わかる c·t=一定 第 27 回 / 第 IV 部・同じ手術を、ほかの理論にもかける

いちばん有名な動機づけが、いちばん弱い論拠でした

インフレーションを、
同じ手術にかける 「地平線問題を解く」の中にも、二つの別物が同じ名前で入っています。
切り分けると、残るのは \(n_s\) のほうでした。

必要な道具:粒子的地平線、e-folds、第19回の手続き\(N_{\min}=62.1\) vs \(N_{n_s}=57.0\pm6.8\)

第3回でやった手術を覚えていますか ── ひとつの名前の中に、別物が二つ入っていないか調べる。合言葉には「等価な書き換え」と「観測が判定する主張」が同じ名前で入っていました。第 IV 部では、この手術を他の理論に当てます。最初の患者はインフレーションです。

01「インフレーションは地平線問題を解く」を切り分ける

A
因果的に繋げること幾何の話。共形図の形が変わればよい ── 等価な書き換えでも達成できる種類の主張
B
ゆらぎのスペクトルを出すこと\(n_s\)、\(r\)、断熱性、ガウス性 ── 観測が判定する種類の主張

第3回とまったく同じ構図です。では (A) はどれだけ「安い」のか ── そこから数えます。

02(A) は、\(a\propto t\) なら 0 e-folds で済む

粒子的地平線

\(a\propto t^p\) のとき

$$d_p=a(t)\int_0^t\frac{c\,dt'}{a(t')}=\frac{ct}{1-p}$$

\(p=1\) では \(\int dt'/t'\) が対数発散するので

$$d_p=\infty$$
膨張則\(d_p\)地平線問題
\(p=1/2\)(輻射)\(2ct\)ある
\(p=2/3\)(物質)\(3ct\)ある
\(p=0.99\)\(100\,ct\)ある
\(p=1\)(c·t=一定)\(\infty\)ない

02節の結論

c·t=一定 は、地平線問題を e-folds 0・パラメータ 0 で消します。
つまり (A) はインフレーション固有の成果ではありません ── 地平線問題は「宇宙の問題」ではなく「減速する宇宙の問題」でした

第17回では、この問題に必要な情報を数えました ── 再結合時に因果的に切れたパッチが約 \(10^4\) 個、合意に必要な情報は 20 KB。\(p=1\) ならパッチは 1 個なので、必要な情報は 0 ビットです。

◇ ◇ ◇

03(A) がインフレーションに要求する e-folds

条件

今日の共動ハッブル半径が、インフレーション開始時のそれの内側にあること

$$e^N\ \ge\ \frac{a_e}{a_0}\cdot\frac{H_{\rm inf}}{H_0}$$
\(V^{1/4}\)\(H_{\rm inf}\) [1/s]\(T_{\rm reh}\) [GeV]\(N_{\min}\)
\(10^{16}\) GeV(GUT)\(3.6\times10^{37}\)\(4.1\times10^{15}\)62.1
\(10^{13}\) GeV\(3.6\times10^{31}\)\(4.1\times10^{12}\)55.2
\(10^{10}\) GeV\(3.6\times10^{25}\)\(4.1\times10^{9}\)48.3
\(10^{6}\) GeV\(3.6\times10^{17}\)\(4.1\times10^{5}\)39.1

よく言われる「\(N\approx60\)」は GUT スケールでの値です。ここが手術の勘所です ── \(N\) は自由パラメータではなく、(A) の要求から決まっています。

04そして、同じ \(N\) が \(n_s\) を予言する

スローロールの標準結果 $$n_s\approx1-\frac{2}{N}$$

(A) が決めた \(N=62.1\) を入れると

$$n_s=0.9678$$

観測(Planck 2018)

$$n_s=0.9649\pm0.0042\qquad\Longrightarrow\qquad N=57.0\pm6.8$$

ずれ

$$0.75\sigma$$

今回いちばん言いたいこと

まったく別の要求から決めた二つの \(N\) が、\(1\sigma\) 以内で一致しました。
一方は「今日の宇宙が一つの因果パッチに入ること」、もう一方は「CMB のゆらぎの傾き」。この二つが繋がっている理由は、インフレーションを仮定して初めて出てきます。

図:横軸は e-folds \(N\)。=(A) が要求する \(N_{\min}\)(再加熱スケールで動く)、=(B) の \(n_s\) から決まる \(N\)。ツマミで再加熱スケールを動かすと、二つが重なる場所が見えます

10¹⁶ GeV
(A) 地平線が要求する \(N_{\min}\) (B) \(n_s\) が示す \(N=57.0\pm6.8\)

05第19回の手続きで、一致の驚きを測る

測り方中身驚き
A:\(n_s\) の相対幅\(\sigma_N/N=0.120\)、事前 \(\ln\) レンジ 4.615.3 bit
B:帯に入る確率\(N\in[55,70]\) の確率 0.0524.3 bit

およそ 4〜5 ビット。第19回の目盛りでは偶然の帯(4.7〜7.4 ビット)に入りますが、こちらには説明があります ── 同じ \(N\) が両方を決めるという構造です。第19回の分類では、説明がある一致は物理に移ります。第18回の 1.96 fm(7.4 ビット、説明なし)とはそこが違います。

06種明かし ── 同じ手術、違う結果

払う買う差し引き
インフレーション\(N\)+\(V\) の形 ≈ 2 個
(\(-10.7\) bit)
\(n_s\) を 4.3 bit で当てる\(-6.5\) bit
(過小評価)
c·t=一定パラメータ \(-1\) 個
(\(+5.4\) bit)
地平線問題が消える\(-148.3\) bit
(第25回)

インフレーション側の \(-6.5\) は過小評価です ── ここでは \(n_s\) ひとつしか計上していませんが、同じ 2 パラメータが \(r\) の上限、断熱性、ガウス性、地平線を越えた TE 反相関、平坦性、モノポール問題まで買っています。いっぽう c·t=一定 の \(-148.3\) は当てはまりの損そのものなので、過小評価ではありません。

06節の結論

同じ手術をしても、残るものが違いました
インフレーションは (A) を捨てても (B) が残ります。
c·t=一定 は (A) を無料で解きますが、(B) に対応するものを持ちません。

なぜ (A) を捨てるべきか 「インフレーションは地平線問題を解く」は、教科書でいちばん最初に出てくる動機づけです。しかしこの手術が示したのは、それが最も弱い論拠だということです ── \(a\propto t\) でも同じことができ、パラメータは 0 個で済むのですから。インフレーションを支えているのは (A) ではなく (B) のほうです。 同じことは c·t=一定 についても言えました ── 前作の「c と ħ を同時に動かせば同じ」は正しいが、正しいだけで何も買っていない。手術の目的は、どちらが本当に払っている論拠かを名指しすることです。
正直な線 ── この回が置いている前提

① \(N=60\) は再加熱スケールに強く依存します。 表のとおり \(V^{1/4}=10^6\) GeV なら \(N_{\min}=39\)、GUT スケールなら 62 ── 幅 23 です。\(n_s\) との一致は GUT スケールを仮定したときの話で、低スケール模型では 04節の一致は成立しません。

② \(n_s\approx1-2/N\) は模型依存です。 \(R^2\)(スタロビンスキー)型や α-attractor では成り立ちますが、あらゆるインフレーション模型で成り立つわけではありません。ここは「インフレーションの予言」ではなく「よく使われる一群の模型の予言」です。

③ 瞬間再加熱を仮定しています。 再加熱が長引けば \(N_{\min}\) はさらに数〜十ほど動きます。

④ 06節の帳簿は、単位を揃えるための粗い計算です。 パラメータの値段は第5回の \(N_{\rm data}=1701\) に基づき、インフレーション側の credit は \(n_s\) ひとつだけ。「\(-6.5\) 対 \(-148\)」は桁の比較としてだけ読んでください。

⑤ \(p=1\) で地平線問題が消えることは、この膨張則を支持しません。 第3回の判定(BBN でのヘリウム量)は変わっていません。02節が言っているのは「(A) は安い」という一点だけです。

⑥ この回はインフレーションを否定していません。 むしろ逆で、手術に耐えて (B) が残ることを確認しています。

練習問題(今回の式だけで解けます)

  1. \(a\propto t^p\) の粒子的地平線を求め、\(p=1\) で発散することを示せ。
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    \(d_p=a\int_0^t c\,dt'/a=ct^p\int_0^t t'^{-p}dt'=ct^p\cdot t^{1-p}/(1-p)=ct/(1-p)\)。\(p\to1\) で \(\int dt'/t'=[\ln t']_0^t\) となり、下端で対数発散します。
  2. \(n_s=0.9649\) から \(N\) と誤差を出せ。
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    \(N=2/(1-n_s)=2/0.0351=57.0\)。誤差は \(dN/dn_s=2/(1-n_s)^2=1623\) に \(0.0042\) を掛けて \(\pm6.8\)。\(N=57.0\pm6.8\)
  3. GUT スケールの \(N_{\min}=62.1\) との一致は何 \(\sigma\) か。
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    \((62.1-57.0)/6.8=0.75\sigma\)。1σ 以内です。
  4. この一致の驚きを、第19回の手続きでビットに直せ。
    答えを見る
    事前を \(N\in[10,1000]\) の対数一様とすると \(\ln\) レンジは 4.61。\(N\) が \([55,70]\) に入る確率は \(\ln(70/55)/4.61=0.052\) なので \(-\log_2 0.052=\) 4.3 ビット。相対幅で測れば 5.3 ビット。説明があるので「偶然」ではなく「物理」に分類されます
  5. (やや難)「インフレーションは地平線問題を解く」という説明は、なぜ弱い論拠なのか。
    答えを見る
    同じことが \(a\propto t\) では e-folds 0・パラメータ 0 でできるからです。つまり (A) はインフレーションを他の可能性から区別しません。インフレーションを支えているのは (B)、すなわち \(n_s\)・断熱性・ガウス性・地平線を越えた相関のほうです。手術の目的は、どちらが本当に払っている論拠かを名指しすることでした。

まとめ (A) は安い。残るのは (B)

「インフレーションは地平線問題を解く」を、第3回と同じ手術で二つに切りました ── (A) 因果的に繋げること、(B) ゆらぎのスペクトルを出すこと。

(A) は安いことが分かりました。\(a\propto t^p\) の粒子的地平線は \(ct/(1-p)\) で、\(p=1\) では対数発散して無限大になります。つまり c·t=一定 は地平線問題を e-folds 0・パラメータ 0 で消します ── 第17回の 20 KB も、パッチが 1 個なら 0 ビットです。地平線問題は「宇宙の問題」ではなく「減速する宇宙の問題」でした。

いっぽうインフレーションでは、(A) が \(N\) を決めます ── GUT スケールで \(N_{\min}=62.1\)。そして同じ \(N\) が \(n_s\approx1-2/N=0.968\) を予言し、観測は \(0.9649\pm0.0042\)、逆算すると \(N=57.0\pm6.8\) で 0.75σ の一致です。第19回の手続きで測ると 4〜5 ビットの驚き ── ただし説明がある一致なので、分類は「偶然」ではなく「物理」です。

帳簿にすると、インフレーションは \(-6.5\) ビット(\(n_s\) ひとつしか計上していない過小評価)、c·t=一定 は \(-148.3\) ビット。同じ手術をしても、残るものが違いました ── インフレーションは (A) を捨てても (B) が残り、c·t=一定 は (A) を無料で解くが (B) に対応するものを持たない。そして「地平線問題を解く」という最も有名な動機づけが、実は最も弱い論拠だったというのが、この手術の収穫です。

この文書は「わかる c·t=一定」シリーズ第27回、物理好きの高校生・大学生向け読み物です。粒子的地平線 \(d_p=ct/(1-p)\)、e-folds の要求条件 \(e^N\ge(a_e/a_0)(H_{\rm inf}/H_0)\)、スローロールの \(n_s\approx1-2/N\)、Planck 2018 の \(n_s=0.9649\pm0.0042\) はいずれも標準的です。本稿での計算は、再加熱スケールごとの \(N_{\min}\)(GUT スケールで 62.1、\(10^6\) GeV で 39.1)、\(n_s\) からの逆算 \(N=57.0\pm6.8\)、そのずれ 0.75σ、および第19回の手続きによる驚き 4.3〜5.3 ビットです(kenshou/calc31.py)。\(N=60\) は再加熱スケールに強く依存し(幅 23)、\(n_s\approx1-2/N\) は \(R^2\) 型・α-attractor など一群の模型での結果であって、あらゆるインフレーション模型の予言ではありません。 瞬間再加熱を仮定しており、再加熱が長引けば \(N_{\min}\) はさらに動きます。06節の帳簿は単位を揃えるための粗い計算で、パラメータの値段は第5回の \(N_{\rm data}=1701\) に基づき、インフレーション側は \(n_s\) ひとつしか計上していない過小評価です ── 桁の比較としてのみ読んでください。\(p=1\) で地平線問題が消えることは、その膨張則を支持するものではありません(第3回の判定は変わっていません)。線形膨張(\(c\cdot t=\)一定)は検証途上の少数派モデルで、学術的な標準はインフレーションを含む \(\Lambda\)CDM モデルです。 ── 印刷する場合はブラウザの「印刷」から「PDF に保存」を(印刷版ではスライダーと解答は静止・非表示になります)。

印刷 / PDF 化:⌘+P(Windows は Ctrl+P)。画面ではスライダーで再加熱スケールを動かすと、二つの N が重なる場所が見えます。「答えを見る」で解答が開きます。