情報が出られないなら、乱雑さは溜まる一方 ── その量を書くと、物理の全定数が一行に集合する
第1回で、地平面は情報の一方通行の膜だと見ました。ここで熱力学が困った顔をします ── 乱雑さ(エントロピー)を持った物(熱いガスや、散らかった本)をブラックホールに投げ込むと、その乱雑さは外の世界から消えてしまう。宇宙全体のエントロピーは減ってはならない(熱力学第二法則)のに、これでは減ってしまう。ベッケンシュタインの答えは大胆でした ── ならばブラックホール自身が、飲み込んだぶんのエントロピーを持つはずだ。そのエントロピーを書き下すと、物理でいちばん美しい式の一つが現れます ── c・ℏ・G・k_B が、たった一行に全員そろう。そしてプランク面積で割ると、単位が全部消えて、地平面のビット数という、ただの無次元の数になる。この回は、シリーズの心臓です。
散らかった部屋(高エントロピー)をブラックホールに落とす。外から見れば、散らかりは視界から消え、世界はすっきりしたように見える ── でもそれは第二法則違反。ベッケンシュタインは「消えたのではなく、ブラックホールに移った」と考えた。ブラックホールにエントロピーがあるなら、何に比例するか? 手がかりは、ホーキングが証明していた「地平面の面積は決して減らない」という定理(面積定理)── これは第二法則の「エントロピーは減らない」とそっくり。だから、エントロピーは地平面の面積に比例するのではないか。
その予想を、ホーキングが自身の放射の計算で係数まで確定させました(1974–75)。結果 ──
\(A\) は地平面の面積。右辺に k_B(熱力学)・c(相対論)・G(重力)・ℏ(量子) が全員いる ── 物理で、四大定数がこれほどきれいに同居する式は他にありません。だからこの式は「立方体の対角線(c・ℏ・G の角)」に実在する、確立した唯一の橋。研究者はこれを量子重力への窓と呼びます。
ここで、うちらの流儀 ── 単位を消して比にする。長さの基本単位を、四定数から作れるプランク長 \(\ell_P=\sqrt{\hbar G/c^3}\approx1.6\times10^{-35}\) m にとると、\(\ell_P^2=\hbar G/c^3\)。これで割ると ──
c・ℏ・G が全部 \(\ell_P^2\) に畳まれて消え、残るのは「面積が、プランク面積の何個ぶんか」という無次元の数だけ。地平面を一辺 \(\ell_P\) のタイルで敷き詰めると枚数は \(N=A/\ell_P^2\)。各タイルが1ビット(0か1)を持つと読むと、状態数は \(\Omega=2^N\)、エントロピーはその対数 ── エントロピー=地平面に書けるビット数。地平面は、プランク面積ごとに1ビットの黒板だったのです。
この「情報は表面の面積に書かれる」という読みが、第5回のホログラフィック原理の芽になります。そして、ブラックホールは同じ大きさに詰め込める情報の上限(最大エントロピーの天体)でもある ── この宇宙で最も情報が詰まった物です。
下の図は、地平面(円)を一辺 \(\ell_P\) のタイルで敷き詰め、ビット数 \(N=A/\ell_P^2\) を数えるイメージ(実際のタイルは天文学的に小さいので、模式です)。スライダーでブラックホールの質量を変えてください。地平面の半径は \(R_s\propto M\)、面積は \(A\propto M^2\)、だからビット数も \(\propto M^2\) で跳ね上がります。
太陽1個ぶんのブラックホールで、ビット数はおよそ 10⁷⁷。人類が持つ全データ(〜10²²ビット程度)を、桁で完全に飲み込む途方もなさ。しかも質量2倍で面積4倍=ビット4倍 ── 大きいブラックホールほど、けた違いに"情報を持つ"。宇宙で最大のエントロピーは、超巨大ブラックホールが握っています。
この四定数の式、じつはうちらの「比」だけで骨格まで出せます(ベッケンシュタインの元祖の論法)。
① 地平面の半径 \(R\sim GM/c^2\)(第1回)。
② 落とす「1ビット」=穴に入る最大の光子(波長 λ~R)。エネルギー \(E\sim\hbar c/\lambda\sim\hbar c/R\)(比:p=ℏ/λ)。
③ 温度 \(k_BT\sim E\sim\hbar c^3/(GM)\)(次回のホーキング温度の形!)。
④ 第一法則 \(dS=dE/T=c^2dM/(k_BT)\sim(G/\hbar c)M\,dM\) を積分 → \(S\sim k_B\,GM^2/(\hbar c)\)。
⑤ 面積 \(A\sim(GM/c^2)^2\) で書き直すと ── \(\boxed{S\sim k_B\,c^3A/(\hbar G)=k_B\,A/\ell_P^2}\)。
単位のある c・G・ℏ が全部 \(\ell_P^2\) に消え、面積則 \(S\propto A/\ell_P^2\) が比だけで立ち上がった。出ないのは係数 1/4 だけ。
この 1/4 こそ、ホーキングの場の量子論の計算(あるいは弦理論の状態数え上げ)という本物の量子重力の一手が要る数。面白いのは ── \(\alpha\approx1/137\) は誰も導けない謎の数なのに、この 1/4 は複数の独立な方法(ホーキング/弦)で一致して導ける。そしてその一致が、量子重力理論の合格判定になっている。「比で骨格、係数は自然からの返信、そしてこの返信は届いている」── シリーズの合言葉どおりの、成功物語です。
\(S=k_Bc^3A/(4G\hbar)=k_BA/(4\ell_P^2)\)(ベッケンシュタイン–ホーキング エントロピー、\(\ell_P^2=\hbar G/c^3\))、四定数すべてを要すること、面積則、ホーキングが放射の計算で係数 1/4 を確定したこと、地平面をプランク面積のセルに分け各セルが約1ビットで状態数 \(\Omega=2^N\) と読めること、ブラックホールが与えられた大きさで最大エントロピーの天体であること、この式が量子重力への窓とされることは、いずれも確立/広く受け入れられた物理です(Bekenstein 1973、Hawking 1974-75、Wald のレビュー等)。
注意。 ① 「1プランク面積=1ビット」は桁の目安(情報理論的な読み)で、正確な数え方(どの自由度がエントロピーを担うか)は理論により異なる ── それを微視的に説明することこそ量子重力の課題。係数 1/4 は、弦理論(Strominger–Vafa 1996)やループ量子重力など複数の方法で再現され、理論の整合性チェックになっている。 ② エントロピーの「ビット数」はふつう自然対数(ナット)で \(A/4\ell_P^2\)。2進のビットに直すには \(\ln2\) で割る(係数が変わるだけ)。 ③ この式は静的(シュワルツシルト)BHの地平面面積についての話で、回転・電荷があると \(A\) の表式が変わる(式の形 \(S=A/4\) は同じ)。 ④ ホーキング放射・温度の中身は次回。
情報が出られない地平面には、飲み込んだぶんのエントロピーがある(ベッケンシュタイン、第二法則を守るため)。その値は面積に比例し、ホーキングが係数まで確定した ── \(S=k_B c^3A/(4G\hbar)\)。k_B・c・G・ℏ が一行にそろう唯一の式で、量子重力への窓。プランク面積で割ると単位が全部消え、\(S/k_B=A/(4\ell_P^2)\)=地平面のビット数。地平面は「プランク面積ごとに1ビットの黒板」で、ブラックホールは宇宙で最も情報の詰まった天体。
しかもこの面積則、比だけで骨格が導ける(R→最大光子E→kT→dS=dE/T→S∝A/ℓ_P²)。出ないのは係数 1/4 だけで、それはホーキングや弦理論という本物の量子重力の計算からの"返信"── しかも複数の方法で一致し、届いている。単位のある四定数は舞台装置、残るのはビットの比。エントロピーが面積(=2次元)で決まる、という異常さが、次の温度と、ホログラフィへの入口です。
印刷 / PDF 化:⌘+P(Windows は Ctrl+P)。画面では質量を変えると、地平面の面積(=ビット数 ∝ M²)が変わります。「答えを見る」で解答が開きます。