物理を簡単にする 第 16 回 / 最終回
パラメータは増え続けている。それでも比では勝っている
現在地と、
三本の道
残った非圧縮性の半分以上は、フェルミオンの質量と混合。
数字で生き残っている候補は、一つだけでした。
最終回です。目標に対する現在地を測ります ── この 50 年、パラメータの数は増え続けています。それでも比を見ると勝っている。残った非圧縮性のうち、数字で生き残っている候補は一つだけでした。そして 15 回でやってきたことを、一本の道筋にまとめます。
01圧縮の実績 ── 目標は何度も達成されている
| いつ | 何を | 何に | 圧縮 |
|---|---|---|---|
| 1687 ニュートン | 地上の落下 + 天体の運行 | 1 つの法則 | 2 → 1 |
| 1865 マクスウェル | 電気 + 磁気 + 光 | 4 つの式 | 3 → 1 |
| 1877 ボルツマン | 熱力学の諸法則 | 力学 + 数え上げ | 4 → 1 |
| 1926 量子力学 | 92 元素の性質の表 | 1 つの方程式 + \(Z\) | 100 → 1 |
| 1967 電弱 | 電磁気 + 弱い力 | 1 つのゲージ群 | 2 → 1 |
| 1973 QCD | ハドロン百数十個 | 3 つのクォーク + 色 | 140 → 1 |
どれも「別々に見えたものが同じだった」型です。新しい仕組みを足したのではなく、既にあるものが一つだと気づいた。目標は歴史的に何度も達成されていて、方法もはっきりしています。
02ところが、この 50 年は逆を向いている
| 年 | 独立な数 | できごと |
|---|---|---|
| 1900 | 300 | 元素・スペクトルの表をそのまま持つ |
| 1930 | 30 | 量子力学で化学が畳まれる |
| 1973 | 19 | 標準模型が完成。ここが底 |
| 1998 | 26 | ニュートリノ質量と混合で \(+7\) |
| 2003 | 28 | 暗黒エネルギーで \(+1\)、ほか |
| 2026 | 30 | まだ増えている |
1973 年を底に、パラメータの数は増え続けています。 「単純にする」は、この 50 年ずっと負けている ── 少なくとも、この数え方では。
03ただし、比を見ると勝っている
| 時代 | 説明したデータ | 理論の値段 | 圧縮率 |
|---|---|---|---|
| 1900 の化学 | 3000 ビット | 3000 ビット | 1.0 |
| 1930 の量子化学 | 3000 | 161 | 18.6 |
| 2026 の素粒子 | 30000 | 161 | 186 |
1900 年の化学は圧縮率 1:1 ── 表を書き写しただけで、理論ではありませんでした。
いまは 186:1。パラメータは増えましたが、説明した量はそれ以上に増えています。
→ 「単純にする」の正しい指標は、数ではなく比。
04残った非圧縮性は、どこに集中しているか
| 場所 | 個数 | 現状 |
|---|---|---|
| フェルミオンの質量 | 12 | 全部フィット。確立した関係はゼロ |
| 混合角と位相 | 8 | 全部フィット。パターンはあるが説明なし |
| ゲージ結合 | 3 | 走る。大統一で 1 個になる可能性 |
| ヒッグス | 2 | フィット |
| \(\theta_{\rm QCD}\) | 1 | なぜ 0 なのか不明 |
| 宇宙論 | 6 | 初期条件。説明の対象かも不明 |
半分以上が質量と混合です。 ここが圧縮できれば、目標の大半が片づきます。
05候補を、第13回の物差しで採点する
「質量や角度の間に、隠れた関係があるのではないか」── 有名な候補を四つ、採点します。買いは \(\log_2\)(事前範囲 ÷ 一致幅)、払いは探索空間 \(\log_2 M\)。
| 候補 | 買い | 払い | 差引 | 中身 |
|---|---|---|---|---|
| 小出の関係(荷電レプトン) | 16.7 | 10.0 | \(+6.8\) | \((\sum m)/(\sum\sqrt{m})^2 = 2/3\)、ずれ \(9.2\times10^{-6}\) |
| \(b\)–\(\tau\) 統一 | 3.9 | 4.9 | \(-1.0\) | 大統一で \(m_b/m_\tau \to 1\)、10 % 以内 |
| 量子レプトン相補性 | 4.9 | 6.6 | \(-1.7\) | \(\theta_C+\theta_{12} = 46.5^\circ\)(\(45^\circ\) から \(1.5^\circ\)) |
| \(\theta_{13} \approx \theta_C/\sqrt2\) | 6.1 | 8.2 | \(-2.1\) | 予言 \(9.22^\circ\)、実測 \(8.57^\circ\) |
採点の結果
生き残るのは、小出の関係だけでした。 探索空間を引いても黒字になります。
この表を作ったとき、筆者は小出の関係を「5〜6 桁合っている」と書きました。これは上振れです ―― \(\tau\) 質量の誤差(\(\pm 0.12\) MeV)を入れると、\(K\) は \(\pm 1.0\times10^{-5}\) 動きます。実際のずれ \(9.2\times10^{-6}\) はそれより小さいので、言えるのは「0.91 \(\sigma\) で無矛盾」まででした。探索空間も推測ではなく列挙して数え直してあります ―― 番外編:小出の関係を、推測なしで採点する。結論は変わらず(\(+8.1\) ビット)ですが、内訳が入れ替わりました。
角度の関係は、全部が探索の値段で消えます。「それっぽく見える」のは、候補が多すぎるからです(第13回)。
→ 圧縮を探すなら、まず荷電レプトンの質量。 ここだけが数字で残っています。
06三本の道
第1回で「三つの軸」を作りました。目標に対して、それぞれが道になります。
| 道 | やること | 手がかり | 見込み |
|---|---|---|---|
| A 記述長を下げる | 荷電レプトン質量の関係を説明する | 小出の関係だけが残っている | 難しい。50 年誰もできていない |
| B 計算量を下げる | 強結合領域の新しい記法を探す | ブートストラップ、大 \(N\)、AdS/CFT | 専門家が大勢いる |
| C 前提概念を下げる | 既知の物理を、少ない前提で組み直す | 三つの通貨、三つのふるい、厳密性のフィルタ | 空いている。一人でできる |
A は運が要ります。B は設備と人数が要ります。C は要りません。
そして C の成果は、A と B の両方を助けます ── 前提が少ないほど、探しやすくなるから。
0715 回でやったのは、C の道だった
このシリーズ自体が、第三の軸の実例になっています。
| 回 | 置き換えた前提概念 | 新しい前提 |
|---|---|---|
| 第1〜4回 | 「簡単」をめぐる議論 | 三つの通貨(記述長・計算量・前提概念) |
| 第7回 | 「意味不明な定数」をめぐる議論 | 三つのふるい(純粋な数か・\(O(1)\) 倍か・無次元か) |
| 第8〜9回 | 「近似 対 厳密」の議論 | 三分類 +「答えが整数かゼロか」 |
| 第10回 | 「なぜ解けないのか」の議論 | コールマン–マンデュラの四つの仮定 |
| 第12〜15回 | 「整数比は見つかるか」の議論 | 「閉じた道を数えているか」の一言 |
新しい物理は一つも使っていません。順序と記法だけです。
0815 回を、一枚に
| 部 | 回 | 結論 |
|---|---|---|
| 第 I 部 | 1〜4 | 「簡単」は三つあり、独立。計算がいちばん安い通貨 |
| 第 II 部 | 5〜7 | 強い力は四層に切れる。持ち込んだ定数 12 個は全部落ちる |
| 第 III 部 | 8〜11 | 厳密値は整数と \(\pi\) しかない。解けないのは定理の帰結 |
| 第 IV 部 | 12〜15 | 整数は「閉じた道を数える」ところにだけある |
一文にすると
物理を簡単にする道は三本あって、そのうち二本は塞がっている。
残る一本 ── 前提概念を減らすこと ── は、新しい物理も設備も要らず、まだ誰も最適化していません。
そして厳密が欲しいなら、問いを「いくつあるか」に書き換えること。 閉じた道を数えているところにだけ、整数と厳密があります。
02節のパラメータ数の推移は数え方に幅があります(マヨラナ位相、宇宙論の従属パラメータ)。ただし「1973 年が底で、その後増えた」という向きは変わりません。
03節の圧縮率は「PDG の約 3000 項目」という粗い見積もりで、桁の話としてだけ読んでください。
05節の払い \(\log_2 M\) は筆者の見積もりです。小出の 1000 通りを 10 万通りにすれば黒字は消えます ── この一点で結論がひっくり返ることを明記しておきます。
そして 07節は自画自賛の危険があります。本シリーズの道具が実際に前提を減らしたかは、読者にしか判定できません。筆者が測ると必ず良く出ます。
04節の 12 個 ── フェルミオンの質量 ── が、残った最大の的です。そこに関係が「在る」か「無い」かは、まだ誰も知りません。 探すときは第13回の採点を先にかけてください。それが、このシリーズから持ち帰れるいちばん実用的な道具です。
この文書は「物理を簡単にする」シリーズ第16回(最終回)です。01節の統一の歴史、04節のパラメータの内訳、05節の四つの候補(小出の関係、\(b\)–\(\tau\) 統一、量子レプトン相補性、\(\theta_{13}\approx\theta_C/\sqrt2\))はいずれもよく知られた事実です。「三つの軸」「三本の道」「探索空間を引いてから採点する」という枠組みは本シリーズのもので、教科書の主張ではありません(kensho/calc07.py)。02節の数え方には幅があり、03節は粗い見積もりです。05節の \(\log_2 M\) は筆者の見積もりで、この一点で結論が変わります。07節は自己評価であり、読者の判断に委ねます。本シリーズは既存の物理に新しい主張を加えるものではありません ── 扱った物理はすべて確立した標準的な内容で、新しいのは測り方だけです。