わかる c·t=一定 第 28 回 / 第 IV 部・いちばん近い場所にいる理論
失敗は「c を動かしたこと」ではなく、「c と呼び続けたこと」でした
VSL ── どこで
手術に失敗したのか
「光速が昔は速かった」の中にも、二つの別物が入っています。
切り分けると、観測にかかる中身はまるごと「\(\alpha\) が変わる」でした。
第 IV 部の二人目は VSL(光速可変理論)です。このシリーズといちばん近い場所にいる理論で、だからこそ手術がよく効きます。「光速が昔は速かった」の中にも、やはり二つの別物が入っています ── 単位の取り替えと、無次元量が動くという主張。切り分けると、VSL がどこで手術に失敗したのかがはっきりします。答えを先に言うと ── 失敗は「c を動かしたこと」ではなく、「c と呼び続けたこと」でした。
01そもそも \(c\) は、四つある
手術の前に、切る対象を確認します。「光速」と呼ばれている \(c\) は、じつは別々の場所に別々の役割で四回出てきます。
| どこの \(c\) か | 何をしている |
|---|---|
| マクスウェル方程式の \(c\) | 電磁波の伝播速度 |
| ローレンツ変換の \(c\) | 因果構造 ── 光円錐の傾き |
| \(E=mc^2\) の \(c\) | 質量とエネルギーの換算係数 |
| アインシュタイン方程式の \(c\) | 曲率と物質の結合 \(8\pi G/c^4\) |
01節の結論
この四つは、原理的には別々に動かせる量です。
だから「\(c\) が変わる」は、どれが変わるのかを言っていません ── エリス=ユザン(2005)の指摘。
手術の対象は、二つではなく四つ以上ありました。
02VSL が実際に主張しているのは、\(\alpha\) の変化
VSL(アルブレヒト=マゲイジョ 1999 ほか)は、この選択をはっきり行います ── \(e\) と \(\hbar\) を固定して、\(c\) を動かす。すると微細構造定数がついてきます。
02節の結論
「光速が変わる」の、観測にかかる中身はまるごと「\(\alpha\) が変わる」です。
── 前シリーズ番外編③で「VSL は原子時計に衝突する」と書いたのは、この一行のことでした。
03\(\alpha\) は、どれだけ縛られているか
第19回の作法で、ビットに直して並べます ── 上限が \(10^{-n}\) なら、\(\log_2(10^n)\) ビットぶん押さえられている。
| 測定 | 時代 | \(|\Delta\alpha/\alpha|\) 上限 | 縛られたビット |
|---|---|---|---|
| 実験室(CODATA 2022) | 今日 | \(1.6\times10^{-10}\) | 32.5 bit |
| 原子時計(13.8 Gyr 外挿) | \(z\simeq0\) | \(1.4\times10^{-8}\) | 26.1 bit |
| オクロ天然原子炉 | 18 億年前 | \(1.1\times10^{-8}\) | 26.4 bit |
| クエーサー吸収線 | \(z\sim2\) | \(1.0\times10^{-5}\) | 16.6 bit |
| CMB | \(z=1100\) | \(4.0\times10^{-3}\) | 8.0 bit |
| 元素合成 | \(z=4\times10^{8}\) | \(1.0\times10^{-2}\) | 6.6 bit |
直近の宇宙では 26 ビット、元素合成の時代でも 6.6 ビットが押さえられています。第19回の目盛りで言えば、小出の関係式(15.7 ビット)を超える精度で「動いていない」ことが分かっている量です。
04核心 ── 地平線問題を解くには、\(c\) がどれだけ変わればよいか
VSL の売りは、インフレーションなしで地平線問題を解くことです。ではどれだけの変化が要るのか。第27回で使った粒子的地平線を、\(c\) が変わる場合に書き直します。
\(c=c_0(a/a_0)^n\) として、輻射期(\(a\propto t^{1/2}\)、\(dt\propto a\,da\))で積むと
$$\chi=\int\frac{c\,dt}{a}\ \propto\ \int a^{n}\,da=\frac{a^{n+1}}{n+1}$$\(a\to0\) で発散する条件は
$$\boxed{\ n<-1\ }\qquad(\text{標準の }n=0\text{ では }\chi\propto a\text{ で発散しない})$$つまり VSL は、過去にさかのぼると \(c\) が少なくとも \(1/a\) の速さで増えることを要求します。すると \(\alpha\propto1/c\propto a^{-n}\) なので ──
| 時代 | \(1+z\) | 要求される \(\Delta\alpha/\alpha\) | 観測上限の何倍か |
|---|---|---|---|
| オクロ(18 億年前) | 1.14 | 0.14 | \(1.3\times10^{7}\) 倍 |
| クエーサー(\(z\sim2\)) | 3.0 | 2.0 | \(2.0\times10^{5}\) 倍 |
| CMB(\(z=1100\)) | 1101 | 1100 | \(2.8\times10^{5}\) 倍 |
| 元素合成(\(z=4\times10^8\)) | \(4\times10^{8}\) | \(4\times10^{8}\) | \(4\times10^{10}\) 倍 |
今回いちばん言いたいこと
滑らかな冪の VSL で地平線問題を解くことは、観測が排除します。
元素合成のところで、要求 \(4\times10^8\) に対して上限 \(10^{-2}\) ── 10 桁の超過。
しかも 18 億年前のオクロですら、すでに 7 桁足りません。
05生き残る VSL ── そして、生き残り方の代償
ところが VSL は死んでいません。アルブレヒト=マゲイジョの提案は冪ではなく相転移だからです ── ある時刻に \(c\) が一気に落ち、以後は一定。
図:横軸は赤方偏移、縦軸は \(|\Delta\alpha/\alpha|\)。灰色の点が観測上限で、その上は排除された領域。ツマミで相転移の時刻を動かすと、データを逃れた瞬間に、観測できる時代の予言もゼロになります
ツマミを右へ動かして相転移を早めていくと、紫の線が灰色の点をくぐり抜けます。ところがくぐり抜けた瞬間、観測できる全時代で線が床(\(\Delta\alpha/\alpha=0\))に貼りつきます。排除を逃れることと、予言を失うことが、同じ操作でした。
06種明かし ── 三つの運命
| \(\alpha\) は動くか | 観測との衝突 | 予言 | |
|---|---|---|---|
| 冪型 VSL | 動く(\(O(1)\)) | 元素合成で 10 桁超過 | 反証済み |
| 相転移型 VSL | 元素合成より前だけ | なし | 観測可能な時代にゼロ |
| c·t=一定(共形変換) | 厳密に不変 | なし | 記法。それ自体はゼロ |
同じ「光速が変わる」という言葉が、何を固定するかで三つに割れます。第9回の練習問題5で「VSL は原子時計に殺されて、この絵は殺されない」と書いたのは、この表の一行目と三行目のことでした。今回は真ん中の行が加わっています。
06節の結論 ── 手術の結果
「光速が変わる」の中身は、第3回とまったく同じ二つでした ──
(A) 単位の取り替え(何も言わない)と (B) 無次元量が動くという主張(観測にかかる)。
VSL は (B) を選んだのに、名前は (A) のまま残しました。
── 正しい名前は「\(\alpha\) 可変理論」です。
07混同しないこと ── \(\alpha\) の「走り」
第11回・第14回で見た繰り込み群による走りです。これはエネルギースケール依存であって、時間変化ではありません。03節の上限はすべて「同じエネルギースケールで測った \(\alpha\) が、時代とともに動いていないか」を見ています ── 軸が違うので、混同すると 6.6% と \(10^{-8}\) を比べることになります。第21回で a定理を「別の軸」に置いたのと、同じ整理です。
① 「\(c\) が四つある」はエリス=ユザン(2005)の整理です。 どの \(c\) を動かすかによって理論の中身は変わり、本稿はそのうち「\(\alpha\) が動く選択」だけを追っています。ローレンツ変換の \(c\) を動かす(=因果構造そのものを変える)タイプの VSL は、また別の議論が要ります。
② 03節の上限は、代表的な値をまとめたものです。 クエーサー吸収線については Webb らが \(\Delta\alpha/\alpha\simeq-0.6\times10^{-5}\) の有意な変化を主張した経緯があり、Keck と VLT で符号が食い違うなど論争が続いています。本稿の \(10^{-5}\) は保守的にまとめた上限で、単一の測定値ではありません。CMB と元素合成の上限も、他のパラメータとの縮退の扱いで数倍動きます。
③ 04節の \(n<-1\) は、輻射優勢で \(c\) が \(a\) の冪に従う場合の条件です。 \(c\) が変わると \(H\) の式も変わるので、正確には修正フリードマン方程式を解く必要があります ── 本稿は桁の議論として、地平線が発散するかどうかだけを見ています。
④ 「相転移型は観測可能な時代に予言がゼロ」は、\(\alpha\) についての話です。 VSL には他の予言(ゆらぎのスペクトル、平坦性問題の解き方など)を持たせる定式化もあり、それらは別に検証されます ── 本稿が言っているのは「\(\alpha\) の測定では区別できない」という一点です。
⑤ この回は VSL を否定していません。 冪型が排除されることと、相転移型が \(\alpha\) の測定にかからないことを数えただけです。手術の目的は、名前の中に隠れた比較相手を名指しすることでした。
練習問題(今回の式だけで解けます)
- 「光速が変わる」が、それだけでは主張になっていないのはなぜか。
答えを見る
\(c\) は次元付き=帳簿だから ── 何を固定するかを言わないと意味が出ません。しかも \(c\) は四か所(マクスウェル、ローレンツ変換、\(E=mc^2\)、アインシュタイン方程式)に別々に出てくるので、どの \(c\) かも言う必要があります。 - VSL が実際に主張しているのは何か。
答えを見る
\(e\) と \(\hbar\) を固定して \(c\) を動かすので、\(\alpha=e^2/4\pi\varepsilon_0\hbar c\) が \(\Delta\alpha/\alpha=-\Delta c/c\) で動きます。観測にかかる中身はまるごと「\(\alpha\) が変わる」。正しい名前は「\(\alpha\) 可変理論」です。 - 地平線問題を解くために必要な \(c\) の変化を求めよ。
答えを見る
\(c=c_0(a/a_0)^n\) として \(\chi=\int c\,dt/a\propto\int a^n da=a^{n+1}/(n+1)\)。\(a\to0\) で発散する条件は \(n<-1\)。したがって \(\alpha\propto a^{-n}\) より \(\alpha(z)/\alpha_0\ge1+z\)。 - 元素合成の時代で、要求と観測上限を比べよ。
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\(z=4\times10^8\) なので要求は \(\Delta\alpha/\alpha\ge4\times10^8\)、観測上限は \(10^{-2}\)。比は \(4\times10^{10}\) 倍 ── 10 桁の超過で、滑らかな冪の VSL は排除されます。オクロ(18 億年前)ですら 7 桁足りません。 - (やや難)相転移型 VSL は、なぜ排除されないのか。その代償は。
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\(c\) の変化を元素合成より前(\(z>4\times10^8\))に閉じ込めれば、\(\alpha\) のデータが存在しない領域なので上限にかかりません。代償は観測できる時代に \(\alpha\) の予言がゼロになること ── 標準宇宙論と区別がつきません。排除を逃れることと予言を失うことが、同じ操作です。
まとめ 失敗は、\(c\) を動かしたことではなかった
まず切る対象を確認しました ── 「光速」と呼ばれる \(c\) は、マクスウェル方程式・ローレンツ変換・\(E=mc^2\)・アインシュタイン方程式に別々の役割で四回出てきます。だから「\(c\) が変わる」は、どれが変わるかを言っていない(エリス=ユザン 2005)。
VSL はこの選択をはっきり行います ── \(e\) と \(\hbar\) を固定して \(c\) を動かす。すると \(\Delta\alpha/\alpha=-\Delta c/c\) で、観測にかかる中身はまるごと「\(\alpha\) が変わる」になります。そして \(\alpha\) は、実験室で 32.5 ビット、18 億年前のオクロで 26.4 ビット、元素合成でも 6.6 ビット押さえられている ── 第19回の目盛りでいえば、小出の関係式より高い精度で「動いていない」と分かっている量です。
核心は 04節でした。地平線問題を解くには、粒子的地平線 \(\chi\propto a^{n+1}/(n+1)\) が発散する必要があり、条件は \(n<-1\)。すると \(\alpha(z)/\alpha_0\ge1+z\) が要求されます。元素合成のところで要求 \(4\times10^8\)、上限 \(10^{-2}\) ── 10 桁の超過。滑らかな冪の VSL で地平線問題を解くことは、観測が排除します。
ただし VSL は死んでいません。相転移型なら \(c\) の変化を元素合成より前に閉じ込められるからです ── ところが、排除を逃れることと予言を失うことが同じ操作でした。観測できる時代には \(\alpha\) が完全に一定で、標準宇宙論と区別がつかない。
そして手術の結果。「光速が変わる」の中身は第3回とまったく同じ二つ ── (A) 単位の取り替え(何も言わない)と (B) 無次元量が動くという主張(観測にかかる)。VSL は (B) を選んだのに、名前は (A) のまま残しました。 正しい名前は「\(\alpha\) 可変理論」です。手術の失敗は「\(c\) を動かしたこと」ではなく、「\(c\) と呼び続けたこと」でした。
この文書は「わかる c·t=一定」シリーズ第28回、物理好きの高校生・大学生向け読み物です。\(c\) が理論の複数の場所に別々の役割で現れ「どの \(c\) が変わるのか」を指定しないと VSL が定義されないことは Ellis & Uzan (2005, Am. J. Phys. 73, 240) の指摘です。VSL は Albrecht & Magueijo (1999, PRD 59, 043516)、Barrow (1999) ほかによります。\(\alpha=e^2/4\pi\varepsilon_0\hbar c\) および \(e,\hbar\) 固定のもとでの \(\Delta\alpha/\alpha=-\Delta c/c\) は定義から従います。03節の上限は代表的な値をまとめたもので、CODATA 2022 の \(\alpha^{-1}=137.035999177(21)\)、原子時計は Lange et al. (2021, PRL 126, 011102) の \(|\dot\alpha/\alpha|<1.0(1.1)\times10^{-18}\)/yr、オクロ天然原子炉、クエーサー吸収線、CMB、元素合成による制約に基づきます ── クエーサー吸収線については Webb らが有意な変化を主張した経緯があり、Keck と VLT で結果が食い違うなど論争が続いています。本稿の \(10^{-5}\) は保守的にまとめた上限で単一の測定値ではなく、CMB と元素合成の上限も他パラメータとの縮退の扱いで数倍動きます。04節の \(\chi\propto a^{n+1}/(n+1)\) と条件 \(n<-1\)、および \(\alpha(z)/\alpha_0\ge1+z\)、各時代での超過倍率(元素合成で \(4\times10^{10}\) 倍)は本稿での計算です(kenshou/calc32.py)── \(c\) が変わると \(H\) の式も変わるため、正確には修正フリードマン方程式を解く必要があり、本稿は地平線が発散するかどうかだけを見た桁の議論です。「相転移型は観測可能な時代に予言がゼロ」は \(\alpha\) についての言明で、VSL には他の予言を持たせる定式化もあります。\(\alpha^{-1}\) が 137.036 から \(M_Z\) で 127.951 へ走ることはエネルギースケール依存であって時間変化ではありません(第11回・第14回)。本稿は VSL を否定するものではなく、冪型が排除されることと相転移型が \(\alpha\) の測定にかからないことを数え、名前の中に隠れた比較相手を名指ししたものです。線形膨張(\(c\cdot t=\)一定、\(R_h=ct\))は検証途上の少数派モデルです。学術的な標準はインフレーションを含む \(\Lambda\)CDM モデルです。 ── 印刷する場合はブラウザの「印刷」から「PDF に保存」を(印刷版ではスライダーと解答は静止・非表示になります)。