物理を簡単にする 番外編 ① / 第16回の訂正と、採点のやり直し
推測で決めていた二つの数を、計算に置き換える
小出の関係を、
推測なしで採点する
「5〜6 桁合っている」は言い過ぎでした ── \(\tau\) 質量の誤差を入れると 0.91 \(\sigma\)。
そして探索空間は、推測より小さかった。
第16回で「生き残るのは小出の関係だけ」と書きました。ただしその採点には、筆者が推測で決めた数が二つ入っています ── 探索空間 \(M\) と、事前分布の形。推測を全部、計算に置き換えます。 そして途中で、こちらの書き方の誤りが一つ見つかりました。
01値そのもの
$$K = \frac{m_e+m_\mu+m_\tau}{\left(\sqrt{m_e}+\sqrt{m_\mu}+\sqrt{m_\tau}\right)^2} = \frac{2}{3}\;?$$
\(K = \mathbf{0.6666605115}\)
\(2/3 = 0.6666666667\)
ずれ(相対)\(= \mathbf{9.23\times10^{-6}}\)
02まず、こちらの誤り ── 「5〜6 桁」は言い過ぎだった
\(m_e\) と \(m_\mu\) は極めて精密に測られていますが、\(m_\tau = 1776.86 \pm 0.12\) MeV には相対 \(6.8\times10^{-5}\) の誤差があります。これを振ってみます。
| \(K\) | 2/3 からの相対 | |
|---|---|---|
| \(m_\tau - \sigma\) | 0.6666537364 | \(1.94\times10^{-5}\) |
| \(m_\tau\)(中心値) | 0.6666605115 | \(9.23\times10^{-6}\) |
| \(m_\tau + \sigma\) | 0.6666672861 | \(9.29\times10^{-7}\) |
訂正
\(K\) の \(1\sigma\) 幅は \(1.02\times10^{-5}\)。実際のずれ \(9.23\times10^{-6}\) は、それより小さい。
つまりずれは 0.91 \(\sigma\) ── 「5〜6 桁合っている」とは言えません。
言えるのは 「\(\tau\) 質量の誤差の範囲内で \(2/3\) と無矛盾」 まで。
第16回の「5〜6 桁合っていて」という書き方は、誤差を無視していました。訂正します。買いのビット数も、ずれではなく誤差で頭打ちになります ── \(16.7\) ではなく \(16.6\)(この差は小さいですが、意味が違います)。
\(\tau\) 質量が 10 倍精密になれば、この判定は作り直せます。 いまは「無矛盾」としか言えませんが、精度が上がれば 本当に \(2/3\) なのか、たまたま近いだけなのか が決まる。
第9回の言葉でいえば ── これは「制御された」判定です。次の一手がある。
03事前分布を、推測ではなく作る
採点の「買い」は、\(K\) がたまたま \(2/3\) に近づく確率で決まります。第16回では「\(K\) は \([1/3, 1]\) に一様」と仮定しました。コーシー・シュワルツから値域はその通りですが、一様かどうかは確かめていませんでした。
そこで、質量三つ組をランダムに引いて \(K\) の分布を実際に作ります(対数一様、各 40 万回)。
| 比の振れ幅 | 2/3 近傍の密度 | 一様(1.500)との比 |
|---|---|---|
| \(\pm 0.0\) 桁 | 1.362 | 0.91 倍 |
| \(\pm 0.5\) 桁 | 1.344 | 0.90 倍 |
| \(\pm 1.0\) 桁 | 1.401 | 0.93 倍 |
分位点は 5 % で 0.494、中央値 0.757、95 % で 0.953。分布は高い側(\(K\to 1\))に寄っています。
「階層があると \(K\) は自然に \(2/3\) 付近に来るのでは」と疑いましたが、逆でした ── \(2/3\) 近傍の密度は一様より 0.93 倍、つまりむしろ出にくい。
→ 一様を仮定した買いは、0.10 ビットだけ控えめだった。過大評価ではありませんでした。
04他の三つ組では、\(2/3\) にならない
| 三つ組 | \(K\) | 2/3 からのずれ |
|---|---|---|
| 荷電レプトン | 0.666661 | 0.0 % |
| アップ型クォーク | 0.849006 | 27.4 % |
| ダウン型クォーク | 0.731428 | 9.7 % |
クォークは 10〜30 % ずれます。\(K\) が自動的に \(2/3\) になるわけではありません ── 03節で見た「集まりやすさ」は 10 % 程度の話で、\(10^{-5}\) を説明するものではない。
05探索空間を、推測ではなく列挙する
ここが本題です。第16回では \(M = 1000\)(\(\log_2 M = 10.0\))と推測しました。実際に列挙します。
小出の式は \((\sum m^p)/(\sum m^q)^{p/q}\) の \(p=1, q=1/2\) の場合です。同じ形で \(p, q\) を小さい有理数の格子に振り、単純な有理数に当たるものを全部数えます。
試した \((p,q)\):57 通り → 族の値段 \(\log_2 57 = \mathbf{5.83}\) ビット
分母 12 以下の有理数に \(10^{-4}\) 以内で当たったもの:10 個
10 個も当たります。 つまり「単純な有理数に当たった」だけでは、まったく驚けない。ここで、第16回では入れていなかった値段を入れます。
\(2/3\) を当てるのと \(513/8\) を当てるのは、同じではありません。
有理数 \(a/b\) を指定する値段 \(\approx \log_2(a\cdot b)\) ビット。
\(2/3\) なら \(\log_2 6 = \mathbf{2.58}\)、\(513/8\) なら \(\log_2 4104 = \mathbf{12.0}\) ── 桁違い。
| \((p, q)\) | \(\approx\) | ずれ | 有理数の値段 | 族を引いた後 |
|---|---|---|---|---|
| \(p=1,\ q=1/2\) | 2/3 | \(9.2\times10^{-6}\) | 2.6 | \(+8.3\) |
| \(p=-1/2,\ q=2\) | 513/8 | \(7.0\times10^{-6}\) | 12.0 | \(-0.7\) |
| \(p=-1/2,\ q=1/3\) | 563/5 | \(1.0\times10^{-5}\) | 11.5 | \(-0.7\) |
| \(p=-1/2,\ q=1/2\) | 727/9 | \(1.1\times10^{-5}\) | 12.7 | \(-2.1\) |
| \(p=1/3,\ q=-1\) | 221/10 | \(3.8\times10^{-5}\) | 11.1 | \(-2.3\) |
| (ほか 5 個) | … | … | 12〜15 | \(-3.0\) 〜 \(-5.3\) |
ここが今回いちばん面白いところ
\(513/8\) は、精度では小出より良い(\(7.0\times10^{-6}\) 対 \(9.2\times10^{-6}\)、0.4 ビット分)。
それでも負けます ── 有理数として 9.4 ビット高いから。
族の値段 5.83 を引くと、10 個のうち黒字は 1 個だけ。\(2/3\) です。
これが、第16回で「探索空間を引いても黒字」と書いたことの実際の中身でした。しかも \(M\) の推測(\(\log_2 M = 10.0\))は、実際の族(5.83)より大きすぎた ── 筆者は自分に厳しく見積もりすぎていたことになります。
06採点を組み直す
買い(誤差で頭打ち) : \(\mathbf{+16.6}\) ビット
引き算① 狙う有理数 \(2/3\) の値段 : \(\mathbf{-2.58}\) ビット
引き算② 式の族 57 通り : \(\mathbf{-5.83}\) ビット
補正③ 帰無分布が一様でない : \(\mathbf{-0.10}\) ビット
────────────────
差引 \(+8.1\) ビット
第16回の \(+6.8\) に対して、\(+8.1\)。結論は変わりません。
ただし内訳が入れ替わりました ── 買いは下がり(誤差で頭打ち)、払いも下がった(族が推測より小さかった)。
そして新しく 「狙う有理数の値段」という項目が入りました。
07持ち帰るもの
この番外編で出てきた道具は、小出の関係に限らず使えます。
| 道具 | 中身 | 効いた場面 |
|---|---|---|
| 誤差で頭打ちにする | 「何桁合った」は実験誤差より細かくは主張できない | 「5〜6 桁」→「0.91 \(\sigma\)」 |
| 帰無分布を作る | 事前分布を仮定せず、乱数で分布を作る | 一様仮定は 0.10 ビット控えめだった |
| 族を列挙する | \(M\) を推測せず、数える | 推測 10.0 → 実際 5.83 |
| 狙う値の単純さも払う | \(2/3\) と \(513/8\) は同じではない | 9.4 ビットの差で順位が逆転 |
とくに最後の一つは、第13回の \(6\pi^5\) にもそのまま効きます ── 「それっぽい式」を採点するときは、当てた値そのものの単純さも勘定に入れること。
05節の族は \(9\times 8\) の格子で、「同じくらい自然な式」の定義は筆者のものです。族を広げれば払いが増え、黒字は縮みます。この一点は依然として解決していません。
ただし ── 有理数の単純さの値段は族に依りません。族をいくら広げても、\(513/8\) 型の競合が \(2/3\) を追い抜くことはない。
「有理数の値段 \(\log_2(a\cdot b)\)」は一つの選び方です(Stern–Brocot 木の深さでも近い値になります)。\(2/3\) と \(513/8\) の差が 9 ビットあることは、定義を変えても動きません。
03節の帰無分布は「対数一様」という一つの引き方で、別の引き方で \(\pm 0.5\) ビット動きます。
04節のクォークは PDG の \(\overline{\rm MS}\) 値です ── 本来は極質量で揃えるべきで、揃えると値は動きます(ただし \(2/3\) に寄る向きではありません)。
そして最大の留保 ── \(+8.1\) ビットは「関係が在る」の証明ではありません。機構の説明は依然としてゼロで、なぜ \(2/3\) なのかを言える人はいません。
\(\tau\) 質量の精度が、この問いの首を握っています。 いまの \(\pm 0.12\) MeV が \(\pm 0.012\) MeV になれば、\(K\) の \(1\sigma\) 幅は \(10^{-6}\) になり ── 小出の関係は、本当に \(2/3\) なのかどうかが決まります。
第9回の分類でいえば、これは制御された問いです。次の一手があり、その一手は実験で打てます。
この文書は「物理を簡単にする」シリーズ番外編①です。本編第16回の記述(「5〜6 桁合っている」)の訂正を含みます。小出の関係(1981)と \(K\in[1/3,1]\) はよく知られた事実で、\(\tau\) 質量とその誤差は PDG の値です。帰無分布のシミュレーション、式の族の列挙、「狙う有理数の単純さ」を値段に入れる採点は、本シリーズの計算と整理です(kensho/calc08.py)。05節の族の定義は筆者のもので、族を広げれば黒字は縮みます ── この一点は未解決です。\(+8.1\) ビットは「関係が実在する」ことの証明ではありません。機構の説明は依然としてゼロで、なぜ \(2/3\) なのかを説明できる理論はありません。