「温度は 0 K が下限で、上に限りはない」── どちらも間違い。本体を β にすると、全部が一本の軸に並ぶ
温度には下限(絶対零度)があって上限はない ── そう習います。じつはどちらも正確ではありません。第2回で見たとおり、温度の本体は \(T\) ではなく \(\beta=1/k_BT\) のほうでした。\(\beta\) は「エネルギーを 1 もらったとき、場合の数が何倍になるか」。ふつうの物質ではエネルギーをもらえばもらうほど場合の数が増えるので \(\beta>0\) ですが、エネルギーに上限のある系では話が変わります ── 上限に近づくと、もらうほど場合の数が減る。すると \(\beta<0\)、つまり \(T<0\)。そしてそれは「絶対零度より冷たい」のではなく、無限大の温度よりさらに熱い。1951 年に核スピンで、2013 年に冷却原子の運動自由度で、実際に作られています。
気体の分子は、いくらでも速く動けます。エネルギーに上限がない。だからエネルギーを足せば足すほど、可能な速度の組み合わせ(=場合の数 \(\Omega\))は増え続けます。
第2回の定義 \(\beta=d\ln\Omega/dE\) を思い出すと ── \(\Omega\) が増え続けるなら \(\beta\) はつねに正。だから「ふつうの物質は必ず正の温度」なのです。これは物理法則ではなく、エネルギーに上限がないという性質の帰結にすぎません。
では、上限のある系を考えます。いちばん簡単なのは、第3回でも出てきた二準位系 ── 各粒子が下(エネルギー 0)か上(エネルギー \(\Delta E\))のどちらかにしかいない。\(N\) 個あれば、系全体のエネルギーは 0 から \(N\Delta E\) までで、ちゃんと上限があります。
\(N\) 個のうち \(n\) 個が上にいる状態の数は \(\Omega={}_N\mathrm{C}_n\)。エネルギーは \(E=n\Delta E\)。
| 状態 | 上にいる割合 p | 場合の数 Ω | β = dlnΩ/dE |
|---|---|---|---|
| 全部が下(最低エネルギー) | 0 | 1(1 通り) | \(+\infty\) |
| 半々 | 0.5 | 最大 | 0 |
| 全部が上(最高エネルギー) | 1 | 1(1 通り) | \(-\infty\) |
場合の数が山型になります。半々のところが頂上で、そこから先はエネルギーを足すほど場合の数が減る。頂上の右側では \(d\ln\Omega/dE<0\)、つまり \(\beta<0\)。
具体的に解くと、上準位の占有率 \(p\) との関係はこうなります:
\(p\) を 0 から 1 へなめらかに上げていくと:
$$\beta:\ +\infty\ \longrightarrow\ 0\ \longrightarrow\ -\infty \qquad\text{(一本道、連続)}$$ $$T:\ 0^{+}\ \longrightarrow\ +\infty\ \ \Big|\ \ -\infty\ \longrightarrow\ 0^{-} \qquad\text{(途中で飛ぶ)}$$飛んでいるのは \(T\) だけで、\(\beta\) は何事もなく通り抜けています。 つまり「無限大の温度」という不気味な点は、逆数で書いたせいで生じた見かけの特異点。第2回で「本体は \(\beta\)」と言ったのは、このためです。
温度の大小は、接触させたときにどちらからどちらへ熱が流れるかで決まります。第2回で見たとおり、熱は \(\beta\) の大きいほうへ流れる(もらうと場合の数が激増する側が「冷たい」)。
そこで並べてみると:
| 冷たい ← | β | T | → 熱い |
|---|---|---|---|
| 絶対零度 | \(+\infty\) | \(0^+\) | いちばん冷たい |
| 室温 | 40 /eV | 300 K | |
| 太陽の中心 | 小さい正 | \(10^7\) K | |
| 無限大の温度 | 0 | \(\pm\infty\) | まだ途中 |
| 負の温度 | 小さい負 | \(-10^7\) K | もっと熱い |
| 完全反転(全部が上) | \(-\infty\) | \(0^-\) | いちばん熱い |
\(\beta\) が小さいほど熱い、という一本の順序で並びます。負の温度の系は \(\beta<0\) なので、どんな正温度の系(\(\beta>0\))と接触させても必ずエネルギーを渡す側になる ── だから「熱い」。そして \(T=0^-\)(完全反転)が最高温です。
下の図の左は、二準位系のエントロピー \(S\) をエネルギー \(E\) に対して描いたものです。山型になっています。この曲線の接線の傾きがまさに \(1/T=\partial S/\partial E\) ── 第2回の定義そのものです。
スライダーで上準位の占有率 \(p\) を上げていってください。接線が右上がり(\(T>0\))→ 水平(\(T=\infty\))→ 右下がり(\(T<0\))と、なめらかに倒れていきます。どこにも不連続はありません。右のパネルでは、同じ状態を \(\beta\) 軸と \(T\) 軸の両方に打ってあります ── \(\beta\) 側は静かに通り抜け、\(T\) 側だけが端から端へ飛ぶのが見えます。
| 年 | 系 | やり方 |
|---|---|---|
| 1951 | 核スピン(LiF 結晶) パーセルとパウンド | 磁場中でスピンを揃えておいて、磁場を突然反転する。スピンは追いつけず、気づいたら「エネルギーの高い側に偏った」状態=反転分布に。スピン系だけが数分間 \(T<0\) を保つ |
| 2013 | 冷却原子の運動自由度 ブラウンら | 光格子でカリウム原子の運動エネルギーに上限を作り(バンド構造)、相互作用の符号を反転。運動の自由度そのもので負温度を実現した点が新しい |
| 随時 | レーザーの反転分布 | 上準位のほうが混んでいる状態=形式的には \(T<0\)。ただし熱平衡ではないので「温度」と呼ぶかは流儀による(下の正直な線) |
答えは第 01 節に戻ります ── 身のまわりの系は、運動エネルギーに上限がないから。分子はいくらでも速くなれるので、\(\Omega\) は増え続け、\(\beta\) は正のまま。負温度を作るには、上限のある自由度だけを、他から切り離して扱えることが必要です。
核スピンの実験がうまくいったのは、スピン系が格子(=上限のない自由度)と熱をやりとりするのに数分かかったから。その数分のあいだ、スピンだけが独立した「系」として負温度を持てた。逆に言えば、負温度はつねに準平衡の状態です ── 待てば必ず、上限のない自由度に熱が漏れて、正の温度に戻ります。
確立していること:\(1/T=\partial S/\partial E\) を温度の定義とすれば、エネルギーに上限がありエントロピーが \(E\) の関数として山型になる系で \(T<0\) が定義できること;そのとき負温度の系は正温度の系と接触すると必ずエネルギーを放出すること(=どんな正温度より熱い);核スピン系での実現(Purcell–Pound 1951)と冷却原子の運動自由度での実現(Braun ら 2013);\(\beta=1/k_BT\) を用いると温度の全域が連続な一本の軸になること。いずれも標準的な物理です。
議論があること:① 負温度は準平衡でのみ成立します。上限のない自由度(格子振動など)との緩和を待てば、必ず正温度へ戻る。「その系だけを切り出して平衡とみなせる時間窓」があることが前提です。② エントロピーの定義をどれにするかで話が変わります。本文で使ったのは通常の(ボルツマンの)エントロピー \(S=k_B\ln\Omega\) ですが、代わりにギブスの体積エントロピーを採ると温度は決して負にならない ── 2014 年前後に「負温度は存在しないのでは」という論争が起き、現在も完全には収束していません。多数派は本文の立場(負温度は物理的に意味がある)ですが、定義依存の主張であることは押さえておいてください。③ レーザーの反転分布は形式的に \(T<0\) と書けますが、熱平衡から遠いので「温度」と呼ぶことに慎重な流儀もあります。④ 図は \(N\) 個の独立な二準位系という理想化で、相互作用は無視しています。
エネルギーに上限のある系では、場合の数 \(\Omega\) が \(E\) の関数として山型になります。頂上(半々)を越えると \(d\ln\Omega/dE<0\)、つまり \(\beta<0\)、\(T<0\)。二準位系なら \(\beta=\frac{1}{\Delta E}\ln\frac{1-p}{p}\) で、占有率 \(p\) を 0 から 1 へ上げるだけで到達します。
そして負温度は「冷たい」のではなくどんな正温度より熱い ── 熱は \(\beta\) の大きいほうへ流れるので、\(\beta<0\) の系は必ず渡す側になるから。冷たい順に並べると \(0^+\to+\infty\ |\ -\infty\to0^-\) で、飛んでいるのは \(T\) だけ、\(\beta\) は静かに通り抜けている。第2回で「本体は \(\beta\)」と言った配当が、ここで返ってきます。
核スピン(1951)と冷却原子(2013)で実現済み。ただし成立には上限のある自由度を切り離せることが必要で、待てば必ず正温度へ戻ります ── 負温度はつねに準平衡の現象です。
印刷 / PDF 化:⌘+P(Windows は Ctrl+P)。画面ではスライダーで上準位の占有率を上げると、接線が右上がり→水平→右下がりとなめらかに倒れ、T だけが ±∞ を挟んで飛びます。「答えを見る」で解答が開きます。