考える波 第 22 回 / 第 IX 部・情報を波として見る
第 4 回の宿題に、ここで決着をつける
測ることを波として見る ──
観測とは、どの基底に射影するかの選択だった
同じ波を「時刻」で測るか「周波数」で測るか ── 観測者が選べるのはそこだけです。
そして選べるのは配分だけで、総量 \(\Delta t\,\Delta\omega\ge1/2\) は動かせない。
★ ついでに分かりました ── ウェーブレットは対数周波数軸のフーリエ変換で、第 13・20 回と同じ族でした。
第 21 回で情報を波として見ました。今回は「測ること」そのものを波として見ます。
そして第 4 回で残した宿題 ──「フーリエは定常性を仮定する」という限界 ── に決着をつけます。
01「測る」とは、どの基底に射影するか
第 1 回からずっと、波を二つの見方で書いてきました ── 時間の並び \(x(t)\) と、周波数の並び \(X(\omega)\)。同じ情報の別表示で、どちらで測るかを選べます。
| 基底 | 何が見える | 時間分解能 | 周波数分解能 | 道具 |
|---|---|---|---|---|
| デルタ関数 \(\delta(t-t_0)\) | 時刻 | 完全 | なし | オシロスコープ |
| 正弦波 \(e^{i\omega t}\) | 周波数 | なし | 完全 | スペクトラムアナライザ |
| 窓つき正弦波 | 時刻と周波数 | 有限 | 有限 | ★ 短時間フーリエ変換 |
| ウェーブレット | 時刻と対数周波数 | \(\omega\) に比例 | \(\omega\) に比例 | ★ 定 Q 分析 |
01節の中心
「観測する」とは、この表のどの行を選ぶかという操作でした。
そして第 9 回の帯域幅定理が、選べる範囲を決めています。
02窓を変えると、分解能がどう動くか
| 窓の幅 \(\sigma\) [ms] | \(\Delta t\) [ms] | \(\Delta\omega\) [rad/s] | \(\Delta t\cdot\Delta\omega\) | \(\Delta f\) [Hz] |
|---|---|---|---|---|
| 0.5 | 0.3536 | 1414.21 | 0.500000 | 225.08 |
| 1.0 | 0.7071 | 707.11 | 0.500000 | 112.54 |
| 2.0 | 1.4142 | 353.55 | 0.500000 | 56.27 |
| 10.0 | 7.0711 | 70.71 | 0.500000 | 11.25 |
| 20.0 | 14.1421 | 35.36 | 0.500000 | 5.63 |
02節の結論
積はいつでも 0.5 ── 第 9 回のガボール限界にぴたりと乗っています。
★ 「窓を広げれば周波数が細かく見え、時間がぼやける」が数値で見えます。
── 観測者が選べるのは「どこに配るか」だけで、総量は動かせない。
03★ ウェーブレットは、対数周波数軸のフーリエ変換だった
| 中心周波数 [Hz] | \(\sigma_t\) [ms] | \(\Delta t\) [ms] | \(\Delta\omega\) [rad/s] | \(\Delta\omega/\omega\) | \(\Delta t\cdot\Delta\omega\) |
|---|---|---|---|---|---|
| 55 | 48.664 | 34.411 | 14.53 | 0.042047 | 0.500000 |
| 110 | 24.332 | 17.205 | 29.06 | 0.042047 | 0.500000 |
| 440 | 6.083 | 4.301 | 116.24 | 0.042047 | 0.500000 |
| 880 | 3.042 | 2.151 | 232.49 | 0.042047 | 0.500000 |
| 1760 | 1.521 | 1.075 | 464.97 | 0.042047 | 0.500000 |
03節の中心 ── この回いちばんの発見
\(\Delta\omega/\omega\) が一定、そして \(\Delta t\cdot\Delta\omega\) も一定(=0.5)。
★ つまりウェーブレットは 「\(\ln\omega\) の軸で等分解能」 の分析です。
ここで第 13 回・第 20 回とつながります ──
第 13 回:虚数階微分の位相は \(\ln\omega\) に比例(メリン変換)
第 20 回:\(c\cdot t=\)一定 の座標系では位相が \(\ln t\) に比例
本回:ウェーブレットは \(\ln\omega\) について等間隔
★★ 三つとも「対数軸が自然な世界」の道具でした。
フーリエが時間並進の道具なら、ウェーブレットはスケール変換の道具。
だから自己相似な信号(1/f 雑音、乱流、地震波)に強い ── 第 14 回で並べた指数の world は、ウェーブレットの世界でした。
★ だから音楽の分析は定 Q でやる ── 人間の耳も対数軸で聞いている
04第 4 回の宿題に決着をつける
第 4 回でこう書きました ── 「フーリエは定常性を仮定する。一度きりの跳びは全周波数に薄く広がって、どの帯域の上限にもかからない」。
では時間局在した基底に乗り換えればどうか。途中で一度だけ振幅が 20 % 跳ぶ正弦波を作り、窓の幅を変えて跳びを検出します。
| 窓 \(\sigma\) [ms] | \(\Delta f\) [Hz] | 遷移幅 [ms] | \(\Delta t\) [ms] | 遷移幅/\(\Delta t\) | 遷移幅 × \(\Delta\omega\) |
|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 112.54 | 2.480 | 0.707 | 3.507 | 1.754 |
| 3 | 37.51 | 7.680 | 2.121 | 3.620 | 1.810 |
| 10 | 11.25 | 25.600 | 7.071 | 3.620 | 1.810 |
| 30 | 3.75 | 76.800 | 21.213 | 3.620 | 1.810 |
| 100 | 1.13 | 258.000 | 70.711 | 3.649 | 1.824 |
04節の中心 ── 第 4 回への回答
遷移幅は \(\Delta t\) にきれいに比例します(比が一定 3.62)。窓を狭くすれば「いつ跳んだか」が鋭く出る ── でも \(\Delta f\) が 100 倍 広がる。
★ そして遷移幅 × \(\Delta\omega\) も一定。配分を変えているだけです。
定常性の仮定は外せる。不確定性は外せない。
階段状の変化はウェーブレットで捕まります。でも「いつ」と「どの周波数で」を同時に細かくはできない。
★ 第 4 回で挙げた限界①(定常性)は克服でき、第 9 回の限界(帯域幅定理)は残る ── 枠組みの二つの穴のうち、一つは塞がりました。
05測ると、なぜ干渉が消えるのか
| 位相のばらつき \(\sigma_\varphi\) [rad] | 可視度 \(V\) | 様子 |
|---|---|---|
| 0.0 | 1.000 | ほぼ完全な干渉 |
| 0.5 | 0.883 | 干渉が見える |
| 1.0 | 0.607 | ★ ここが分かれ目 |
| 2.0 | 0.135 | かなり消えた |
| 3.0 | 0.0111 | ほぼ消えた |
| 5.0 | \(3.7\times10^{-6}\) | ★ 古典的 |
05節の中心
\(\sigma_\varphi\) が 1 rad を超えたあたりで、干渉は急速に消えます。
「観測した」とは、環境が位相を 1 rad 以上 かき混ぜたということ。
★ ここで第 19 回・第 21 回とつながります ──
可視度 \(V\) は単調に減る。振動しない。つまりデコヒーレンスは虚軸の現象です。だから戻らない。
06なぜ大きいものは干渉しないのか
★ 熱的ド・ブロイ波長より広い重ね合わせは、一瞬で壊れる
| 対象 | 質量 [kg] | \(\lambda_{\rm dB}\) [m](300 K) | \(\Delta x=1\) µm での \(\tau_D/\tau_{\rm relax}\) |
|---|---|---|---|
| 電子 | \(9.11\times10^{-31}\) | \(1.21\times10^{-9}\) | \(1.47\times10^{-6}\) |
| 水素原子 | \(1.67\times10^{-27}\) | \(2.83\times10^{-11}\) | \(8.02\times10^{-10}\) |
| \(\mathrm{C_{60}}\) 分子 | \(1.20\times10^{-24}\) | \(1.06\times10^{-12}\) | \(1.12\times10^{-12}\) |
| 塵(1 µm) | \(1\times10^{-15}\) | \(3.66\times10^{-17}\) | \(1.34\times10^{-21}\) |
| 砂粒(1 mm) | \(1\times10^{-6}\) | \(1.16\times10^{-21}\) | \(1.34\times10^{-30}\) |
06節の中心
電子と塵で 15 桁 違います。
★ 「大きいものが干渉しない」のは量子力学が効かないからではなく、デコヒーレンスが速すぎて見えないからでした。
| 実際に干渉させた実験 | 質量 [kg] | 速さ [m/s] | ド・ブロイ波長 [m] |
|---|---|---|---|
| 電子(1927) | \(9.11\times10^{-31}\) | \(10^{7}\) | \(7.3\times10^{-11}\) |
| 中性子(1970 年代) | \(1.68\times10^{-27}\) | 2000 | \(2.0\times10^{-10}\) |
| \(\mathrm{C_{60}}\) 分子(1999) | \(1.20\times10^{-24}\) | 200 | \(2.8\times10^{-12}\) |
| 大きな分子(2019) | \(4.15\times10^{-23}\) | 100 | \(1.6\times10^{-13}\) |
★ \(\mathrm{C_{60}}\) の波長は 2.8 pm ── 分子そのもの(直径 1 nm)の 1/360 です。自分より 360 倍 小さい波長で、自分自身と干渉している。
07測定そのものの限界 ── 標準量子限界
由来は第 9 回 ── 位置を精密に測ると運動量が乱れ、その運動量が τ のあいだに位置をぼかす
| 系 | 質量 [kg] | 時間 \(\tau\) [s] | SQL [m] |
|---|---|---|---|
| LIGO の鏡(100 Hz) | 40 | \(1.59\times10^{-3}\) | \(6.5\times10^{-20}\) |
| LIGO の鏡(1 kHz) | 40 | \(1.59\times10^{-4}\) | \(2.0\times10^{-20}\) |
| 1 g の振動子 | \(10^{-3}\) | \(10^{-3}\) | \(1.0\times10^{-17}\) |
| 原子 1 個(1 ms) | \(1.45\times10^{-25}\) | \(10^{-3}\) | \(8.5\times10^{-7}\) |
07節 ── 第 9 回の「配分は選べる」を、実機が使っている
LIGO の鏡(40 kg)を 100 Hz で測るときの SQL は \(6.5\times10^{-20}\) m ── 陽子の大きさの 1 万分の 1 より小さい。
★ そして LIGO は、この限界を実際に押しています ── スクイーズド光で片方の揺らぎを圧縮し、もう片方に押しつける。
第 9 回の「積は動かせないが、配分は選べる」を、そのまま実装しています。
6 dB のスクイージングで雑音は 0.50 倍 = 感度は 2 倍。観測できる宇宙の体積は \(2^3=8\) 倍になります。
08測定を、情報の言葉で
| 段階 | 状態 | 位相 | 可逆性 |
|---|---|---|---|
| 測定の前 | 重ね合わせ | 定まっている | 可逆 |
| 測定の最中 | 環境と相関 | 環境へ漏れる | ★ ここで虚軸に乗る |
| 測定の後 | 確定した値 | 失われた | 不可逆 |
08節の結論
「測定が不可逆」なのは、位相を環境に捨てるからでした。第 21 回のランダウアーと同じ構造です ── 捨てた分だけ熱が出る。
ただし正確には ── 測定そのものは原理的に無料にできます(可逆測定)。
払わねばならないのは記録を消すときで、室温では 1 ビットあたり \(2.87\times10^{-21}\) J = 0.0179 eV。
練習問題
- なぜ音楽の解析にはウェーブレット(定 Q)が向くのか。
答えを見る
音程が比で決まるから。1 オクターブ上は周波数 2 倍、半音は \(2^{1/12}\) 倍 ── 加算ではなく乗算の世界です。
短時間フーリエは \(\Delta f\) が一定なので、低音では半音を分けられず、高音では無駄に細かい。
★ 定 Q なら \(\Delta f/f\) が一定 ── どのオクターブでも同じだけ半音を分けられます(\(Q=16.8\) 必要)。人間の耳も対数軸で聞いているので、道具のほうを合わせただけ。 - 「大きな物体は量子力学に従わない」は正しいか。
答えを見る
正しくありません。従いますが、デコヒーレンスが速すぎて干渉が見えないだけです。
06節の表のとおり、1 µm の塵は電子より 15 桁 速く壊れます。量子力学が切れるのではなく、環境との結合が桁違いに強い。
★ 証拠は実験のほう ── \(\mathrm{C_{60}}\)(720 原子)でも、環境を十分に切れば干渉します。2019 年には 25000 u の分子でも成功しました。 - SQL は「破れない限界」か。
答えを見る
破れます。SQL は「位置と運動量の揺らぎを対等に配分したとき」の限界にすぎません。
スクイーズド光を使えば片方を圧縮できるので、測りたい量についてなら SQL を下回れます(代わりに測らない量が悪化する)。
★ 破れないのは \(\Delta x\,\Delta p\ge\hbar/2\) のほう ── 第 9 回の「積は動かせないが、配分は選べる」がここでも効いています。
LIGO は 2019 年から実際にスクイーズド光を常用しています。
まとめ 選べるのは配分だけ
「観測する」とは、どの基底に射影するかを選ぶことでした ── 時刻か、周波数か、その中間か。ガウス窓で測ると \(\Delta t\cdot\Delta\omega\) はいつでも 0.5、第 9 回のガボール限界そのものです。
★ そしてウェーブレットは「\(\ln\omega\) の軸で等分解能」の分析でした(\(\Delta\omega/\omega\) 一定を数値で確認)。第 13 回の虚数階、第 20 回の対数時間と同じ族 ── フーリエが時間並進の道具なら、ウェーブレットはスケール変換の道具。
第 4 回の宿題にも決着がつきました ── 階段状の変化はウェーブレットで捕まえられます(遷移幅は \(\Delta t\) に比例、比は一定 3.62)。ただし遷移幅 × \(\Delta\omega\) も一定。★ 定常性の仮定は外せる。不確定性は外せない。
干渉が消える条件は \(V=e^{-\sigma_\varphi^2/2}\) ── 位相が 1 rad かき混ぜられたら終わりです。そして \(V\) は単調に減るので ── ★ デコヒーレンスは虚軸の現象。だから戻らない。
電子と塵でデコヒーレンス速度は 15 桁 違います。「大きいものが干渉しない」のは量子力学が切れるからではなく、速すぎて見えないから ── \(\mathrm{C_{60}}\) は自分の 1/360 の波長で自分と干渉しています。
★ 選べるのは配分だけで、総量 \(\Delta t\,\Delta\omega\ge1/2\) は動かせない。
そして測定が不可逆なのは、位相を虚軸に捨てるからだった。
次回はその仮定を正面から壊します。非線形になると何が起きるか ── 周波数が混ざり、新しい周波数が生まれ、そして重ね合わせが使えなくなる。
★ そこで初めて「波の言葉」が本当に効かなくなる場所が見えます。
この文書は「考える波」シリーズ第 22 回です。計算は kenshou/hakaru.js で行っています。本回の数値について:分解能の定義は第 9 回と同じ「強度を重みとする標準偏差」で、定義を変えれば数値も変わります。第 03 節のウェーブレットはモルレー型(ガウス窓つき複素正弦波)を前提にしており、他のウェーブレット(ハール、ドブシー等)では \(\Delta t\cdot\Delta\omega\) は 0.5 より大きくなります。第 04 節の「遷移幅/\(\Delta t\) = 3.62」は 1.02〜1.18 という閾値の取り方に依存する数値で、本質は「比が一定」という点だけです。第 05 節の \(V=e^{-\sigma_\varphi^2/2}\) は位相がガウス分布する場合の厳密な結果で、実際の環境がガウス的とは限りません。第 06 節のデコヒーレンス時間の式は高温・長波長極限での近似で、\(\tau_{\rm relax}\) は環境ごとに大きく変わります ── 表が示しているのは「質量と間隔への依存」であって、絶対時間ではありません。干渉実験の値は文献からの代表値です(2019 年の 25000 u は Fein ら)。SQL の式は自由質量の標準的な形で、実際の LIGO の雑音予算は輻射圧・散射雑音・熱雑音の合成であり、本稿の見積もりはその一項だけです。 ── 印刷する場合はブラウザの「印刷」から「PDF に保存」を。