わかる c·t=一定 第 6 回 / 三回ぶん割り算したので、今度は中身を見る
空っぽであることが、この道具が効く理由でした
メモリの 10⁻¹⁸ しか
使っていない
28.5 ビットに 1 回しか演算しない機械が、そのメモリをほぼ空のまま抱えている。
この「空っぽさ」を数えると、このシリーズが成立する理由そのものが出てきます。
第1回でメモリと演算を割り、第2回で二つのクロックを割り、第5回で当てはまりとパラメータを割りました。今回は割らずに、メモリの中身を開けます。容量は \(10^{122}\) ビット。使われているのは \(1.5\times10^{-18}\)。ほぼ空です。── ところがこの「空っぽさ」を追いかけると、なぜ共形変換という道具が宇宙に効くのかという、シリーズの土台そのものに出ます。
01容量と、使用量
容量(地平面のホログラフィック上限)
$$\frac{S_{\max}}{k_B}=\frac{A_H}{4\ell_P^2}=2.05\times10^{122}\qquad(=2.96\times10^{122}\ \text{bit})$$使用量(イーガン&ラインウィーバー 2010 の集計)
$$\frac{S_{\rm obs}}{k_B}=3.1\times10^{104}$$割ると
$$\text{使用率}=1.51\times10^{-18}$$ゼロを並べると、99.9999999999999998% が空いています。前シリーズ番外編②で一度出した数字ですが、今回はここから先を掘ります。
02使用率は、じつは面積の比だった
今日のエントロピーは、ほぼ全部が超巨大ブラックホールです。そしてブラックホールのエントロピーも、宇宙の地平面のエントロピーも、まったく同じ式で書けます ── \(S=k_BA/4\ell_P^2\)。だから割り算すると \(\ell_P\) が消えて、ただの面積比になります。
02節の結論
$$\text{使用率}=\frac{\sum A_{\rm BH}}{A_H}=1.51\times10^{-18}$$宇宙にあるすべてのブラックホールの地平面を足し合わせて、宇宙の地平面の面積で割った数 ── それが「メモリ使用率」の正体でした。
面積として書き下すと、大きさの感覚がつかめます。
これを半径に直すと
$$r=\sqrt{\frac{\sum A_{\rm BH}}{4\pi}}=1.61\times10^{17}\ \mathrm{m}=\mathbf{17\ \text{光年}}$$観測可能な宇宙のすべてのブラックホールの地平面を一枚に貼り合わせると、半径 17 光年の球になります。 直径にして 34 光年 ── 太陽から見て、ベガやアークトゥルスがぎりぎり入るくらいの範囲。宇宙の情報のほぼ全部が、そこに書かれている。
03使われているのは、どちら側か
前シリーズ番外編②に、重力場が二つに割れるという表がありました ── 共形因子の側(ゲージ・帳簿・時間の矢を持たない)と、ワイルテンソルの側(物理・重力エントロピー・時間の矢を持つ)。あのときは構造だけの話でした。今回は、数字を入れられます。
| 中身 | \(S/k_B\) | 全体に占める割合 | どちら側か |
|---|---|---|---|
| 超巨大ブラックホール | \(3.1\times10^{104}\) | ≈ 1 | ワイル側 |
| CMB 光子 | \(2.03\times10^{88}\) | \(6.5\times10^{-17}\) | 物質・放射側 |
| ニュートリノ | \(1.93\times10^{88}\) | \(6.2\times10^{-17}\) | 物質・放射側 |
03節の結論
今日の宇宙のエントロピーの
99.999999999999986 % が、重力側にある
前シリーズ番外編②の表が、ここで数字になりました。使われているメモリは、ほぼ完全にワイル側だけ。共形因子の側 ── このシリーズがずっと動かしてきた \(\phi\)、膨張、スケール因子 ── は、エントロピーをまったく持っていません。
04履歴を追う ── 満杯で始まり、空になった
使用率は昔からこんなに小さかったのでしょうか。番外編③で使った不等式 \(s\le3H/4\ell_P^2\) を、比として時間で追います。エントロピー密度は \(s\propto a^{-3}\)、上限は \(H\propto1/t\) なので ──
放射期(\(p=1/2\))は \(t^{-1/2}\)、物質期(\(p=2/3\))は \(t^{-1}\)。プランク期から積むと
$$\underbrace{1.84\times10^{-28}}_{\text{プランク}\to\text{等密度}}\times\underbrace{3.68\times10^{-6}}_{\text{等密度}\to\text{今日}}=6.7\times10^{-34}$$番外編③では、標準宇宙論はプランク期にこの上限へ \(O(1)\) で乗ることを確かめていました。つまり ──
そしてエントロピーそのものは、確かに増えています ── 再結合ごろの \(2\times10^{88}\) から今日の \(3.1\times10^{104}\) へ、16.2 桁。ただし その増加分は、ほぼ全部が重力側の寄与です。
今回いちばん言いたいこと
宇宙は熱的には満杯で始まり、重力的には空っぽで始まった。
膨張が容量を広げ、熱の使用率は落ち続けた。
そしてブラックホールだけが、埋め戻している ── それが時間の矢の正体でした。
図:横軸は宇宙の年齢(プランク時間からの桁数)、縦軸はメモリ使用率。青灰が熱の側(満杯から落ちていく)、古金が重力の側(構造ができてから埋め戻す)。ツマミで時代を動かすと、その瞬間の内訳が出ます
青灰の線は、左端(プランク期)で天井に触れていて、そこからひたすら落ちていきます。宇宙の熱的な履歴は「メモリが空いていく」履歴でした。古金の線は右端近くでだけ立ち上がり、青灰を 16 桁追い抜きます ── 宇宙が「何かを覚えはじめた」のは、ごく最近です。
05種明かし ── 道具が効くのは、空いている側だから
ここが今回の本題です。なぜ共形変換という道具が、宇宙にこれほどよく効くのか。
FLRW 宇宙は厳密に共形平坦です ── ワイルテンソルが恒等的にゼロ。だから前シリーズ第3回で、\(c\cdot t=\text{一定}\) の宇宙をミンコフスキーに変換できました。ところがワイルテンソルは重力エントロピーそのものなので、\(C=0\) とは「重力のメモリが空である」ということです。
| 共形因子の側 | ワイルテンソルの側 | |
|---|---|---|
| 共形変換で | 動く(これがゲージ) | 動かない(\(C\) は共形不変) |
| エントロピー | 持たない | 持つ(=重力エントロピー) |
| 今日の使用量 | \(0\) | \(3.1\times10^{104}\)(ほぼ全部) |
| このシリーズの道具は | ここだけを動かす | 触れない |
05節の結論
共形変換が動かせるのは、宇宙のメモリのうち「使われていない側」だけ。
使用率 \(1.5\times10^{-18}\) は、そのままこの道具の有効範囲を測っています。
だから第4回で「消せるものを全部消したら質量ひとつになった」とき、消えたものはぜんぶ空っぽの側にあったのです。膨張も、曲率も、温度も。逆に、消せなかったもの ── 前シリーズ第9回の共形因子問題、第6回の \(N=mc^2t/\hbar\)、そしてブラックホールのエントロピー ── は、どれも「動かない側」に居ます。
① 使用量は Egan & Lineweaver (2010) の集計値(\(S_{\rm obs}=3.1\times10^{104}k_B\)、超巨大ブラックホールが支配)を使っています。この値は SMBH の質量関数に強く依存し、彼ら自身が桁の不確かさを認めています。
② 「容量」は地平面の \(A/4\ell_P^2\) であって、実際に貯蔵できる量ではありません。ホログラフィック上限は「これ以上は入らない」という不等式で、「ここまで使える」という保証ではない。空きスペースがあることは、使えることを意味しません。
③ 「共形平坦」はワイルテンソルがゼロという意味で、曲率がゼロという意味ではありません。FLRW は \(C=0\) ですが \(R\ne0\) です(前シリーズ第6回)。
④ ワイル曲率仮説は提案であって定理ではありません。 ペンローズによる仮説で、証明も反証もされていません。
⑤ 重力エントロピーの定義は未確立です ── \(C\) をどう数えるかの標準的な処方はまだありません。本文で「ワイル側のエントロピー」と呼んでいるのは、実際にはブラックホールのエントロピーの合計であって、\(C\) から直接計算した量ではありません。
加えて 04節の履歴は、番外編③と同じくエントロピーが共動的に保存されるという仮定に立っています(再加熱などの生成は入っていません)。図の古金の線(重力側の立ち上がり)は模式で、Egan & Lineweaver が与えているのは今日の値だけです。「プランク期に \(O(1)\)」も番外編③の1ループ的な見積もりによります。
練習問題(今回の式だけで解けます)
- なぜ「メモリ使用率」が面積の比になるのか。
答えを見る
ブラックホールも宇宙の地平面も、エントロピーが同じ式 \(S=k_BA/4\ell_P^2\) で書けるから。割ると \(4\ell_P^2\) が約分されて \(\sum A_{\rm BH}/A_H\) だけが残ります。プランク長すら消える ── 使用率は純粋な幾何の比でした。 - 全ブラックホールの地平面を一つの球にすると半径は何光年か。
答えを見る
\(\sum A_{\rm BH}=1.51\times10^{-18}\times2.14\times10^{53}=3.24\times10^{35}\ \mathrm{m^2}\)。\(r=\sqrt{A/4\pi}=1.61\times10^{17}\) m = 17 光年。宇宙の情報のほぼ全部が、直径 34 光年ぶんの面に書かれています。 - 使用率が時間とともに下がるのはなぜか。エントロピーは増えているのに。
答えを見る
分母のほうが速く増えるから。容量は \(A_H\propto R_H^2\propto t^2\) で増えるのに対し、熱のエントロピーは共動的に保存される(≒増えない)。だから比は落ちます。エントロピーが増えることと、使用率が下がることは両立します ── 第二法則は分子の話、膨張は分母の話。 - 共形変換で動かせるのは、メモリのどちら側か。
答えを見る
共形因子の側 ── つまり使われていない側だけ。ワイルテンソルは共形不変なので触れません。今日の使用量 \(3.1\times10^{104}\) はほぼ全部がワイル側なので、このシリーズの道具は、実際に使われているメモリには一切手が届かないことになります。 - (やや難)「道具が壊れていく度合いが時間の矢」とはどういう意味か。
答えを見る
共形変換が完璧に効くのは \(C=0\)(共形平坦)のときで、ワイル曲率仮説によれば宇宙はそこから始まりました。重力エントロピーが増える=\(C\) が育つ=共形変換で書き換えられない成分が増えるということ。だから「道具の有効範囲が狭まっていく向き」が、そのまま時間の向きになります。使用率 \(1.5\times10^{-18}\) は、いま道具がどれだけ効かなくなっているかの目盛りです。ただし⑤のとおり、重力エントロピーの定義自体が未確立なので、この対応は厳密な定理ではありません。
まとめ 空っぽであることが、道具の効く理由だった
宇宙のメモリは容量 \(2.96\times10^{122}\) ビット、使用量 \(3.1\times10^{104}\)、使用率 \(1.51\times10^{-18}\)。ほぼ空です。そしてこの使用率は、ブラックホールも地平面も同じ \(S=k_BA/4\ell_P^2\) で書けることから、ただの面積比 \(\sum A_{\rm BH}/A_H\) に帰着します ── 宇宙の全ブラックホールの地平面を一枚に貼ると、半径 17 光年の球。宇宙の情報のほぼ全部が、そこに書かれている。
その「ほぼ全部」がどちら側かを数えると、99.999999999999986% が重力側(ワイル側)でした。前シリーズ番外編②の「重力場は共形因子とワイルテンソルに割れる」という表に、ここで数字が入ったことになります。共形因子の側 ── 膨張、スケール因子、このシリーズがずっと動かしてきた \(\phi\) ── は、エントロピーをまったく持っていません。
履歴を追うと、三段でした。プランク期は使用率 ≈ 1(満杯)、今日は物質と放射だけなら \(7\times10^{-34}\)(空になった)、ブラックホールを入れて \(1.5\times10^{-18}\)(重力が 15.4 桁ぶん埋め戻した)。エントロピー自体は 16.2 桁ふえていますが、その増加分はほぼ全部が重力側です。宇宙は熱的には満杯で、重力的には空っぽで始まりました。
そして種明かし ── 共形変換が動かせるのは、メモリのうち使われていない側だけ。ワイルテンソルは共形不変なので触れません。だから第4回で消せたものは全部が空っぽの側にあり、消せなかったもの(共形因子問題、\(N=mc^2t/\hbar\)、ブラックホールのエントロピー)は全部が使われている側に居ました。ペンローズのワイル曲率仮説どおり宇宙が \(C=0\) で始まったなら、この道具は宇宙の始まりで完璧に効き、重力エントロピーが増えたぶんだけ効かなくなる。道具の壊れ具合そのものが、時間の矢でした。
この文書は「わかる c·t=一定」シリーズ第6回、物理好きの高校生・大学生向け読み物です。地平面のエントロピー \(S=k_BA/4\ell_P^2\)、ブラックホールのベッケンシュタイン=ホーキング・エントロピーが同形であること、および FLRW 時空がワイルテンソルの消える共形平坦時空であることは、いずれも標準的な結果です。観測可能な宇宙のエントロピー収支 \(S_{\rm obs}=3.1\times10^{104}k_B\)(超巨大ブラックホールが支配)、CMB 光子 \(2.03\times10^{88}k_B\)、ニュートリノ \(1.93\times10^{88}k_B\) は Egan & Lineweaver (2010, ApJ 710, 1825) によります。これらの値は超巨大ブラックホールの質量関数に依存し、著者ら自身が桁の不確かさを述べています。 本稿の使用率 \(1.51\times10^{-18}\)、面積比への帰着 \(\sum A_{\rm BH}/A_H\)、等価半径 17 光年、重力側の割合 99.999999999999986%、履歴の三段(プランク期 \(O(1)\)、今日の熱側 \(7\times10^{-34}\))は、いずれも本稿での計算です。04節の履歴は前シリーズ番外編③の \(s\le3H/4\ell_P^2\)(Bousso 1999 の共変エントロピー境界を見かけの地平面に当てたもの)に基づき、エントロピーが共動的に保存されるという仮定に立っています。「プランク期に \(O(1)\)」も同所の1ループ的見積もりによります。図の重力側の曲線は模式であり、Egan & Lineweaver が与えるのは今日の値のみです。ワイル曲率仮説は Penrose による提案であって定理ではなく、重力エントロピーの定義(\(C\) をどう数えるか)も未確立です ── 本文で「ワイル側のエントロピー」と呼んでいるのはブラックホールのエントロピーの合計であり、\(C\) から直接計算した量ではありません。ホログラフィック上限は「これ以上は入らない」という不等式であって、貯蔵可能量の保証ではありません。学術的な標準はインフレーションを含む \(\Lambda\)CDM モデルです。 ── 印刷する場合はブラウザの「印刷」から「PDF に保存」を(印刷版ではスライダーと解答は静止・非表示になります)。