物理を簡単にする 第 9 回 / 第 III 部 厳密とは何か
生の実数の厳密値は、一件もない
厳密値を全部集めたら、
整数と \(\pi\) しかなかった
そして第6回で喜んだ「パラメータ不要の関係 5 本」は、
5 本とも厳密ではありませんでした。
前回、「そもそも厳密になりうる問いを先に見分けたい」と書きました。見分けるには、実例を全部集めるのが早い。物理で厳密に成り立っているものを並べてみたら ── 例外なく、整数・小さい有理数・\(\pi\) の有理数倍でした。生の実数の厳密値は、一件もありません。
01強い力で、厳密に成り立つもの
| 結果 | 値 | 起源 | 値の型 |
|---|---|---|---|
| アノマリー相殺 | \(N_c/3 - 1 = \mathbf{0}\) | 無矛盾性 | 整数 |
| 色の数 | \(N_c = \mathbf{3}\) | 同上 | 整数 |
| 電荷の量子化 | すべて \(e/3\) の整数倍 | 同上 | 整数 |
| 指数定理 | \(n_+ - n_- = \) 位相電荷 \(Q\) | 位相幾何 | 整数 |
| バリオン数の保存 | 整数 | 位相 | 整数 |
| アドラー和則 | \(\int(F_2^{\nu n}-F_2^{\nu p})\,dx/x = \mathbf{2}\) | カレント代数 | 整数 |
| ゴールドストンの定理 | \(m_q=0\) なら \(m_\pi = \mathbf{0}\) | 対称性 | ゼロ |
| Adler–Bardeen 定理 | アノマリーは 1 ループで完全 | 位相 | 有理数 |
全部、値が整数かゼロです。 一つも「生の実数」がありません。
02物理全体でも、同じか
強い力に限らず、思いつく限りの厳密値を集めました。
| 量 | 式 | 厳密値 | 起源 |
|---|---|---|---|
| 電子 \(g-2\) の 1 ループ | \(\alpha/2\pi\) | 係数 \(\mathbf{1/2}\) | 自由場+1 ループ |
| ベッケンシュタイン–ホーキング | \(S = A/4\) | \(\mathbf{1/4}\) | 自由場 |
| ホーキング温度 | \(T = 1/(8\pi M)\) | \(\mathbf{1/8\pi}\) | 自由場 |
| ウンルー温度 | \(T = a/2\pi\) | \(\mathbf{1/2\pi}\) | 自由場 |
| カシミール(1 次元) | \(E = -\pi/24L\) | \(\mathbf{-\pi/24}\) | 自由場の零点 |
| リュッシャー項 | \(V \supset -\pi/12r\) | \(\mathbf{-\pi/12}\) | 弦の零点振動 |
| シュテファン–ボルツマン | \(\propto \pi^2/60\) | \(\mathbf{\pi^2/60}\) | 自由場の積分 |
| 2 次元イジング \(\nu\) | \(\mathbf{1}\) | 可解模型 | |
| 2 次元イジング \(\beta\) | \(\mathbf{1/8}\) | 可解模型 | |
| 2 次元イジング \(\eta\) | \(\mathbf{1/4}\) | 可解模型 |
例外なく、整数・小さい有理数・\(\pi\) の有理数倍。
「生の実数」の厳密値は、一件もありませんでした。
この言い方には反例がありました ―― 黒体輻射の光子数密度には \(\zeta(3)\)、2 次元イジングの臨界自由エネルギーにはカタラン定数が出ます。どちらも厳密値で、しかも \(\pi\) の有理数倍ではありません。正しい言い方は 「厳密値は必ず閉じた形を持つ」 でした ―― 番外編②:厳密値に、\(\pi\) 以外の定数が出る。ただし境目(相互作用を実際に解いたかどうか)は動いていません。
03逆側 ── 閉じた形が無いことが分かっている量
| 量 | 値 | 閉じた形 | なぜ |
|---|---|---|---|
| 3 次元イジング \(\nu\) | 0.6299709 | 知られていない | 相互作用する 3 次元 |
| 3 次元イジング \(\eta\) | 0.0362978 | 同上 | 同上 |
| \(m_p/\sqrt{\sigma}\) | 2.13… | 同上 | 相互作用する 4 次元 |
| グルーボール \(0^{++}/\sqrt{\sigma}\) | 3.405… | 同上 | 同上 |
| \(m_p/m_\rho\) | 1.211… | 同上 | 同上 |
境目がはっきりしています。相互作用する 3 次元以上の理論を実際に解いた答えは、一つも閉じた形を持っていません。(この「一つも」には例外があります ── 次回で扱います。)
04フィルタが作れる
①〜③を並べると、計算を始める前にかけられるふるいができます。
| 問いの型 | 理由 | 見込み | 例 |
|---|---|---|---|
| 答えが整数か | 数え上げ/位相 | 厳密が取れる | \(N_c=3\)、指数定理、和則 |
| 答えがゼロか | 対称性が禁じている | 厳密が取れる | アノマリー相殺、\(m_\pi\) |
| 自由場の積分か | ガウス積分は解ける | 厳密が取れる | \(\pi/12\)、\(A/4\)、\(\pi^2/60\) |
| 2 次元か | 可解模型がある | 厳密が取れる | イジング \(\nu=1\) |
| 上のどれでもない | 相互作用を実際に解く | 前例ゼロ | \(m_p/\sqrt{\sigma}\)、3D \(\nu\) |
05そのフィルタを、第6回の 5 本にかける
第6回で「パラメータ不要の関係が 5 本」と喜びました。厳密でしょうか。
| 関係 | ずれ | なぜ厳密でないか |
|---|---|---|
| Gell-Mann–Okubo | 0.57 % | SU(3) 破れの1 次まで |
| Coleman–Glashow | 0.78 % | 電磁破れの1 次まで |
| \(\mu_n/\mu_p = -2/3\) | 2.75 % | SU(6)、破れが大きい |
| \((\Sigma^*-\Sigma)/(\Delta-N)\) | 3.56 % | 模型の中の関係 |
| 十重項の等間隔 | 9.19 % | 1 次まで |
5 本とも、厳密ではありませんでした。 どれも「対称性の破れの 1 次」で止まっています。
一方、同じ話の中で厳密だったもの ── \(N_c=3\)、アノマリー相殺、電荷の量子化、指数定理、アドラー和則。
違いは一つ。厳密な方は、答えが整数かゼロです。
0.57 % ずれる関係は、もともと厳密になりようがなかった。\(1128.61\) と \(1135.05\) という二つの生の実数を比べているのだから、ぴたりと合う理由が最初から無い。
06だから、目標はこう書き換わる
× 「物理を厳密に一致する単純な法則にする」
○ 「答えが整数かゼロになる形に、問いを書き換える」
| 問い | 答え | 厳密性 |
|---|---|---|
| 「陽子の質量は?」 | 生の実数。閉じた形なし | 厳密は無理 |
| 「色は何色か?」 | 3 | 厳密 |
| 「\(\Lambda\) の値は?」 | 次元を持つ = 単位 | 問いが無意味 |
| 「1 世代の電荷の和は?」 | 0 | 厳密 |
| 「\(\nu\) は?」 | 0.6299709… | 厳密は無理 |
| 「2 次元の \(\nu\) は?」 | 1 | 厳密 |
この回の結論
同じ物理でも、問いの立て方で厳密性が変わります。
「量はいくつか」は近似にしかなりません。
「いくつあるか」「ゼロか」「何倍か」は、厳密になりうる。
02〜03節の分類は現時点で知られている限りの話です。3 次元イジングの \(\nu\) に閉じた形が無いことは証明されていません ── ブートストラップが将来、閉じた形を出す可能性は残っています。
04節のフィルタは経験則であって定理ではありません。そして次回、このフィルタには反例があることを示します。
05節で「厳密でない」と判定した 5 本は、役に立たないという意味ではありません。0.57 % で合うことは、それ自体が測定であり、検定に使えます。
04節のフィルタには、実は反例があります ── 4 次元の相互作用する理論で、厳密に解けたものが六つ。ところがそれを並べると、全部が一つの定理の裏返しでした。そして QCD が厳密に解けないのは、能力不足ではなく定理の帰結だと分かります。
この文書は「物理を簡単にする」シリーズ第9回です。表に挙げた厳密値(アノマリー相殺、指数定理、アドラー和則、\(A/4\)、\(\pi/12\)、2 次元イジングの臨界指数など)はいずれも確立した標準的な内容です。それらを「値の型」で分類し、フィルタとして使えると整理したのが本シリーズの部分です(kensho/calc04.py)。「生の実数の厳密値は一件もない」は網羅的な調査の結果ではなく、集めた範囲での観察です。3 次元イジングの \(\nu\) に閉じた形が無いことは証明されていません。04節のフィルタには反例があり、次回で扱います。