「どれが本物か」── 10回かけて、この問いに答えられる形を作ってきました
「膨張しているのか、光が遅くなっているのか、原子が縮んでいるのか」── 第3回で三つの絵を並べたとき、たぶん誰もが思ったはずです。で、本当はどれなの? このシリーズはずっと「どれでもいい、ゲージだから」と答えてきました。でもそれは、逃げているのでしょうか。最終回では、この問いをまじめに扱っている二つの立場を並べ、そのうえでシリーズの答えを出します。結論を先に言えば ── 問いに答える資格があるのは、無次元不変量だけです。 そして、それは逃げではありません。
フラナガンに代表される立場は、はっきりしています ── どのフレームが正しいかを決めようとする努力は、少なくとも古典物理の範囲では的外れだ。 なぜなら、観測できる量はすべて共形フレーム不変量だから。
これは、このシリーズが実演してきたことそのものです。第3回で三つの絵の赤方偏移を計算したら、全部 \(1+z=t_0/t_e\) でした。再結合の無次元比は、どちらの絵でも 52.6 でした。第4回では「銀河間距離 ÷ 原子半径」がゲージに依らないことを見た。第6回では \(N=mc^2t/\hbar\) が二つの絵で厳密に同じ式になった。測れるものが全部一致するなら、「どちらが本物か」を決める実験は存在しません。
観測量=共形フレーム不変量。
ゆえに「どのフレームが物理的か」という問いには、内容がない。
ところが、ファラオーニらはこう反論します ── 物質を入れると、話はそんなに簡単ではない。
理由は具体的です。共形変換をすると、質量次元を持つ量はすべて変換されます(第3回のウェイト表)。すると何が起きるか ── もとのフレームで自由落下していた粒子、つまり測地線に沿って動いていた粒子は、変換後のフレームでは測地線に乗りません。ディラトンの勾配から力を受けるからです。
もとのフレーム
質量は一定。粒子は「曲がった時空をまっすぐ進む」=測地線。
変換後のフレーム
時空は平ら。でも質量が \(\tilde m=\phi m\) で場所ごとに変わるので、粒子は質量の勾配から力を受けて曲がる。
同じ運動を、「まっすぐな道を曲がった床の上で」見るか、「平らな床の上を力を受けながら」見るか。どちらの言い方でも軌跡は同じですが、「自由落下とは何か」の定義は、フレームごとに違ってしまう。
だからファラオーニらは言います ── 少なくとも「自由落下」や「等価原理」を素直に語りたいなら、どちらか一方を物理的なフレームだと宣言せざるを得ない。
ここが今回のいちばん大事なところです。AとBは、実は喧嘩していません。争点は「何を観測量と呼ぶか」だけです。
古典の話はここまで。量子にすると、話は本当にわからなくなります。第8回と第9回で理由は出そろっています。
第8回のアノマリー。 量子化には「細かさの基準 \(\mu\)」が必要でした。ところがフレームを取り替えると、その基準も一緒に変換される。二つのフレームの計算が、アノマリー項のぶんだけ食い違いうる ── 古典では完全に同じだった二つの記述が、量子では同じでなくなるかもしれない。
第9回のゴースト。 経路積分で「どの場を積分変数に選ぶか」は、フレームの選択そのものです。そして共形因子の逆符号のせいで、その選択が積分の収束性を左右してしまう。
文献の状況は、正直に言えば混沌としています ── 「量子レベルでも同値だ」と結論する論文と、「破れる」と報告する論文が、どちらも複数あります。これは開いた問題です。
10回かけて用意してきた答えを出します。
「どのフレームが本物か」に答える資格があるのは、無次元不変量だけ。
それが動くなら物理、動かないなら帳簿。
そして、その判定は必ず下せる。
これは逃げではありません。判定手続きだからです。どんな主張が来ても、同じ手順で処理できます ── 「宇宙は膨張していない、原子が縮んでいるのだ」(第2回)? 無次元比を作れ。「特異点は座標のせいだ」(第6回)? 無次元比を作れ。「\(\alpha\) が時間変化している」(前シリーズ番外編③)? 無次元比を作れ。答えは毎回、機械的に出ます。
| 回 | 動かしたもの(帳簿) | 残ったもの(物理) |
|---|---|---|
| 3 | 時間座標の選択(\(t\leftrightarrow\eta\))── 光速が変わるのはこれ | \(1+z=t_0/t_e\)、再結合の比 52.6、\(\alpha\) |
| 4 | ゲージ \(s\)(膨張を計量と場に配分) | \(\tilde a\cdot\phi\)=銀河間距離 ÷ 原子半径 |
| 5 | ポテンシャルの見かけ(実効ポテンシャル) | 状態方程式 \(w\)、\(w=-1/3\) の三重の境目 |
| 6 | 曲率 \(R\)(次元付き。\(\tilde R=0\) にもできる) | \(N=mc^2t/\hbar\)、プランク時間 |
| 7 | 物差しの目盛り(計量10成分のうち1個) | 光円錐=因果構造(残り9個) |
| 8 | ── | \(\beta\) 関数、\(1/137\to1/128\)、陽子質量の99% |
| 9 | ── | 共形因子問題(どのゲージでも消せない) |
右の列だけが、宇宙について何かを言っています。左の列は、私たちがどう記述するかの話。10回かけてやったのは、この二列を正確に分けることでした。
正直に、まだ閉まっていないものを並べて終わります。
立場AとBの整理は、このシリーズによる読み方です。両陣営が「争点は観測量の定義だ」で握手しているわけではありません ── 実際の論争はもっと込み入っていて、特に非最小結合を持つ物質を含む場合の扱いや、量子補正の効き方については、いまも意見が分かれています。
そして 05 節の結論も、万能ではありません。「無次元不変量を作れ」は判定手続きであって、どんな無次元量を作るべきかは教えてくれない。第6回で \(N=mc^2t/\hbar\) を選んだのは、そこに物理的な意味があると知っていたからです。手続きは答えを機械的に出しますが、良い問いを立てるところは、いつも人間の仕事のままです。
「どのフレームが本物か」には、二つの立場があります。A(フラナガンら):観測量はすべて共形フレーム不変量だから、問い自体に内容がない。B(ファラオーニら):物質を入れると測地線が移らないので、どちらかを物理的だと宣言せざるを得ない。二つは矛盾していません ── 争点は「何を観測量と呼ぶか」だけ。実験室から出る数字は一致し(A)、それを説明する言葉づかいは一致しない(B)。量子レベルでは、アノマリーとゴーストが絡んで、いまも決着していません。
このシリーズの答えは判定手続きです ── 問いに答える資格があるのは無次元不変量だけ。動けば物理、動かなければ帳簿。 10回でやったのは、この二列を正確に分けることでした。時間座標も、ゲージ \(s\) も、曲率 \(R\) も、物差しの目盛りも左の列。\(1+z\) も、\(N=mc^2t/\hbar\) も、光円錐も、\(\beta\) 関数も右の列。そして第9回の共形因子問題だけは、どのゲージを選んでも左に移せない ── 帳簿の書き換えでは消せないものが、確かに存在します。
印刷 / PDF 化:⌘+P(Windows は Ctrl+P)。画面ではスライダーでゲージを変え、右の四つが動かないことが見えます。「答えを見る」で解答が開きます。