\(c\cdot t=\text{一定}\) は「宇宙は有限リソースの計算機だ」という発想から出てきた。その発想は正しかったのか
\(c\cdot t=\text{一定}\) という補助線は、もともと「宇宙は資源が有限な計算機で、大きくなるほど一箇所あたりの計算が遅くなる」という情報理論的な直観から出てきたものです。第10回で作った判定手続きを、いよいよその動機そのものに当ててみます。結論を先に言うと ── 動機は驚くほど的確で、実装は的を外していました。番外編③でVSLに下した診断と、まったく同じ形です。そして外し方を追いかけると、重力・量子・情報・時間が一点で交わる場所に出ます。
計算機として宇宙を見るとき、いちばん基本的な資源は「どこまで信号を届かせられるか」です。それを表すのが共動ハッブル半径。
共動座標で測った「いま因果的に届く範囲」です。これが一定になる膨張則を探すと、答えは一意に決まります。
\(a\propto t^p\) なら \(r_H\propto t^{1-p}\)。ぴたりと止まるのは \(p=1\) だけです。
| 膨張則 | \(r_H\) | 計算機として何が起きるか |
|---|---|---|
| \(p<1\)(放射・物質) | 増加 | 新しい共動領域が視界に入る ── 一度も交信できなかった記憶が現れる(地平線問題) |
| \(p=1\)(\(c\cdot t=\)一定) | 一定 | 入りも出もしない。アドレス空間が変化しない |
| \(p>1\)(Λ・インフレ) | 減少 | 交信済みの領域が到達不能になる ── 情報が失われる |
つまり \(c\cdot t=\text{一定}\) とは、有限リソース計算機の「アドレス空間が動かない」唯一の膨張則。動機は的確でした。第5回で見た「\(w=-1/3\) の三重の境目」の、四つ目の顔です。
メモリ(地平面のビット数)
$$N=\frac{\pi R_H^2}{\ell_P^2\ln 2}=2.96\times10^{122}\ \text{bit}$$総演算数(マルゴラス=レヴィティン限界 \(2E/\pi\hbar\) を積算)
$$\Omega=2.1\times10^{121}\ \text{ops}\qquad(\text{ロイド 2002 の }10^{120}\text{ と一致})$$クロック(地平面を光が横断した回数)
$$\ln\frac{t_0}{t_P}=\mathbf{140}\ \text{回}$$メモリ \(10^{122}\) に対して、クロックはたった140回。極端にメモリ過多・クロック過少の機械です。
そしてこの計算機は、熱力学の限界ぴったりで動いています。
比は 1.0000。これは \(E=T_HS\) という恒等式(任意の FLRW で成立)ですが、宇宙は余裕ゼロでランダウアー限界を走っていると読めます。前シリーズ第10回の「1ビット消去に \(k_BT\ln2\)」が、宇宙規模で釣り合っている。
動機が的確なら、モデルにできるはずです。第3回の「質量が育つ」を、ゲージではなく物理として取ってみましょう。
仮説(これ一つだけ)
$$\frac{m}{M_{\rm Pl}}\propto a$$すると
$$\rho_m=n\,m\propto a^{-3}\cdot a=a^{-2}$$これは \(w_{\rm tot}=-1/3\) が要求する \(\rho\propto a^{-2}\) そのもの。「質量が \(a\) に比例して育つ」だけで、調整なしに \(w=-1/3\) が出ます。 番外編①で見た「物質を入れると暗黒エネルギー密度が負になる」問題も、同時に消えます。
これは結合クインテッセンスそのもので、パラメータは自由になりません。
しかも数値積分すると、この解はアトラクタでした ── \(\rho_m\) や \(\dot\sigma\) を \(\pm50\%\) ずらしても \(Ht\to1\)、\(\Omega_m\to0.30\) に戻る。「なぜ \(w\) が厳密に \(-1/3\) なのか」に「引力的な解だから」という答えが、初めて出ました。 ここまではモデルにとって good news です。
この絵には、ひとつだけ救えないものがあります。放射です。
ディラトンが物質と情報をやり取りする強さは、エネルギー運動量テンソルのトレース \(T^\mu{}_\mu\) に比例します(第5回)。ところが ──
ディラトンは質量を救えるが、光は救えない。
\(\rho_r\propto a^{-4}\) は \(\rho_{\rm tot}\propto a^{-2}\) より速く増えるので、さかのぼれば必ず放射が総和を乗っ取ります。その時刻は
$$\sqrt{\Omega_r}=9.6\times10^{-3}\qquad\Longrightarrow\qquad z>103\ \text{で放射が支配}$$再結合(\(z=1100\))は完全にこの内側。 \(c\cdot t=\text{一定}\) は、再結合より前には成立できません。二択になります。
ツマミが 0 のときだけ、線は完全に水平 ── アドレス空間が動きません。ほんの少しでも放射を入れると、線は左側で折れ、水平な部分は右端に押し込まれます。 実際の値では:
| \(c\cdot t=\)一定(放射なし) | 放射込み(分岐B) | ΛCDM | |
|---|---|---|---|
| アドレス空間の増加(体積) | 1 | \(1.2\times10^{89}\) | \(\sim10^{88}\) |
| 因果的に切れたパッチ数 | 1 | \(1.2\times10^{4}\) | \(9.6\times10^{3}\) |
| \(a\propto t\) が成立する範囲 | 全部 | 対数的宇宙史の 6.4% | ── |
地平線問題が、ΛCDM とほぼ同じ深刻さで戻ってきます。 宇宙という計算機は、自分の放射を管理できない ── そして初期宇宙を支配するのは、まさにその放射です。アドレス空間を固定するという設計は、いちばん必要な時期に効かない。
ここで一度、計算機としての宇宙を測り直します。
| エントロピー \(S/k_B\) | 容量に対する割合 | |
|---|---|---|
| 地平面の容量(上限) | \(2.05\times10^{122}\) | 1 |
| 今日の総エントロピー | \(3.1\times10^{104}\) | \(1.5\times10^{-18}\) |
| CMB 光子(初期の姿) | \(2.0\times10^{88}\) | \(1.0\times10^{-34}\) |
今日の総エントロピーは超巨大ブラックホールが支配しています(イーガン&ラインウィーバー 2010)。それでもメモリの \(10^{-18}\) しか埋まっていない。
裏を返せば ── 宇宙は今も 99.9999999999999998% 共形平坦。だから FLRW が効き、だからこのシリーズの道具が効くのです。
ここが、今回いちばん深いところです。第7回で「4次元の計量10成分=光円錐9+物差し1」と数えました。その「9」の側には名前があります ── ワイルテンソル \(C_{\mu\nu\alpha\beta}\)。共形変換でまったく動かない量です。
| 共形因子の側(1成分) | ワイルテンソルの側(9成分) |
|---|---|
| 共形変換で動く | 共形変換で動かない(\(C\) は共形不変) |
| ゲージ・帳簿(第4回:差引ゼロ) | 物理 |
| ゴースト=逆符号の運動項(第9回) | 伝播する重力波の自由度 |
| 重力エントロピーを持たない | 重力エントロピーそのもの(ペンローズ) |
| 膨張 \(a(t)\) を担う | 構造・クランプ・ブラックホールを担う |
| 初期条件は何でもよい | 初期に \(C=0\)(ワイル曲率仮説) |
| 時間の矢を持たない | ★ 時間の矢はこちらにしかない |
前シリーズの合言葉 ──「次元付きは帳簿、無次元だけが物理」── が、重力場の内部構造としてそのまま実現している。そして時間の矢は、物理の側にしかありません。
ようやく、なぜ予言が出なかったのかが言えます。
\(c\cdot t=\text{一定}\) は \(a(t)\) への条件 = 共形因子への条件 = 帳簿への条件。
帳簿を縛っても、予言は出ない。
予言を持つには、ワイルテンソル側 = 因果構造 = 光シートを縛るしかない。
そして、その形の「有限リソース原理」はすでに存在します。
これは完全に共形不変です ── 光シート(ヌル面)は共形変換で動かず(第7回)、\(A/\ell_P^2\) は無次元(Weyl フレームでも \(A\to A/a^2\)、\(\ell_P^2\to\ell_P^2/a^2\) で不変)。ゲージに依らない「有限リソース」条件であり、だから予言を持てる形をしています。
動機は正しかった。宇宙を有限リソースの計算機として書くのは、まっとうな発想です。ただ ── 縛るべきだったのは \(a(t)\) ではなく、光シート上の情報量だった。
04節の分岐Bの数値(パッチ数 \(1.2\times10^4\)、音響ピーク位置)は、\(H^2=H_0^2[\Omega_ra^{-4}+(1-\Omega_r)a^{-2}]\) という単純化した混成モデルでの見積もりです。Boltzmann コードの計算ではありません。桁の議論として読んでください。この記事を書く過程で、放射を落としたまま音響ピークを見積もって桁を間違えました ── 落とした成分がいちばん効く、という今回の主題そのものを、書き手が踏んでいます。
06節の表のうち「ゴースト=重力エントロピーの逆さま」は、グロス=ペリー=ヤッフェのユークリッド・シュワルツシルト負モード(ブラックホールの負の比熱)と地続きですが、近年の研究では TT モードとトレースモードの混合により素朴な同一視は微妙とされています。「同じ符号を共有している」以上の主張はしていません。 また重力エントロピーの定義そのもの(\(C\) をどう数えるか)は、いまも確立していません。
情報理論で見ると \(c\cdot t=\text{一定}\) の正体ははっきりします ── 共動ハッブル半径が一定になる唯一の膨張則。計算機のアドレス空間が増えも減りもしない。地平線問題(未交信の記憶が現れる)と情報損失(交信済みが失われる)の、ちょうど分水嶺です。今日の宇宙のスペックは、メモリ \(10^{122}\) ビット、演算 \(10^{121}\)、クロックはたった 140 回。しかも 1 ビットあたりのエネルギーはランダウアー限界ぴったり。
ところが「質量が \(\propto a\) で育つ」を物理として入れてモデルを組むと(\(\lambda,\beta\) は \(\Omega_m\) だけで決まり、しかもアトラクタ)、放射だけが救えません ── 放射は共形不変で、ディラトンと結合できないから(第7回)。\(z>103\) で放射が支配し、アドレス空間が動かないという唯一の売りは消え、地平線問題が ΛCDM 並みに戻ります。より深い理由は、重力場そのものが共形因子(帳簿・ゴースト・時間の矢なし)とワイルテンソル(物理・重力エントロピー・時間の矢)に分かれていること。\(c\cdot t=\text{一定}\) は帳簿の側を縛っていた。縛るべきだったのは、光シート上の情報量です。
印刷 / PDF 化:⌘+P(Windows は Ctrl+P)。画面ではスライダーで放射の量を変え、アドレス空間の一定性が壊れる様子が見えます。「答えを見る」で解答が開きます。