考える波 第 46 回 / 第 XVI 部・地平線を波として見る

周波数を、指数的に下げる装置

ブラックホールの蒸発 ──
情報は消えたのではなく、1.5 ミリ秒で測れない所へ行った ホーキング温度は、第 45 回のウンルー温度で \(a\) を表面重力 \(\kappa\) に置き換えただけです。
★ エントロピーは面積 ÷ プランク面積(太陽質量で \(1.05\times10^{77}\))── 同じ質量の星より 19 桁 大きい。
★★ そして地平線の近くでは \(\omega(t)=\omega_0e^{-\kappa t/c}\) ── 太陽質量なら 1.5 ミリ秒 で、可視光が「宇宙年齢かけても 1 周期 測れない」周波数まで落ちます。

必要な道具:第 5, 9, 20, 21, 28, 38, 39, 45 回計算:kenshou/bh.js

第 45 回で「地平線の向こうを捨てると熱が出る」ところまで来ました。
★ その地平線が、今度は自分で蒸発します。そして「落ちた情報はどこへ行ったのか」という問いが立ちます。

01ホーキング温度は、ウンルー温度と同じ式

第 45 回と並べる $$\text{ウンルー}:\ T=\frac{\hbar a}{2\pi ck_B}\qquad\qquad \text{ホーキング}:\ T=\frac{\hbar\kappa}{2\pi ck_B},\quad \kappa=\frac{c^4}{4GM}$$
質量\(r_s\)[m]\(\kappa\)[m/s²]★ \(T\)[K]
太陽質量2.9540e+31.5212e+136.1687e−8
\(10^6\) 太陽質量2.9540e+91.5212e+76.1687e−14
地球質量8.8701e−35.0662e+182.0544e−2
\(10^{12}\) kg1.4852e−153.0256e+31★ 1.2269e+11

01節の中心

\(a\) を \(\kappa\) に置き換えるだけ ── 第 45 回で「熱の正体は対数時間」と分かっているので、ここで新しく言うことはありません。地平線があれば、その近くで時間は対数になる。
★★ \(T=2.725\) K(宇宙背景放射)と釣り合う質量は \(4.50\times10^{22}\) kg(月の 0.61 倍)── これより重いものは、蒸発するどころか背景放射を吸って成長します
つまり現実の星のブラックホールは、宇宙が十分に冷えるまで蒸発を始めません。

02エントロピーは面積 ── 第 39 回のホログラフィーが戻ってくる

二通りに数えて、合うかを見る $$\frac{S}{k_B}=\frac{Ac^3}{4G\hbar}=\frac{4\pi GM^2}{\hbar c}=\frac{A}{4\ell_p^2}$$
質量面積 \(A\)[m²]\(A/(4\ell_p^2)\)\(4\pi GM^2/(\hbar c)\)
太陽質量1.0966e+81.0494e+771.0494e+77
地球質量9.8871e−49.4621e+659.4621e+65
\(10^{12}\) kg2.7720e−292.6529e+402.6529e+40

02節の中心

「面積 ÷ プランク面積」が、そのまま自由度の数です。第 39 回で \((L/\varepsilon)^{d-1}\) と数えたのと同じ形 ── 地平線が、その \(\varepsilon\) を決めています。
★★ そして同じ質量でも、ブラックホールにすると エントロピーが 19 桁 増えます(太陽の熱的エントロピー \(\sim10^{58}\) に対し \(1.05\times10^{77}\))。
「重力が最も乱雑な配置」── これは第 21 回の情報の話にそのまま効きます物を捨てるいちばん効率の良い場所は、重力です。

03蒸発 ── 熱容量が負なので、終わりが加速する

質量\(t_{\rm evap}\)[年]宇宙年齢との比
太陽質量2.0972e+671.52e+57
地球質量5.6778e+504.11e+40
\(10^{11}\) kg2.6655e+90.193
\(10^{8}\) kg2.66551.93e−10

宇宙年齢でちょうど蒸発しきる質量は \(1.73\times10^{11}\) kg(そのとき \(r_s=2.6\times10^{-16}\) m、\(T=7.1\times10^{11}\) K)── 宇宙初期にこの質量のものができていれば、いま最後の閃光が見えるはずです。

残り時間残る質量[kg]\(T\)[K]\(r_s\)[m]
半分7.9370e+111.5458e+111.18e−15
\(10^7\) s4.9171e+72.4952e+157.30e−20
1 s2.2823e+55.3757e+173.39e−22

03節の中心

最後の 1 秒で \(2.05\times10^{22}\) J ── 広島型原爆 \(3.3\times10^8\) 個ぶん。
★★ 熱容量が負だから(軽くなるほど熱くなる)、放っておくと必ず暴走して終わります。
ふつうの物体は「冷えれば止まる」のに、ここは逆 ── 本シリーズで「負の \(\mathrm{Re}\,Z\)」(第 17・18 回)と呼んだものに近い状況です。ただし外から駆動されているわけではなく、重力そのものの性質。

04ページ曲線 ── 上がってから、下がる

粗視化した模型(ページ) $$S_{\rm rad}=\min\bigl(S_{\rm BH}(M_0)-S_{\rm BH}(M),\ \ S_{\rm BH}(M)\bigr),\qquad M(t)=M_0(1-t/T)^{1/3}$$
\(t/T\)\(M/M_0\)出したぶん残っているぶん★ \(S_{\rm rad}\)
0.10.9654890.0678300.9321700.067830
0.50.7937010.3700390.6299610.370039
0.64640.7071380.4999560.500044★ 0.499956(頂点)
0.80.5848040.6580050.3419950.341995
1.001.0000000★ 0

04節の中心

ページ時刻は \(S_{\rm BH}(M)=S_{\rm BH}(M_0)/2\)、つまり \(M=M_0/\sqrt2\)。時刻にすると \(t/T=1-2^{-3/2}=0.646447\) ── 寿命の 64.6 %
★★ そこまでは上がり、そこから下がります。最後に 0 に戻れば「情報は出た」ことになる。
ただしこれは模型です。「蒸発が全体としてユニタリである」と仮定した結果、こうなるはずだ、という形の議論で、本稿はそれを導いてはいません。

05★★ 情報はどこへ行ったか ── 赤方偏移の話として読む

第 45 回と同じ指数写像が、地平線の近くでも出る $$\omega(t)=\omega_0\exp\!\left(-\frac{\kappa}{c}t\right)\qquad\text{── 外向きモードは指数的に赤くなる}$$
質量\(\kappa/c\)[1/s]\(e\) 倍の時間[s]★ 74.5 回ぶん[s]
太陽質量5.0743e+41.9707e−5★ 1.4662e−3
\(10^6\) 太陽質量5.0743e−21.9707e+11.4662e+3
地球質量1.6899e+105.9175e−114.4026e−9

05節の中心 ── ★★★ 本回の要

可視光(\(5\times10^{14}\) Hz)から、宇宙年齢の逆数(\(2.3\times10^{-18}\) Hz)まで下がるのに必要な \(e\) 倍の回数は 74.5
★★★ 太陽質量なら、それはたったの \(1.47\times10^{-3}\) 秒です。

1.5 ミリ秒で、可視光の情報は
「宇宙年齢かけても 1 周期 観測できない」周波数まで落ちる。

第 5 回で「宇宙年齢より長い周期は定数と区別がつかない」と書きました。ここで見ているのは、まさにその領域へ情報が押し流される過程です。
★★ 「情報が消えた」のではなく「測れない帯域へ移された」 ── 波の言葉では、そう読めます。

06「毛が三本」を、フィルタとして読む

落ちる前落ちた後波の言葉
本 1 冊(\(10^7\) ビット)質量が増えただけ★ 極端な低域通過
同じ質量の石区別がつかない★ 出力が同じ
電荷を持つもの電荷も増える通る成分は 3 つ

06節の中心

「無毛」は「情報が消えた」ではなく「外の観測者の帯域では 3 成分しか残らない」という意味です。
★★ 05 節のとおり、残りは指数的に低い周波数へ移っただけ。ただしそれが「原理的に取り出せる」かどうかは、本稿では決着しません。
「測れない」と「無い」は違う ── 第 38 回の練習問題でも同じ注意を書きました。ここでも、言えるのは測定の限界までです。

07未解決のまま残ること

問い判定根拠
ホーキング温度そのもの◎ 式は一行第 45 回のウンルーと同じ
エントロピーが面積なのはなぜか△ 数えただけ第 39 回と同じ「翻訳」
★ ページ曲線が実際に下がるか△ 模型の仮定★ ユニタリ性を仮定した結果
★ 情報が取り出せるか× 未解決★ 赤方偏移=取り出せない、ではない
★ 蒸発が終わった後 何が残るか× 扱えない★ 量子重力の問題(第 38 回)

07節の中心 ── ★ 正直に

本回も「翻訳」です。情報パラドックスは解いていません。
★ 言えたのは ── 「消えた」ではなく「測れない所へ行った」まで。そしてその「どれくらい速く」が 1.5 ミリ秒という数字になった、という点だけが本稿の寄与です。
★★ 第 43 回で決めたとおり、整理を発見と呼びません。

練習問題

  1. 05 節の「1.5 ミリ秒」は、情報が失われた証拠か。
    答えを見る
    いいえ ── 測定の難しさの見積もりです。指数的に赤くなっても、振幅はゼロになりません。数学的には情報はそこにあります。
    問題は「1 周期ぶん観測するのに宇宙年齢より長くかかる」ことで、これは実行不可能であって不可能ではありません。
    ★★ ただし現実には、指数的に小さくなった信号はいずれ1 光子以下になります ── そこから先は「測れない」が「無い」に限りなく近づく。★ 第 9 回の帯域幅定理と第 21 回の情報の限界が、ここで効いてきます。
  2. 02 節でブラックホールのエントロピーが星の 19 桁 上だった。これは何を意味するか。
    答えを見る
    「重力が、最も乱雑になれる自由度を持っている」ということです。同じ質量・同じ体積でも、重力的に潰れた状態のほうが圧倒的に場合の数が多い。
    熱力学第二法則から見ると、物質は放っておけばブラックホールになりたがる── 実際そうなります(重力は唯一「集まるほど乱雑になる」力)。
    ★★ そして \(S\propto M^2\) なので、二つを合体させると \(S\) は 2 倍ではなく 4 倍になります ── 合体は必ずエントロピーを増やす。★ 第 21 回で「情報には値段がある」と書きましたが、その値段がいちばん安い捨て場所が地平線です。
  3. 01 節で「\(4.5\times10^{22}\) kg より重いブラックホールは成長する」と出た。これは今の宇宙でどういう意味を持つか。
    答えを見る
    星起源のブラックホール(太陽質量以上)は、いま蒸発していないということです。温度 \(6\times10^{-8}\) K に対し、周りは 2.725 K ── 吸うほうが圧倒的に多い。
    蒸発が始まるのは、宇宙が \(6\times10^{-8}\) K まで冷えてからで、それは膨張により \(\sim10^{8}\) 倍 の赤方偏移が進んだ後 ── およそ \(10^{17}\) 年 以上 先。
    ★★ 03 節の \(10^{67}\) 年 という寿命に比べれば誤差ですが、「今は蒸発していない」という事実は重要です ── 観測で探すべきは、宇宙初期にできた \(\sim10^{11}\) kg の小さいものだけ。

まとめ 地平線は、周波数を指数的に下げる装置だった

ホーキング温度は、第 45 回のウンルー温度で \(a\) を表面重力 \(\kappa=c^4/4GM\) に置き換えただけです ── 地平線があれば、その近くで時間は対数になる。それだけ。★ \(T=2.725\) K と釣り合う質量は \(4.50\times10^{22}\) kg(月の 0.61 倍)で、これより重いものは今も成長しています。

エントロピーは面積 ÷ プランク面積(太陽質量で \(1.05\times10^{77}\)、二通りの数え方が一致)── 第 39 回のホログラフィーが、地平線という具体的な \(\varepsilon\) を得て戻ってきました。同じ質量の星より 19 桁 大きい ── 重力が最も乱雑な配置です。

蒸発時間は \(\propto M^3\) で、宇宙年齢でちょうど蒸発しきるのは \(1.73\times10^{11}\) kg熱容量が負なので終わりは加速し、最後の 1 秒で \(2.05\times10^{22}\) J(原爆 \(3.3\times10^8\) 個ぶん)。

ページ曲線の頂点は \(M=M_0/\sqrt2\)、時刻にすると 寿命の 64.6 %(\(1-2^{-3/2}\))── ★ ただしこれはユニタリ性を仮定した模型で、本稿が導いたものではありません。

★★★ 本回の要 ── 地平線の近くでは \(\omega(t)=\omega_0e^{-\kappa t/c}\)。
可視光から「宇宙年齢の逆数」まで落ちるのに \(e\) 倍 74.5 回、
太陽質量なら わずか 1.5 ミリ秒。

第 5 回で「宇宙年齢より長い周期は定数と区別がつかない」と書きました。地平線は、情報をその領域へ 1.5 ミリ秒で押し流す装置でした。「無毛」も同じことの言い換えで ── 消えたのではなく、外の観測者の帯域に 3 成分しか残らない。

正直に:本回も翻訳です。情報パラドックスは解いていませんし、「測れない」と「無い」の間は埋めていません。寄与といえるのは「どれくらい速く測れなくなるか」を 1.5 ミリ秒という数字にしたことだけです。

この文書は「考える波」シリーズ第 46 回です。計算は kenshou/bh.js で行っています。本回の数値について:ホーキング温度、シュヴァルツシルト半径、表面重力、エントロピーの二通りの計算、蒸発時間、終末期の質量・温度、ページ時刻、赤方偏移の \(e\) 倍時間は、すべて本稿で計算したものです。ホーキング放射と \(T=\hbar\kappa/2\pi ck_B\)、ベケンシュタイン=ホーキングのエントロピー \(S=A/4\ell_p^2\)、蒸発時間 \(\propto M^3\)、負の熱容量、無毛定理、ページ曲線とページ時刻(寿命の \(1-2^{-3/2}\))、そして地平線近傍の指数的赤方偏移 ── これらはいずれもよく知られた結果で本稿の発見ではありません ── 本稿がしたのは、これらを第 45 回の「対数時間」と第 5 回の「宇宙年齢より長いものは定数と区別がつかない」という二つの道具の下に置き直し、「情報が測定帯域の外へ出るまでの時間」を 1.5 ミリ秒という数字にしたことだけです。情報パラドックスは解いていません。04 節のページ曲線は「蒸発全体がユニタリである」という仮定の下での粗視化された模型であり、本稿が導出したものではありません。実際の曲線の形は模型に依存します。02 節の「太陽の熱的エントロピー \(\sim10^{58}k_B\)」は文献値のおよその数字です。03 節の蒸発時間は質量のない粒子 1 種類を仮定した標準的な式で、実際には放出される粒子種の数に依存します。05 節の \(\omega(t)=\omega_0e^{-\kappa t/c}\) は地平線近傍の外向きモードについての標準的な近似で、遠方の観測者が実際に何を受け取るかは放射の詳細に依ります。 ── 印刷する場合はブラウザの「印刷」から「PDF に保存」を。

印刷 / PDF 化:⌘+P(Windows は Ctrl+P)。「答えを見る」で解答が開きます。