二本の道の位相を足した。では道が無数だったら? ── ファインマンの、大胆で美しい答え
第2回で、二本の道を通った波動関数を足すと、位相差が干渉になって現れました。では ── 道が二本ではなく、無数にあったら? 始点Aから終点Bへ、電子はどの道を通ってもよい。まっすぐも、大回りも、ジグザグも。ファインマンの答えは、拍子抜けするほど大胆です ── 自然は、A から B への"あらゆる経路"それぞれに位相 \(e^{iS/\hbar}\) を割り当て、全部を足し合わせる。無数の回る矢印の、総和。ふつう、道ごとに作用 \(S\) がてんでバラバラなので、位相もあらゆる向きを向いて打ち消し合う。ところが、作用が停留する(変化がゼロ=最小作用の)道の近くだけは、隣の道と位相がほとんど同じで揃い、生き残る。そして \(S\gg\hbar\) の古典世界では、その一本だけが残って ── ニュートンの軌道が現れる。「わかる力」で見た最小作用の原理が、量子の影として立ち上がる回です。
二重スリットの「二本の道」は、じつは特別ではありません。スリットを3本、4本と増やせば道は増える。壁を全部取り払えば ── A から B へ至る道は無限本。量子論は、この無限本すべてを平等に扱います。「電子はどの道を通ったのか?」という問い自体が古い ── 電子は、すべての道を"同時に"通り、その位相を足した結果として B に現れる。第2回の \(\psi\) の重ね合わせを、経路の全体へ押し広げるのです。
A から B への各経路に、その経路の作用 \(S\) で決まる位相 \(e^{iS/\hbar}\)(大きさ1の回る矢印)を割り当て、全部たす。第2回の「二経路の足し算」を、無限本に拡張しただけ。効くのは、やはり作用が \(\hbar\) 何個ぶんか ── \(S/\hbar\)。
無限本を足すと、ほとんどは消えます。理由は位相の回りっぷり。でたらめな遠回りの道は、少し道を変えるだけで作用 \(S\) が大きく変わり、位相 \(S/\hbar\) がぐるぐる回る ── 隣どうしがそっぽを向いて打ち消し合う。ところが、作用が停留する道(\(\delta S=0\)、少し道を変えても \(S\) が1次では変わらない道)の近くでは、隣の道もほぼ同じ位相。矢印が揃って強め合い、生き残る。
この \(\delta S=0\) こそ、「わかる力」で見た最小作用の原理そのもの。古典力学が「なぜ最小作用の道を選ぶのか」の答えが、ここにある ── 選んでいるのではない。全部の道を足したら、最小作用の道の近くだけが生き残るのだ。
そして \(\hbar\) の大小が効きます。\(S\gg\hbar\)(古典・巨視的)だと、位相 \(S/\hbar\) は道のわずかな違いでも猛烈に回るので、打ち消しが激烈 ── 停留経路のごく細い一本を除いて全滅する。残った一本が古典の軌道。逆に \(S\sim\hbar\)(量子)だと、位相はゆっくりしか回らず、停留経路のまわりの幅広い束が生き残る ── これが量子的な広がり、干渉、そしてトンネル効果(古典では通れない道もわずかに生き残る)の正体です。
下の図。左は A から B への経路の一族(まん中の濃い線が、作用が停留する=最小作用の道)。右は、各経路の矢印 \(e^{iS/\hbar}\) を順に継ぎ足したフェーザの鎖(総和)。停留経路の付近(鎖のまん中)では矢印が揃ってまっすぐ伸び、遠い経路(両端)では位相がぐるぐる回って渦を巻いて打ち消す。原点から鎖の先までの太い矢印が、足し合わせた振幅です。
スライダー「古典さ \(S/\hbar\)」を上げると(\(\hbar\) を小さく=巨視的に)、両端の渦がきつく巻き、生き残るのはまん中のまっすぐな部分だけ ── 振幅は停留経路(古典の軌道)からの寄与でほぼ決まる。下げると(量子的に)、鎖全体がゆるやかで、幅広い経路が寄与する。古典の軌道は、量子の全経路和が \(S/\hbar\to\infty\) で残す"芯"だと、目で確かめられます。
これで、「わかる力」で天下りに見えた最小作用の原理の正体が分かります。自然は最小作用の道を"選んで"いるのではない ── あらゆる道を足したら、\(S\gg\hbar\) の世界では停留経路の近くだけが生き残るので、結果として最小作用の道だけが見える。古典力学(ニュートンの軌道、最小作用)は、量子論の経路和の \(S/\hbar\to\infty\) 極限が落とす影だったのです。第1回で「古典=\(\hbar\to0\)」と言った、その具体的な仕組みがこれ。
逆に \(S\sim\hbar\) の量子世界では、停留経路のまわりの束が生き残るので、粒子は一本の軌道を持たず広がり、複数経路が干渉し、古典では越えられない壁をわずかにすり抜ける(トンネル効果)。一本の道(古典)か、束(量子)か ── その分かれ目も、やはり作用の比 \(S/\hbar\) が握っています。単位のある作用 \(S\) は舞台装置、効くのは \(\hbar\) 何個ぶんか、だけ。
経路積分(あらゆる経路の \(e^{iS/\hbar}\) の和が振幅を与える、ファインマン)、停留位相近似により \(\delta S=0\)(最小作用)の経路が主要寄与を与え \(S/\hbar\to\infty\) で古典軌道が回復すること、量子領域での経路の広がり・干渉・トンネル効果は、いずれも確立した物理で、経路積分は場の量子論の標準的な道具です。
ただし。 ① 「あらゆる経路の和」は、数学的には経路の"数え方(測度)"の定義が微妙で、厳密な定式化には注意が要ります(物理の予言は正しく出ます)。 ② 正確には「最小」作用でなく停留作用(\(\delta S=0\)。極小・極大・鞍点を含む)。 ③ 図のフェーザ鎖(コルニュ螺旋)は、経路を1つのパラメータ(道のふくらみ)で代表させ、作用を停留点まわりで2次で近似した模式です。実際は経路は無限次元で、作用も系ごとに違います。 ④ 「電子が全経路を同時に通る」は経路積分の計算法の描像で、素朴な実在の主張として深追いしないのが安全です。
二経路の干渉(第2回)を無限本に広げたのが経路積分 ── 自然は A→B のあらゆる経路に位相 \(e^{iS/\hbar}\) を割り当て、全部を足す(\(\psi=\sum e^{iS/\hbar}\))。でたらめな経路は位相がぐるぐる回って打ち消し合い、作用が停留する道(\(\delta S=0\)=最小作用)の近くだけが位相を揃えて生き残る。「わかる力」の最小作用は、こうして経路和から立ち上がる ── 自然は道を選ぶのでなく、足したら残るのだ。
\(S\gg\hbar\)(古典)では位相が猛烈に回り、停留経路のごく細い一本だけが残ってニュートンの軌道が現れる。\(S\sim\hbar\)(量子)では停留経路まわりの束が残り、広がり・干渉・トンネル効果になる。古典力学は、量子の全経路和が \(S/\hbar\to\infty\) で落とす影── 第1回の「古典=\(\hbar\to0\)」の具体的な仕組み。効くのは、やはり作用の比 \(S/\hbar\) だけです。
印刷 / PDF 化:⌘+P(Windows は Ctrl+P)。画面では「古典さ S/ℏ」を上げると、フェーザ鎖の両端が渦巻き、停留経路(古典軌道)だけが残ります。「答えを見る」で解答が開きます。