量子重力自由研究第 4 回 / 横に並べる

ここまでは一つの模型を最後まで。今回は候補を横に並べて、判定に使える数字を探します

どの仮説が
いちばん矛盾していないか 「共形モードをどう始末したか」で並べると、それぞれの代償が一本の軸に乗ります。
そして判定に本当に使える数字は、いまのところ一つしかありませんでした。

必要な道具:無次元量で比べる癖、そして「規約を揃えてから比べる」という作法 自由研究 / 手を動かした記録

量子重力の候補はいくつもあります。弦理論、ループ量子重力、漸近安全性、CDT、Hořava 重力 ── どれも「これが正しい」とは言えていない。
では比べようがないのか。そんなことはありません。並べる軸を選べば、 それぞれが何を捨てたのかが見えます。そして判定に使える数字も、少ないけれど、あります。

01並べる軸を選ぶ

このシリーズは「わかる共形変換」第9回 ── 共形因子はゴーストだった ── の続きから始まりました。重力の作用には、宇宙の大きさ(共形モード)の運動項が 逆符号で入っていて、そのせいでユークリッド作用が下に非有界になり、 経路積分が定義できない。

量子重力の候補は、結局この一点をどう処理するかで分かれます。 そして面白いことに、それぞれが払っている代償も、この軸で説明がつきます。 「弦か、ループか」と並べるより、この軸のほうが読者にとって意味があります。

仮説共形モードの始末代償数で言えること
摂動的 EFT何もしない。低エネルギーでは問題化しない2ループで発散が復活(Goroff–Sagnotti 1985)展開パラメータ \((E/M_{\rm Pl})^2\)。LHC で \(1.3\times10^{-30}\)。低エネルギーで矛盾がないのは本当
高階微分(Stelle)高階微分で押さえ込み、繰り込み可能にする質量つきスピン2ゴースト。ユニタリ性を失う繰り込み可能性とユニタリ性を交換した、という一点だけがはっきり
漸近安全性非摂動の固定点で治ることに期待固定点の存在が切り捨て依存。BRST の破れという批判もUV で引き寄せる方向は「多くても3つ」。パラメータ化を変えると2になる系列も ── 予言の個数が定まっていない
CDTエントロピーが符号を直す。実際に起きる(第1回で厳密に確認)選ばれた葉層を最初から入れる=ローレンツ対称性は創発扱い2次元で \(\lambda_c=\ln2\)、\(\langle l(t)\rangle=t+1\)、\(d_H=2\)。4次元では de Sitter 相と \(d_s:4\to2\)
Hořava–Lifshitz時間微分を2階に保つので共形ゴーストが出ないローレンツ対称性を明示的に壊す。スカラーモードの不安定性と低エネルギー強結合光子の LIV:\(E_{\rm QG,1}>7.6\,M_{\rm Pl}\)(Fermi GRB 090510)=速度ずれ \(<3.3\times10^{-19}\)。重力波 GW170817 で \(|c_{gw}/c-1|<10^{-15}\)
弦理論世界面の Weyl 不変性を要求して次元を決める(\(D=26,10\))\(D=10\)、ランドスケープ、低エネルギーの予言力BH エントロピーの微視的計数が対数補正まで一致(BPS 極限)。これは本物の成功
ループ量子重力正準量子化。経路積分をそもそも使わない古典極限の再現が課題BH エントロピーの対数補正が合わない(下で詳しく)

02実験は、何も言ってくれない

先に絶望的な事実を置いておきます。摂動的な量子重力の展開パラメータは

$$\left(\frac{E}{M_{\rm Pl}}\right)^2,\qquad M_{\rm Pl}=1.22\times10^{19}\ {\rm GeV}$$

これを実験のエネルギーで評価すると:

どこでエネルギー\((E/M_{\rm Pl})^2\)
LHC14 TeV\(1.3\times10^{-30}\)
観測された最高エネルギーの宇宙線\(\sim10^{11}\) GeV\(6.7\times10^{-17}\)
GRB で使う光子31 GeV\(6.4\times10^{-36}\)

この一つの数が、量子重力の状況を全部説明します。 実験室でも宇宙線でも、量子重力の効きは \(10^{-17}\) 以下。 だから「どの仮説が正しいか」を実験で決めることは、いまのところできません。 ── では何で判定するのか。

◇ ◇ ◇

03使える数字が、ひとつだけある

観測ではなく計算で判定できる場所があります。 ブラックホールのエントロピーの対数補正です。

$$S = \frac{A}{4G} \;+\; C\,\ln A \;+\;\cdots$$

面積則 \(A/4G\) はどの理論も再現します(そこは勝負になりません)。 しかし係数 \(C\) は理論の中身を映します ── どんな場が何枚あるか、 どう数え上げるか。だから独立に計算した結果が合うかどうかが、 本物の検算になります。

まず自分で計算する

Sen(2012)の式を自分で確かめました。massless な場の中身から

計算 ── 純粋重力の \(C_{\rm local}\) $$C_{\rm local}=\frac{1}{90}\Big(2n_S-26(n_V-1)+7n_F-\tfrac{233}{2}n_{3/2}+398\Big)$$
純粋重力(場は何も無い)を入れると
$$C_{\rm local}=\frac{1}{90}\big(26+398\big)=\frac{424}{90}=\boxed{\frac{212}{45}}=4.7111\ldots$$
場を足すと動く(=観測量ではなく、理論の中身を映す量)

+光子で \(199/45\)、+3世代のニュートリノで \(817/180\)。

04比べる前に、規約を揃える

ここで一度、私が間違えました 最初この節を書いたとき、「マクロ計算 \(+167/45\) vs LQG \(-1/2\)」と並べました。 これは集団(アンサンブル)が揃っていない比較です。 同じ量を比べていなかった。訂正します。

罠は2つあります。

罠その1 ── 集団を揃える

エントロピーは「何を固定して数えるか」で変わります。質量だけ固定(ミクロカノニカル)か、 角運動量まで固定して回転不変な状態だけ数える(シングレット)か。 係数はそれぞれ違います。

集団\(\ln a\) の係数数値
ミクロカノニカル\(212/45-1=167/45\)+3.711
シングレット\(212/45-3=77/45\)+1.711
LQG(同じシングレット)\(-2\)−2.000

罠その2 ── \(\ln a\) か \(\ln A\) か

面積は \(A\sim a^{D-2}=a^2\) なので \(\ln a=\tfrac12\ln A\)。 どちらで書くかで係数の絶対値が2倍変わります。 文献の数字を並べるときは、まずここを揃えること。 ── ただし符号の食い違いだけは、取り方に依りません

図:規約を切り替えても、2つの計算は逆を向いたまま。棒の向きが揃うことはありません
マクロ計算(ユークリッド重力の1ループ) ループ量子重力
計算中…

LQG 側の数字の系譜も追う

文献には \(-1/2\)、\(-3/2\)、\(-2\)、\(0\) といろいろ流通しています。全部追いました。

出どころ元の書き方\(\ln a\) に直すと
Kaul–Majumdar (2000)\(S=S_{\rm BH}-\tfrac32\ln S_{\rm BH}\)\(\ln S_{\rm BH}=\ln A=2\ln a\) なので −3
↑を面積区間→質量区間へ換算シングレット集団−2
U(1) Chern–Simons 版\(S_{mc}=S_{\rm BH}\)0(対数補正なし)
マクロ計算(同じシングレット)\(S_{\rm BH}+(212/45-3)\ln a\)+77/45 ≈ +1.71
取り方によらず言えること

マクロ側は正、LQG 側はどれも 0 以下。

Sen 自身は食い違いの原因を「ループ量子重力の結果には、質量ゼロの重力子ループからの寄与が 抜けているように見える」と書いています。つまりこれは どちらかが間違っているという、決着のつく問いです ── 観測を待たずに、計算だけで。

05判定

できるだけ正直に書きます。

観点いま言えること
内部整合で強い弦理論(極限的 BH で微視的計数と対数補正まで一致する、他にない検証済みの成功)とCDT(有限な経路積分が実際に構成でき、数値で確かめられる)。ただし性格が違う ── 弦は「解けた例がある」、CDT は「定義できることが示せた」
計算が食い違っているループ量子重力 vs ユークリッド重力の1ループ。対数補正の符号が逆。どちらかが間違っている
観測に押されているHořava 型。LIV の上限が厳しく、効果を隠すために「プランク質量よりずっと小さい第2のスケール」を入れる必要が出ている
予言の個数が定まらない漸近安全性。切り捨ての取り方で relevant な方向が 2 にも 3 にもなる
全部に共通決定的な観測予言に届いていない。\((E/M_{\rm Pl})^2=10^{-30}\) がすべてを説明する
正直な線

この表は順位表ではありません。「いちばん矛盾していない」を一つ選べ、と言われても 選べない ── 各仮説が答えようとしている問いが違うからです。弦理論は「重力を含む 無矛盾な量子論はあるか」、CDT は「経路積分は定義できるか」、LQG は「時空の量子状態とは何か」。 同じ土俵にいません。

できるのは、どの仮説が何を捨てたかを言葉ではなく数で書き出すこと、そして 計算どうしが食い違っている場所を指すことまでです。 対数補正の食い違いは、その数少ない「指せる場所」です。

練習問題
  1. 純粋重力(\(n_S=n_V=n_F=n_{3/2}=0\))で \(C_{\rm local}=212/45\) になることを確かめよ。
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    \(C_{\rm local}=\frac{1}{90}(2\cdot0-26(0-1)+7\cdot0-\frac{233}{2}\cdot0+398) =\frac{1}{90}(26+398)=\frac{424}{90}=\frac{212}{45}\)。 \(n_V=0\) のとき \(-26(n_V-1)=+26\) になるところが引っかけ。
  2. \(\ln a\) で書いた係数を \(\ln A\) に直すと何倍になるか。
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    \(A\sim a^{D-2}\)、4次元なら \(A\sim a^2\) なので \(\ln A=2\ln a\)、 したがって \(\ln A\) で書いた係数は 1/2 倍。 マクロ +1.711 → +0.856、LQG −2 → −1。符号は変わらない。
  3. 展開パラメータ \((E/M_{\rm Pl})^2\) が LHC で \(10^{-30}\) であることは、 「量子重力を実験で決められない」ことをどう説明するか。
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    摂動的な重力の補正は \((E/M_{\rm Pl})^2\) で入るので、LHC のエネルギーでは \(10^{-30}\) の効果。どんな精密測定でも届かない。だから 「低エネルギーでは EFT で十分」という予言は当たっているが、 そのぶん高エネルギーの仮説を実験で区別できない
  4. (やや難)対数補正の食い違いが「観測を待たずに決着する」と言えるのはなぜか。
    答えを見る
    両者とも同じ物理量(同じブラックホール、同じ集団でのエントロピーの 対数補正)を計算しているから。観測とは無関係に、片方が計算を間違えているか、 片方の理論が間違っている。物理学で「計算だけで決着する食い違い」は貴重で、 だからこの数字が判定に使える。

まとめ ── 順位はつかないが、指せる場所はある

量子重力の候補を「共形モードをどう始末したか」で並べると、それぞれの代償が 一本の軸に乗ります ── EFT は2ループで発散、Stelle はゴースト、漸近安全性は切り捨て依存、 CDT は選ばれた葉層、Hořava はローレンツ対称性、弦は \(D=10\) とランドスケープ、 LQG は古典極限。

実験は何も言ってくれません。\((E/M_{\rm Pl})^2\) は LHC で \(1.3\times10^{-30}\)、 最高エネルギーの宇宙線でも \(6.7\times10^{-17}\)。

それでも判定に使える数字がひとつあります ── ブラックホールエントロピーの対数補正。 自分で計算すると純粋重力で \(C_{\rm local}=212/45\)、同じシングレット集団で マクロ側 +77/45 ≈ +1.71 に対し LQG は −2符号が逆です。比べる前に集団と \(\ln a/\ln A\) を揃える必要があり、 そこで私は一度間違えました。

順位表は作れません。各仮説が答えようとしている問いが違うからです。 できるのは何を捨てたかを数で書くことと、 計算どうしが食い違っている場所を指すことまで。

この文書は「量子重力自由研究」シリーズ第4回です。表に挙げた各仮説の性質はいずれも文献で 知られたものです(Goroff & Sagnotti 1985 の2ループ発散、Stelle 重力のゴースト、 漸近安全性の relevant 方向の数と切り捨て依存性、Hořava–Lifshitz のスカラーモード問題、 Fermi GRB 090510 による \(E_{\rm QG,1}>7.6\,M_{\rm Pl}\)、GW170817 による重力波速度の制限、 弦理論における BPS ブラックホールの微視的計数)。 対数補正の式 \(C_{\rm local}=\frac{1}{90}(2n_S-26(n_V-1)+7n_F-\frac{233}{2}n_{3/2}+398)\) と 集団ごとの係数は Sen (arXiv:1205.0971) によるもので、本文の数値は筆者が独立に再計算し、 純粋重力で \(424/90=212/45\) となることを確認しています。LQG 側の \(-3\to-2\) の換算も Kaul–Majumdar (2000) の \(-\frac32\ln S_{\rm BH}\) から筆者が追いました。 本文中の「集団を揃えていなかった」という訂正は、実際に筆者が犯した誤りです。 ── 印刷する場合はブラウザの「印刷」から「PDF に保存」を。

印刷 / PDF 化:⌘+P(Windows は Ctrl+P)。画面では規約のボタンを切り替えても、2本の棒が逆向きのままなのが見えます。