10回かけて「等価だ」と言い続けてきた。では、額面で走らせたらどうなるのか
このシリーズは一貫して、こう言ってきました ── 「空間が伸びる」も「光が遅くなる」も「原子が縮む」も、同じ物理の三つの語り方だ。 正しい主張です。でも第5回の正直な線で書いた通り、\(a\propto t\) という膨張則そのものが正しいかどうかは、まったく別の問題でした。今回は、そこに判決を受けに行きます。裁判所はビッグバン元素合成。そして結論を先に言えば ── 額面では、負けます。 しかも、三つの絵のどれで弁護しても、判決は同じです。
宇宙が生まれて数分のあいだに、陽子と中性子が結びついてヘリウムができました。その量は観測でよく分かっていて、質量比で \(Y_p\simeq0.245\) ── 宇宙の物質の約4分の1がヘリウムです。標準宇宙論はこれを見事に説明します。
そして元素合成は、膨張のしかたに極端に敏感です。理由は、こういう競争になっているから。
弱い相互作用(中性子 ⇄ 陽子 を行き来させる、レート \(\Gamma\))
vs
宇宙の膨張(引き離して反応を止める、レート \(H\))
\(\Gamma\) が勝っているあいだ、中性子と陽子の数の比は温度で決まる平衡値をとります。膨張が勝った瞬間(\(\Gamma=H\))に比が凍結し、あとはその中性子が全部ヘリウムになる ── 前シリーズ第10回で「ビットが凍る」と呼んだ、あれです。
凍結がいつ起きるかは、\(\Gamma\) と \(H\) の温度依存性の勝負で決まります。
弱い相互作用のレート(どちらの宇宙でも同じ)
$$\Gamma\;\propto\;T^5$$標準宇宙論(放射優勢、\(a\propto t^{1/2}\))
\(T\propto t^{-1/2}\)、\(H\propto1/t\) なので \(H\propto T^2\)。凍結条件は
$$T^5\sim T^2\;\Longrightarrow\;T_f\sim0.8\ \mathrm{MeV}$$\(c\cdot t=\text{一定}\)(\(a\propto t\))
\(T\propto1/a\propto1/t\)、\(H=1/t\) なので \(H\propto T\)。凍結条件は
$$T^5\sim T\;\Longrightarrow\;\text{凍結がずっと低温まで起きない}$$温度の指数が 2 から 1 に落ちただけで、勝負がひっくり返ります。膨張が弱すぎて、弱い相互作用がいつまでも勝ち続ける ── 文献の見積もりでは、凍結温度は標準より約2桁低いところまで下がります。
ここが致命傷です。平衡での中性子・陽子比は、質量差 \(Q=1.293\) MeV を使ってこう書けます。
$$\frac{n}{p}=e^{-Q/k_BT}$$指数関数です。温度が下がるほど、中性子は指数関数的に減る。凍結が遅れれば、その減少に最後まで付き合わされることになります。
| 凍結温度 \(T_f\) | \(n/p\) | ヘリウム \(Y_p\) | 判定 |
|---|---|---|---|
| 0.8 MeV(標準) | 0.199 | 0.33 → 0.25※ | 観測 0.245 と一致 |
| 0.5 MeV | 0.075 | 0.14 | 足りない |
| 0.3 MeV | 0.013 | 0.027 | ぜんぜん足りない |
| 0.1 MeV | \(2.4\times10^{-6}\) | \(4.8\times10^{-6}\) | ヘリウムが作れない |
| 0.05 MeV | \(5.9\times10^{-12}\) | \(1.2\times10^{-11}\) | 壊滅 |
※ 標準では凍結後に中性子が一部β崩壊して \(n/p\) が 1/6 から 1/7 に落ち、\(Y_p=2(1/7)/(1+1/7)=0.25\) になります。
凍結温度がたった 8 倍下がるだけで、ヘリウムは 5 桁消えます。これが \(c\cdot t=\text{一定}\) を額面で走らせたときに起きることです。ルイス、バーンズ、カウシク(2016)は実際の計算をして、ヘリウム質量分率が観測の 0.245 に対して \(10^{-3}\) のオーダーにしかならないと結論しました。論文のタイトルは「\(R_h=ct\) 宇宙のとろ火に、冷や水を浴びせる」。
スライダーを左へ動かしてください。0.8 から 0.3 へ下げるだけで曲線は崖から落ち、0.1 では画面の底に張り付きます。指数関数は容赦がありません。
ここでシリーズの成果が効きます。この判決は、どの絵で語っても変わりません。
| 絵 | 何が起きていると言うか |
|---|---|
| ① 空間が伸びる | 温度が \(1/t\) で下がる。下がり方が遅すぎて凍結が間に合わない。 |
| ② 光が遅くなる | 同上(時間座標を変えただけ、第3回)。 |
| ③ 質量が育つ | 温度は一定。質量差 \(Q\) が \(\propto t\) で育つのが遅すぎて、\(Q/k_BT\) が 1 を超えるころには弱い相互作用が中性子を消し尽くしている。 |
③の言い方が、とくに気持ちいい。第3回で見た通り、共形変換した絵では宇宙は冷えず、代わりに質量が育ちました。ヘリウムができるかどうかを決めるのは、どちらの絵でも無次元比 \(Q/k_BT\) です。分子が育つか分母が減るかの違いだけで、比の値は同じ ── だから判決も同じ。
\(Q/k_BT\) は無次元 → ゲージで動かない → 物理
ゆえに、どの絵で弁護しても無罪にはならない。
元素合成とは別に、より根本的な批判もあります。ミトラ(2014)は、\(R_h=ct\) 宇宙は座標変換で静的な形に書けてしまい、平坦な場合は密度ゼロ=真空を意味する ── つまりミルン宇宙と同じ「真空の偽装」だ、と主張しました。
前シリーズ第7回の判決文は「額面は棄却、\(\alpha\) 不変ゲージなら無罪だが観測不能」でした。共形変換の言葉で言い直すと、こうなります ── 等価は相対論の帰結(\(c_B\cdot a=\text{一定}\))、失格なのは代入した膨張則(\(a\propto t\))のほう。 そして今回はっきりしたのは、その二つを混同しないための道具を、このシリーズが作ったということです。
相対論から導かれた等価は、「わかる宇宙論」番外編④で示したとおり \(c_B\cdot a=\text{一定}\)(+\(\alpha\) 不変)でした。\(a\) と掛けて一定であって、\(t\) と掛けて一定ではありません。これは \(a(t)\) がどんな形でも成り立つ関係で、\(\Lambda\)CDM の宇宙にもそのまま使えます ── だから等価そのものは、観測が棄却できる種類の主張ではありません。
では \(c\cdot t=\text{一定}\) はどこから来たのか。\(c_B\cdot a=\text{一定}\) に \(a\propto t\) を代入したものです。実際 \(c_B\cdot t=c_0\,t/a\) なので、これが一定になるのは \(a\propto t\) のときだけ。実際の宇宙(対数平均で \(a\propto t^{0.51}\))なら \(c_B\cdot t\propto t^{0.49}\) で、プランク時から今日までに \(10^{29.7}\) 倍に増えます。
つまり、合言葉には二つの別物が同じ名前で入っていました ── 等価(\(c_B\cdot a=\text{一定}\)、相対論の帰結、いつでも真)と、膨張則(\(a\propto t\)、観測が判定する)。この番外編が棄却しているのは後者だけです。「光が遅くなる」という語り方そのものは、いっさい傷ついていません。
02節の \(T_f\) の見積もりは桁の議論です。\(\Gamma\propto T^5\) と \(H\) の比較で凍結温度を出すのは標準的な見積もり方ですが、正確な \(Y_p\) を得るには反応ネットワーク全体を数値で解く必要があります(それをやったのが Lewis ら 2016)。03節の表も、凍結時の平衡値から求めた目安で、その後の中性子崩壊や核反応の詳細は入っていません。
また、\(R_h=ct\) 側にも反論はあります。メリアらは、モデル非依存の距離測定では \(R_h=ct\) のほうが好まれると主張しています。ここで「棄却」と言っているのは初期宇宙(元素合成期)まで額面で外挿した場合の話で、低赤方偏移の観測適合をめぐる議論とは別です。どの論争も、片方の言い分だけ聞いて閉じないでください。
元素合成は膨張則に極端に敏感です。弱い相互作用 \(\Gamma\propto T^5\) と膨張 \(H\) の競争で中性子・陽子比が凍結し、それがヘリウム量を決める。標準(\(H\propto T^2\))では \(T_f\simeq0.8\) MeV で凍結して \(Y_p=0.25\)。ところが \(a\propto t\) では \(H\propto T\) となり、凍結が約2桁低温まで遅れる。\(n/p=e^{-Q/k_BT_f}\) は指数関数なので、そのあいだに中性子が消え尽くし、ヘリウムがほとんど作られません(Lewis ら 2016)。
そして重要なのは、三つの絵のどれで弁護しても判決が同じだということ。決めているのは無次元比 \(Q/k_BT\) で、これはゲージで動きません ── 最終回の判定手続きが、そのまま働きます。共形変換は \(c\cdot t=\text{一定}\) に三つの語り方を与えましたが、語り方を増やしても、モデルの成績は一点も上がらない。それを混同しないための道具を作ったことが、この10回の一番の成果でした。
印刷 / PDF 化:⌘+P(Windows は Ctrl+P)。画面ではスライダーで凍結温度を変え、ヘリウムが消えていく様子が見えます。「答えを見る」で解答が開きます。