「速く動くと重くなる」も「質量は保存する」も、実は正確ではない
第1回で、質量とは「運動量を抜いても残る、消せないエネルギーの床」でした。この "床" には大事な性質があります ── 誰から見ても同じ(不変)だということ。ところが世の中には、この性質と食い違う二つの誤解が根強く残っています ──「速く動くと重くなる」と「質量は保存する」。今回はこの二つを、E=mc² と第1回の式に戻って正します。行き着く先は少し意外です ── 静止質量の足し算は保存しないし、質量ゼロの粒子だけで、質量のある系が作れる。
昔の教科書には「相対論的質量 \(m_{\rm rel}=\gamma m\)(速いほど大きい)」という言い方がありました。でも今は使いません。第1回の式に戻れば理由は明快です。
速く動くと \(E\) も \(p\) も増える。でも \(m\)(=床・切片)はびくとも動かない。増えるのはエネルギーであって、質量ではない。
「相対論的質量」という言い方をやめたのは、\(m\) が速度や向きで変わるように錯覚させ、\(E=mc^2\) の \(m\) と混乱を生むから。質量とは、その物がもつ "フレームによらない性質" ── 速くしても、向きを変えても、変わりません。
ここが芯です。質量 \(m\) はローレンツ不変量。止まって見ても、猛スピードで飛びながら見ても、同じ値。第1回の "床" が、フレームを変えても高さを変えないのがこれです。
対照的に、エネルギー \(E\) はフレーム依存です ── 止まっていれば \(mc^2\)、動いて見れば \(\gamma mc^2\)。同じ物でも見る人で変わる \(E\) と、誰が見ても同じ \(m\)。この違いを混ぜたのが「動くと重くなる」の誤解でした。だから今は「静止質量」より「不変質量」と呼ぶのが正確です。
化学で習う "質量保存則" は、実は近似です。反応で静止質量の合計は保存しません。いちばん鮮烈な例が、電子と陽電子の対消滅。
電子+陽電子 → 光子2個
$$\underbrace{0.511+0.511}_{\text{静止質量あり}}\ \text{MeV}\ \longrightarrow\ \underbrace{2\ \text{個の光子}}_{\text{静止質量ゼロ}}\ (\text{合計エネルギー }1.022\ \text{MeV})$$反応前は静止質量 \(1.022\) MeV ぶん。反応後は静止質量ゼロの光子だけ。静止質量の和は \(1.022\to0\) と消えた ── でもエネルギーは \(1.022\) MeV のまま、光として保存されている。核融合(太陽)や核分裂(原子炉)の "質量欠損" も、同じ話です。
保存する:全エネルギーと全運動量(4元運動量)。
保存しない:静止質量の "足し算"(\(\sum m_i\))。
ここが今回いちばん面白いところ。複数の粒子からなる系の質量(系の不変質量 \(M\))は、部品の静止質量の和ではありません。全エネルギーと全運動量から決まります。
すると驚くことが起きます ── 静止質量ゼロの光子2個でも、系としては質量 \(M\neq0\) を持てる。反対向きに飛ぶ2個の光子は運動量が打ち消し合い(\(\sum\vec p=0\))、でも全エネルギーは残る(\(\sum E\neq0\))から、\(M\neq0\)。下の図で、開き角を変えて確かめてください。
これは第3回の "陽子の99%はグルーオン場のエネルギー" の、いちばん純粋な姿です。質量は "部品の性質" ではなく、"系のエネルギーと運動量の組み合わせ"。第1回の床 \((mc^2)^2=E^2-(pc)^2\) が、1粒子だけでなく系全体でもそのまま成り立っている ── それが「不変質量」の本当の意味です。
「質量は保存しない」が指すのは、あくまで個々の静止質量の "和" \(\sum m_i\) が保存しない、ということ。閉じた孤立系の全エネルギー・全運動量(=系の不変質量 \(M\))は、ちゃんと保存します。日常の「質量保存則」は、エネルギーのごく一部しか質量差に現れない低エネルギー近似として、実用上は十分よく成り立っているだけです。
また、相対論的質量 \(\gamma m\) は "間違い" というより古い記法で、現代の標準は不変質量のみを「質量」と呼びます。今回は合言葉 \(c\cdot t=\text{一定}\) とは無関係の、標準的な特殊相対論の話です。
質量 \(m\) はローレンツ不変(誰から見ても同じ)── だから「速く動くと重くなる」は誤解で、増えるのはエネルギーと運動量。一方、反応では静止質量の "和" は保存せず(対消滅・質量欠損)、保存するのは全エネルギーと全運動量。そして系の質量は部品の和ではなく \((Mc^2)^2=(\sum E)^2-(\sum \vec p c)^2\) ── 質量ゼロの光子2個でも、質量のある系が作れる。
第1回の床 \((mc^2)^2=E^2-(pc)^2\) は、1粒子でも系全体でも成り立つ "不変な長さ"。それが「不変質量」の正体で、第3回の陽子99%と同じ話でした。動かしても不変、でも反応で系が変われば別の質量になる ── 混同しやすい二つを、これで切り分けられます。
印刷 / PDF 化:Ctrl+P(Mac は ⌘+P)。画面ではスライダーで開き角を変えると、質量ゼロの光子2個から系の質量が生まれます。「答えを見る」で解答が開きます。