ここまでは一つの模型を最後まで。今回は候補を横に並べて、判定に使える数字を探します
量子重力の候補はいくつもあります。弦理論、ループ量子重力、漸近安全性、CDT、Hořava 重力 ──
どれも「これが正しい」とは言えていない。
では比べようがないのか。そんなことはありません。並べる軸を選べば、
それぞれが何を捨てたのかが見えます。そして判定に使える数字も、少ないけれど、あります。
このシリーズは「わかる共形変換」第9回 ── 共形因子はゴーストだった ── の続きから始まりました。重力の作用には、宇宙の大きさ(共形モード)の運動項が 逆符号で入っていて、そのせいでユークリッド作用が下に非有界になり、 経路積分が定義できない。
量子重力の候補は、結局この一点をどう処理するかで分かれます。 そして面白いことに、それぞれが払っている代償も、この軸で説明がつきます。 「弦か、ループか」と並べるより、この軸のほうが読者にとって意味があります。
| 仮説 | 共形モードの始末 | 代償 | 数で言えること |
|---|---|---|---|
| 摂動的 EFT | 何もしない。低エネルギーでは問題化しない | 2ループで発散が復活(Goroff–Sagnotti 1985) | 展開パラメータ \((E/M_{\rm Pl})^2\)。LHC で \(1.3\times10^{-30}\)。低エネルギーで矛盾がないのは本当 |
| 高階微分(Stelle) | 高階微分で押さえ込み、繰り込み可能にする | 質量つきスピン2ゴースト。ユニタリ性を失う | 繰り込み可能性とユニタリ性を交換した、という一点だけがはっきり |
| 漸近安全性 | 非摂動の固定点で治ることに期待 | 固定点の存在が切り捨て依存。BRST の破れという批判も | UV で引き寄せる方向は「多くても3つ」。パラメータ化を変えると2になる系列も ── 予言の個数が定まっていない |
| CDT | エントロピーが符号を直す。実際に起きる(第1回で厳密に確認) | 選ばれた葉層を最初から入れる=ローレンツ対称性は創発扱い | 2次元で \(\lambda_c=\ln2\)、\(\langle l(t)\rangle=t+1\)、\(d_H=2\)。4次元では de Sitter 相と \(d_s:4\to2\) |
| Hořava–Lifshitz | 時間微分を2階に保つので共形ゴーストが出ない | ローレンツ対称性を明示的に壊す。スカラーモードの不安定性と低エネルギー強結合 | 光子の LIV:\(E_{\rm QG,1}>7.6\,M_{\rm Pl}\)(Fermi GRB 090510)=速度ずれ \(<3.3\times10^{-19}\)。重力波 GW170817 で \(|c_{gw}/c-1|<10^{-15}\) |
| 弦理論 | 世界面の Weyl 不変性を要求して次元を決める(\(D=26,10\)) | \(D=10\)、ランドスケープ、低エネルギーの予言力 | BH エントロピーの微視的計数が対数補正まで一致(BPS 極限)。これは本物の成功 |
| ループ量子重力 | 正準量子化。経路積分をそもそも使わない | 古典極限の再現が課題 | BH エントロピーの対数補正が合わない(下で詳しく) |
先に絶望的な事実を置いておきます。摂動的な量子重力の展開パラメータは
$$\left(\frac{E}{M_{\rm Pl}}\right)^2,\qquad M_{\rm Pl}=1.22\times10^{19}\ {\rm GeV}$$これを実験のエネルギーで評価すると:
| どこで | エネルギー | \((E/M_{\rm Pl})^2\) |
|---|---|---|
| LHC | 14 TeV | \(1.3\times10^{-30}\) |
| 観測された最高エネルギーの宇宙線 | \(\sim10^{11}\) GeV | \(6.7\times10^{-17}\) |
| GRB で使う光子 | 31 GeV | \(6.4\times10^{-36}\) |
この一つの数が、量子重力の状況を全部説明します。 実験室でも宇宙線でも、量子重力の効きは \(10^{-17}\) 以下。 だから「どの仮説が正しいか」を実験で決めることは、いまのところできません。 ── では何で判定するのか。
観測ではなく計算で判定できる場所があります。 ブラックホールのエントロピーの対数補正です。
$$S = \frac{A}{4G} \;+\; C\,\ln A \;+\;\cdots$$面積則 \(A/4G\) はどの理論も再現します(そこは勝負になりません)。 しかし係数 \(C\) は理論の中身を映します ── どんな場が何枚あるか、 どう数え上げるか。だから独立に計算した結果が合うかどうかが、 本物の検算になります。
Sen(2012)の式を自分で確かめました。massless な場の中身から
+光子で \(199/45\)、+3世代のニュートリノで \(817/180\)。
罠は2つあります。
エントロピーは「何を固定して数えるか」で変わります。質量だけ固定(ミクロカノニカル)か、 角運動量まで固定して回転不変な状態だけ数える(シングレット)か。 係数はそれぞれ違います。
| 集団 | \(\ln a\) の係数 | 数値 |
|---|---|---|
| ミクロカノニカル | \(212/45-1=167/45\) | +3.711 |
| シングレット | \(212/45-3=77/45\) | +1.711 |
| LQG(同じシングレット) | \(-2\) | −2.000 |
面積は \(A\sim a^{D-2}=a^2\) なので \(\ln a=\tfrac12\ln A\)。 どちらで書くかで係数の絶対値が2倍変わります。 文献の数字を並べるときは、まずここを揃えること。 ── ただし符号の食い違いだけは、取り方に依りません。
文献には \(-1/2\)、\(-3/2\)、\(-2\)、\(0\) といろいろ流通しています。全部追いました。
| 出どころ | 元の書き方 | \(\ln a\) に直すと |
|---|---|---|
| Kaul–Majumdar (2000) | \(S=S_{\rm BH}-\tfrac32\ln S_{\rm BH}\) | \(\ln S_{\rm BH}=\ln A=2\ln a\) なので −3 |
| ↑を面積区間→質量区間へ換算 | シングレット集団 | −2 |
| U(1) Chern–Simons 版 | \(S_{mc}=S_{\rm BH}\) | 0(対数補正なし) |
| マクロ計算(同じシングレット) | \(S_{\rm BH}+(212/45-3)\ln a\) | +77/45 ≈ +1.71 |
マクロ側は正、LQG 側はどれも 0 以下。
Sen 自身は食い違いの原因を「ループ量子重力の結果には、質量ゼロの重力子ループからの寄与が 抜けているように見える」と書いています。つまりこれは どちらかが間違っているという、決着のつく問いです ── 観測を待たずに、計算だけで。
できるだけ正直に書きます。
| 観点 | いま言えること |
|---|---|
| 内部整合で強い | 弦理論(極限的 BH で微視的計数と対数補正まで一致する、他にない検証済みの成功)とCDT(有限な経路積分が実際に構成でき、数値で確かめられる)。ただし性格が違う ── 弦は「解けた例がある」、CDT は「定義できることが示せた」 |
| 計算が食い違っている | ループ量子重力 vs ユークリッド重力の1ループ。対数補正の符号が逆。どちらかが間違っている |
| 観測に押されている | Hořava 型。LIV の上限が厳しく、効果を隠すために「プランク質量よりずっと小さい第2のスケール」を入れる必要が出ている |
| 予言の個数が定まらない | 漸近安全性。切り捨ての取り方で relevant な方向が 2 にも 3 にもなる |
| 全部に共通 | 決定的な観測予言に届いていない。\((E/M_{\rm Pl})^2=10^{-30}\) がすべてを説明する |
この表は順位表ではありません。「いちばん矛盾していない」を一つ選べ、と言われても 選べない ── 各仮説が答えようとしている問いが違うからです。弦理論は「重力を含む 無矛盾な量子論はあるか」、CDT は「経路積分は定義できるか」、LQG は「時空の量子状態とは何か」。 同じ土俵にいません。
できるのは、どの仮説が何を捨てたかを言葉ではなく数で書き出すこと、そして 計算どうしが食い違っている場所を指すことまでです。 対数補正の食い違いは、その数少ない「指せる場所」です。
量子重力の候補を「共形モードをどう始末したか」で並べると、それぞれの代償が 一本の軸に乗ります ── EFT は2ループで発散、Stelle はゴースト、漸近安全性は切り捨て依存、 CDT は選ばれた葉層、Hořava はローレンツ対称性、弦は \(D=10\) とランドスケープ、 LQG は古典極限。
実験は何も言ってくれません。\((E/M_{\rm Pl})^2\) は LHC で \(1.3\times10^{-30}\)、 最高エネルギーの宇宙線でも \(6.7\times10^{-17}\)。
それでも判定に使える数字がひとつあります ── ブラックホールエントロピーの対数補正。 自分で計算すると純粋重力で \(C_{\rm local}=212/45\)、同じシングレット集団で マクロ側 +77/45 ≈ +1.71 に対し LQG は −2。 符号が逆です。比べる前に集団と \(\ln a/\ln A\) を揃える必要があり、 そこで私は一度間違えました。
順位表は作れません。各仮説が答えようとしている問いが違うからです。 できるのは何を捨てたかを数で書くことと、 計算どうしが食い違っている場所を指すことまで。
印刷 / PDF 化:⌘+P(Windows は Ctrl+P)。画面では規約のボタンを切り替えても、2本の棒が逆向きのままなのが見えます。