わかるブラックホール第 1 回 / 地平面 ── 情報が出られない面

物理の"立方体"の対角線へ ── まず、光さえ出られない一方通行の膜から

地平面 ── 情報が出られない面 脱出速度が光速 c に達する半径が、事象の地平面。外から見ると、そこで時間が凍りつく(凍結星)。
でも落ちる本人は、何事もなくすり抜ける ── 「止まる」は、視点しだい。情報の一方通行の膜。

必要な道具:脱出速度、わかる相対論⑤⑥(同時・重力時間の遅れ) この回の比:R_s/r = 地平面への近さ

このシリーズは、物理の"立方体"の対角線 ── c・ℏ・G が同時に効く角=量子重力 ── に、ブラックホールを窓にして迫ります。そこでは、やがて物理がすべて「情報(ビット)の無次元比」に化ける。でもその前に、ブラックホールの一番の特徴から始めましょう ── 光さえ出られない。重力が強すぎて、脱出速度が光速 \(c\) を超えてしまう領域がある。その境目が事象の地平面(event horizon)。ここは物理的な壁ではなく、情報の一方通行の膜です。入ることはできても、出る(外へ知らせる)ことはできない。しかも面白いのは ── 外から見ると地平面で時間が凍りつくのに、落ちていく本人は何も感じずにすり抜ける。「止まっている/止まっていない」が観測者で食い違う。わかる相対論の「同時は視点しだい」が、ここで極限の姿を見せます。

01光さえ出られない ── 脱出速度が c になる面

ロケットが地球を脱出するには、ある速さ(脱出速度)が要ります。星が重く・小さいほど、脱出速度は大きい。では ── 星をどんどん小さく圧縮したら? 脱出速度はどこまでも上がり、ついに光速 \(c\) に達する。そこを超えると、光でさえ振り切れない。この「脱出速度=c」になる半径が、事象の地平面です。

やってみよう ── 脱出速度を c と置く

脱出速度の式で v=c とする

$$v_{\text{esc}}=\sqrt{\frac{2GM}{R}}=c\ \Rightarrow\ R_s=\frac{2GM}{c^2}$$

この \(R_s\) がシュワルツシルト半径(地平面の半径)。太陽なら約 3 km、地球なら約 9 mm ── そこまで潰せばブラックホールになる。式に \(G\)(重力)と \(c\)(相対論)が両方いるのに注目。地平面は、立方体の「c・G 面」に住んでいます。

この回の比は、地平面への近さ \(R_s/r\)(あるいは"コンパクトさ" \(2GM/rc^2\))。太陽の表面では \(R_s/R\sim4\times10^{-6}\)(スカスカ)、中性子星で \(\sim0.3\)、そして地平面ちょうどで \(R_s/r=1\)。この比が 1 に近づくほど、相対論の効果が極端になります。

正直な小話 ── ニュートンの計算が、なぜか当たる 上の \(R_s=2GM/c^2\) は、ニュートン力学の脱出速度に無理やり \(v=c\) を入れた"ずる"です。光にニュートン力学は本当は使えない。ところが、アインシュタインの一般相対論できちんと解いても、地平面の半径はぴったり同じ \(2GM/c^2\) になる(係数の2まで一致)。偶然のような一致だけれど、これは有名で、便利。だから「脱出速度=c」は、正しい答えに至る良い入口です(ただし理屈の中身は相対論、が正直な線)。

02凍結星 ── 外から見ると、表面で時間が凍る

地平面の近くでは、わかる相対論⑥の重力による時間の遅れが極端になります。重力の強い場所ほど時計はゆっくり進む ── 地平面では、外の観測者から見て時間の進みがゼロになる。落ちていく物体は、地平面に近づくほど動きがのろくなり、赤方偏移して暗くなり、ついに面の上で凍りついたまま止まって見える。だからブラックホールは昔、凍結星(frozen star)と呼ばれました。

外から見た時間の遅れ(地平面で無限大)
$$\frac{\text{外の時間}}{\text{本人の時間}}=\frac{1}{\sqrt{1-R_s/r}}\ \xrightarrow[r\to R_s]{}\ \infty$$

地平面 \(r=R_s\) で、この倍率が無限大に発散する。本人の1秒が、外では無限に引き伸ばされる ── だから「表面で時間(そして計算)が止まって見える」。光も同じ倍率で赤方偏移し、無限に赤く・暗くなって消える。

03動かしてみる ── 地平面に落ちる時計

下の図。地平面(下の黒い帯)に向かって、時計が落ちていきます。左の列は落ちる本人自身の時計の刻み(等間隔=本人には普通に時間が流れる)。右の列は、その刻みの光が遠くの観測者に届く間隔 ── 地平面に近づくほど、\(1/\sqrt{1-R_s/r}\) 倍に引き伸ばされ、赤くなる。スライダーで時計の位置 \(r/R_s\) を地平面へ近づけてください。

本人の刻みは変わらないのに、外に届く刻みはどんどん間延びし、\(r\to R_s\) で無限に引き伸ばされて凍りつく。外の観測者は、時計が地平面に到達する瞬間を永遠に見られない(凍結星)。でも ── 本人の時計では、地平面まで有限の時間で着いてしまう。次の節の伏線です。

図:地平面へ落ちる時計。左=本人の時計の刻み(等間隔)、右=外の観測者に届く刻み(1/√(1−R_s/r) 倍に間延び+赤方偏移)。r→R_s で無限に伸び、表面で凍る(凍結星)
本人の時計(等間隔) 外に届く刻み(間延び・赤方偏移)

04でも本人は、すり抜ける ── 「止まる」は視点しだい

ここが、このシリーズの最初の"種明かし"です。「地平面で時間が止まる」は外から見た姿にすぎない。落ちていく本人にとっては、地平面は何の変哲もない場所 ── 特別な壁も、痛みも、"境目"の感触もなく、ふつうに有限の時間ですり抜けてしまう(わかる相対論⑥の等価原理:"no drama")。地平面は、その場に立って触れる物ではなく、「ここから先の光は二度と外へ出られない」という因果の境界線だからです。

二つの視点は、両立する(矛盾ではない)

外の観測者:時計は地平面で凍り、永遠に到達しないように見える(凍結星)。
落ちる本人:有限の固有時間で、何事もなく地平面を通過する。
どちらも正しい。「止まっている/いない」が観測者で食い違うのは、わかる相対論⑤「同時は観測者しだい」の、重力版です。

そして地平面のいちばん大事な性質 ── それは情報の一方通行の膜だということ。中の光は外へ出られない(因果的に切り離される)。物も光も、情報も、入ることはできても、出て知らせることはできない。ではその情報は、どこへ行くのか? 消えるのか? 表面に貼りつくのか? ── この問いが、シリーズ全体を最後(第6回・情報パラドックス)まで引っぱる背骨になります。地平面は、量子重力への入口の扉なのです。

◇ ◇ ◇
正直な線 ── 地平面まわりの、確立と注意

シュワルツシルト半径 \(R_s=2GM/c^2\)(一般相対論の厳密解でも同じ係数)、地平面が光さえ脱出できない因果境界であること、外部座標で無限大になる重力赤方偏移・時間の遅れ(凍結星)、落下する観測者が有限の固有時間で地平面を通過し局所的には特異でないこと(等価原理・no drama)は、いずれも確立した一般相対論です。ブラックホールの実在も、重力波(LIGO/Virgo 2015〜)、事象の地平面望遠鏡の画像(M87*・いて座A* 2019/2022)、銀河中心星の軌道(S2)などで確立しています。

注意。 ① 「脱出速度=c」のニュートン的導出は答えが偶然一致するだけで、正しい理屈は相対論(光にニュートン力学は使えない)。 ② 「凍結星」は外部座標での見え方で、地平面は座標の見かけの特異点にすぎず、時空自体は地平面でなめらか(本当の特異点は中心)。 ③ この回は地平面の外側の話。内部・特異点・潮汐力(スパゲッティ化)は扱っていません。 ④ 回転や電荷のあるブラックホール(カー解等)では地平面はもう少し複雑ですが、本質は同じです。

練習問題(この回の式だけで解けます)
  1. 質量を2倍にすると、シュワルツシルト半径 \(R_s=2GM/c^2\) はどうなるか。太陽(約3km)に対し、太陽10個ぶんは?
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    \(R_s\propto M\) なので2倍。太陽10個ぶんなら約30km。質量に比例して地平面が大きくなる(第2回で、面積 ∝ M² が効いてくる)。
  2. 時計が \(r=1.01\,R_s\)(地平面のすぐ外)にあるとき、外から見た時間の遅れ \(1/\sqrt{1-R_s/r}\) はおよそいくつか。
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    \(1/\sqrt{1-1/1.01}=1/\sqrt{0.0099}\approx10\) 倍。本人の1秒が外では約10秒。地平面に近づくほど発散し、\(r\to R_s\) で無限大(凍結)。
  3. 「地平面で時間が止まる」と「本人は有限時間で通過する」は矛盾しないのはなぜか。
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    「止まる」は外の観測者の座標での見え方、「有限時間で通過」は本人の固有時間での話。両者は別の観測者の記述で、視点が違うだけ(わかる相対論⑤の重力版)。どちらも正しい。
  4. 地平面を「情報の一方通行の膜」と呼ぶのはなぜか。
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    地平面の内側からは光さえ外へ出られない(因果的に切り離される)ので、中の情報を外へ知らせられない。入るのは自由だが出られない一方通行。この「情報はどこへ行くのか」が情報パラドックス(第6回)につながる。

第1回まとめ地平面 ── 光も情報も出られない、一方通行の因果境界

ブラックホールは、脱出速度が光速に達する半径=シュワルツシルト半径 \(R_s=2GM/c^2\)(\(G\) と \(c\) の両方が要る)より内側。その境目が事象の地平面で、光さえ出られない情報の一方通行の膜。この回の比は地平面への近さ \(R_s/r\)(1で地平面)。近づくほど相対論が極端になり、外から見ると重力時間の遅れが無限大 ── 落ちる時計は面の上で凍りつき、赤方偏移して消える(凍結星)。

でも落ちる本人は、有限の固有時間で何事もなくすり抜ける(等価原理・no drama)。「止まる/止まらない」の食い違いは、わかる相対論⑤「同時は視点しだい」の重力版で、矛盾ではない。地平面の核心は情報の一方通行── 入った情報はどこへ行くのか、という問いが、量子重力(第6回)まで貫く背骨になる。物理の立方体の対角線への扉は、この面から開く。

この文書は「わかるブラックホール」シリーズ第1回、物理好きの高校生・大学生向け読み物です。シュワルツシルト半径 \(R_s=2GM/c^2\)(一般相対論の厳密解と一致)、事象の地平面が光の脱出できない因果境界であること、外部シュワルツシルト座標での重力赤方偏移・時間の遅れ因子 \((1-R_s/r)^{-1/2}\) が地平面で発散すること(凍結星描像)、自由落下観測者が有限の固有時間で地平面を通過し地平面が座標特異点にすぎないこと(曲率は有限、真の特異点は中心)、ブラックホールの観測的確立(重力波 GW150914 以降、EHT による M87*・Sgr A* 画像、S2 星の軌道)は、いずれも確立した物理です。脱出速度によるニュートン的導出は係数が偶然一致するのみで正当な導出は一般相対論であること、凍結星は外部座標依存の見え方であること、内部・特異点・潮汐力・回転/電荷(カー/ライスナー–ノルドシュトロム)解は本回の範囲外であることは本文「正直な線」に明記しました。図は重力時間の遅れによる信号間隔の伸長の模式です。 ── 印刷する場合はブラウザの「印刷」から「PDF に保存」を(印刷版ではスライダーと解答は静止・非表示になります)。関連:目次/姉妹編 わかる相対論 第6回(重力=曲率)

印刷 / PDF 化:⌘+P(Windows は Ctrl+P)。画面では時計を地平面に近づけると、外に届く刻みが無限に間延びして凍ります。「答えを見る」で解答が開きます。