考える波 第 17 回 / 第 VIII 部・実効定数を微分する
質量 → 速度 → 質量
有効質量 ──
質量の逆数は、分散関係の曲率だった
分散関係 \(\omega(k)\) を \(k=0\) のまわりで展開すると、こうなります ──
0 次が質量、1 次が速度、そして 2 次がまた質量。
★ 同じ言葉が、同じ曲線の違う特徴を指していました。
第 6 回で質量は遮断周波数でした。第 16 回で光速は傾きでした。
どちらも同じ曲線 \(\omega(k)\) の、違う場所を見ていただけです。ならば、続きを見ましょう。
01分散関係をテイラー展開する
| 次数 | テイラー係数 | 物理的な意味 | 出てきた回 |
|---|---|---|---|
| 0 次 | \(\omega_0\) | ★ 静止質量(遮断周波数 \(mc^2/\hbar\)) | 第 6 回 |
| 1 次 | \(d\omega/dk\) | ★ 群速度(実効光速) | 第 16 回 |
| 2 次 | \(d^2\omega/dk^2\) | ★ 有効質量の逆数 \(\hbar/m^*\) | 本回 |
| 4 次 | \(d^4\omega/dk^4\) | 相対論的補正、非放物線性 | 本回 02節 |
01節の中心
質量 → 速度 → 質量
展開の 0 次と 2 次が、どちらも「質量」と呼ばれています。同じ言葉が、曲線の違う特徴を指している。
有効質量の定義を書き下すと ──
$$\frac{1}{m^*}=\frac{1}{\hbar^2}\frac{d^2E}{dk^2}$$
★ 質量の逆数 = 分散関係の曲率。
02まず相対論で確かめる ── 0 次と 2 次
| \(v/c\) | 厳密 \(E\) [keV] | 2 次まで | 誤差 | 4 次まで | 誤差 |
|---|---|---|---|---|---|
| 0.001 | 510.9992 | 510.9992 | \(1.3\times10^{-13}\) | 510.9992 | \(0\) |
| 0.01 | 511.0245 | 511.0245 | \(1.3\times10^{-9}\) | 511.0245 | \(6.3\times10^{-14}\) |
| 0.1 | 513.5733 | 513.5798 | \(1.3\times10^{-5}\) | 513.5732 | \(6.4\times10^{-8}\) |
| 0.3 | 535.6725 | 536.2681 | \(1.1\times10^{-3}\) | 535.6433 | \(5.4\times10^{-5}\) |
| 0.5 | 590.0508 | 596.1654 | \(1.0\times10^{-2}\) | 589.0682 | \(1.7\times10^{-3}\) |
02節の結論
\(v/c=0.1\) までは、2 次だけで \(10^{-5}\) の精度。
ふつうの物理が「質量は定数」で済むのは、この放物線近似がよく効くからでした。
★ 逆に言えば ── 有効質量が「定数でなくなる」のは、放物線から外れたとき。
半導体では、これが高い電界で実際に起きます(非放物線性)。
03固体の中の電子 ── 有効質量は「跳び移りにくさ」
\(t\):隣へ跳び移る強さ、\(a\):格子間隔
★ 跳び移りやすいほど軽い ── 有効質量とは「動きにくさ」そのもの
| \(t\) [eV] | \(a\) [nm] | \(m^*/m_e\)(解析) | (数値微分) | 差 |
|---|---|---|---|---|
| 0.1 | 0.30 | 4.233313 | 4.233313 | \(8.6\times10^{-9}\) |
| 0.5 | 0.30 | 0.846663 | 0.846663 | \(7.8\times10^{-9}\) |
| 1.0 | 0.30 | 0.423331 | 0.423331 | \(7.8\times10^{-9}\) |
| 3.0 | 0.30 | 0.141110 | 0.141110 | \(8.9\times10^{-9}\) |
03節 ── バンドの頂上では、質量が負になる
同じ式を \(k=\pi/a\)(バンドの頂上)で展開すると:
バンド底 \(k=0\):\(m^*/m_e=+0.4233\) / バンド頂 \(k=\pi/a\):\(m^*/m_e=-0.4233\)
★ 押すと逆に戻る ── これが正孔(ホール)の正体です。半導体工学の「\(p\) 型」は、この負の曲率に名前をつけたもの。
第 10 回では「階数の偶奇が時間の矢を決める」でした。ここでは ── 二階微分の符号が力の向きを決める。
04実在の材料 ── 4 桁 にわたる質量
| 材料 | \(m^*/m_e\) | サイクロトロン周波数 @1 T | 用途 |
|---|---|---|---|
| 自由電子(真空) | 1 | 28.0 GHz | 基準 |
| シリコン(伝導帯) | 0.26 | 108 GHz | 集積回路 |
| ゲルマニウム | 0.12 | 233 GHz | 初期のトランジスタ |
| ガリウムヒ素 | 0.067 | 418 GHz | 高速デバイス・レーザー |
| インジウムアンチモン | 0.014 | 2.00 THz | ★ 自由電子の 1/70 |
| 重い電子系(\(\mathrm{UPt_3}\) など) | \(\sim200\) | 140 MHz | ★ 自由電子の 200 倍 |
★ ここが第 4 回との対比
第 4 回では「\(c\) は定義値だから微分できない」でした。
ところが有効質量は、材料を変えれば 4 桁 変わります ── 微分どころか、自由に設計できる。
違いはどこにあるか。\(c\) は単位系の一部ですが、\(m^*/m_e\) は無次元の比です。
★ 第 7 回の結論がまた効いています ── 動かせるのは、いつでも無次元量のほう。
05グラフェン ── 質量ゼロ・光速 \(c/300\) の世界
★ 質量ゼロの粒子の分散関係そのもの(\(E=pc\) の \(c\) を \(v_F\) に置き換えた形)
ここで面白いことが起きます。この世界の微細構造定数を計算してみると ──
05節の中心 ── 机の上の強結合 QED
\(\alpha_{\text{graphene}}=2.2\) ── 1 より大きい。
第 5 回で走らせた \(\alpha\) は、真空では 1/137 から 1/129 まででした。ここでは 2.2 ── ★ 摂動論が使えない領域が、机の上にあります。
理由は式を見れば明らかです ── \(\alpha\propto1/c\) なので、実効光速を 300 分の 1 にすれば、結合は 300 倍 になる。
「光が遅い世界では、電磁気力が強い」。
質量ゼロなのに、サイクロトロン質量は定義できます ── \(m_c=E_F/v_F^2\)。
| フェルミ準位 \(E_F\) [eV] | \(m_c/m_e\) |
|---|---|
| 0.01 | 0.00176 |
| 0.05 | 0.00879 |
| 0.10 | 0.01759(よくある実験条件) |
| 0.30 | 0.05277 |
質量がエネルギーに比例する ── これは相対論的な分散関係の特徴です。静止質量ゼロの粒子に「質量」を感じさせているのは、運動エネルギーだけ。
★ 次回の主題(陽子の質量の 99 % は運動エネルギー)の、机上版になっています。
06光子に質量を持たせる ── 超伝導体の中
第 6 回では「質量=遮断周波数」でした。逆をやります ── 遮断周波数を作ってやれば、光子に質量が生えます。
| 物質 | \(\lambda_L\) [nm] | 光子の質量 [kg] | エネルギー [eV] |
|---|---|---|---|
| アルミニウム | 16 | \(2.20\times10^{-35}\) | 12.33 |
| 鉛 | 37 | \(9.51\times10^{-36}\) | 5.33 |
| ニオブ | 39 | \(9.02\times10^{-36}\) | 5.06 |
| YBCO(高温超伝導) | 150 | \(2.35\times10^{-36}\) | 1.32 |
06節の中心 ── ヒッグス機構の縮小版
ニオブの中では、光子は 5.06 eV の質量を持ちます。
これはヒッグス機構の、そのままの縮小版です ── 超伝導の凝縮体が光子に質量を与える/ヒッグス場が W・Z に質量を与える。同じ一本の式です。
確かめてみます:
W ボソン:質量 80.377 GeV、到達距離 \(\hbar/(M_Wc)=2.455\times10^{-18}\) m
ニオブの光子:質量 5.06 eV、到達距離 \(3.900\times10^{-8}\) m
質量の比 \(1.588\times10^{10}\) / 長さの比 \(1.589\times10^{10}\) / 比の比 \(=0.999934\)
★ 「弱い力が弱い」と「超伝導体が磁場を締め出す」が、まったく同じ式で結ばれている ── その確認です。
07真空の光子には、本当に質量がないのか
07節 ── 第 3・4 回に戻ってくる
真空は「周期 1 時間 より長いところに遮断があるかもしれない導波管」という状態です。それ以上は分かりません。
★ つまり ── 「光子の質量はゼロ」という主張は、「遮断周波数が観測窓より下」という主張でした。
第 3 回の「物理定数 = 周期が観測窓より長い成分」と、まったく同じ構造です。低周波側は、いつでも「まだ見えていない」。
08「質量」という言葉が指しているもの
| 呼び名 | 定義 | 正体 | 出たところ |
|---|---|---|---|
| 静止質量 | \(\omega_0=mc^2/\hbar\) | 分散関係の切片 | 第 6 回 |
| 有効質量 \(m^*\) | \(\hbar/(d^2\omega/dk^2)\) | ★ 分散関係の曲率 | 本回 |
| サイクロトロン質量 | \(\hbar k/(d\omega/dk)\) | 傾きと位置の比 | 本回 05節 |
| 光子の質量(媒質中) | \(\hbar/(\lambda c)\) | 減衰長の逆数 | 本回 06節 |
| 縦質量・横質量 | 方向ごとの曲率 | 異方性のある結晶 | ── |
08節の結論
「質量」は一つの量ではなく、分散関係の読み方の名前だった。
切片を読めば静止質量、曲率を読めば有効質量、減衰長を読めば媒質中の光子質量。全部 同じ曲線 \(\omega(k)\) の特徴量です。
練習問題
- 「重い電子系」で電子の質量が 200 倍 になるのは、電子そのものが重くなったのか。
答えを見る
いいえ。電子は電子のままで、変わったのは分散関係の曲がり方です。
\(f\) 電子と伝導電子が強く混じると、フェルミ準位のあたりでバンドが極端に平らになります ── 平らなバンド = 曲率が小さい = 有効質量が大きい。
★ 第 3 節の言葉では「跳び移りにくい」。\(m^*=\hbar^2/(2ta^2)\) の \(t\) が小さい状態です。重いのは電子ではなく、電子が置かれた環境のほう。 - グラフェンで \(\alpha=2.2\) になることの意味を、第 5 回の言葉で。
答えを見る
第 5 回で \(\alpha\) は \(\ln E\) について走りました。真空では 1/137 から 1/129 まで ── 常に 1 よりずっと小さく、摂動論が使えます。
グラフェンでは \(\alpha_g=\alpha\,c/v_F=2.2\) なので、展開パラメータが 1 を超えています。ファインマン図を足しても収束しません。
★ ただし実際のグラフェンでは遮蔽によって実効的な \(\alpha_g\) は 1 以下に下がると考えられており、「真に強結合か」は議論があります。本稿が計算したのは遮蔽を入れない裸の値です。 - 「光子の質量ゼロ」は、どうすれば反証できるか。
答えを見る
遮断周波数を見つければよい。具体的には ──
① 低周波の電磁波が伝わらなくなる周波数を探す(真空の「導波管カットオフ」)
② クーロン則が \(1/r^2\) から外れる距離を探す(湯川型のずれ)
③ 惑星や銀河の磁場が、期待より速く減衰していないか調べる
★ どれも「もっと低い周波数/もっと長い距離」へ行くという一つの方向です ── 第 3 回の「\(\omega=0\) には手が届かない」の、具体的な形。だから上限は下がり続けても、ゼロは証明できません。
まとめ 質量 → 速度 → 質量
分散関係を \(k=0\) で展開すると、0 次が静止質量、1 次が群速度、2 次が有効質量の逆数でした。同じ言葉が、同じ曲線の違う特徴を指している。
相対論で確かめると、\(v/c=0.1\) までは 2 次だけで \(10^{-5}\) の精度 ── 「質量は定数」で済むのは、放物線近似がよく効くからでした。
固体では \(m^*=\hbar^2/(2ta^2)\)。跳び移りやすいほど軽く、バンドの頂上では負になります(正孔)。実在の材料では 0.014 から 200 まで 4 桁 ── 質量は設計できるパラメータでした。
グラフェンは 質量ゼロ・実効光速 \(c/300\) の世界で、そこでは \(\alpha_{\text{graphene}}=2.19\) ── 光が遅い世界では、電磁気力が強い。
超伝導体の中では光子に質量が生えます(ニオブで 5.06 eV)。W ボソンとの質量比と長さ比が \(10^{-4}\) の精度で一致 ── 「弱い力が弱い」と「磁場が締め出される」は同じ式でした。
★ 質量の逆数は、分散関係の曲率だった。
そして「光子の質量ゼロ」とは、「遮断周波数が観測窓より下」という主張だった。
陽子の質量 938 MeV のうち、クォークの質量の合計はたった 9 MeV ── 99 % は「閉じ込められた運動エネルギー」です。
★ 波の言葉では ── 箱に閉じ込めた波には、最低周波数がある。それが質量でした。そして質量も走ります。
この文書は「考える波」シリーズ第 17 回です。計算は kenshou/yukou.js で行っています。本回の数値について:強束縛近似の \(m^*\) は一次元・最近接のみの模型で、解析式と数値微分が \(10^{-8}\) で一致することを確認しています(模型の中での整合であって、実材料の値ではありません)。表の有効質量は代表値で、実際には方向やドーピングで変わります(シリコンは縦 0.98・横 0.19 の異方性があり、0.26 は伝導度有効質量)。重い電子系の 200 は物質と温度で大きく変わる目安です。ロンドン侵入長は温度と試料に強く依存し、文献値には幅があります ── 表の値は \(T\to0\) の代表値で、そこから計算した「光子の質量」は本稿の換算です。\(\alpha_{\text{graphene}}=2.19\) は遮蔽を入れない裸の値で、実効的な結合はこれより小さいと考えられています。光子質量の上限 \(10^{-18}\) eV は文献にある代表値で、測定方法によって \(10^{-14}\) から \(10^{-27}\) eV まで幅があります(仮定の強さと引き換えです)。 ── 印刷する場合はブラウザの「印刷」から「PDF に保存」を。