わかる c·t=一定 第 15 回 / 第 II 部・いちばん遠いところへ

生命が測れるものは、ひとつ残らず無次元でした

化学と生物に、
入れてみる アレニウス因子も、クライバー則の指数も、一生の心拍数も、DNA の情報量も不変。
だから生命は、自分がどちらの絵にいるか知りようがない。

必要な道具:ウェイトの足し算、指数の読み方一生の心拍 \(1.5\times10^9\) 回 ── 体重に依らない

第 II 部の最後は、いちばん遠いところへ行きます ── 化学と生物。結合エネルギー ÷ \(k_BT\)、アレニウス因子、pH、クライバー則の指数、一生の心拍数、DNA の情報量。ひとつ残らず無次元なので、この絵で一文字も変わりません。そこから出る結論はかなり強いものです ── 生命は、宇宙が「膨張している」のか「質量が育っている」のかを、原理的に知ることができない。

01化学は、まるごと無傷

化学反応の起きやすさを決めるのは、アレニウス因子です。

指数の中身は、無次元 $$k\ \propto\ \exp\!\left(-\frac{E_a}{k_BT}\right)$$

\(E_a\) も \(k_BT\) もウェイト \(-1\) なので、比は不変

化学の量中身この絵で
アレニウス因子\(e^{-E_a/k_BT}\)不変
平衡定数\(e^{-\Delta G/RT}\)不変
pH濃度の比の対数不変
結合エネルギー ÷ 熱エネルギー\(E_b/k_BT\)不変
反応速度どうしの比──不変

第8回でトンネル透過率が不変だったのと、まったく同じ理由です ── 指数の中身が無次元だから。だから太陽が燃える速さも、酵素反応の速さも、この絵で一切変わりません。

02クライバー則を、分解してみる

生物学でいちばん有名なスケーリング則です ── 代謝率は体重の 3/4 乗に比例する。ネズミからゾウまで、6 桁にわたって成り立ちます。

計算 ── 部品ごとのウェイト

代謝率 \(B\)(エネルギー/時間 = \(ML^2/T^3\))

$$w(B)=-1+2\cdot1-3\cdot1\cdot(-1)\ \Longrightarrow\ w=-2\qquad(\times a^2)$$

体重 \(M\)

$$w(M)=-1\qquad(\times a)$$

\(B=CM^{3/4}\) が形を保つには

$$w(C)=-2-\tfrac34(-1)=-\tfrac54\qquad(\times a^{5/4})$$

02節の結論

指数 3/4 は不変。係数 \(C\) は \(\times a^{5/4}\) で動きます。
係数は次元付き ── つまり帳簿。ゲージ不変な言い方は「二匹の代謝率の比 =(体重比)\(^{3/4}\)」で、これは比どうしなので動きません。

第3回でシリーズの題名に、第9回で原子に、第12回で宇宙定数にやった手術が、ここでも同じ形で当たります ── 「代謝率は体重の 3/4 乗」の 3/4 は物理、係数は帳簿。

03一生の心拍数は、無次元だった

クライバー則からもう一つ、有名な帰結が出ます。

掛けると、体重が消える $$\text{心拍数}\ \propto M^{-1/4},\qquad \text{寿命}\ \propto M^{+1/4}$$

積は

$$\text{一生の心拍数}\ \propto M^{0}\ \simeq\ 1.5\times10^{9}\ \text{回}$$

ネズミもゾウも、一生におよそ 15 億回。体重に依らない ── つまり無次元です。だからこの絵でも、まったく同じ 15 億回。

生きている時間は、何で測るか この絵では、寿命(時間)はウェイト \(+1\) なので \(\div a\) で縮みます。ネズミもゾウも、時代とともに短命になっていく。ところが心拍数も同じだけ速くなるので、一生の拍数は変わらない生きている長さを「秒」で測れば縮み、「心拍」で測れば不変 ── 第9回の「ボーア半径は縮むが比べる相手がいない」と、同じ構図です。

04生命が測れるものを、全部並べる

図:上段は次元付きの量(体重・体長・代謝率・寿命)── ツマミで時代を遡ると、めちゃくちゃに動きます。下段は生命が実際に測れる量 ── 一本残らず、1 に貼りついたまま

a = 0.200
次元付きの量(動く) 生命が測れる量(動かない)
生命が測れるもの中身この絵で
濃度の比個数 ÷ 個数不変
反応速度の比時間 ÷ 時間不変
一生の心拍数回数不変(\(1.5\times10^9\))
世代数回数不変
遺伝情報ビット不変(\(6.2\times10^9\) bit = 775 MB)
体長 ÷ 細胞の大きさ長さ ÷ 長さ不変
代謝率の比──不変
温度差 ÷ 温度──不変

今回いちばん言いたいこと

生命が測れるものは、ひとつ残らず無次元です。
だから生命は、宇宙が「膨張している」のか「質量が育っている」のかを、
原理的に知ることができない。

第9回で「原子は比較相手を持たない」と書きました。今回はそれを生物のスケールまで押し上げたことになります。細胞も、心臓も、遺伝子も、比較相手を原子に置いている限り、絵の違いに気づけません。

◇ ◇ ◇

05おまけ ── 二つの「歩数」

このシリーズは、無次元の「回数」をいくつも数えてきました。並べてみます。

何の歩数か回数出どころ
宇宙の対数クロック140.2第2回
宇宙のプランクティック\(8.08\times10^{60}\)第1回
人間の一生の心拍\(1.5\times10^{9}\)今回
ヒトゲノムの情報\(6.2\times10^{9}\) bit今回
宇宙のメモリ\(2.96\times10^{122}\) bit第1回

面白いのは三行目です ── 宇宙は 140 手しか指していないのに、人間は一生に 15 億回、心臓を打つ。もちろん数え方の単位が違います(片方は倍々の回数、もう片方は拍の回数)。それでも、どちらも無次元で、どちらも絵の取り替えでは動かないことに変わりはありません。

正直な線 ── この回が置いている前提

① クライバー則の指数 3/4 には論争があります。 2/3(表面積則)を支持する解析もあり、分類群や体重域によって実効的な指数は変わります。本稿が使っているのは「指数が何であれ、それは無次元なので不変」という点だけで、3/4 という値そのものを主張してはいません。

② 「一生の心拍 \(1.5\times10^9\) 回」は哺乳類の大まかな目安です。 実際には種によって数倍のばらつきがあり、ヒトは(医療のおかげもあって)この値より大きい側にいます。ここで効いているのは「体重に依らない=無次元」という構造であって、数値の精度ではありません。

③ 化学・生物の量が「一緒に変換される」ことを前提にしています。 第8回①・第13回①と同じ注意で、実験室で固定された条件(決まった温度の恒温槽など)を置くと話が変わります ── 本稿が扱うのは宇宙全体をまとめて書き換える操作です。

④ 「生命は原理的に知ることができない」は、本シリーズの判定手続きの帰結です。 より正確には「無次元量だけを測る限り、区別できない」── これは生命に固有の制限ではなく、あらゆる観測者に等しくかかる制限です(前シリーズ最終回)。

⑤ ヒトゲノム 3.1×10⁹ 塩基対 × 2 bit は、配列を素朴に符号化した場合の上限です。 実際の情報量(圧縮後、あるいは機能的に意味のある量)はこれより小さく、その見積もりには議論があります。

練習問題(今回の式だけで解けます)

  1. アレニウス因子がこの絵で不変なのはなぜか。
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    指数の中身 \(E_a/k_BT\) が、エネルギー ÷ エネルギー = 無次元だから。第8回のトンネル透過率とまったく同じ理由で、化学反応の起きやすさは一切変わりません。
  2. 代謝率 \(B\)(次元 \(ML^2/T^3\))のウェイトを求めよ。
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    \(M\) が \(-1\)、\(L^2\) が \(+2\)、\(T^{-3}\) が \(-3\) なので、\(-1+2-3=-2\)。よって \(\tilde B=a^2B\)。この絵では、昔の生き物ほど代謝が遅いことになります ── ただし比べる相手も同じだけ遅い。
  3. クライバー則 \(B=CM^{3/4}\) で、係数 \(C\) はどう動くか。
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    \(w(C)=w(B)-\tfrac34w(M)=-2-\tfrac34(-1)=-\tfrac54\)、つまり \(\times a^{5/4}\)。指数 3/4 は不変、係数は動く ── 次元付きだから帳簿です。ゲージ不変な言い方は「二匹の代謝率の比 =(体重比)\(^{3/4}\)」。
  4. 一生の心拍数が体重に依らないことを示し、この絵でどうなるか答えよ。
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    心拍数 \(\propto M^{-1/4}\)、寿命 \(\propto M^{+1/4}\) なので、積は \(M^0\)。体重に依らない=無次元なので、この絵でも同じ \(1.5\times10^9\) 回。寿命は \(\div a\) で縮み、心拍数も同じだけ速くなるので、拍数は変わりません。
  5. (やや難)「生命は絵の違いを知ることができない」は、生命に固有の制限か。
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    いいえ。あらゆる観測者に等しくかかる制限です ── 測れるのは無次元量だけ、というのは前シリーズ最終回の判定手続きそのもの。生物を出したのは、細胞や心臓や遺伝子という、宇宙論からいちばん遠いものでも同じ結論になることを見るためです。第9回(原子)を、生物のスケールまで押し上げた形になります。

まとめ 生命は、どちらの絵にいるか知りようがない

化学はまるごと無傷でした ── アレニウス因子、平衡定数、pH、結合エネルギー ÷ \(k_BT\)。指数の中身が無次元なので、反応の起きやすさは一切変わりません(第8回のトンネル効果と同じ理由)。

生物では、クライバー則を分解しました。代謝率のウェイトは \(-2\)(\(\times a^2\))、体重は \(-1\)(\(\times a\))。だから \(B=CM^{3/4}\) の係数は \(\times a^{5/4}\) で動き、指数 3/4 は不変。ゲージ不変な言い方は「二匹の代謝率の比 =(体重比)\(^{3/4}\)」── 第3回・第9回・第12回とまったく同じ手術です。

そして一生の心拍数。心拍数 \(\propto M^{-1/4}\)、寿命 \(\propto M^{1/4}\) なので積は \(M^0\)、体重に依らないおよそ 15 億回。無次元なので、この絵でも同じ値です。生きている長さを「秒」で測れば縮み、「心拍」で測れば不変 ── 第9回のボーア半径と、同じ構図でした。

生命が測れるものを全部並べると ── 濃度比、反応速度の比、心拍数、世代数、遺伝情報のビット、体長 ÷ 細胞の大きさ、代謝率の比、温度差 ÷ 温度。ひとつ残らず無次元です。だから生命は、宇宙が「膨張している」のか「質量が育っている」のかを、原理的に知ることができない。第9回の「原子は比較相手を持たない」を、生物のスケールまで押し上げたことになります。おまけに ── 宇宙は 140 手しか指していないのに、人間は一生に 15 億回、心臓を打っています。

この文書は「わかる c·t=一定」シリーズ第15回、物理好きの高校生・大学生向け読み物です。共形変換のもとで無次元量が不変であること、および次元の分解からウェイトが決まることは標準的です(第13回)。本稿の代謝率のウェイト \(-2\)、クライバー則の係数のウェイト \(-5/4\) は本稿での計算です(kenshou/calc20.py)。クライバー則の指数 3/4 には論争があり、2/3(表面積則)を支持する解析もあり、分類群や体重域で実効的な指数は変わります ── 本稿が使っているのは「指数が何であれ無次元なので不変」という点だけです。「一生の心拍 \(1.5\times10^9\) 回」は哺乳類の大まかな目安で、種による数倍のばらつきがあり、ヒトはこの値より大きい側にいます ── 効いているのは体重に依らない=無次元という構造であって、数値の精度ではありません。ヒトゲノム \(3.1\times10^9\) 塩基対 × 2 bit \(=6.2\times10^9\) bit は素朴な符号化での上限で、実際の情報量(圧縮後・機能的な量)はこれより小さく、その見積もりには議論があります。化学・生物の量が一緒に変換されることを前提にしており、実験室で固定された条件には適用されません(第8回①・第13回①と同じ注意)。「生命は原理的に知ることができない」はより正確には「無次元量だけを測る限り区別できない」であり、生命に固有の制限ではなく、あらゆる観測者に等しくかかる制限です(前シリーズ最終回)。線形膨張(\(c\cdot t=\)一定、\(R_h=ct\))は検証途上の少数派モデルで、初期宇宙まで外挿した場合は元素合成と矛盾します(Lewis, Barnes & Kaushik 2016)。学術的な標準はインフレーションを含む \(\Lambda\)CDM モデルです。 ── 印刷する場合はブラウザの「印刷」から「PDF に保存」を(印刷版ではスライダーと解答は静止・非表示になります)。

印刷 / PDF 化:⌘+P(Windows は Ctrl+P)。画面ではスライダーで時代を変え、上段だけが動く様子が見えます。「答えを見る」で解答が開きます。