考える波 第 10 回 / 第 IV 部・波に課される制約
第 2 回の「半分の階数」が、ここで効く
時間の矢は、
微分階数の偶奇に住んでいる
\(t\to-t\) で \(d/dt\to-d/dt\)。だから \(n\) 階微分は \((-1)^n\) 倍になります。
それだけで、可逆・不可逆が分類できてしまう ── 散逸項は、いつも奇数階でした。
そして分数階は、その二つの間に連続に住んでいます。実際に測られている量として。
因果律は実部と虚部を、帯域幅定理は時間幅と周波数幅を縛りました。
今回は、もっと素朴な問いです ── 時間の向きは、どこに書かれているのか。
01時間を反転すると、微分はどうなるか
| 階数 \(n\) | \((-1)^n\) | 時間反転で | 物理量 |
|---|---|---|---|
| 0 | \(+1\) | 不変 | 位置 \(x\) |
| 1 | \(-1\) | 符号反転 | 速度 \(v\) |
| 2 | \(+1\) | 不変 | 加速度 \(a\) |
| 3 | \(-1\) | 符号反転 | 躍度 |
偶数階は時間反転で不変、奇数階は符号が変わる。これだけで、可逆・不可逆の分類ができてしまいます。
02運動方程式を、項ごとに採点する
| 項 | 階数 | 時間反転で | 性質 |
|---|---|---|---|
| \(m\ddot x\)(慣性) | 2 | 不変 | 保存的 |
| \(b\dot x\)(摩擦) | 1 | 符号反転 | ★ 散逸的 |
| \(kx\)(ばね) | 0 | 不変 | 保存的 |
奇数階の項はただ一つ ── そしてそれが唯一の散逸項です。数値で確かめます。前進させてから、速度を反転して同じ時間だけ戻します。
| \(b\)(摩擦) | 前進後の \(x\) | 速度反転して戻した \(x\) | 元に戻ったか |
|---|---|---|---|
| 0.00 | \(-0.839072\) | 1.000000 | ○ 戻った |
| 0.01 | \(-0.800801\) | 0.908981 | × 戻らない |
| 0.10 | \(-0.529209\) | 0.385025 | × 戻らない |
| 0.50 | \(-0.084776\) | 0.007654 | × 戻らない |
02節の結論
\(b=0\) のときだけ、きっかり 1.000000 に戻ります。
摩擦があると「速度を逆にする」だけでは戻りません ── 戻すには摩擦の符号も変えねばならない(つまり別の物理になる)。
03可逆であるには、道が二つある
階数だけでは分類が足りません。\(i\)(虚数単位)も効きます。
| 方程式 | 時間微分 | 階数 | \(i\) | T 対称性 |
|---|---|---|---|---|
| 波動方程式 | \(\partial^2u/\partial t^2\) | 2 | なし | ○ 可逆 |
| 拡散方程式 | \(\partial u/\partial t\) | 1 | なし | × 不可逆 |
| シュレーディンガー | \(i\hbar\,\partial\psi/\partial t\) | 1 | ★ あり | ○ 可逆 |
| 減衰振動(摩擦項) | \(b\dot x\) | 1 | なし | × 不可逆 |
| マクスウェル | \(\partial\mathbf{E}/\partial t\) | 1 | なし | ○ 可逆(二本組) |
03節の中心 ── 道は、ちょうど二つ
① 偶数階である(波動方程式)
② 奇数階だが、\(i\) がついている(シュレーディンガー)
②の仕組み:\(t\to-t\) で \(i\hbar\partial\psi/\partial t\to-i\hbar\partial\psi/\partial t\) となりますが、同時に \(\psi\to\psi^*\) を取ると符号が二度 返って元に戻ります。
★ 量子力学が可逆なのは、\(i\) のおかげでした。
マクスウェル方程式も一階ですが、\(\mathbf{E}\) と \(\mathbf{B}\) が組になっていて \(\mathbf{B}\to-\mathbf{B}\) とすれば不変になります ── 同じ仕組みの別形です。
04では、分数階は ── ここが本題
階数 \(\alpha\) が整数でないと、偶数でも奇数でもありません。第 1 回で測ったとおり、\((i\omega)^\alpha\) の位相は \(90\alpha\) 度でした。
| \(\alpha\) | 位相遅れ \(\delta\) | \(\tan\delta\) | 意味 |
|---|---|---|---|
| 0 | \(0°\) | 0 | 完全に保存的(ばね) |
| 0.1 | \(9°\) | 0.1584 | |
| 0.3 | \(27°\) | 0.5095 | |
| 0.5 | \(45°\) | 1.0000 | ★ ちょうど中間 |
| 0.9 | \(81°\) | 6.3138 | |
| 1.0 | \(90°\) | \(\infty\) | 完全に散逸的(ダッシュポット) |
04節の中心
分数階は、可逆と不可逆の「あいだ」に連続に住んでいます。
そして \(\tan\delta\)(損失正接)は、粘弾性で実際に測られている量です。
05実在の物質は、どの階数にいるか
損失正接は材料の基本的な測定量です。逆に解けば \(\alpha=(2/\pi)\arctan(\tan\delta)\)。
| 材料 | \(\tan\delta\) | 実効的な階数 \(\alpha\) | 性質 |
|---|---|---|---|
| 溶融石英 | \(10^{-5}\) | \(6.4\times10^{-6}\) | 音叉・共振器。ほぼ完全なばね |
| 鋼 | \(10^{-4}\) | \(6.4\times10^{-5}\) | 構造材 |
| ガラス | \(10^{-3}\) | \(6.4\times10^{-4}\) | |
| 硬いゴム | 0.1 | 0.0635 | |
| 生体組織 | 0.2 | 0.1257 | 分数階模型が実際に使われる |
| アスファルト | 1.0 | 0.5000 | ★ ちょうど \(\alpha=1/2\) |
物質は、微分階数の軸の上に並んでいる
溶融石英は \(\alpha\approx6\times10^{-6}\) ── ほぼ完全に「偶数階(保存的)」だから、共振器や音叉に使われます。
アスファルトは \(\alpha\approx1/2\) ── ちょうど可逆と不可逆の中間。だから振動を食う。
★ 材料選びとは、微分階数を選ぶことでした。
06数値で確かめる ── 散逸は \(\sin(\alpha\pi/2)\) に比例する
正弦的なひずみ \(\varepsilon=\sin\omega t\) を与え、応力 \(\sigma=KD^\alpha\varepsilon\) の 1 周期あたりの散逸 \(\oint\sigma\,d\varepsilon\) を数値積分します。
| \(\alpha\) | 数値積分 | 理論 \(\pi K\omega^\alpha\sin(\alpha\pi/2)\) | 相対差 |
|---|---|---|---|
| 0.00 | 0.000000 | 0.000000 | \(1.8\times10^{-16}\) |
| 0.25 | 1.202235 | 1.202235 | \(2.1\times10^{-14}\) |
| 0.50 | 2.221441 | 2.221441 | \(7.8\times10^{-15}\) |
| 1.00 | 3.141593 | 3.141593 | \(3.5\times10^{-14}\) |
06節の結論
時間の矢の強さ = \(\sin(\alpha\pi/2)\)
\(\alpha=0\) でゼロ、\(\alpha=1\) で最大、\(\alpha=1/2\) でその \(1/\sqrt2\)。
「どれだけ不可逆か」が、階数の三角関数で書けました。
07【仮説】なぜ物理は \(\alpha\in[0,2]\) に収まるのか
| 階数 | \(\sin(\alpha\pi/2)\) | 意味 |
|---|---|---|
| \(\alpha=0\) | 0 | 完全に可逆。位置・ばね |
| \(\alpha=1/2\) | 0.707 | 半分。拡散の境界・アスファルト |
| \(\alpha=1\) | 1 | 完全に不可逆。摩擦・拡散 |
| \(\alpha=2\) | 0 | ★ また可逆に戻る。慣性 |
| \(\alpha=3\) | \(-1\) | 符号が逆の不可逆(=逆向きの矢) |
07節 ── 仮説として
第 2 回で、物理が使う階数は \(\alpha\in[0,2]\) に収まると見ました(下限は拡散の境界 \(-1/2\)、上限はオストログラツキー不安定性)。
【仮説】その範囲がちょうど「時間の矢が \(0\to1\to0\) と一往復する半周期」だからではないか。
\(\alpha>2\) は \(\sin(\alpha\pi/2)<0\) ── 逆向きの矢になり、オストログラツキー不安定性と同じ \(\alpha=2\) で符号が変わります。
※ これは本稿の推測です。二つが同じ \(\alpha=2\) で起きるのは示唆的ですが、両者を結ぶ厳密な議論を本稿は与えていません。
練習問題
- 「摩擦のある系でも、方程式は時間反転できる」という主張の何が誤りか。
答えを見る
方程式に \(t\to-t\) を代入すれば \(m\ddot x-b\dot x+kx=0\) になり、これは「摩擦が負の系」── つまり別の物理です。
時間反転対称性とは「同じ方程式のまま」戻れることを言います。02 節の数値実験がそれで、\(b\ne0\) では速度を反転しても元に戻りませんでした。 - 拡散方程式が不可逆なのに、シュレーディンガー方程式が可逆なのはなぜか。
答えを見る
どちらも時間について一階ですが、シュレーディンガーには \(i\) があるから。
\(t\to-t\) と \(\psi\to\psi^*\) を同時に行うと、\(i\) の符号反転と時間微分の符号反転が打ち消し合います(反ユニタリな時間反転)。
拡散方程式には \(i\) が無いので、この逃げ道がない── 実際、拡散方程式を逆向きに解くのは第 4 回で見た「逆流」と同じく数値的にも爆発します。 - 防振ゴムに求められる \(\alpha\) はいくつか。
答えを見る
大きいほうが良い(振動エネルギーを食わせたいので)。ただし \(\alpha\to1\) は純粋なダンパで、静的な荷重を支えられません。
実用の防振材が \(\alpha\approx0.3\) 前後にいるのは、支える(\(\alpha=0\) 的)と食う(\(\alpha=1\) 的)の両立点だから。
逆に共振器(音叉・水晶・LIGO の懸架線)は \(\alpha\) を極限まで小さくする ── 設計とは、この軸上の位置を選ぶことでした。
まとめ 時間の矢は、階数に書かれていた
\(t\to-t\) で \(n\) 階微分は \((-1)^n\) 倍。偶数階は不変、奇数階は符号反転── それだけで可逆・不可逆が分類できます。減衰振動 \(m\ddot x+b\dot x+kx=0\) で奇数階はただ一つ、そしてそれが唯一の散逸項でした(数値実験で確認:\(b=0\) のときだけ 1.000000 に戻る)。
可逆であるための道はちょうど二つ ── 偶数階であるか、奇数階でも \(i\) がついているか。量子力学が可逆なのは \(i\) のおかげで、拡散方程式にはその逃げ道がありません。
そして分数階は、その間に連続に住んでいます。\(\tan\delta=\tan(\alpha\pi/2)\) ── これは粘弾性で実際に測られている量で、溶融石英は \(\alpha\approx6\times10^{-6}\)、アスファルトはちょうど \(\alpha=1/2\)。材料選びとは、微分階数を選ぶことでした。
散逸は \(\sin(\alpha\pi/2)\) に比例することを数値で確認(\(10^{-14}\) 一致)。「どれだけ不可逆か」が、階数の三角関数で書けます。
時間の矢の強さ = \(\sin(\alpha\pi/2)\)。
そして物理が使う \(\alpha\in[0,2]\) は、矢が一往復する範囲だった(仮説)。
ここからは個々の物理量を、この目で見ていきます。最初は熱です。
拡散方程式の分散関係 \(\omega=-iDk^2\) は純虚数 ── つまり熱は「伝わらず、ただ減衰する」。そして減衰長は周波数で決まります。
この文書は「考える波」シリーズ第 10 回です。計算は kenshou/yajirushi.js で行っています。本回について:「偶数階=可逆/奇数階=不可逆」という分類、および複素弾性率 \(E^*=K(i\omega)^\alpha\) とスプリングポット模型はいずれも標準的な結果で、本稿で導出したものではありません ── 本稿がやったのは数値による確認と、両者を並べて見せることです。第 05 節の \(\tan\delta\) は代表的な桁を示す概数で、実際の値は周波数・温度に強く依存します(粘弾性の測定は「周波数と温度の組」で行うのが普通です)。「実効的な階数 \(\alpha\)」を \(\tan\delta\) から一意に決められるのは、その物質が単一のスプリングポットで記述できる場合に限ります。第 03 節のマクスウェル方程式の扱いは簡略化しており、厳密には電荷・電流の変換も含めて議論する必要があります。第 07 節は本稿の仮説であり、オストログラツキー不安定性と \(\sin(\alpha\pi/2)\) の符号反転を結ぶ厳密な議論はありません。 ── 印刷する場合はブラウザの「印刷」から「PDF に保存」を。