わかる質量第 6 回 / 再び c・t のレンズが、正当に効く

質量に「下の壁」はあるか ── 前回とは逆方向、宇宙の大きさから迫る

最小の質量・IR編:
宇宙の大きさが決める床 前回は素粒子の内部(UV)がニュートリノの軽さを決めた。今回は逆 ── 宇宙の大きさ(IR)。
質量の下の壁は "測れない" より深く、凍る/振動する の物理的な境目だった。ここで \(R_h=ct\) が正当に効く。

必要な道具:第1回の床、割り算、わかる宇宙論の \(R_h=ct\)・サンプリング フック式:\(m_{\min}\sim \hbar/(c^2 t)\)

第5回では、素粒子の内部構造(UV)がニュートリノの桁外れの軽さを決めました。今回はまったく逆の方向 ── 宇宙の大きさ(IR)から、質量に迫ります。問いはシンプル:質量に「下の壁」はあるのか。 答えはイエス。しかもその壁は "測れない限界" であると同時に、場が凍るか振動するかという物理的な境目でもある。ここで、姉妹シリーズの \(R_h=ct\) が、今度は式の中に正当に入ってきます。

01質量に、下の壁はあるか ── 3つの入口が同じ場所へ

質量の下限を、独立な3つの見方で見積もると、全部が同じ場所に着地します。

宇宙のIRフロア(ここで R_h=ct が入る)
$$m_{\min}\sim\frac{\hbar}{c\,R_H}=\frac{\hbar}{c\,(c\,t)}=\frac{\hbar H_0}{c^2}\approx 1.4\times10^{-33}\ \text{eV}$$

第4回では \(c\cdot t\) は「効く土俵(スケール不変)」として背景にいました。今回はそれが式の中に \(R_H=c\,t\) として正当に登場します ── 宇宙の大きさ \(R_H\) は、光が宇宙年齢 \(t\) の間に進む距離、まさに \(c\cdot t\) だからです。

02隠し玉 ── これは「測れない」より深い。凍るのだ

膨張宇宙の中で、質量 \(m\) の場は摩擦つきの振り子のように振る舞います。

膨張宇宙での場の運動方程式
$$\ddot\phi + \underbrace{3H\dot\phi}_{\text{ハッブル摩擦}} + \Big(\frac{mc^2}{\hbar}\Big)^2\phi = 0$$

真ん中の \(3H\dot\phi\) がハッブル摩擦(宇宙膨張による粘性)。ここで振る舞いが二つに割れます。

凍る/振動するの境目

\(mc^2/\hbar > H\)(重い)→ 振動する。ふつうの質量粒子。
\(mc^2/\hbar < H\)(軽い)→ 過減衰。凍りついて動けない。ダークエネルギー的。
境目:\(m=\hbar H/c^2\) ── まさにIRフロア。

つまりこの壁は「測定の限界」だけでなく、物理的な相転移の線。これより軽い場は、宇宙が膨張で変化してしまう前に一度も振動を完了できず、ハッブル摩擦に押さえつけられて凍る。第1回の「一回も振動できない」が、粘性項つきの運動方程式で厳密に裏づくのです。

図:膨張宇宙での場の時間発展。スライダーで質量 \(m\)(IRフロア \(\hbar H/c^2\) を1とした比)を変える。フロアより重ければ振動、軽ければハッブル摩擦で凍りつく
m を動かすと、凍る/振動するが切り替わります。
振動する(重い=物質的) 凍る(軽い=ダークエネルギー的)

これは思弁ではなく、現役の道具です ── インフレーション中の「軽い場は凍って揺らぐ」、アクシオン(\(H\) が \(m\) を下回った瞬間に振動を開始してダークマターになる)、クインテッセンス(\(m

03R_h=ct の、二枚の意味

\(R_H=c\,t\) を入れると、フロアは \(m_{\min}\sim\hbar/(c^2 t)\)。この式には、意味が二枚あります。

(a) 測定窓(サンプリングの低周波端) 観測できる最長時間 \(t\) が、測れる最低振動数=最小質量を決める。わかる宇宙論・第5回「サンプリング」で、高周波側に \(f有限の観測時間 \(t\) は低周波(=低質量)に \(f>1/t\) の壁を作る。宇宙が有限だから帯域が有限、の一番きれいな実装です。
(b) 力学(実際に凍る) 時刻 \(t\) で \(H\sim1/t\) より軽い場は、まだ凍っている。\(t\) が延びて \(H\) が下がると、ある質量の場が解凍して振動を始める(アクシオンはこれで動き出す)。測定の話ではなく、場が実際にそう振る舞う。

どちらも今 \(\sim10^{-33}\) eV、どちらも \(1/t\) で下がる。昔の宇宙ほど、最小質量の床は高かった ── \(t\) が小さいから。第4回の「\(c\cdot t\) が効く土俵」に続き、今回は \(c\cdot t\) がフロアの時間変化まで決めています。

04地下室に、何が住んでいるか

ニュートリノ(\(\sim0.05\) eV)の、さらに30桁下に伸びる地下室。実在/提案されている住人を並べます。

~2×10⁻³ eVダークエネルギーのスケール(\((\rho_\Lambda)^{1/4}\))── 次回の主役
~10⁻²² eVファジー・ダークマター(提案)ド・ブロイ波長が銀河サイズ。真剣に提案された最軽量粒子
< 10⁻²⁷ eV光子質量の上限(銀河磁場)── ここまでしかゼロと区別できていない
~10⁻³²⁻³³ eV重力子質量の上限(宇宙論)── コンプトン波長=地平線なら、まさに床に触れる
~1.4×10⁻³³ eVIRフロア \(\hbar H_0/c^2\) ── 地下室の底。ここが人類の "知りうる最小質量" の最果て

面白いのは、光子ですら \(10^{-27}\) eV より軽い質量はゼロと区別できていないこと。\(10^{-27}\)〜\(10^{-33}\) eV は、光子にとってさえ "知りようのない帯" で、IRフロアはその最果て。重力子の宇宙論的上限がちょうど床に触れているのも象徴的です。

◇ ◇ ◇

05第5回と、逆方向から同じ場所へ

第5回(UV)と今回(IR)を並べると、同じ言葉が二度、逆向きに現れます。

最小の質量は、いつも "最大" を指す

第5回・UV編:\(m_\nu\sim v^2/M\) ── 最小の質量 ↔ 最大のエネルギー(大統一 \(10^{14}\) GeV)。
第6回・IR編:\(m_{\min}\sim\hbar/(c^2 t)\) ── 最小の質量 ↔ 最大の長さ(宇宙の地平線 \(c\,t\))。

片方は高エネルギーの天井(UV)を、片方は宇宙の端(IR)を指す。二つの "最小の質量" は、まるで別の物理から来ているのに ── 次回、両者が meV という一点で握手します。じつは meV は、IRフロアとプランク質量の幾何平均 \(\sqrt{m_{\rm IR}\cdot M_{\rm Pl}}\approx\) meV。UV と IR の、ちょうど真ん中。その謎が、最終回の主役です。

06低質量は消えない ── 解像度の低下は「高エネルギー端」の話

ここで、よくある疑問に答えておきます ──「\(c\cdot t\) で光速が落ち、宇宙の "解像度" が下がるなら、低エネルギーの質量はどんどん見えなくなるのでは?」。直感的ですが、実は逆です。落とし穴は、低エネルギーを "細かいもの" と結びつけてしまう点にあります。

低エネルギー=細かい、ではない
$$\text{低エネルギー}=\text{低振動数}=\text{長い波長}=\textbf{大きい・のっそり}$$

質量のコンプトン波長は \(\lambda=\hbar/(mc)\)。軽いほど波長は長く "大きい"。粗いグリッドが苦手なのは短波長=高エネルギー=重いもので、長波長=低エネルギー=軽いものは、粗い世界がむしろ得意な側です。

物理でも結論は同じ。ある質量をゼロと区別して測るには、静止エネルギー \(mc^2\) を宇宙年齢 \(t\) の間に最低1回は振動させる必要がある ── 測れる最小の静止エネルギーは \(\sim\hbar/t=\hbar H\)。\(t\) は増えるので、これは \(1/t\) で下がる時間が経つほど、より軽い質量まで見えるようになる。§03 の「床は \(1/t\) で下がる」は、まさにこれ ── 膨張は低質量の味方です。

なぜ「見えなくなる」と感じるか ── 単位の罠 \(c\cdot t\) のゲージで \(m_{\min}=\hbar/(c^2 t)\) に \(c\propto1/t\) を入れると \(\hbar t\) と増えるように見え、「軽い質量が押し出される」錯覚が生じます。でもこれは、\(c\) が動くゲージで次元付きの "質量" を読んでしまった罠。測れるかどうかを決めるのは無次元の \(mc^2 t/\hbar\)(振動数 × 時間)で、これはゲージによらず「床は下がる(軽い方が見やすい)」を返します。合言葉どおり ── \(c\cdot t\) は座標の言い換え、物理は無次元で読む

本当に時間とともに見えにくくなるのは、逆の高エネルギー(重い)端です ── 宇宙が冷えて周囲のエネルギーが下がり、重い粒子はもう作られない。「解像度が下がる」の実体は、この高エネルギー端の後退。しかも軽い側は、番外②で見るとおり静止質量は不変(赤方偏移しない)ので、低い質量が薄れて消えることはありません。

正直な線

IRフロアは操作的(測れない)かつ力学的(凍る)な床であって、「質量が \(10^{-33}\) eV 刻みで量子化されている」でも「そこに粒子が1個いる」でもありません。知りうる/振る舞いうるの地平線です。かつて話題にのぼった「有限計算機の最小ビット=質量」とは別物 ── その診断は番外①で。

\(\sim10^{-33}\) eV というスケールは頑健ですが、係数(\(2\pi\)、地平線の取り方)はオーダー1だけ曖昧。またこのフロアは標準物理で、\(c\cdot t=\text{一定}\) を必要としません(\(R_H\sim ct\) はどんな膨張でもオーダーで成立)。このレンズの手柄は "床を作ったこと" ではなく、\(\hbar/(c^2 t)\) という\(1/t\) の自然な読みを与えたこと。過大申告はしません。なお、かつて言われた「ギャップは \(t\) で重くなる」は逆で、現実の床は \(t\) とともに下がります。

練習問題(今回の内容で解けます)
  1. 質量 \(m\) の場が「凍る」条件を、運動方程式の言葉で。
    答えを見る
    \(mc^2/\hbar < H\)(\(m<\hbar H/c^2\))。ハッブル摩擦 \(3H\dot\phi\) が復元力に勝って過減衰になり、宇宙が変化してしまう前に一度も振動を完了できず凍りつく。ダークエネルギー的に振る舞う。
  2. IRフロアが \(1/t\) で下がる理由を一言で。
    答えを見る
    \(m_{\min}\sim\hbar/(c\,R_H)\) で、地平線 \(R_H=c\,t\) だから \(m_{\min}\sim\hbar/(c^2 t)\)。宇宙年齢 \(t\) が延びるほど床は下がる ── 昔の宇宙ほど床は高かった。
  3. IRフロアは「質量が \(10^{-33}\) eV 刻みで量子化されている」ことを意味するか。
    答えを見る
    意味しない。これは "測れない/凍る" という操作的・力学的な床(地平線)で、質量の量子化でも、そこに実在する粒子でもない。\(10^{-33}\) eV より軽い質量は、この宇宙のどんな観測者にもゼロと区別できない、というだけ。

第6回まとめ下の壁は、宇宙の大きさが決めていた

質量の下限は実在する ── \(m_{\min}\sim\hbar H_0/c^2\sim10^{-33}\) eV。正体は「ハッブル摩擦で凍るか振動するかの境目」で、測定窓(サンプリングの低周波端)と力学(凍結線)の二枚看板。\(R_h=ct\) なら \(1/t\) で下がり、昔ほど高かった。地下室の底には重力子・光子の質量上限が触れ、そこが人類の "知りうる最小質量" の最果て。

第5回(UV)と第6回(IR)で、"最小の質量が最大を指す" を両側から見ました ── 片や大統一、片や宇宙の地平線。そしてこの二つは、次回 meV で出会う。meV は IRフロアとプランクの幾何平均。最小と最大が握手するその一点へ、いよいよ最終回で。

この文書は「わかる質量」シリーズ第6回、物理好きの高校生・大学生向け読み物です。宇宙論的IRスケール \(\hbar H_0/c^2\approx1.4\times10^{-33}\) eV、膨張宇宙でのスカラー場の運動方程式 \(\ddot\phi+3H\dot\phi+(mc^2/\hbar)^2\phi=0\) とハッブル摩擦による凍結/振動の境目(\(m\sim\hbar H/c^2\)、正確な臨界減衰は \(mc^2/\hbar=\tfrac32 H\))、アクシオンのミスアラインメント機構、クインテッセンス、フリーストリーミング、光子・重力子の質量上限は、いずれも確立した物理/現行の研究テーマです。IRフロアは操作的・力学的な下限であって質量の量子化ではありません。スケール \(\sim10^{-33}\) eV は頑健ですが係数はオーダー1の不定性があり、この下限は \(c\cdot t=\text{一定}\) を仮定せず標準宇宙論でも成り立ちます(\(R_H\sim ct\) はオーダーで一般に成立)。局所光速は不変です。図は \(H=1\) 単位での数値積分による模式です。 ── 印刷する場合はブラウザの「印刷」から「PDF に保存」を(印刷版ではスライダーと解答は静止・非表示になります)。

印刷 / PDF 化:Ctrl+P(Mac は ⌘+P)。画面ではスライダーで、フロアより軽い場が凍りつく様子が見えます。「答えを見る」で解答が開きます。