「1/137 が 1/128 になる」は、共形対称性が壊れる音だった
ここまで7回、共形変換を「物差しを取り替える操作」として扱ってきました。第7回では、光がその取り替えを素通りすることも見た。ところが ── 量子力学は、物差しを取り替えさせてくれません。 場の理論を定義するだけで、どうしても「細かさの基準」が一つ紛れ込む。その結果、古典的には完璧に共形不変だった理論が、量子にした途端に対称性を失います。これをトレースアノマリー(共形アノマリー)と呼びます。そして今回のいちばん大事な一行は、これです ── その破れは、前シリーズでさんざん見た「\(\alpha\) の running」そのものです。
質量ゼロの理論を考えます。第7回の言い方では、長さの基準を何も持たない理論。ところが、この理論で実際に何かを計算しようとすると、必ず困ったことが起きます ── 無限に細かいところまで足し上げると、答えが発散する。
だから場の理論では、「どこまで細かく見るか」を決めてから計算します。その基準を \(\mu\)(繰り込みスケール)と書きます。前シリーズ第6回の言葉なら「細かさのツマミ」です。
ここで、致命的なことが起きています。
質量ゼロの理論には、長さの基準がなかった。
しかし理論を定義するために、基準 \(\mu\) を持ち込まざるを得ない。
→ 共形対称性は、量子化の時点で失われる。
物差しを持たない理論に、物差しを渡してしまった。第7回で「光は物差しを持たないから共形変換を素通りする」と書きましたが、量子論は光にも無理やり物差しを持たせてしまうのです。
基準 \(\mu\) を持ち込んだ以上、結合定数は「どの \(\mu\) で測ったか」に依存します。その依存の強さを表すのが \(\beta\) 関数です。
$$\beta(g)\equiv\frac{dg}{d\ln\mu}$$そして共形対称性の破れは、ちょうどこの \(\beta\) で書けます。第5回・第7回で「共形対称性を壊しているかどうかの指標」として使った \(T^\mu{}_\mu\) が、古典ではゼロだったのに、量子では ──
結合が走れば(\(\beta\ne0\))、共形対称性は壊れている。走らなければ(\(\beta=0\))、壊れていない。
この式は、二つのまったく違って見える事柄が同じ一つのことだと言っています。
| 素粒子論の言い方 | 共形変換の言い方 |
|---|---|
| 結合定数が走る(\(\beta\ne0\)) | 共形対称性が量子的に破れている |
| 結合が走らない(\(\beta=0\)) | 共形対称性が回復している(共形場理論) |
| \(\alpha\) が 1/137 から 1/128 になる | 破れの大きさを、実験で測っている |
前シリーズ第6回・前編のタイトルは「1/137 は、動く数だった」でした。細かく見るほど \(\alpha\) が大きくなり、\(Z\) ボソンの質量あたりのエネルギーでは 1/128 くらいになる ── 確立した実験事実です。
1ループの QED では、走り方はこう書けます。
① 1ループの走り(荷電粒子 \(N\) 種類ぶん)
$$\frac{d\alpha}{d\ln\mu}=\frac{2N}{3\pi}\alpha^2 \qquad\Longleftrightarrow\qquad \frac{d(1/\alpha)}{d\ln\mu}=-\frac{2N}{3\pi}$$逆数で書くとただの直線になります。傾きは \(-2N/3\pi=-0.212\,N\)。
② 電子質量から \(Z\) ボソン質量まで
$$\ln\frac{M_Z}{m_e}=\ln\frac{91.19\ \mathrm{GeV}}{0.511\ \mathrm{MeV}}=12.09$$③ electron だけ(\(N=1\))なら
$$\frac{1}{\alpha(M_Z)}=137.036-0.212\times12.09=134.5$$実測は 127.95 なので、まだ足りません ── 電子以外の荷電粒子(ミューオン、タウ、クォーク…)も、それぞれの質量を超えたところから走りに参加するからです。実効的には \(N\simeq3.5\) 相当。走りの傾きは、宇宙にどんな荷電粒子がいるかを数えているのです。
ツマミを 0 にすると線は真っ平らになります。それが「共形不変な世界」の姿 ── どの細かさで見ても \(\alpha\) は同じ、つまり物差しの目盛りが物理に影響しない世界。私たちの宇宙はそうなっていません。線は傾いている。その傾きが、共形対称性の破れの大きさそのものです。
「対称性が壊れた」と聞くと損をしたように感じますが、この破れはとんでもない仕事をしています。
質量ゼロの理論には、長さの基準がありません。ところが結合が走ると、「結合がある特定の値になる細かさ」という形で、基準が一つ生まれてしまう。何もないところから、スケールが湧いてくる ── これを次元変換と呼びます。強い相互作用の場合、その基準は数百 MeV のエネルギーで、\(\Lambda_{\rm QCD}\) と書かれます。
ここからが本題です。陽子の質量を、中身のクォークの質量から見積もってみましょう。
陽子は u, u, d の三つ
$$2m_u+m_d=2(2.16)+4.67=8.99\ \mathrm{MeV}$$陽子の質量と比べると
$$\frac{8.99\ \mathrm{MeV}}{938.27\ \mathrm{MeV}}=0.96\%$$クォークの質量(=ヒッグス由来)は、陽子の重さの1% しかありません。残りの 99% は、\(\Lambda_{\rm QCD}\) というスケール ── 共形対称性が量子的に破れたことで生まれたスケール ── から来ています。
あなたの体重の 約 99% は、ヒッグスではなく
共形対称性が量子で破れたことから来ている。
質量ゼロの理論が、質量を作り出した。これは「対称性の破れの副産物」ではなく、私たちの世界に大きさというものが存在する理由そのものです。第7回で「質量がスケールを持ち込む」と書きましたが、そのスケールを最初に作ったのも、破れた共形対称性でした。
\(\beta(g)=0\) になれば、共形不変性は量子レベルで回復します。そういう点を固定点と呼び、そこで実現する理論を共形場理論(CFT)といいます。
私たちの世界(4次元の標準模型)は、残念ながらどの固定点にもいません。だから \(\alpha\) は走り続けます。
もっと悪い知らせがあります。相互作用をぜんぶ切って、質量ゼロの自由な場だけにしても、時空が曲がっていれば共形対称性は破れます。
$$T^\mu{}_\mu=\frac{1}{16\pi^2}\Big(c\,C_{\mu\nu\alpha\beta}C^{\mu\nu\alpha\beta}-a\,E_4\Big)$$右辺は曲率の2乗でできています。\(a,\ c\) は場の種類(スカラーか、フェルミオンか、ベクトルか)で決まる純粋な数。場が何個いるかを、時空の曲がりが数え上げてしまうのです。これはホーキング輻射やインフレーション中のゆらぎの計算に、実際に効いてきます。
つまり共形対称性の破れは、避けようがない。相互作用を切っても、曲率が残っていれば漏れる。
ここで、これまでの回に注釈を入れておかなければなりません。
第4回で「場を1個増やして対称性を1個増やしたから、差し引きゼロ」と数えました。第5回で「これは書き換えであって物理ではない」と書きました。どちらも、古典の話です。
量子にすると、共形変換はただの書き換えではなくなります。フレームを取り替えるとアノマリー項が生まれ、二つのフレームの計算が完全には一致しなくなる。「どのフレームが物理的か」という問いが、古典では無意味だったのに、量子では意味を持ちうる ── この論争が現在も決着していないことを、最終回(第10回)で扱います。
図の直線は1ループ・しきい値を無視した概算です。実際の \(1/\alpha(M_Z)=127.952\) は、各粒子がその質量を超えたところから順に走りに参加する効果(しきい値)と、強い相互作用によるハドロンの寄与を全部足し上げて得られる値で、単一の \(N\) では表せません。図の \(N\) は「その傾きなら実測点を通る」という実効値にすぎず、粒子の実際の数ではありません。
また \(\Lambda_{\rm QCD}\) の値はスキームと次数の取り方に依存し、「数百 MeV」以上の精度で一意の数字にはなりません。陽子質量の 99% がクォーク質量以外から来る、という結論そのものは格子 QCD で確立していますが、それを「\(\Lambda_{\rm QCD}\) という一つの数から出た」と言うのは、話を単純にしすぎた言い方です。
量子化するには「細かさの基準 \(\mu\)」を持ち込まざるを得ず、その瞬間に共形対称性は失われる。破れの大きさはちょうど \(\beta\) 関数で測れて、\(T^\mu{}_\mu=(\beta/2g)F_{\mu\nu}F^{\mu\nu}\)。だから「結合が走る」と「共形対称性が破れている」は、同じ一つの事実の二つの言い方。前シリーズ第6回で見た \(1/137\to1/128\) は、破れの大きさを実験で測っていたことになります。
そして破れは損ではありません。走りは何もないところからスケールを生み(次元変換)、その \(\Lambda_{\rm QCD}\) が陽子質量の 99% を作っている ── あなたの体重のほとんどは、共形対称性が壊れたおかげです。破れが止まるのは \(\beta=0\) の固定点(共形場理論)だけで、標準模型はそこにいない。おまけに相互作用を切っても、時空が曲がっていれば曲率の2乗の形で漏れる。だから第4回・第5回の「書き換えだから安全」は、あくまで古典の話でした。
印刷 / PDF 化:⌘+P(Windows は Ctrl+P)。画面ではスライダーで走りの傾きを変え、β=0 で線が水平=共形不変になる様子が見えます。「答えを見る」で解答が開きます。