エントロピーがあるなら、温度もあるはず ── その温度は、常識と逆さまだった
第2回で、ブラックホールにはエントロピー \(S\) があると分かりました。熱力学では、エントロピーを持つものには必ず温度があります(\(1/T=dS/dE\))。ということは ── ブラックホールにも温度があり、温度があれば熱を放射するはず。「黒い穴」が光る? ホーキングが1974年に計算した答えは、その通りでした。地平面は、\(T=\hbar c^3/(8\pi GMk_B)\) の温度で、かすかに輝いている(ホーキング放射)。しかもこの温度、常識と逆さま ── 質量に反比例(∝1/M)。大きいブラックホールほど冷たく、小さいほど熱い。そして温度があるなら熱を失って軽くなり、軽くなるほどもっと熱くなって暴走し、最後は閃光とともに蒸発する。純粋に黒いはずのものを光らせるのは ℏ ── ここが、ℏ と G が初めて出会う、計算できる量子重力の最初のひび割れです。
熱力学の定義そのものです ── \(\dfrac{1}{T}=\dfrac{dS}{dE}\)(エネルギーを少し足したとき、エントロピーがどれだけ増えるか)。第2回の \(S\propto M^2\)、エネルギー \(E=Mc^2\) を使えば、\(dS/dE\propto M\)、つまり \(T\propto1/M\)。比だけで、温度が質量に反比例することが出る。係数まで入れると ──
ここでも ℏ・c・G・k_B が全員そろう(立方体の対角線)。とりわけ ℏ がいるのが決定的 ── \(\hbar\to0\)(古典)にすると \(T\to0\)、つまり古典的なブラックホールは完全に黒くて放射しない。穴を光らせているのは、量子(ℏ)。だからホーキング放射は「重力(G)と量子(ℏ)が出会う」現象です。
第2回の「比だけの導出」の③で、\(k_BT\sim\hbar c/R_s\sim\hbar c^3/GM\) が出ていました ── あれがまさにこのホーキング温度(係数 \(8\pi\) 以外)。「地平面に入る最大の光子のエネルギー=温度」という比の見方が、そのまま効いています。
ふつうの物は、大きく重いほど熱容量が大きく扱いにくいが、温度そのものは質量と無関係。ブラックホールは違う ── 重いほど冷たく、軽いほど熱い。数字で見ると異様さが分かります。
・太陽質量BH:\(T\approx6\times10^{-8}\) K(宇宙背景放射 2.7 K よりずっと冷たい ── 今はむしろ周りを吸って育つ)
・山ほどの質量(~10¹¹ kg):\(T\approx10^{12}\) K(灼熱。ちょうど今ごろ蒸発しきる)
・ミクロなBH:一瞬でギガ級の閃光を出して蒸発
恒星質量以上のブラックホールは、宇宙背景放射より冷たいので、今は蒸発せず、むしろCMBを吸って成長。蒸発が主役になるのは、宇宙がうんと冷えた遠い未来か、初期宇宙にできた小さな「原始ブラックホール」だけです。
いちばん奇妙な性質。ふつうの物は熱を失うと冷える。ブラックホールは <(T\propto1/M)> なので、放射でエネルギー(質量)を失うと、かえって温度が上がる(負の比熱)。すると ── 熱い→もっと放射する→もっと軽くなる→もっと熱い、の暴走。最初はゆっくり、最後は加速して、閃光とともに蒸発して消える。蒸発しきるまでの寿命は ──
放射のパワーは \(P\propto T^2\propto1/M^2\) 程度で、\(dM/dt\propto-1/M^2\) を積分すると寿命 \(\tau\propto M^3\)。太陽質量なら約 \(10^{67}\) 年(宇宙年齢の遥か先)、山質量(~10¹¹ kg)ならちょうど今ごろ、という具合。小さいほど、爆発的に速く蒸発する。
下の図。スライダーでブラックホールの質量を変えると、地平面の大きさと温度(右の温度計)が変わります ── 軽いほど小さく、熱い。破線は宇宙背景放射 2.7 K の目安:それより下(冷たい)なら今は成長、上(熱い)なら蒸発します。「蒸発させる」を押すと、質量が減り、小さくなるほど温度が跳ね上がって暴走し、最後に閃光を出して消えるまでを早送りで見られます(負の比熱の暴走)。
ホーキング放射のよく知られたイメージは、地平面のすぐ外での真空のゆらぎ(粒子・反粒子の対生成)── 片方が穴に落ち(負のエネルギーを持ち込み質量を減らす)、片方が外へ逃げる、というもの。ただしこれは直感のための絵で、正確には「地平面のせいで、落ちる観測者の真空と外の観測者の真空がずれ、外の観測者には熱的な粒子が見える」という、曲がった時空の場の量子論の帰結です(真空は観測者依存 ── わかる相対論⑤⑥の親戚)。
ここで、シリーズの核心の問いが立ち上がります。放射で出てくる熱的な光は、ほぼランダム(熱的)── 一見、飲み込んだ物の情報を何も含んでいないように見える。ではブラックホールが完全に蒸発しきったとき、第2回で数えた \(10^{77}\) ビットの情報は ── 消えてしまうのか? 量子力学は「情報は消えない(ユニタリ)」と言うのに。これが情報パラドックス(第6回)。蒸発は、その問いに火をつける導火線です。次回は、蒸発しきるまでのブラックホールが実は宇宙最速の計算機で、情報を"キュー"に貯めている、という話へ。
ホーキング温度 \(T=\hbar c^3/(8\pi GMk_B)\)(四定数を含み \(\propto1/M\))、\(S\) と \(T\) が熱力学的に整合すること、負の比熱、蒸発寿命 \(\tau\propto M^3\)(太陽質量で ~10⁶⁷ 年)、恒星質量BHが現在CMBより冷たく蒸発しないこと、曲がった時空の場の量子論による導出は、いずれも理論的に確立しています(Hawking 1974-75、Wald のレビュー)。
ただし。 ① ホーキング放射はまだ直接観測されていません(恒星質量BHでは温度が低すぎる)。理論的予言としては極めて確固としており、アナログ実験(音波BH等)で類似効果の兆候は報告されています。 ② 「対生成の片方が落ちる」は発見的な比喩で、厳密な導出はボゴリューボフ変換(観測者ごとに真空・粒子の数え方が違うこと)による ── 素朴に受け取りすぎない。 ③ \(\propto1/M\) や \(\tau\propto M^3\) は係数・付随因子(粒子種、灰体因子)を省いたスケーリング。 ④ 原始ブラックホールの存在は仮説で、未確認。 ⑤ 放射が「完全に熱的で情報ゼロ」かどうかこそが情報パラドックスの争点で、近年は「情報は最終的に出てくる」が主流(第6回)。
エントロピーがあれば温度がある(\(1/T=dS/dE\))。第2回の \(S\propto M^2\) から、比だけで \(T\propto1/M\)。係数まで入れると \(T=\hbar c^3/(8\pi GMk_B)\) ── ℏ・c・G・k_B が再び集合し、とくに ℏ がいるので「穴を光らせるのは量子」。地平面はこの温度でかすかに輝く(ホーキング放射)。常識と逆で、大きいBHほど冷たく小さいほど熱い。
温度があれば熱を失って軽くなり、\(T\propto1/M\) ゆえ軽くなるほど熱くなる(負の比熱)── 暴走して、閃光とともに蒸発(寿命 \(\tau\propto M^3\))。恒星質量BHはCMBより冷たく今は蒸発しないが、小さな原始BHは今ごろ蒸発しきる。そして蒸発する放射は一見熱的で情報ゼロ── では第2回で数えた \(10^{77}\) ビットは消えるのか? この情報パラドックスが、次回以降の背骨。ℏ と G が出会うこの放射こそ、計算できる量子重力の最初の一歩です。
印刷 / PDF 化:⌘+P(Windows は Ctrl+P)。画面では質量で温度が変わり(T∝1/M)、「蒸発させる」で暴走→閃光→消滅を早送りできます。「答えを見る」で解答が開きます。