仕事と熱の違いは、エネルギーの種類ではなく「追跡しているかどうか」だけ ── そして量子性は、比熱に階段として現れる
熱と仕事は、どちらもエネルギーの受け渡しです。では何が違うのか ── 教科書は「秩序だった移動が仕事、無秩序な移動が熱」と書きますが、これでは無秩序という言葉に肩代わりさせているだけです。もっと正直な言い方があります。仕事は追跡している自由度へのエネルギー、熱は追跡をやめた自由度へのエネルギー。ピストンを押す運動は追いかけているから仕事、分子ひとつひとつの運動は追いかけていないから熱。姉妹編「わかる繰り込み」第1回と、まったく同じ構図です。そのうえで、配られたエネルギーは自由度に平等に分配される(等分配則)── はずが、低温では破れます。破るのは量子力学で、その痕跡は比熱の階段としてはっきり見える。19 世紀の物理学者を悩ませたこの階段こそ、量子論の最初の証拠のひとつでした。
ピストンを押して気体を圧縮すると、気体の内部エネルギーが増えます。ガスバーナーで熱しても、内部エネルギーが増えます。増えた結果は同じ ── なのに片方を「仕事」、もう片方を「熱」と呼び分ける。
| 仕事 | 熱 | |
|---|---|---|
| どこへ行くエネルギーか | 追跡している自由度(ピストンの位置) | 追跡をやめた自由度(分子 10²³ 個) |
| 取り返せるか | 原理的に全部取り返せる | 一部しか取り返せない |
| エントロピー | 変えない | 増やす(\(\Delta S=Q/T\)) |
「熱」とは、エネルギーの種類ではなく、私たちが帳簿をつけるのをやめた行き先の名前です。 同じ運動エネルギーでも、追いかけていれば仕事、追いかけるのをやめれば熱になる。
では、熱として入ったエネルギーはどう配られるのか。古典力学の範囲では、答えは驚くほど民主的です。
「2 次形式」とは \(\frac12 mv^2\) や \(\frac12 kx^2\) のような形のこと。相手が何であろうと、そういう自由度には一律 \(\frac12 k_BT\) ずつ配られる。分子の重さも、ばねの硬さも関係ない。第2回の \(\beta\) の言葉でいえば、\(e^{-\beta ax^2}\) というガウス分布の平均エネルギーが常に \(1/2\beta\) になる、という数学的事実です。
この規則で、単原子分子の気体の比熱が出ます ── 運動の自由度は \(x,y,z\) の 3 つだから \(\langle E\rangle=\frac32 k_BT\)、モル比熱は \(C_V=\frac32 R\)。実測とぴったり合います。
ところが、二原子分子(\(\mathrm{H_2}\), \(\mathrm{N_2}\), \(\mathrm{O_2}\))でやると合いません。並進 3 + 回転 2 + 振動 2(運動と位置)= 7 個の自由度があるので \(C_V=\frac72 R\) のはず。ところが室温で測ると \(\frac52 R\) しかない。
これは深刻でした。エネルギーは配られるはずの場所に配られていない。振動の自由度が、まるで存在しないかのように振る舞う。マクスウェルもケルビンも、これを古典物理の重大な欠陥として認めていました。
答えは量子力学です。振動のエネルギーは連続ではなく \(\hbar\omega\) 刻みでしか受け取れません。すると ──
最小の受け取り単位 \(\hbar\omega\) と、配られる典型量 \(k_BT\) を比べます(またしても無次元の比です)。
$$\frac{\hbar\omega}{k_BT}\ \begin{cases}\ll 1 & \text{刻みが細かい → 古典と同じ、}\tfrac12k_BT\times2\text{ を受け取る}\\[4pt] \gg 1 & \text{刻みが粗すぎる → }e^{-\hbar\omega/k_BT}\text{ でしか励起されない=}\textbf{凍結}\end{cases}$$つまり 「お釣りが出ないほど大きい額しか受け取れない自由度は、受け取りを断る」。第1回の 25 meV の物差しがそのまま効きます ── 水素分子の振動は \(\hbar\omega\approx0.54\) eV で、室温 \(k_BT=0.025\) eV の 21 倍。だから \(e^{-21}\approx10^{-9}\)、室温では完全に眠っています。
| 水素分子 H₂ の自由度 | 特性温度 | 室温(300 K)では | 寄与 |
|---|---|---|---|
| 並進(3 方向) | ほぼ 0 K | 完全に目覚め | \(\tfrac32 R\) |
| 回転(2 軸) | \(\theta_{\text{rot}}\approx85\) K | 目覚めている | \(R\) |
| 振動(1 モード) | \(\theta_{\text{vib}}\approx6300\) K | 凍結 | ≈ 0 |
| 合計(室温) | \(\tfrac52 R\) ✓ | ||
下の図は、水素分子の比熱を温度に対して描いたものです(ブラウザ内で回転の分配関数を実際に足し上げて計算しています)。横軸は温度の対数。
階段が 2 段あります。 100 K あたりで回転が目覚めて \(\frac32R\to\frac52R\)、数千 K で振動が目覚めて \(\frac52R\to\frac72R\)。カーソルを動かすと、その温度で各自由度の \(\hbar\omega/k_BT\) がいくつか、目覚めているかどうかが読めます。これは温度計に映った量子力学です ── 段の位置が、そのままエネルギー準位の間隔を教えてくれる。
同じ現象は固体でも起きます。デュロン–プティの法則(固体のモル比熱は \(3R\))は高温では合うのに、低温では比熱が \(T^3\) で消えていく ── アインシュタインとデバイがこれを量子で説明したのが 1907〜1912 年。比熱は、最初期の量子力学の実験的証拠でした。
この回を第1回とつなげると、こうなります。
第1回:温度が効くのは \(E/k_BT\) という比だけ。
第2回:その \(k_BT\) は、エネルギーの配り方の傾きから出てくる。
第3回:配られる先の自由度は、\(\hbar\omega/k_BT\) が小さいものだけが受け取る。
だから「熱い」とは、\(k_BT\) が大きくていろいろな自由度を起こせる状態のこと。冷やすとは、自由度をひとつずつ眠らせていくこと。絶対零度に近づくにつれて起きている自由度が減っていき ── 最後には何も起きなくなる。これが熱力学第三法則(\(T\to0\) でエントロピーが定数に近づく)の直感です。
確立していること:仕事と熱の区別が「注目する(追跡する)自由度かどうか」に対応すること;2 次形式の自由度あたり \(\frac12k_BT\) の等分配則(古典統計力学の定理);単原子分子理想気体の \(C_V=\frac32R\);二原子分子で室温 \(C_V\approx\frac52R\) となり振動が凍結していること;\(\mathrm{H_2}\) の回転特性温度 ≈ 85 K・振動特性温度 ≈ 6300 K;固体のデュロン–プティ則とその低温での破れ(アインシュタイン模型・デバイ模型、比熱の \(T^3\) 則)── いずれも標準的な物理です。
単純化していること:① 図は剛体回転子+調和振動子という理想化で、回転–振動の結合や非調和性、遠心力による伸びは無視しています。② 水素は同種核スピンの効果(オルト/パラ水素)で低温の回転比熱が実際にはもっと複雑になります ── 図はスピン統計を無視した「区別できる剛体回転子」の計算です。③ 高温側では 6300 K に達する前に分子が解離してしまうので、図の右端は仮に壊れなかったらの話です。④ 「熱=追跡をやめた自由度」は物理的に正しい整理ですが、何を追跡するかには観測者側の選択が入ります(この論点は姉妹編「わかる繰り込み」番外編②で扱っています)。
仕事と熱の違いは、エネルギーの種類ではなく 追跡しているかどうか。「熱」とは、私たちが帳簿をつけるのをやめた行き先の名前です(姉妹編「わかる繰り込み」第1回と同じ構図)。
配られたエネルギーは、2 次形式の自由度に \(\frac12k_BT\) ずつ平等に入る ── はずが、量子力学が邪魔をします。受け取り単位 \(\hbar\omega\) が \(k_BT\) より大きい自由度は、お釣りが出ないので受け取りを断る=凍結する。だから二原子分子の比熱は温度とともに階段状に上がり、室温の H₂ は \(\frac52R\)(振動は眠っている)。段の位置が、そのまま準位間隔を教えてくれる ── 温度計に映った量子力学であり、19 世紀の物理を悩ませたこの階段こそ、量子論の最初の証拠のひとつでした。
印刷 / PDF 化:⌘+P(Windows は Ctrl+P)。画面では温度カーソルを動かすと、各自由度が目覚めているかと ℏω/k_BT の値が読めます。ボタンで段の位置へジャンプできます。「答えを見る」で解答が開きます。