わかる c·t=一定 第 25 回 / 記述長で理論を並べると、どこで崩れるか
圧縮率は「良さ」ではなく「掛け金」でした
物理法則は
圧縮アルゴリズムか
\(a\propto t\) は 66 ビット、アインシュタイン方程式は 512 ビット。
では短いほうが良い理論か ── まじめに計算すると、途中で崩れます。
物理法則は、世界を短く書き直す装置です。ケプラーの三法則は惑星の位置表を数式に畳み、\(\Lambda\)CDM は 6 個の数で 600 万個の多重極を出します。では、圧縮率で理論を並べれば「良い理論」の順位が決まるのか。 今回はそれを本気で計算し、途中で崩れるところまで見ます。
01まず、法則そのものの長さを測る
式を LaTeX で書き下し、1 文字 = \(\log_2 95=6.57\) ビット(印字可能 ASCII 95 種)で数えます。
| 法則 | 文字数 | ビット |
|---|---|---|
| c·t=一定(膨張則) \(a\propto t\) | 10 | 66 |
| ニュートン重力 | 13 | 85 |
| シュレディンガー方程式 | 31 | 204 |
| ディラック方程式 | 33 | 217 |
| フリードマン方程式 | 63 | 414 |
| マクスウェル方程式(テンソル形) | 66 | 434 |
| アインシュタイン方程式 | 78 | 512 |
| 標準模型ラグランジアン(展開) | 約 5000 | 約 33000 |
最短は \(a\propto t\) の 66 ビット。宇宙の膨張の歴史全体が、ツイートの 1/40 に収まります。
02次に、説明する数の個数を測る
\(l=2\) から \(2500\) までの球面調和モード数
$$\sum_{l=2}^{2500}(2l+1)=6{,}254{,}997\quad(\text{TT のみ})\qquad\times3=1.88\times10^7\quad(\text{TT+TE+EE})$$\(\Lambda\)CDM のパラメータは 6 個なので
$$\text{圧縮率}=\frac{6{,}254{,}997}{6}=1.0\times10^6\ \text{倍}$$| 理論 | パラメータ | 説明する数 | 圧縮率 |
|---|---|---|---|
| リュードベリ公式 | 1(\(R_\infty\)) | \(n\le100\) で 4,950 本 | 4,950 倍 |
| \(\Lambda\)CDM | 6 | \(6.3\times10^6\) モード | \(1.0\times10^6\) 倍 |
| 標準模型 | 19 | 全散乱断面積 | (数え方次第) |
| 一般相対論 | 0 | 全ての時空 | 形式的に無限大 |
ここまでなら気持ちのいい話です。パラメータが少ないほど良い理論。ところが ──
03崩れるところ ── 同じ計算で、勝敗がひっくり返る
MDL(最小記述長)でまじめに総合します。総記述長は三つの和です。
第20回の値を再利用:\(N=1701\) で \(\tfrac12\log_2N=5.37\) bit/個、\(\Delta\chi^2=213\) で残差 153.6 bit
問題は、\(a\propto t\) を「フリードマン式に足す拘束」と数えるか、「フリードマン式を丸ごと置き換えるもの」と数えるかで、L(法則) が変わることです。
| 書き方 A:足す拘束 | L(法則) | L(param) | L(残差) | 合計 |
|---|---|---|---|---|
| \(\Lambda\)CDM | 414 | 32.2 | 0.0 | 446 |
| c·t=一定 | 414+66 | 26.8 | 153.6 | 660 |
| 書き方 B:置き換える | L(法則) | L(param) | L(残差) | 合計 |
|---|---|---|---|---|
| \(\Lambda\)CDM | 414 | 32.2 | 0.0 | 446 |
| c·t=一定 | 66 | 26.8 | 153.6 | 246 |
今回いちばん言いたいこと
同じモデル・同じデータで、結論が 214 ビット負け ⇄ 200 ビット勝ちにひっくり返りました。
動いたのは L(法則) の 414 ビットだけ。そしてこの 414 ビットは「どの言語で式を書くか」で決まります。
これはコルモゴロフ複雑度の不変性定理そのものです ── 記述長は、記述言語に依る定数を除いてしか決まらない。教科書ではその定数は「大きな有限値だが、データを増やせば効かなくなる」と扱われます。ところが理論を比べるという用途では、その定数が勝敗をひっくり返せる大きさを持っていました。
図:MDL の三本の柱。ツマミで L(法則) を動かすと合計が入れ替わりますが、L(param) と L(残差) だけの比較(右の細い棒)は動きません
04では、圧縮率のどこが信用できるのか
第3回の判決は、この二つの項にしか依存していません。式の短さという曖昧な部分を全部捨てても、結論は変わりません ── これは判決の蒸し返しではなく、判決がどれだけ狭い土台の上に立っているかの確認です。
05種明かし ── 圧縮率は「良さ」ではなく「掛け金」
| パラメータ数 \(k\) | 持っている逃げ場 |
|---|---|
| \(k=0\) | 合わせにいくことが原理的にできない |
| \(k=1\) | 1 方向に逃げられる |
| \(k=6\)(\(\Lambda\)CDM) | 6 方向 |
| \(k=25\)(\(\Lambda\)CDM+標準模型) | 25 方向 |
05節の結論
圧縮率が高い ⟺ パラメータが少ない ⟺ 逃げ場がない ⟺ 反証されやすい。
MDL の圧縮率と、ポパーの反証可能性は同じ軸の裏表でした。
だから \(a\propto t\) が「最短・パラメータ 0 個」であることは、良い知らせではなく、大きな賭けだったという知らせです。掛け金が大きいから、外れたときに 148 ビットも取られました。圧縮率が高すぎる理論に共通の弱点とは、これのことです ── 吸収する余地がない。
06宇宙自身の圧縮率
実際に使われている情報(第6回・第23回)
$$k=S/\ln2=4.47\times10^{104}\ \text{bit}$$物理法則が使うパラメータ(\(\Lambda\)CDM+標準模型)
$$25\ \text{個}\approx134\ \text{bit}$$134 ビットの法則で \(4.5\times10^{104}\) ビットの世界を説明できているように見えますが、法則は初期条件を圧縮していません。この \(10^{104}\) ビットの内訳を持っているのは、法則ではなく履歴のほうです。第20回で「宇宙は 140 手のプログラム」と書いたのは、まさにその履歴のことでした。
① 「1 文字 = 6.57 ビット」は、恣意的な数え方です。 実際、それがこの回の主題です。LaTeX ではなく別の記法を選べば、どの式も短くも長くもなります ── だから 01節の表は順位を主張するものではなく、03節で崩すための材料です。
② 圧縮率(説明する数 ÷ パラメータ数)も、分子の数え方に依存します。 \(\Lambda\)CDM の \(6.3\times10^6\) は「TT の全 \(a_{lm}\) モード」の数で、実際に独立な情報量はもっと少なく(Planck の binned \(C_l\) は 1701 点)、逆に TT+TE+EE や他の観測を足せば増えます。標準模型の欄を空けたのは同じ理由で、誠実に数える方法が無かったからです。
③ \(\Delta\chi^2=213\) は第20回で使った値で、比較する観測セットに依存します。 数値そのものより、「残差の項がパラメータの項を 2 桁上回る」という構造のほうが頑健です。
④ MDL の残差項に \(\Delta\chi^2/(2\ln2)\) を使うのはガウス近似です。 厳密には尤度比そのものを取るべきで、非ガウスな尤度では係数が変わります。
⑤ 「一般相対論はパラメータ 0 個」は、\(\Lambda\) を含めない場合です。 \(\Lambda\) を理論の一部と数えれば 1 個、\(G\) と \(c\) は単位換算なので数えません(第2回の規約)。
⑥ 第3回の判定は動かしていません。 04節は判決の再判定ではなく、判決が L(法則) という曖昧な項に一切依存していないことの確認です。
練習問題(今回の式だけで解けます)
- \(\Lambda\)CDM の圧縮率を、TT+TE+EE で数えよ。
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\(3\times6{,}254{,}997/6=3.1\times10^6\) 倍。ただし分子は独立な情報量ではなくモード数なので、これは上限側の数え方です。 - 書き方 A と B で結論がひっくり返る理由を一言で述べよ。
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L(法則) が記述言語に依存するから。A と B の差はフリードマン方程式の 414 ビットで、それが 148 ビットの差を打ち消して余る。コルモゴロフ複雑度の不変性定理が言う「言語依存の定数」が、ここでは効いてしまっています。 - パラメータ 1 個を足して \(\Delta\chi^2\) をいくつ下げれば元が取れるか(\(N=1701\))。
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値段は \(\tfrac12\log_2 1701=5.37\) bit。\(\Delta\chi^2/(2\ln2)>5.37\) すなわち \(\Delta\chi^2>7.44\) 下がれば元が取れます。素朴な「\(\Delta\chi^2>1\)」よりずっと厳しい基準です。 - 「圧縮率が高い理論ほど良い」は正しいか。
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正しくありません。圧縮率が高い ⟺ パラメータが少ない ⟺ 逃げ場がない ⟺ 反証されやすい。圧縮率は良さではなく掛け金の大きさを測っています。\(a\propto t\) は最短・パラメータ 0 個で、だからこそ大きく外れました。 - (やや難)法則 134 ビットで \(4.5\times10^{104}\) ビットの世界を説明できるのはなぜか。
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説明できていません。 法則は「時間発展の規則」を圧縮しますが、初期条件は圧縮しません。\(10^{104}\) ビットの内訳を持っているのは履歴のほうです ── 第20回の「140 手のプログラム」がそれで、法則はその実行規則にすぎません。
まとめ 圧縮率は、良さではなく掛け金
法則の長さを LaTeX の文字数で数えると、最短は \(a\propto t\) の 66 ビット、アインシュタイン方程式が 512 ビット、標準模型が約 33000 ビットでした。説明する数の個数で割った圧縮率は、\(\Lambda\)CDM で \(10^6\) 倍、一般相対論では形式的に無限大です。
ところが MDL でまじめに総合すると崩れました ── \(a\propto t\) を「フリードマン式に足す拘束」と数えるか「置き換えるもの」と数えるかで、同じモデル・同じデータの結論が 214 ビット負け ⇄ 200 ビット勝ちにひっくり返ります。動いたのは L(法則) の 414 ビットだけで、これは記述言語に依存する量です。コルモゴロフ複雑度の不変性定理が言う「言語依存の定数」が、理論の比較という用途では勝敗を左右する大きさを持っていました。
信用できるのは残りの二つ ── パラメータの個数(再パラメトライズ不変、5.37 bit/個)と残差(データだけで決まる、153.6 bit)。この二つだけで比べると \(-148\) ビット、オッズ比 \(4.3\times10^{44}\)。第3回の判決は、この狭い土台の上にだけ立っています。
そして種明かし ── 圧縮率が高い ⟺ パラメータが少ない ⟺ 逃げ場がない ⟺ 反証されやすい。MDL の圧縮率と、ポパーの反証可能性は同じ軸の裏表でした。 \(a\propto t\) が最短でパラメータ 0 個であることは、良い知らせではなく大きな賭けだったという知らせです。圧縮率が高すぎる理論の弱点とは、吸収する余地がないこと ── ただしそれは判定の話で、書き換えとしての短さの価値は別に残ります。
この文書は「わかる c·t=一定」シリーズ第25回、物理好きの高校生・大学生向け読み物です。最小記述長原理(MDL, Rissanen)、コルモゴロフ複雑度の不変性定理、BIC の \(\tfrac12\log_2N\) はいずれも標準的です。「1 文字 = \(\log_2 95\) ビット」という数え方は本稿の恣意的な規約であり、それ自体がこの回の主題です ── 01節の表は順位を主張するものではなく、03節で崩すための材料です。書き方 A / B の比較(214 bit 負け ⇄ 200 bit 勝ち)、および L(法則) を捨てた比較(\(-148.3\) bit)は本稿での計算です(kenshou/calc29.py)。圧縮率の分子(説明する数の個数)は数え方に強く依存し、\(\Lambda\)CDM の \(6.3\times10^6\) は TT の全 \(a_{lm}\) モード数(独立な情報量は Planck の binned \(C_l\) 1701 点程度)です。標準模型の欄を空けたのは、誠実に数える方法が無かったためです。\(\Delta\chi^2=213\) は第20回で用いた値で比較する観測セットに依存し、残差項の \(\Delta\chi^2/(2\ln2)\) はガウス近似です。「一般相対論はパラメータ 0 個」は \(\Lambda\) を含めない場合の数え方です。線形膨張(\(c\cdot t=\)一定)は検証途上の少数派モデルで、その判定は第3回で扱いました ── 本稿はその判定を再検討するものではなく、判定が L(法則) に依存していないことの確認です。学術的な標準はインフレーションを含む \(\Lambda\)CDM モデルです。 ── 印刷する場合はブラウザの「印刷」から「PDF に保存」を(印刷版ではスライダーと解答は静止・非表示になります)。