わかる c·t=一定 第 41 回 / 第 V 部・道具が壊れる場所
途方もない数は、見慣れた数でした
時間の矢は、
届く場所から届かない場所へ
ペンローズの \(10^{10^{123}}\) をビットで測ると、これまで三度出てきた数と同じでした。
そして時間の向きが、共形変換の届く範囲で言い直せます。
前回、初期宇宙の重力エントロピーがちょうどゼロだと分かりました(FLRW はワイル \(=0\))。今回はそれを法則として要請するという提案を見ます ── ワイル曲率仮説。有名な \(10^{10^{123}}\) という数の正体を数え、時間の矢がどこからどこへ向かっているかを、このシリーズの言葉で言い直します。
01ワイル曲率仮説とは何か
01節の結論
ワイル仮説は、初期面で曲率の自由度のちょうど半分を落とす要請です。
02なぜ要請が要るのか ── 余白を、確率に直す
つまり 「\(10^{10^{122}}\) 分の 1」を引き当てたことになる
ペンローズは \(10^{10^{123}}\) と書いています ── \(S_{\max}\) の見積もりが少し大きいだけで、同じ数の同じ話です。
03核心 ── その「途方もない数」を、ビットで測る
| ここまでに出てきた \(10^{122}\) | ビット |
|---|---|
| 第24回:宇宙が処理してきた情報 \(N=C\cdot t_0\) | \(3.11\times10^{122}\) |
| 第40回:ホログラフィック限界 | \(3.27\times10^{122}\) |
| 第40回:全質量を 1 個の BH にしたときの \(S\) | \(3.27\times10^{122}\) |
| 第41回:初期状態の特別さ | \(3.27\times10^{122}\) |
今回いちばん言いたいこと
四つとも、同じ数でした。
ペンローズの \(10^{10^{123}}\) は、このシリーズの通貨では \(3.3\times10^{122}\) ビット ── 見慣れた数です。
── 第26回・第40回に続いて、圧縮がまた効きました。
04帳簿 ── これはシリーズ最良の取引か
| 理論 | 払う [bit] | 買うもの | 買った量 |
|---|---|---|---|
| インフレーション(第27回) | \(10.73\) | 地平線・平坦性・\(n_s\) | \(-6.5\) と評価 |
| コスモン(第32回) | \(10.73\) | \(\rho_\Lambda\) の大きさ | 最大 \(408\) |
| MOND(第29回) | \(21.46\) | 回転曲線 | \(+1971\)(赤字) |
| ワイル曲率仮説 | \(5.37\) | 初期状態の特別さ | \(3.27\times10^{122}\) |
帳簿の上では、このシリーズで見たどの理論よりも桁違いに良い取引です(比 \(6\times10^{121}\))。ただし ── 「法則 1 個 = パラメータ 1 個 = 5.37 ビット」という値付けは第5回の便宜であって、境界条件と力学法則を同じ値段にしてよい保証はありません。ここが本回のいちばん弱いところです(正直な線②)。
05時間の矢は、道具が届く場所から届かない場所へ向かう
| 時期 | ワイル | 第33回の段 | 共形変換 |
|---|---|---|---|
| 初期特異点(ワイル仮説) | \(C=0\) | 第 2 段:共形平坦 | 届く |
| いまの宇宙(大域的には FLRW) | \(C\approx0\) | 第 2 段 | ほぼ届く |
| 終期(ブラックホール、第39回) | \(C\ne0\) | 第 3 段 | 届かない |
05節の結論
時間の矢は、共形変換が届く場所から、届かない場所へ向かっています。
── 第 V 部でここまで見てきた「道具が壊れる/届かない」が、じつは時間の向きそのものだった。
図:ワイル曲率で見た宇宙の一生。左端(初期)はワイル \(=0\) で第 2 段、右へ行くほどワイルが育って第 3 段へ。ツマミで時期を動かすと、共形変換が届く/届かないの境目が読めます ── これが時間の矢です
06第31回とのつながり ── 同じ要請を、二度見ていた
07観測にかかるか
現在の上限: \(r<0.036\)(BICEP/Keck 2021, 95% CL)→ 第19回の作法で 4.8 ビット
いまのところ原始重力波は見つかっていません ── ワイル仮説には追い風です。ただし論理は詰まっていません:ワイル仮説は特異点そのものについての要請で、インフレーションはそのあとの段階を扱います。\(r\ne0\) が出てもワイル仮説が直ちに否定されるわけではありません。
08反論 ── インフレーションでは代わりにならない
ペンローズの再反論:インフレーションを始めるには、それ自体が低エントロピーの初期状態を要る。説明したい当のものを前提にしている。
── 両者は代替物ではない、というのがペンローズの立場です。これは決着していない論争で、本稿はどちらも支持しません。
① 02節・03節の数は、第40回の見積もりをそのまま受け継いでいます。 \(S_{\max}\) はハッブル球で数えたホログラフィック限界で、どの地平面を取るかで一桁動きます(第40回②)。\(10^{10^{122}}\) と \(10^{10^{123}}\) の違いは、その程度の違いです。
② 04節の帳簿が本回のいちばん弱いところです。 「法則 1 個 = 5.37 ビット」は第5回でパラメータの値段として作った量で、境界条件をその値段で買えるという保証はありません。厳密には、初期条件の指定は「法則 1 行」ではなくその条件を書き下すのに要る記述長で払うべきで、そちらは 5.37 ビットよりずっと大きい可能性があります ── 04節は「良い取引に見える」という観察であって、証明ではありません。
③ 「位相空間の体積比 \(=e^{\Delta S}\)」は、重力を含む系では素朴すぎる可能性があります。 ブラックホールのエントロピーが本当に位相空間の体積の対数なのかは量子重力の未解決問題で、02節の確率解釈はその前提の上に乗っています。
④ 07節の観測との結びつきは、論理が詰まっていません。 ワイル仮説は特異点での要請であり、その後の進化で原始重力波が生成されないことを直接には言いません ── 「\(r\) の上限は追い風」は状況証拠として読んでください。4.8 ビットという値も、事前を \(r\in[0,1]\) と一様に取ったときの数字です。
⑤ ワイル曲率仮説は仮説であって、確立した法則ではありません。 定式化そのものにも議論があり(「ワイル \(=0\)」を特異点でどう厳密に述べるかは自明ではありません)、本稿はこの仮説もインフレーションも支持・否定しません。学術的な標準はインフレーションを含む \(\Lambda\)CDM モデルです。
練習問題
- ワイル曲率仮説は、初期面で何を落としているか。数で言うと。
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4 次元のリーマン曲率の独立成分 20 個のうち、ワイルの 10 個 ── 曲率の自由度のちょうど半分です。残る 10 個はリッチで、これは物質がアインシュタイン方程式で決めます。 - ペンローズの \(10^{10^{123}}\) は、ビットでいくつか。
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\(3.3\times10^{122}\) ビット(\(S_{\max}/\ln2\))。これは第24回の \(N=C\cdot t_0\)、第40回のホログラフィック限界と同じ数です ── 四つの見出しの数字が一つだったことになります。 - 04節の帳簿の弱点はどこか。
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境界条件を「法則 1 個 = 5.37 ビット」で買えると仮定していることです。第5回の 5.37 ビットはパラメータの値段で、初期条件の指定に同じ値段を当ててよい保証はありません ── 厳密にはその条件を書き下す記述長で払うべきで、それはずっと大きい可能性があります。 - 時間の矢を、第33回の三段判定で言うとどうなるか。
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第 2 段(共形平坦・道具が届く)から、第 3 段(ワイル \(\ne0\)・届かない)へ向かう。初期特異点はワイル \(=0\)、終期のブラックホールはワイル \(\ne0\) です ── 第 V 部で見てきた「道具が壊れる/届かない」が、じつは時間の向きそのものでした。 - (やや難)第31回の CCC と第41回のワイル仮説の関係は。
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同じ要請を、別の目的で使っています。CCC は貼り合わせのために境界で物差しが無いこと(=共形構造だけが残る=ワイル \(=0\))を要求し、ワイル仮説は初期が特別であることを説明するために同じ条件を置きます ── ペンローズの二つの提案は、根が一つでした。
まとめ 途方もない数は、見慣れた数だった
ワイル曲率仮説は、初期特異点でワイル \(=0\)、終期では制限しないという要請です。4 次元のリーマン曲率 20 成分のうちワイルの 10 成分、ちょうど半分を初期面で落とします。
なぜ要るのか。第40回の余白を確率に直すと、初期状態は \(10^{10^{122}}\) 分の 1 を引き当てたことになります(ペンローズは \(10^{10^{123}}\))。ところがそれをビットで測ると \(3.27\times10^{122}\) ビット ── 第24回の \(N=C\cdot t_0\)、第40回のホログラフィック限界とまったく同じ数でした。四つの見出しの数字が、一つだったのです。 第26回・第40回に続く、三度目の圧縮です。
帳簿で言えば、5.37 ビット払って \(3.27\times10^{122}\) ビット買う ── 桁違いに良い取引に見えます。ただし境界条件をパラメータと同じ値段で買えるという保証はなく、そこが本回のいちばん弱いところです。
そして今回いちばん大事なこと。第33回の三段判定で初期と終期を並べると、初期はワイル \(=0\) で第 2 段(共形平坦・道具が届く)、終期のブラックホールはワイル \(\ne0\) で第 3 段(届かない)。つまり ── 時間の矢は、共形変換が届く場所から、届かない場所へ向かっています。 第 V 部でここまで見てきた「道具が壊れる/届かない」が、じつは時間の向きそのものだったのです。
最後に、第31回の CCC と同じ要請だったことも分かりました ── 貼り合わせのために境界で物差しが無いこと、それがワイル \(=0\)。ペンローズの二つの提案は、根が一つでした。
この文書は「わかる c·t=一定」シリーズ第41回(第 V 部の 5 回目)、物理好きの高校生・大学生向け読み物です。ワイル曲率仮説は Penrose (1979) の提案で、\(10^{10^{123}}\) という見積もりも彼のものです ── 数値は kenshou/calc45.py で計算しています。02・03節の数は第40回の見積もりをそのまま受け継いでおり、\(S_{\max}\) はハッブル球で数えたホログラフィック限界で、どの地平面を取るかで一桁動きます ── \(10^{10^{122}}\) と \(10^{10^{123}}\) の違いはその程度です。04節の帳簿が本回のいちばん弱いところです:「法則 1 個 = 5.37 ビット」は第5回でパラメータの値段として作った量で、境界条件をその値段で買えるという保証はありません ── 厳密には初期条件を書き下す記述長で払うべきで、それは 5.37 ビットよりずっと大きい可能性があり、04節は「良い取引に見える」という観察であって証明ではありません。「位相空間の体積比 = \(e^{\Delta S}\)」は重力を含む系では素朴すぎる可能性があり、ブラックホールのエントロピーが本当に位相空間の体積の対数なのかは量子重力の未解決問題です。07節の観測との結びつきは論理が詰まっていません ── ワイル仮説は特異点での要請で、その後の進化で原始重力波が生成されないことを直接には言いません(「\(r\) の上限は追い風」は状況証拠、4.8 ビットも事前を一様に取った場合の数字)。ワイル曲率仮説は仮説であって確立した法則ではなく、定式化そのものにも議論があります ── 本稿はこの仮説もインフレーションも支持・否定しません。学術的な標準はインフレーションを含む \(\Lambda\)CDM モデルです。図中の曲線は模式で、数値の予言ではありません。 ── 印刷する場合はブラウザの「印刷」から「PDF に保存」を(印刷版ではスライダーと解答は静止・非表示になります)。