考える波 第 54 回 / 第 XVIII 部・誤差棒をつける
「範囲は \(\log N\)」に、抜け道はあるのか
範囲を「買う」方法はあるのか ──
時間では買えないが、装置の数では買える
第 53 回の結論は「範囲は \(\log N\)」でした。★ ではどうすれば範囲を増やせるのか。
★ 買い方は三つ ── 貼り合わせる、別の観測量を使う、系そのものを変える。
★★ そして値段も出ました ── 貼り合わせは「\(1\) dB の較正ずれを 3 桁 離れた帯域の間に置くと 0.1 dB/oct」。第 42 回の目標(0.081)と同じ大きさです。
第 53 回で「範囲が足りない問題は、測定を増やしても解けない」と分かりました。
★ この回は、実験家が実際にやっている抜け道を、本シリーズの言葉で数えます。
01買い方は三つしかない
| 買い方 | 中身 | 要るもの |
|---|---|---|
| ① 貼り合わせる | 違う帯域の測定をつなぐ | ★ 装置を増やす |
| ② 別の観測量を使う | 同じ物理を別の量で見る | ★ 補正が打ち消しあう形を探す |
| ③ 系そのものを変える | より広い慣性領域を持つ対象へ | ★ レイノルズ数を上げる |
★ 「もっと長く測る」は入っていません ── 第 53 回のとおり \(\log N\) だから。
02★ 貼り合わせ ── 較正誤差が、そのまま傾きの誤差になる
帯域 A と B をつないで直線を当てます。B の利得が \(\delta\) dB ずれていると、傾きがどれだけずれるか。
| 帯域の間隔[桁] | \(\delta=0.2\) dB | \(\delta=0.5\) dB | \(\delta=1\) dB | \(\delta=2\) dB |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 0.04499 | 0.11247 | 0.22494 | 0.44989 |
| 2 | 0.02769 | 0.06923 | 0.13845 | 0.27690 |
| 3 | 0.01929 | 0.04821 | ★ 0.09643 | 0.19285 |
| 6 | 0.00991 | 0.02477 | 0.04954 | 0.09908 |
02節の中心
\(S=3,\ \delta=1\) dB で実測 0.0964、予言 0.1000 ── 帯域に幅があるぶん実測のほうが少し小さくなります。
★★★ 1 dB の較正ずれを 3 桁 離れた帯域の間に置くと 0.1 dB/oct。第 42 回の 0.081 dB/oct と同じ大きさです。
★★ つまり貼り合わせで 3 桁 稼ぐには、較正を 0.8 dB より良くする必要があります。
★ 逆に言うと ── 離れた帯域どうしなら、較正の要求は緩くなります(6 桁 離せば 1 dB で 0.05)。「遠くの装置ほど、つなぐのが楽」という一見 逆の結論です。
03★★ 別の観測量 ── 補正が打ち消しあう形を探す
この形なら \(\ln S_p\) 対 \(\ln r\) は曲がりますが、\(\ln S_p\) 対 \(\ln S_3\) は \(h\) の形によらず傾き \(\zeta_p/\zeta_3\) の直線になります。
| \(p\) | \(\zeta_p\)(真) | \(\ln S_p\) 対 \(\ln r\) | ★ \(\ln S_p\) 対 \(\ln S_3\) |
|---|---|---|---|
| 1 | 0.360919 | 4.45 桁 | ★ 9.00 桁 |
| 2 | 0.693721 | 4.16 桁 | ★ 9.00 桁 |
| 3 | 1.000000 | 4.00 桁 | ★ 9.00 桁 |
| 6 | 1.785875 | 3.75 桁 | ★ 9.00 桁(全域) |
03節の中心
★★★ \(\ln S_3\) を横軸にすると、補正 \(h(r)\) が完全に打ち消えます ── 4 桁 が 9 桁(全域)に。
★★ これが実験で使われている「拡張自己相似(ESS)」の考え方です。
★★★ ただし ── 打ち消えるのは「\(S_p\) が共通の \(\rho\) の冪」という仮定を置いたからで、それ自体は証明ではありません。
★ 本稿が示したのは「その仮定が成り立つなら範囲は買える」までです。第 43 回の作法どおり、仮定は仮定と書きます。
04★ 系を変える ── 慣性領域はレイノルズ数の 3/4 乗
| 場面 | \(Re\) | ★ 慣性領域[桁] | 第 51 回の最良誤差 |
|---|---|---|---|
| 実験室の乱流 | \(10^4\) | 3.00 | ≈ 0.1793 dB/oct |
| 風洞 | \(10^6\) | 4.50 | |
| 自動車のまわり | \(10^7\) | 5.25 | |
| 大型の風洞 | \(10^9\) | 6.75 | < 0.06 dB/oct |
| 地球の大気 | \(10^{12}\) | 9.00 | < 0.06 dB/oct |
04節の中心
★★ 慣性領域を 1 桁 増やすには \(Re\) を \(10^{4/3}=21.5\) 倍 にする必要があります。
★★★ ここでも対数です ── ただし「対象を変えるだけで桁が動く」のが違います。
★ 実験室(\(Re=10^4\)、3 桁)から大気(\(Re=10^{12}\)、9 桁)まで 6 桁 の差 ── 第 51 回の表では 3 桁 で 0.18、6 桁 で 0.059 dB/oct でした。
05三つを合わせると、どこまで行けるか
| 手段 | 得られるもの | 代償 |
|---|---|---|
| 測定時間を増やす | 精度 \(N^{-1/2}\) | 範囲は \(\log N\) でしか伸びない |
| ★ 装置を貼り合わせる | ★ 範囲が装置の数に比例 | ★ 較正 0.8 dB 以内(02 節) |
| ★ ESS など別の観測量 | ★ 範囲がほぼ全域に | ★ 仮定を一つ置く(03 節) |
| ★ \(Re\) を上げる | ★ 慣性領域 \(\propto\frac34\log Re\) | ★ 装置の規模 |
05節の中心 ── ★★★ 本回の要
三つとも「範囲」を買っていますが、買い方が違います ──
貼り合わせは装置の数に比例(線形)、
別の観測量は仮定と引き換えに一気に、
系を変えるのは\(Re\) の対数(でも対象を変えれば大きく動く)。
★★ 第 53 回の「範囲は \(\log N\)」は、「同じ系を、同じ装置で、長く測る」場合に限った話でした。
★★★ 装置を増やせば、範囲は線形に買えます ── そこが抜け道です。
06買えないもの
| やりたいこと | 判定 | 理由 |
|---|---|---|
| 同じ系を長く測って範囲を買う | × 無理 | ★ \(\log N\)(第 53 回) |
| 較正なしで貼り合わせる | × 無理 | ★ 1 dB / 3 桁 = 0.1 dB/oct |
| 仮定なしで ESS を使う | × 無理 | ★ 共通の \(\rho\) を仮定している |
| \(f(\alpha)\) の端に届く | × 無理 | ★ 第 52 回。標本の対数で決まる |
| 系に無い慣性領域を作る | × 無理 | ★ \(Re\) が決める |
07波として言えること・言えないこと
| 項目 | 判定 | 根拠 |
|---|---|---|
| ★ 貼り合わせの較正要求 | ◎ 数値 | ★ \(0.3\delta/\)(桁の間隔) |
| 1 dB / 3 桁 = 0.1 dB/oct | ◎ 数値 | ★ 第 42 回の目標と同じ大きさ |
| ★★ ESS は補正を打ち消す | ◎ 数値 | ★ 4 桁 → 9 桁(全域) |
| ただし仮定を一つ置く | ◎ 明記 | ★ 共通の \(\rho\) の冪という形 |
| 慣性領域 \(=\frac34\log_{10}Re\) | ◎ 数値 | 実験室 3 桁、大気 9 桁 |
| 1 桁 増やすには \(Re\) を 21.5 倍 | ◎ 数値 | ここでも対数 |
| ★★ 装置の数には線形 | ◎ 論理 | ★ 第 53 回の抜け道 |
| ★ 実データでの検証 | × 未着手 | ★ 本稿も合成データのみ |
練習問題
- 02 節で「離れた帯域どうしほど較正が楽」と出た。直観に反するが、なぜか。
答えを見る
傾きは「縦のずれ ÷ 横の距離」だからです。同じ縦のずれ \(\delta\) でも、横に離れているほど傾きへの影響は小さくなります。
★ 1 dB のずれは、1 桁 離れていれば 0.22 dB/oct、6 桁 離れていれば 0.05 dB/oct。
★★ ただし「離す」と、その間に何もない空白ができます ── 空白の中で本当に同じ冪則が続いているかは、別に確かめなければなりません。
★ つまり離すほど較正は楽になり、外挿の仮定は重くなる ── ここでも何かと引き換えです。 - 03 節の ESS は「範囲を買った」と言ってよいか。
答えを見る
条件つきで、はい。買ったのは「\(S_p\) がすべて共通の \(\rho\) の冪である」という仮定と引き換えです。
★ その仮定が正しければ、補正 \(h(r)\) は完全に打ち消え、全域が使えます(本稿の数値では 4 桁 → 9 桁)。
★★ 正しくなければ、打ち消しは不完全で、しかも「直線に見える」ので気づきにくい ── これがいちばん危険なところです。
★★★ 本シリーズの立場では、ESS で出した \(\zeta_p\) は「仮定つきの値」と明記すべきです。第 43 回の「整理を発見と呼ばない」と同じ作法 ── 仮定を測定結果と呼ばない。 - 04 節で \(Re\) を上げれば慣性領域が広がると出た。では \(Re\) はいくらでも上げられるか。
答えを見る
実験室ではほぼ頭打ちです。\(Re=UL/\nu\) なので、上げる手は三つ ── 速さ \(U\)、大きさ \(L\)、動粘度 \(\nu\)。
★ \(U\) は音速で頭打ち(圧縮性が入ると別の物理になる)、\(L\) は建物の大きさ、\(\nu\) は流体の選択(低温ヘリウムで \(\nu\) を数桁 下げられる)。
★★ だから \(Re=10^7\) 程度が実験室の実用上限で、それ以上は大気や海洋を「使う」ことになります(\(Re=10^{12}\))。
★★★ ただし自然を使うと、今度は制御できないという代償がつきます ── 等方性も定常性も保証されません。★ 第 22 回の「定常性の仮定」が、ここで戻ってきます。
まとめ 時間では買えないが、装置の数では買える
第 53 回の結論は「範囲は \(\log N\)」でした。この回では、その抜け道を三つ数えました ── 貼り合わせる、別の観測量を使う、系そのものを変える。
★ 貼り合わせの値段:傾きのずれ \(\approx0.3\delta[\mathrm{dB}]/\)(中心間の桁数)。\(1\) dB の較正ずれを 3 桁 離れた帯域の間に置くと 0.1 dB/oct ── 第 42 回の目標(0.081)と同じ大きさです。3 桁 稼ぐには較正を 0.8 dB より良くする必要があります。
★★ 別の観測量:\(S_p=\rho^{\zeta_p}\) という形なら、\(\ln S_3\) を横軸にすると補正が完全に打ち消え、4 桁 が 9 桁(全域)に。これが実験で使われる ESS の考え方ですが ── 打ち消えるのは仮定を置いたからで、それ自体は証明ではありません。
★ 系を変える:慣性領域の桁数 \(=\frac34\log_{10}Re\)。実験室(\(10^4\))で 3 桁、大気(\(10^{12}\))で 9 桁。1 桁 増やすには \(Re\) を 21.5 倍。
★★★ 本回の要 ── 三つとも範囲を買っていますが、買い方が違います。
貼り合わせは装置の数に比例(線形)、
別の観測量は仮定と引き換えに一気に、
系を変えるのは\(Re\) の対数。
★★ 第 53 回の「範囲は \(\log N\)」は、「同じ系を、同じ装置で、長く測る」場合に限った話でした。装置を増やせば、範囲は線形に買えます。
★ 正直に:本稿も合成データのみで、実データには当てていません。★ そして三つとも代償があります ── 較正、仮定、装置の規模。ただで手に入る範囲は、やはりありませんでした。
★ 次回は第 XVIII 部を締めます ── この 4 回で手引き(第 49 回)がどう変わったかを、一枚に書き直します。
★★ そして本シリーズが最初から使ってきた数字のうち、どれが「仮定つき」だったかを洗い直します。第 43・50 回の採点を、もう一段 細かくする回です。
この文書は「考える波」シリーズ第 54 回です。計算は kenshou/kau.js で行っています。本回の数値について:貼り合わせによる傾きのずれ、ESS 形式での平坦領域の比較、レイノルズ数と慣性領域の桁数は、すべて本稿で計算したものです。拡張自己相似(ESS)の考え方、\(L/\eta=Re^{3/4}\)、そして較正誤差が傾きに与える影響の一般的な形 ── これらはいずれもよく知られた結果で本稿の発見ではありません ── 本稿がしたのは、それらを「範囲をどう買うか」という一つの問いの下に並べ、値段を dB/oct という本シリーズの単位で数字にしたことです。03 節の ESS は「すべての \(S_p\) が共通の \(\rho\) の冪である」という仮定の下での計算で、その仮定の妥当性は本稿では検証していません。実験で ESS を用いて得られた \(\zeta_p\) は、本シリーズの基準では「仮定つきの値」です。02 節の解析的な見積もり \(0.3\delta/\)(桁の間隔)は帯域を点とみなした近似で、帯域に幅があると実測のほうが小さくなります(\(S=3\) で 0.0964 対 0.1000)。04 節の \(Re\) と慣性領域の対応は標準的な次元解析によるもので、実際の慣性領域は等方性・定常性の程度にも依存します。本稿も合成データのみで、実際の測定データには当てていません。 ── 印刷する場合はブラウザの「印刷」から「PDF に保存」を。