進化・学習・意識を、ひとつの勾配で読む
前回(第4回)、進化戦略(ES)を語るとき、私たちはためらいながら「無限個の集団 \(N\to\infty\)」「\(\theta\) のごく近く、無限小の近傍を探る」という言い方を使いました。便利だけれど、どこか反則めいた響きがあります ── \(N\to\infty\) の「集団」など本当に存在するのか。「無限小の近傍」とは、結局は \(\varepsilon\to 0\) の極限のことで、ならば正直に極限記号を書けばいいだけではないか、と。今回はこの後ろめたさに、数学の側から正面から答えます。無限小 \(\varepsilon\) を、0でも有限でもない一つの「数」として本当に手に取れるようにする道具 ── それが超準解析(non-standard analysis)です。これを手にすると、微分は「限りなく近づける」という時間のかかる儀式ではなく、無限小で割って、答えの実数部分だけを読むという、たった一手の操作になります。第4回の「無限集団」も、第6回で握手する「\(\infty\) サンプルの平均=微分」も、ここで初めてごまかしなしに語れるようになります。
微分を初めて習ったとき、こう教わったはずです。傾きを知りたければ、2点を結ぶ割線(secant)の傾き \(\dfrac{f(x+h)-f(x)}{h}\) を作り、\(h\) を「限りなく0に近づける」。すると割線は接線(tangent)に化ける、と。
ここに小さな不誠実があります。計算の途中、\(h\) は0であってはならない ── 0で割れないからです。ところが最後の最後、極限をとる瞬間には \(h\) を0そのものにしたい。「0ではないが、いくらでも0に近い \(h\)」という、どっちつかずの存在をこっそり使っているのです。18世紀、ライプニッツやオイラーはこれを無限小と呼び、ためらいなく「数」として計算しました。哲学者バークリは1734年、これを「亡くなった量の亡霊」と痛烈に皮肉ります。19世紀のワイエルシュトラスらは、この亡霊を追い払うために \(\varepsilon\text{-}\delta\) 論法を発明し、無限小を言い回しへ格下げして解析学を厳密化しました。極限記号 \(\lim\) は、その「無限小を使わずに済ませる」ための約束事なのです。
ロビンソンが作った数の体系を超実数体(hyperreal numbers) \({}^{*}\mathbb{R}\) と呼びます。これは実数体 \(\mathbb{R}\) を丸ごと含み、その上に新しい住人を二種類迎え入れた、より大きな数直線です。加減乗除も大小比較も、実数と同じ規則で自由にできます(体としての性質を保つ)。新しい住人とは ──
ふつうの実数 \(r>0\) なら、どれだけ小さくても、それより大きい \(1/n\) が必ず見つかります(アルキメデスの性質)。ところが \(\varepsilon\) は、\(1,\ \tfrac12,\ \tfrac13,\ \dots\) のすべてより小さい。0ではない(\(\varepsilon>0\))のに、どんな有限の物差しでも測れないほど小さい ── これが無限小です。そしてその逆数をとると、
\(\varepsilon\) が \(1/n\) より小さいなら、逆数をとって \(H=1/\varepsilon\) はすべての \(n\) より大きい ── 無限大の超実数です。ここが決定的な違いです。\(\infty\) は記号(「限りなく大きくなる」という動き)であって数ではありませんが、\(H\) は \({}^{*}\mathbb{R}\) の中に実在する一つの数で、\(H+1\)、\(2H\)、\(H^2\)、\(\sqrt{H}\) といった計算が全部できます。第4回で口ごもりながら書いた「\(N\to\infty\) の集団」は、これからは \(N=H\)、無限大個の集団と、静止した一つの数として名指しできるのです。
超実数 \(x\) が有限(無限大でない)なら、それに無限に近い実数がただ一つだけ存在します。それを取り出す操作を標準部分(standard part)と呼び、\(\operatorname{st}(x)\) と書きます。まず「無限に近い」を定義しましょう。
たとえば \(3+\varepsilon\) は、実数 \(3\) と無限小しか違いません。だから \(3+\varepsilon\approx 3\)、そして \(\operatorname{st}(3+\varepsilon)=3\)。標準部分とは、超実数から「無限小のホコリ」を払い落として、いちばん近い実数に丸める操作だと思ってください。\(\operatorname{st}(7-2\varepsilon)=7\)、\(\operatorname{st}(\varepsilon)=0\)、\(\operatorname{st}(5)=5\)。有限な超実数はすべて、\(\big(\text{実数}\big)+\big(\text{無限小}\big)\) の形にただ一通りに分かれ、\(\operatorname{st}\) はその実数部分を抜き出します。
道具がそろいました。無限小 \(\varepsilon\)(0でない数!)で割ってよく、最後に \(\operatorname{st}\) で実数へ丸める。すると微分の定義から、\(\lim\) という「近づける動作」が消え、割って・丸めるという二手の静的な計算になります。
ここで \(\varepsilon\ne 0\) なので、割り算 \(\dfrac{f(x+\varepsilon)-f(x)}{\varepsilon}\) は正真正銘の割り算です ── 「0に近い」ではなく、本当に0でない数で割っている。その結果は「\(f'(x)\)+無限小」という超実数になり、最後に \(\operatorname{st}\) がその無限小を払って、実数の傾きを返す。ライプニッツが記号 \(\dfrac{dy}{dx}\) で表したかった「無限小どうしの比」が、ここでは文字通りの分数として成立しています。\(f\) が(標準的な意味で)微分可能でありさえすれば、どの無限小 \(\varepsilon\) を選んでも \(\operatorname{st}\) の値は同じ ── 300年前の直観と、現代の \(\varepsilon\text{-}\delta\) が、ここで完全に一致します。次の節で、\(x^2\) を実際に割ってみましょう。
まず割線の傾き(分子を展開する)
$$\frac{f(x+\varepsilon)-f(x)}{\varepsilon}=\frac{(x+\varepsilon)^2-x^2}{\varepsilon}=\frac{x^2+2x\varepsilon+\varepsilon^2-x^2}{\varepsilon}=\frac{2x\varepsilon+\varepsilon^2}{\varepsilon}$$ε≠0 なので、堂々と ε で約分できる
$$=\ 2x+\varepsilon$$最後に標準部分をとる ── 無限小 ε が落ちる
$$f'(x)=\operatorname{st}(2x+\varepsilon)=2x$$見どころは二つ。第一に、二次の項 \(\varepsilon^2\) は約分の前から他より一段小さい無限小で、割ったあと \(\varepsilon\) となって現れ、高次の無限小として \(\operatorname{st}\) に落とされます。「無限小の2乗は無視できる」というライプニッツの経験則の、これが正体です。第二に、途中に \(\lim\) は一度も出てきません。0でない \(\varepsilon\) で割り、最後に \(\operatorname{st}\) で丸める ── たったこれだけで、\((x^2)'=2x\) が厳密に出ました。極限の儀式は、\(\operatorname{st}\) という一手に吸収されたのです。
いまの計算を目で見ましょう。放物線 \(f(x)=x^2\) の上に点 \(P=(x,\,x^2)\) を固定し、そこから \(\varepsilon\) だけ右の点 \(Q=(x+\varepsilon,\,(x+\varepsilon)^2)\) を結んだ割線 \(PQ\) を引きます。その傾きは、いま計算したとおり厳密に \(2x+\varepsilon\)。スライダーで \(\varepsilon\) を小さく(対数目盛で「無限小」の側へ)していくと、割線の傾き \(2x+\varepsilon\) が接線の傾き \(2x\) へ ── つまり \(\operatorname{st}(2x+\varepsilon)=2x\) へ ── 吸い込まれていくのが見えます。
\(\varepsilon\) を左端へ寄せると、青い点 \(Q\) は赤い点 \(P\) の「monad」へ ── 無限小の霧の中へ ── 沈んでいき、茶色い割線と緑の接線が見分けられなくなります。傾きの読み値 \(2x+\varepsilon\) は、標準部分 \(2x\) に「無限小だけ」ズレた値。\(x\) スライダーを動かせば、どの接点でも「割線の傾き \(=2x+\varepsilon\ \to\ \operatorname{st}=2x\)」がそのまま成り立つのが確かめられます。画面の \(\varepsilon\) はもちろん有限の実数ですが、いくら小さくしても割り算は破綻しないという一点こそ、無限小 \(\varepsilon\) が数として振る舞える証拠の縮図です。
ここで当然の不安が湧きます。\({}^{*}\mathbb{R}\) という別世界で無限小を使って計算した答えを、なぜ私たちの実数の世界で信じてよいのか。この橋渡しを保証するのが、超準解析の心臓 ── 移行原理(transfer principle)です。
かみくだくと ── 実数 \(\mathbb{R}\) の上で真である「一階の」言明は、超実数 \({}^{*}\mathbb{R}\) の上でもそっくり真であり、その逆も成り立つ。「一階の」とは、要素(数)について「すべての」「ある」を語る言明のこと(集合全体をひとまとめに量化するような文は除きます)。だから、実数で成り立つ計算法則 ── 交換法則、分配法則、「\(\varepsilon\ne 0\) なら \(\varepsilon/\varepsilon=1\)」といった規則は、無限小 \(\varepsilon\) に対してもそのまま使ってよい。私たちが第4節で \((x+\varepsilon)^2\) を展開し、\(\varepsilon\) で約分できたのは、まさにこの原理が「実数と同じ代数規則が \({}^{*}\mathbb{R}\) でも有効だ」と保証してくれたからです。
このシリーズは毎回、道具の力と限界を正直に裁きます。無限小は魅力的ですが、魔法ではありません。何を新たに可能にし、何は可能にしないのかを、はっきりさせましょう。
| 問い | 超準解析の答え | 判決 |
|---|---|---|
| 無限小・無限大を、矛盾なく「数」として厳密に扱えるか | 扱える。\({}^{*}\mathbb{R}\) が \(\varepsilon,\,H=1/\varepsilon\) を実在する数として持ち、移行原理が代数規則を保証する | できる |
| 「微分は無限小どうしの比」「積分は無限小の無限和」という直観に、厳密な足場を与えられるか | 与えられる。\(f'=\operatorname{st}\!\big(\tfrac{\Delta f}{\varepsilon}\big)\)、\(\int=\operatorname{st}\!\big(\sum(\text{無限小})\big)\) が定理になる | できる |
| 標準解析(\(\varepsilon\text{-}\delta\))では証明できない新しい定理を、証明できるか | できない。移行原理で往復できる以上、証明できる実数の定理の範囲はぴたり同じ ── 違うのは表現の選択だけ | 同等・表現の差 |
はっきりさせておきます。超準解析は、標準解析(\(\varepsilon\text{-}\delta\))を置き換えるものでも、それより強いものでもありません。移行原理という往復切符がある以上、両者は同じ実数の定理を証明する、二つの正しい土台です。無限小を認めれば急に新しい物理法則が湧いてくる、といった魔法は起きない。超準解析が与えるのは、力の増強ではなく語り口のレンズ ── 「限りなく近づける」という動的な儀式を、「無限小で割って標準部分をとる」という静的で直観的な一手に置き換えるレンズです。
けれど、このシリーズにとってそれで十分です。私たちが欲しかったのは新しい力ではなく、第4回で口ごもった「無限集団 \(N\to\infty\)」「無限小の近傍」を、ごまかしなく正直に語る言葉でした。\(N=H\) の集団、\(\operatorname{monad}(\theta)\) の探索、平均の \(\operatorname{st}\) ── いまや全部、厳密な数学の言葉です。この足場の上で次回、ES(\(\infty\) サンプルの積分)と BP(微分)が握手します。
「限りなく0に近づける」極限の儀式には、0でも有限でもない量をこっそり使う後ろめたさがあった(STEP 01)。ロビンソン(1960)の超実数体 \({}^{*}\mathbb{R}\) は、実数 \(\mathbb{R}\) を含み、どんな \(1/n\) より小さい無限小 \(\varepsilon\) と、その逆数の無限大 \(H=1/\varepsilon\) を実在する数として持つ(STEP 02)。有限な超実数からは、無限に近いただ一つの実数を返す標準部分 \(\operatorname{st}\) がとれ、点のまわりの無限小の霧が \(\operatorname{monad}(x)\)(STEP 03)。すると微分は \(f'(x)=\operatorname{st}\!\big(\tfrac{f(x+\varepsilon)-f(x)}{\varepsilon}\big)\) ── 0でない \(\varepsilon\) で正直に割り、\(\operatorname{st}\) で丸める二手になり、\((x^2)'=\operatorname{st}(2x+\varepsilon)=2x\) が \(\lim\) なしに出た(STEP 04・05)。無限小での計算が実数で正しい保証は、双方向の移行原理 \(\mathbb{R}\models\varphi\Leftrightarrow{}^{*}\mathbb{R}\models\varphi\)(STEP 06)。ただし新しい定理を生む力はなく、標準解析と同等の、直観を厳密にするレンズである(STEP 07)。
これで第4回の宿題が片づきました。「無限集団 \(N\to\infty\)」は \(N=H\)、「\(\theta\) の無限小近傍」は \(\operatorname{monad}(\theta)\)、「\(\infty\) サンプルの平均が勾配を復元する」は平均の標準部分が微分に一致するという主張として、いまや厳密に書けます。積分(\(\infty\) 個の無限小の和)と微分(無限小の比)が、無限小のもとで握手する ── その伏線が張られました。次回、この足場の上で ES と BP が数学的に一つの計算だと明かされます。
印刷 / PDF 化:⌘+P(Windows は Ctrl+P)。画面では「接点の位置 x」と「無限小 ε」を変えると、割線の傾き 2x+ε が接線の傾き 2x(=st)へ吸い込まれる様子が見えます。「答えを見る」で解答が開きます。