきます。
下の図が、その洗濯板です。電流スライダーで板を傾けてください。谷がだんだん浅くなり、\(I/I_c\to1\) で消えます。
同時に、右側に第3回の \(T_0\) が表示されます。谷が浅くなるほど頂上の振動数 \(\omega_p\) が下がるので、\(T_0=\hbar\omega_p/2\pi k_B\) も下がる。「どの温度まで冷やせば、逃げ出し方が熱からすり抜けに切り替わるか」がリアルタイムで出てきます。典型的な接合で数十 mK ── だから 1980 年代、希釈冷凍機でようやく巨視的量子トンネルが観測されました。
交流ジョセフソン効果 \(f=2eV/h\) は、電圧を振動数に変換する装置です。振動数は人類がいちばん正確に測れる量なので(原子時計)、これは電圧の標準になります。
| 使われ方 | 中身 |
|---|---|
| 電圧標準 | 1990年からジョセフソン効果が世界の電圧標準。2019年の SI 改定で \(e\) と \(h\) が定義値になったため、\(K_J=2e/h=483597.8484\) GHz/V は厳密値。いまあなたが使っている電圧計の目盛りは、突きつめるとこの式で決まっています |
| SQUID | 2つの接合をリングにすると、磁束 \(\Phi_0=h/2e\) を単位に干渉が起きる。フェムトテスラ(10⁻¹⁵ T)級の磁場が測れて、脳磁計(MEG)や地下資源探査に使われる。地磁気の 100 億分の1 |
| 超伝導量子ビット | 洗濯板の谷は「調和振動子ではない」(コサインだから)。この非線形性のおかげでエネルギー準位が等間隔にならず、下2つだけを取り出して量子ビットにできる。いま動いている超伝導量子計算機の心臓は、全部ジョセフソン接合 |
| 第1〜3回 | この回 | |
|---|---|---|
| すり抜けるもの | 粒子1個 | 位相差(巨視的な1変数) |
| 起きる頻度 | ごくまれ | 定常的な電流 |
| 決めるもの | 壁の高さ・幅・質量 | 両側の位相差 |
| 観測 | 統計をとって初めて見える | 電流計で直接読める |
位相がそろうと、すり抜けは統計から現象になります。「1個ずつはめったに起きない」ことが、10¹⁰ 個そろうと「いつでも起きている」に変わる ── これがこの回の一行です。
確立していること:直流・交流ジョセフソン効果(Josephson 1962 予言、Anderson–Rowell 1963 観測、1973年ノーベル賞);\(I=I_c\sin\Delta\theta\) と \(d(\Delta\theta)/dt=2eV/\hbar\);\(K_J=2e/h=483597.8484\) GHz/V(2019年 SI 以降は厳密値)と電圧標準としての運用;磁束量子 \(\Phi_0=h/2e\) と磁束量子化の観測(Deaver–Fairbank、Doll–Näbauer、1961);洗濯板ポテンシャル \(U(\delta)=-E_J(\cos\delta+s\delta)\) と障壁 \(\Delta U=2E_J[\sqrt{1-s^2}-s\arccos s]\)、プラズマ振動数 \(\omega_p=\omega_{p0}(1-s^2)^{1/4}\);ジョセフソン接合における巨視的量子トンネルの観測(Voss–Webb 1981、Devoret–Martinis–Clarke 1985);SQUID の感度と超伝導量子ビットへの応用。いずれも確立した物理・技術です。
注意すること:① 「超伝導体は全体でひとつの波動関数で書ける」は平均場(ギンツブルグ–ランダウ/BCS)の描像です。厳密には位相と粒子数が共役量で、位相が確定するほど粒子数は不確定になります(この不確定性こそが電荷量子ビットの動作原理)。② 位相の絶対値には物理的意味がなく(ゲージ依存)、意味を持つのは位相差だけです。本文はこの点に触れましたが、正確なゲージ不変な形はベクトルポテンシャルの線積分を含みます。③ 図は散逸のない理想接合(RCSJ モデルの抵抗ゼロ極限)です。実際の接合には準粒子による減衰があり、これは \(T_0\) を下げ、逃げ出しを抑えます。④ 図の \(\omega_{p0}=\sqrt{2eI_c/\hbar C}\) は接合容量 \(C=1\) pF を仮定した値です。⑤ ジョセフソン効果自体はクーパー対のトンネルであって、次回述べるとおり超伝導そのものの機構ではありません。
超伝導体は全体でひとつの波動関数 \(\Psi=\sqrt n\,e^{i\theta}\) で書けます。2つを薄い絶縁膜でつなぐと、クーパー対がすり抜けて \(I=I_c\sin\Delta\theta\) ── 電圧なしで電流が流れる。電圧をかければ位相差が回りだし \(d(\Delta\theta)/dt=2eV/\hbar\) で、直流電圧が 483.6 THz/V の交流に化けます。
位相差を「粒子の位置」とみなすと、全体が傾いた洗濯板の絵になります。電流で板が傾き、谷が消えるところが臨界電流。谷が残っていても位相差は逃げ出せて、その逃げ方が熱かすり抜けかは第3回の \(T_0=\hbar\omega_p/2\pi k_B\) がそのまま決めます ── 典型的な接合で数十 mK。
大きな変化は、すり抜けの主語が「粒子1個」から「位相という巨視的な1変数」に変わったことです。10¹⁰ 個のクーパー対が全員でそろって決める量が、まとめて壁を抜ける(巨視的量子トンネル)。めったに起きない偶然が、電流計で読める定常現象になり、いまや電圧の定義と量子計算機の心臓になっています。
印刷 / PDF 化:⌘+P(Windows は Ctrl+P)。画面では電流スライダーで洗濯板が傾き、谷が浅くなっていきます。同時に、逃げ出し方が熱からすり抜けに切り替わる温度 T₀ が表示されます。「答えを見る」で解答が開きます。