わかる c·t=一定 第 42 回 / 第 V 部・道具が壊れる場所
動かない方は測れず、測れる方は動く
地平面は、
共形変換では消せない
事象の地平面はウェイト 0 ── 因果構造だけで決まるからです。
ところが見かけの地平面は動きます。そして中に入っても、中身は読めません。
前回、終期の側が第 3 段(道具が届かない)だと分かりました。今回はそこへ入っていきます ── ブラックホールの内部。結論を先に言うと、事象の地平面はウェイト 0 で、共形変換では作れも消せもしません。ところが見かけの地平面のほうは動きます。そして中に入っても、\(1.5\times10^{77}\) ビットは読めません。
01地平面は、共形変換で消せるか
02ところが、見かけの地平面は共形不変ではない
\(\theta=0\) は保たれない ── 見かけの地平面は動く
| 地平面 | 決め方 | ウェイト | 共形変換 |
|---|---|---|---|
| 事象の地平面 | 因果構造(大域的) | \(0\) | 動かない |
| 見かけの地平面 | \(\theta=0\)(局所的) | \(\ne0\) | 動く |
02節の結論
二つの地平面の違いが、そのままウェイトの違いになっています。
ただし事象の地平面を実際に見つけるには未来を全部知る必要があります ──
動かない方は測れず、測れる方は動く。
03ペンローズ図 ── 記法が仕事をする場所
03節の結論
第1回の主張「\(c\cdot t=\)一定 は記法であってモデルではない」の双子です ──
ペンローズ図もモデルではありません。それでも相対論で最も有用な道具の一つ。
── 記法は無価値ではありません。ただ、主張ではないだけです。
04核心 ── 中に入っても、中身は読めない
| ブラックホール | 地平面での潮汐 [g] | 地平面→特異点 [s] |
|---|---|---|
| 太陽質量 | \(2.10\times10^{9}\) | \(1.55\times10^{-5}\) |
| いて座 A\(^*\)(\(4.3\times10^6M_\odot\)) | \(1.14\times10^{-4}\) | \(66.6\) |
| M87\(^*\)(\(6.5\times10^9M_\odot\)) | \(4.97\times10^{-11}\) | \(1.01\times10^{5}\) |
太陽質量では \(2\times10^9\) g ── 原子ごと引き裂かれます。ところが M87\(^*\) では \(5\times10^{-11}\) g、まったく感じません。地平面は「何かが起きる場所」ではありません ── 大きいブラックホールでは、通過に気づかないのです。
| ブラックホール | 読める [bit] | BH の \(S\) [bit] | 足りない [bit] |
|---|---|---|---|
| 太陽質量 | \(8.37\times10^{48}\) | \(1.51\times10^{77}\) | \(93.9\) |
| いて座 A\(^*\) | \(3.60\times10^{55}\) | \(2.80\times10^{90}\) | \(115.9\) |
| M87\(^*\) | \(5.44\times10^{58}\) | \(6.40\times10^{96}\) | \(126.5\) |
今回いちばん言いたいこと
どの場合も、桁違いに足りません。
── 情報が「失われる」かどうか以前に、取り出す時間がありません。
大きいブラックホールほど中にいる時間は長いのに、足りなさは大きくなります(93.9 → 126.5 ビット)。
図:ブラックホールの質量を動かしたときの、地平面での潮汐(感じるか)と中で読める情報の足りなさ。ツマミを動かすと、大きいほど痛くないのに、大きいほど読めないことが見えます
05蒸発の時計
| ブラックホール | \(t_{\rm evap}\) [年] | 宇宙年齢の何倍 |
|---|---|---|
| 太陽質量 | \(2.10\times10^{67}\) | \(1.5\times10^{57}\) |
| M87\(^*\) | \(5.76\times10^{96}\) | \(4.2\times10^{86}\) |
| いま蒸発し終わる質量 | \(M=1.73\times10^{11}\) kg(地球の山ひとつぶん) | |
恒星質量以上のブラックホールは、宇宙年齢の \(10^{57}\) 倍以上かかります ── 実質、蒸発しません。いま蒸発し終わる質量帯(\(10^{11}\) kg)は、原始ブラックホールとして探されているところです。
06ページ時間 ── 情報が出てくるとしたら、いつか
ページ曲線では、放射のエンタングルメント・エントロピーがブラックホールのエントロピーと等しくなる時点で折り返します。よく引かれる「0.54」は別の規約による値で、ここでは面積が半分になる時点を採りました。どちらにせよ蒸発の中盤 ── 情報が出てくるとしたら、そこから後。太陽質量なら \(1.4\times10^{67}\) 年後です。
07ウェイト表で確かめる
| 量 | ウェイト | 理由 |
|---|---|---|
| 事象の地平面があるかどうか | \(0\) | 因果構造だけで決まる |
| \(S=A/4\ell_P^2\) | \(0\) | 第40回① |
| 潮汐加速度を \(g\) で測った値 | \(0\) | 加速度 ÷ 加速度 |
| \(t_{\rm evap}/t_0\) | \(0\) | 時間 ÷ 時間 |
| ページ時間の割合 | \(0\) | 時間 ÷ 時間 |
| 見かけの地平面の位置 | \(\ne0\) | ここだけが例外 |
① 01節の「共形変換が因果構造を保つ」には条件があります。 \(\Omega\) がどこでも正でなめらかであることが必要で、\(\Omega\) がゼロになったり発散したりする点(ペンローズ図で無限遠を持ってくる境界がまさにそれ)では、話が別になります ── 境界の扱いこそが共形幾何のいちばん微妙なところで、第31回の CCC も第41回のワイル仮説も、その微妙な場所での要請でした。
② 04節の「読める情報」は、上限の上限です。 第24回のチャンネル容量(マルゴラス–レヴィティン限界)は理想的な量子計算の速度上限で、実在の観測者がその速度で情報を取り込めるという意味ではありません ── 「足りない」という結論は、この最も甘い見積もりでさえ足りない、という形で強くなりますが、数値そのものは目安です。
③ 04節の潮汐と落下時間は、シュヴァルツシルト解での値です。 実在のブラックホールは回転しており(第39回)、内部構造も違います ── 桁を見るための計算と読んでください。また、静止状態から自由落下した場合の最大固有時であって、落ち方によっては短くなります。
④ 06節のページ曲線は、まだ完全には決着していない話題です。 近年の「島(island)」の計算はページ曲線を再現しますが、情報がどのように出てくるかの機構は未解決です。本稿は「いつ折り返すか」の時刻だけを扱い、情報が実際に出てくるかどうかについては何も主張しません。
⑤ 05節の蒸発時間は、周囲から何も落ちてこない理想の場合です。 実際には CMB(2.7 K)のほうが恒星質量ブラックホールのホーキング温度(\(10^{-8}\) K 程度)より高いので、現在の宇宙ではこれらのブラックホールは蒸発せず、むしろ吸収して成長しています ── 蒸発が始まるのは、宇宙が十分冷えたずっと先です。
練習問題
- 共形変換で事象の地平面を消せるか。理由も。
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消せません。共形変換は光円錐を動かさず、事象の地平面は因果構造だけで決まる(「未来のヌル無限遠の因果的過去の境界」)からです ── ウェイト 0。ただし①のとおり、\(\Omega\) がどこでも正でなめらかであることが条件です。 - 見かけの地平面はどうか。
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動きます。\(\theta=0\) という局所的な条件で決まり、共形変換のもとで \(\theta\to\Omega^{-1}(\theta+2l^\mu\partial_\mu\ln\Omega)\) なので \(\theta=0\) は保たれません。── 動かない方(事象)は未来を全部知らないと測れず、測れる方(見かけ)は動く。 - M87\(^*\) の地平面を通過すると、どれくらい痛いか。
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まったく感じません ── \(5\times10^{-11}\) g。太陽質量なら \(2\times10^9\) g で原子ごと引き裂かれますが、潮汐は \(1/M^2\) で落ちます。地平面は「何かが起きる場所」ではありません。 - 中に入れば、ブラックホールの情報を読めるか。
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読めません。第24回のチャンネル容量で最も甘く見積もっても、太陽質量で 93.9 ビット、M87\(^*\) で 126.5 ビット足りません ── 情報が「失われる」かどうか以前に、取り出す時間がありません。しかも大きいほど中にいる時間は長いのに、足りなさは増えます。 - (やや難)ペンローズ図と \(c\cdot t=\)一定 の共通点は。
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どちらも記法であって、モデルではないことです。ペンローズ図は共形変換そのもので、変わるのは紙の上の距離(帳簿)、変わらないのは光円錐の傾き(物理)。それでも相対論で最も有用な道具の一つ ── 記法は無価値ではありません。ただ、主張ではないだけです。
まとめ 動かない方は測れず、測れる方は動く
共形変換 \(g\to\Omega^2g\) は光円錐を動かしません。そして事象の地平面は因果構造だけで決まりますから ── 事象の地平面はウェイト 0、共形変換では作れも消せもしません。このシリーズの道具が、ブラックホールを消せない理由です。
ところが見かけの地平面は動きます。\(\theta=0\) という局所的な条件で決まり、\(\theta\to\Omega^{-1}(\theta+2l^\mu\partial_\mu\ln\Omega)\) だからです。二つの地平面の違いが、そのままウェイトの違いになっていました ── そして動かない方は未来を全部知らないと測れず、測れる方は動く。
ペンローズ図は共形変換そのものです。変わるのは紙の上の距離(帳簿)、変わらないのは光円錐の傾き(物理)── 第1回の「\(c\cdot t=\)一定 は記法であってモデルではない」の双子で、それでも相対論で最も有用な道具の一つです。記法は無価値ではありません。ただ、主張ではないだけです。
中に入るとどうなるか。太陽質量なら地平面で \(2\times10^9\) g、原子ごと引き裂かれますが、M87\(^*\) なら \(5\times10^{-11}\) g でまったく感じません ── 地平面は「何かが起きる場所」ではありません。では中で情報は読めるか。第24回のチャンネル容量で最も甘く見積もっても、太陽質量で 93.9 ビット、M87\(^*\) で 126.5 ビット足りません。情報が「失われる」かどうか以前に、取り出す時間がないのです ── しかも大きいほど中にいる時間は長いのに、足りなさは増えます。
外で待つのはどうか。恒星質量ブラックホールの蒸発は宇宙年齢の \(10^{57}\) 倍以上、情報が出てくるとしたらページ時間(蒸発の 65 パーセント)から後 ── 太陽質量なら \(1.4\times10^{67}\) 年後です。ブラックホールの話は、見かけの地平面を除いて全部 0 の列にありました。
この文書は「わかる c·t=一定」シリーズ第42回(第 V 部の 6 回目)、物理好きの高校生・大学生向け読み物です。共形変換が因果構造を保つこと、事象の地平面と見かけの地平面の性質の違い、ペンローズ図、ホーキング蒸発、ページ曲線はいずれも標準的な内容で、本稿に新しい主張はありません ── 数値は kenshou/calc46.py で計算しています。01節の「共形変換が因果構造を保つ」には \(\Omega\) がどこでも正でなめらかであることが必要で、\(\Omega\) がゼロになったり発散したりする点(ペンローズ図で無限遠を持ってくる境界がまさにそれ)では話が別です ── 境界の扱いこそが共形幾何のいちばん微妙なところです。04節の「読める情報」は上限の上限で、第24回のチャンネル容量(マルゴラス–レヴィティン限界)は理想的な量子計算の速度上限であり、実在の観測者がその速度で情報を取り込めるという意味ではありません ── 「最も甘い見積もりでさえ足りない」という形で結論は強くなりますが、数値そのものは目安です。04節の潮汐と落下時間はシュヴァルツシルト解での値で(実在のブラックホールは回転しています)、静止状態から自由落下した場合の最大固有時です。06節のページ曲線はまだ完全には決着していない話題で、近年の「島」の計算はページ曲線を再現しますが情報がどう出てくるかの機構は未解決です ── 本稿は折り返しの時刻だけを扱い、情報が実際に出てくるかどうかについては何も主張しません。05節の蒸発時間は周囲から何も落ちてこない理想の場合で、実際には CMB(2.7 K)のほうが恒星質量ブラックホールのホーキング温度より高いため、現在の宇宙ではこれらは蒸発せず吸収して成長しています。 ── 印刷する場合はブラウザの「印刷」から「PDF に保存」を(印刷版ではスライダーと解答は静止・非表示になります)。