わかる温度第 3 回 / 熱とは、追跡をやめた運動

仕事と熱の違いは、エネルギーの種類ではなく「追跡しているかどうか」だけ ── そして量子性は、比熱に階段として現れる

熱とは、追跡をやめた運動 自由度ひとつあたり \(\tfrac12 k_BT\) ずつ配られる(等分配則)。
ところがこの法則は低温で破れます ── \(\hbar\omega>k_BT\) の自由度は凍りついて受け取らない
だから比熱は階段状に上がる。温度計に量子力学が映る回。

必要な道具:第2回のボルツマン因子、運動エネルギー、対数目盛り この回の芯:ℏω / k_BT で決まる「目覚め」

熱と仕事は、どちらもエネルギーの受け渡しです。では何が違うのか ── 教科書は「秩序だった移動が仕事、無秩序な移動が熱」と書きますが、これでは無秩序という言葉に肩代わりさせているだけです。もっと正直な言い方があります。仕事は追跡している自由度へのエネルギー、熱は追跡をやめた自由度へのエネルギー。ピストンを押す運動は追いかけているから仕事、分子ひとつひとつの運動は追いかけていないから熱。姉妹編「わかる繰り込み」第1回と、まったく同じ構図です。そのうえで、配られたエネルギーは自由度に平等に分配される(等分配則)── はずが、低温では破れます。破るのは量子力学で、その痕跡は比熱の階段としてはっきり見える。19 世紀の物理学者を悩ませたこの階段こそ、量子論の最初の証拠のひとつでした。

01仕事と熱の違いは、追跡しているかどうか

ピストンを押して気体を圧縮すると、気体の内部エネルギーが増えます。ガスバーナーで熱しても、内部エネルギーが増えます。増えた結果は同じ ── なのに片方を「仕事」、もう片方を「熱」と呼び分ける。

区別は、系ではなく記述の側にある
仕事
どこへ行くエネルギーか追跡している自由度(ピストンの位置)追跡をやめた自由度(分子 10²³ 個)
取り返せるか原理的に全部取り返せる一部しか取り返せない
エントロピー変えない増やす(\(\Delta S=Q/T\))

「熱」とは、エネルギーの種類ではなく、私たちが帳簿をつけるのをやめた行き先の名前です。 同じ運動エネルギーでも、追いかけていれば仕事、追いかけるのをやめれば熱になる。

「わかる繰り込み」第1回と同じこと あちらでは「マクロを決めても決まらないミクロ配置の数」がエントロピーでした。こちらでは「追跡をやめた自由度に入ったエネルギー」が熱です。同じ操作(粗視化)を、状態の側から見るか、エネルギーの側から見るかの違いにすぎません。
だから熱力学第二法則も、繰り込み側の言い方に翻訳できます ── 「追跡をやめた先に入ったエネルギーは、勝手には戻ってこない」。姉妹編 番外編①で見たとおり、これは法則というより、初期条件と粗視化の帰結です。

02等分配則 ── ひとつの自由度に ½ k_BT

では、熱として入ったエネルギーはどう配られるのか。古典力学の範囲では、答えは驚くほど民主的です。

等分配則
$$\langle E\rangle=\tfrac12 k_BT\quad\text{(エネルギーが 2 次形式で書ける自由度、1 つあたり)}$$

「2 次形式」とは \(\frac12 mv^2\) や \(\frac12 kx^2\) のような形のこと。相手が何であろうと、そういう自由度には一律 \(\frac12 k_BT\) ずつ配られる。分子の重さも、ばねの硬さも関係ない。第2回の \(\beta\) の言葉でいえば、\(e^{-\beta ax^2}\) というガウス分布の平均エネルギーが常に \(1/2\beta\) になる、という数学的事実です。

この規則で、単原子分子の気体の比熱が出ます ── 運動の自由度は \(x,y,z\) の 3 つだから \(\langle E\rangle=\frac32 k_BT\)、モル比熱は \(C_V=\frac32 R\)。実測とぴったり合います。

ところが、二原子分子(\(\mathrm{H_2}\), \(\mathrm{N_2}\), \(\mathrm{O_2}\))でやると合いません。並進 3 + 回転 2 + 振動 2(運動と位置)= 7 個の自由度があるので \(C_V=\frac72 R\) のはず。ところが室温で測ると \(\frac52 R\) しかない。

0319 世紀最大の困りごと ── 「自由度が消えている」

これは深刻でした。エネルギーは配られるはずの場所に配られていない。振動の自由度が、まるで存在しないかのように振る舞う。マクスウェルもケルビンも、これを古典物理の重大な欠陥として認めていました。

答えは量子力学です。振動のエネルギーは連続ではなく \(\hbar\omega\) 刻みでしか受け取れません。すると ──

「凍りつく」とはどういうことか

最小の受け取り単位 \(\hbar\omega\) と、配られる典型量 \(k_BT\) を比べます(またしても無次元の比です)。

$$\frac{\hbar\omega}{k_BT}\ \begin{cases}\ll 1 & \text{刻みが細かい → 古典と同じ、}\tfrac12k_BT\times2\text{ を受け取る}\\[4pt] \gg 1 & \text{刻みが粗すぎる → }e^{-\hbar\omega/k_BT}\text{ でしか励起されない=}\textbf{凍結}\end{cases}$$

つまり 「お釣りが出ないほど大きい額しか受け取れない自由度は、受け取りを断る」。第1回の 25 meV の物差しがそのまま効きます ── 水素分子の振動は \(\hbar\omega\approx0.54\) eV で、室温 \(k_BT=0.025\) eV の 21 倍。だから \(e^{-21}\approx10^{-9}\)、室温では完全に眠っています。

水素分子 H₂ の自由度特性温度室温(300 K)では寄与
並進(3 方向)ほぼ 0 K完全に目覚め\(\tfrac32 R\)
回転(2 軸)\(\theta_{\text{rot}}\approx85\) K目覚めている\(R\)
振動(1 モード)\(\theta_{\text{vib}}\approx6300\) K凍結≈ 0
合計(室温)\(\tfrac52 R\)

04動かしてみる ── 比熱の階段

下の図は、水素分子の比熱を温度に対して描いたものです(ブラウザ内で回転の分配関数を実際に足し上げて計算しています)。横軸は温度の対数。

階段が 2 段あります。 100 K あたりで回転が目覚めて \(\frac32R\to\frac52R\)、数千 K で振動が目覚めて \(\frac52R\to\frac72R\)。カーソルを動かすと、その温度で各自由度の \(\hbar\omega/k_BT\) がいくつか、目覚めているかどうかが読めます。これは温度計に映った量子力学です ── 段の位置が、そのままエネルギー準位の間隔を教えてくれる。

図:水素分子のモル比熱 C_V/R と温度(対数軸)。並進はいつでも 3/2、回転は θ_rot≈85 K で、振動は θ_vib≈6300 K で目覚める。段の位置が準位間隔そのもの。カーソルで各自由度の ℏω/k_BT を読む
合計 C_V/R 並進(3/2) 回転 振動

同じ現象は固体でも起きます。デュロン–プティの法則(固体のモル比熱は \(3R\))は高温では合うのに、低温では比熱が \(T^3\) で消えていく ── アインシュタインとデバイがこれを量子で説明したのが 1907〜1912 年。比熱は、最初期の量子力学の実験的証拠でした。

05「熱い」の正体は、\(k_BT\) が何を起こせるか

この回を第1回とつなげると、こうなります。

三つの回を一行で

第1回:温度が効くのは \(E/k_BT\) という比だけ。
第2回:その \(k_BT\) は、エネルギーの配り方の傾きから出てくる。
第3回:配られる先の自由度は、\(\hbar\omega/k_BT\) が小さいものだけが受け取る。

だから「熱い」とは、\(k_BT\) が大きくていろいろな自由度を起こせる状態のこと。冷やすとは、自由度をひとつずつ眠らせていくこと。絶対零度に近づくにつれて起きている自由度が減っていき ── 最後には何も起きなくなる。これが熱力学第三法則(\(T\to0\) でエントロピーが定数に近づく)の直感です。

◇ ◇ ◇
正直な線 ── どこまでが厳密か

確立していること:仕事と熱の区別が「注目する(追跡する)自由度かどうか」に対応すること;2 次形式の自由度あたり \(\frac12k_BT\) の等分配則(古典統計力学の定理);単原子分子理想気体の \(C_V=\frac32R\);二原子分子で室温 \(C_V\approx\frac52R\) となり振動が凍結していること;\(\mathrm{H_2}\) の回転特性温度 ≈ 85 K・振動特性温度 ≈ 6300 K;固体のデュロン–プティ則とその低温での破れ(アインシュタイン模型・デバイ模型、比熱の \(T^3\) 則)── いずれも標準的な物理です。

単純化していること:① 図は剛体回転子+調和振動子という理想化で、回転–振動の結合や非調和性、遠心力による伸びは無視しています。② 水素は同種核スピンの効果(オルト/パラ水素)で低温の回転比熱が実際にはもっと複雑になります ── 図はスピン統計を無視した「区別できる剛体回転子」の計算です。③ 高温側では 6300 K に達する前に分子が解離してしまうので、図の右端は仮に壊れなかったらの話です。④ 「熱=追跡をやめた自由度」は物理的に正しい整理ですが、何を追跡するかには観測者側の選択が入ります(この論点は姉妹編「わかる繰り込み」番外編②で扱っています)。

練習問題(この回の考え方で解けます)
  1. ピストンを押すのと、火であぶるのは、何が違うのか。
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    行き先が追跡している自由度か、やめた自由度かの違い。ピストンの位置は追いかけているので仕事、分子ひとつひとつの運動は追いかけていないので熱。同じ運動エネルギーでも、帳簿のつけ方で名前が変わる。
  2. 室温で二原子分子の \(C_V\) が \(\frac72R\) にならず \(\frac52R\) なのはなぜか。
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    振動の自由度が凍結しているから。振動は \(\hbar\omega\) 刻みでしかエネルギーを受け取れず、H₂ では \(\hbar\omega\approx0.54\) eV = 室温 \(k_BT\) の 21 倍。励起確率は \(e^{-21}\approx10^{-9}\) で、事実上「受け取りを断る」。
  3. 比熱の階段の「段の位置」は、何を教えてくれるか。
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    その自由度のエネルギー準位の間隔。段が立ち上がる温度 \(T^*\) で \(k_BT^*\sim\hbar\omega\) なので、\(\hbar\omega\approx k_BT^*\) と読める。温度計が分光器の代わりになる
  4. 絶対零度に近づくと何が起きるか、この回の言葉で。
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    \(k_BT\) が小さくなるにつれて \(\hbar\omega/k_BT\) が大きい自由度から順に眠っていく。起きている自由度が減り、比熱がゼロに近づく。最後には何も起きなくなる ── これが熱力学第三法則の直感。

第3回まとめ熱は帳簿の名前、比熱は量子力学の目盛り

仕事と熱の違いは、エネルギーの種類ではなく 追跡しているかどうか。「熱」とは、私たちが帳簿をつけるのをやめた行き先の名前です(姉妹編「わかる繰り込み」第1回と同じ構図)。

配られたエネルギーは、2 次形式の自由度に \(\frac12k_BT\) ずつ平等に入る ── はずが、量子力学が邪魔をします。受け取り単位 \(\hbar\omega\) が \(k_BT\) より大きい自由度は、お釣りが出ないので受け取りを断る=凍結する。だから二原子分子の比熱は温度とともに階段状に上がり、室温の H₂ は \(\frac52R\)(振動は眠っている)。段の位置が、そのまま準位間隔を教えてくれる ── 温度計に映った量子力学であり、19 世紀の物理を悩ませたこの階段こそ、量子論の最初の証拠のひとつでした。

この文書は「わかる温度」シリーズ第3回、物理好きの高校生・大学生向け読み物です。仕事と熱の区別が追跡する自由度の選択に対応すること、古典統計力学の等分配則(2 次形式の自由度あたり \(\frac12k_BT\))、単原子・二原子分子理想気体のモル比熱、量子化されたエネルギー間隔 \(\hbar\omega\) と \(k_BT\) の比による自由度の凍結、水素分子の回転特性温度(≈85 K)と振動特性温度(≈6300 K)、およびデュロン–プティ則とその低温での破れ(アインシュタイン/デバイ模型)は、いずれも標準的な物理です。図が剛体回転子+調和振動子という理想化であり回転–振動結合や非調和性を無視していること、水素の核スピン統計(オルト/パラ)を無視していること、高温側では実際には解離が起きること、および「熱=追跡をやめた自由度」に観測者側の選択が入ることは、本文「正直な線」に明記しました。回転の寄与は分配関数 \(\sum(2J+1)e^{-J(J+1)\theta_r/T}\) をブラウザ内で直接足し上げ、エネルギーのゆらぎから比熱を求めています。 ── 印刷する場合はブラウザの「印刷」から「PDF に保存」を(印刷版ではスライダーと解答は静止・非表示になります)。前後の回:第2回 温度とは、エネルギーの配り方第4回 第二法則は、「ほぼ」しか成り立たない目次/姉妹編 わかる繰り込み

印刷 / PDF 化:⌘+P(Windows は Ctrl+P)。画面では温度カーソルを動かすと、各自由度が目覚めているかと ℏω/k_BT の値が読めます。ボタンで段の位置へジャンプできます。「答えを見る」で解答が開きます。