第1回の 1/√N と第4回の普遍性は、じつは同じ定理の別の顔だった ── 統計学は 100 年前から繰り込み群をやっていた
本編を書き終えてから気づいたことがあります。第1回の \(1/\sqrt{N}\) と第4回の普遍性を、私は別々の話として書いてしまった。ところがこの二つは、同じ一つの定理の別の顔です。「独立な確率変数をたくさん足して \(\sqrt{N}\) で割る」という操作を、分布から分布への変換とみなしてみてください ── これは第4回のブロックスピンとまったく同じ構造を持っています。2回やるのは 1 回で 4 個ぶんやるのと同じ(合成則)、ガウス分布は自分自身に戻る(固定点)、そして中心極限定理は「どんな分布から出発してもそこへ流れ着く」という普遍性の主張。さらに、歪度や尖度といった「元の分布の癖」は \(N^{1-k/2}\) できれいに死んでいく ── これが irrelevant 演算子です。高校生でも計算できる形で、繰り込み群がまるごと出てきます。
平均 0・分散 1 の同じ分布から、独立に 2 個引いて足し、\(\sqrt2\) で割ります。
\(*\) は畳み込み(足し算に対応する演算)。この \(\mathcal{T}\) は確率分布の空間の上を動く写像です。第4回で「粗視化は模型 → 模型の写像だ」と言いましたが、まったく同じ形をしている。しかも合成則も同じ ── \(\mathcal{T}\) を 2 回やるのは、4 個を足して 2 で割るのと同じ。
なぜ \(\sqrt2\) で割るのか。分散は足し算で加算されるので、2 個足すと分散は 2 倍。それを \(\sqrt2\) で割ると分散が 1 に戻ります。この「割る」が、第4回で格子を縮めたのと同じ〈スケール変換〉です。粗視化するときは必ず「潰す」と「拡大し直す」がセットになる ── ここでもそうなっています。
標準正規分布 \(p(x)=\frac{1}{\sqrt{2\pi}}e^{-x^2/2}\) を \(\mathcal{T}\) に入れてみます。ガウス同士の畳み込みはガウスで、分散は足されて 2。それを \(\sqrt2\) で割ると分散 1 に戻る ── つまり元とまったく同じ分布。
第4回で「粗視化しても自分自身に戻る模型=固定点」と書きました。ガウス分布は、この変換の固定点です。そして中心極限定理は、こう言い換えられます ── この固定点は、広い範囲の出発点を吸い寄せるアトラクタである。
ここが計算できる山場です。分布の「癖」を測る量として、累積量 \(\kappa_k\) というものがあります(\(\kappa_1\)=平均、\(\kappa_2\)=分散、\(\kappa_3\)=歪みの元、\(\kappa_4\)=尖りの元)。累積量には、うれしい性質が一つだけあります ── 独立なものを足すと、そのまま足し算になる。
\(N\) 個足すと \(\kappa_k \to N\kappa_k\)。それを \(\sqrt N\) で割ると、\(k\) 次の累積量は \((\sqrt N)^k\) で割られるので:
$$\kappa_k^{(N)}=\frac{N\kappa_k}{N^{k/2}}=\kappa_k\,N^{\,1-k/2}$$これを表にすると、繰り込み群の分類がそのまま出ます。
| \(k\) | 量 | \(N\) 依存性 | 繰り込み群の言葉で |
|---|---|---|---|
| 1 | 平均 | \(N^{+1/2}\)(増大) | relevant(ずらすと発散する) |
| 2 | 分散 | \(N^{0}\)(不変) | marginal(スケールを決める) |
| 3 | 歪度 | \(N^{-1/2}\)(減衰) | irrelevant |
| 4 | 尖度 | \(N^{-1}\)(減衰) | irrelevant |
| \(k\ge3\) | それ以上の癖 | \(N^{1-k/2}\) | より速く irrelevant |
第4回では「relevant は少数、irrelevant は圧倒的多数」と書きました。ここでは文字どおり、relevant が 1 個、marginal が 1 個、残り全部が irrelevant。しかも減衰の速さまで手で出せる。これが繰り込み群の、いちばん簡単で完全に計算できる実例です。
「元の分布がどんな形だったか」という情報は、\(\kappa_3,\kappa_4,\kappa_5,\dots\) に入っています。それが全部 \(N^{1-k/2}\) で死ぬ ── だから出自が忘れられる。第4回の水と磁石とまったく同じ現象が、サイコロと硬貨で起きています。
ここまでの議論は、こっそり「分散が有限である」を使っていました(\(\sqrt N\) で割れるのは分散が定義できるから)。では分散が無限な分布ではどうなるか。
代表がコーシー分布 \(p(x)=\frac{1}{\pi(1+x^2)}\) です。裾が \(1/x^2\) でしか落ちないので、分散の積分が発散します。この分布は ── 2 個足して \(\sqrt2\) ではなく \(2\) で割ると、自分自身に戻ります。
この割り方で自分に戻る分布を安定分布といい、\(\alpha\)(裾の重さ)でラベルされる固定点の族をなします。\(\alpha=2\) がガウス、\(\alpha=1\) がコーシー。そして「どの固定点に流れ着くか」を決めるのは、裾の落ち方だけ ── 分布の真ん中の形はいっさい関係ありません。第4回の言葉でいえば:
安定分布 = 固定点、吸引域 = 普遍クラス、裾指数 \(\alpha\) = relevant なパラメータ
| 出発する分布 | 裾 | 割る量 | 流れ着く先 |
|---|---|---|---|
| 一様、二項、指数、…(分散が有限なものすべて) | 軽い | \(\sqrt N\) | ガウス(\(\alpha=2\)) |
| コーシー | \(1/x^{2}\) | \(N\) | コーシー(\(\alpha=1\)) |
| パレート型(裾指数 1.5) | \(1/x^{2.5}\) | \(N^{2/3}\) | \(\alpha=1.5\) の安定分布 |
ガウスが「あたりまえ」に見えるのは、私たちのまわりの量がたいてい分散有限だからにすぎません。裾が重い世界(地震の規模、都市の人口、金融の暴落)では、別の固定点が支配します。「平均を取れば安心」が通じないのはこのためです。
下の図は、選んだ分布を実際に何度も畳み込んで割ったものです(ブラウザ内で数値計算しています)。スライダーは足した個数 \(N=2^k\)。
一様・コイン・指数を選ぶと、どれも数ステップでガウス(灰色の破線)に重なります ── 出発点がまるで違うのに、行き先は同じ。とくに「コイン投げ(±1)」は、2 本の棒からガウスが立ち上がる様子が見事です。そしてコーシーを選ぶと、いつまでもガウスになりません。最初から最後まで形が変わらない ── 別の固定点にすでに座っているからです。
もう一つ、本編で使いそこねた対応があります。
フィッシャーは 1922 年、十分統計量という概念を導入しました。データ \(x_1,\dots,x_n\) から作った関数 \(T(x)\) が「十分」とは、\(T\) を知ったあとでは、元データはパラメータについて何も追加情報を持たないこと。
第1回でやったのは、まさにこれです ── 温度と圧力は、ミクロ配置に対する十分統計量。「捨てても答えが変わらない」を統計学の言葉に翻訳すると「十分統計量に縮約した」になります。
ジェインズ(1957)は、こう論じました。「エネルギーの平均だけがわかっている」という制約のもとで、それ以外については最も無知な分布を選ぶ ── つまりエントロピーを最大化する ── と、ギブス分布 \(e^{-E/kT}\) が自動的に出てくる。
つまり統計力学は、新しい物理法則を足さずに推論の手続きとして導ける。第1回で「エントロピー=捨てた情報の量」と書いたのは比喩ではなく、この系譜のど真ん中の主張です。十分統計量・最大エントロピー・指数型分布族は、数学的には同じ構造の三つの顔です。
確立していること:中心極限定理を「分布空間上の変換の固定点への収束」として定式化できること(Jona-Lasinio 1975 ほか、確率論から見た繰り込み群);累積量が \(\kappa_k^{(N)}=\kappa_k N^{1-k/2}\) でスケールすること(初等的に厳密);安定分布が \(N^{1/\alpha}\) スケーリングの固定点をなし、吸引域が裾指数で決まること(Gnedenko–Kolmogorov の分類、厳密);フィッシャーの十分統計量と分解定理;ジェインズの最大エントロピー原理によるギブス分布の導出;そして臨界点では相関長発散のため中心極限定理の前提が崩れ、ゆらぎが非ガウスになること。いずれも確立した数学・物理です。
ただし同一視しすぎないこと:① ここで見た固定点は、場の理論でいえばガウス固定点(自由場・平均場)に対応します。第4回の主役だった Wilson–Fisher 固定点のような相互作用のある固定点は、この単純な CLT の枠には入りません(異常次元が出るのはそちら側)。「CLT は RG の最も簡単な例」であって「RG は CLT の言い換え」ではない、という順序が大事です。② 累積量による分類は、分布がなめらかで累積量が存在する場合の話です。③ 「十分統計量=粗視化」は、パラメータ推定という問いを固定したときの対応であり、問いを変えれば残すべき量も変わります(その一般論が番外編④)。
「独立な変数を \(N\) 個足して \(\sqrt N\) で割る」を分布空間の変換とみなすと、繰り込み群がまるごと現れます ── ガウス分布は固定点、中心極限定理はそれがアトラクタだという主張、そして第 \(k\) 累積量は \(\kappa_k N^{1-k/2}\) でスケールするので、平均が relevant、分散が marginal、歪度以上はすべて irrelevant。第4回の分類が、高校生でも手で出せる形で出てきます。
固定点は一つではありません。分散が無限だと \(N^{1/\alpha}\) で割ることになり、安定分布という固定点の族が現れる(\(\alpha=2\) がガウス、\(\alpha=1\) がコーシー)。どれに流れ着くかを決めるのは裾の落ち方だけ ── 分布の真ん中の形はいっさい関係ない。これが普遍クラスです。そして臨界点で相関長が発散すると中心極限定理の前提が壊れ、だからこそ \(\beta\approx0.326\) のような非自明な指数が出る。第1回(CLT が効く世界)と第4回(CLT が壊れる世界)は、こうして一本の線でつながります。
印刷 / PDF 化:⌘+P(Windows は Ctrl+P)。画面ではボタンで出発点の分布を選び、スライダーで足す個数を増やすと固定点へ流れていきます。コーシーだけがガウスに落ちません。「答えを見る」で解答が開きます。