考える波 第 9 回 / 第 IV 部・波に課される制約
量子力学より先に、信号処理がある
不確定性原理は、
帯域幅定理に \(\hbar\) を掛けただけ
どんな波でも \(\Delta t\cdot\Delta\omega\ge1/2\) ── これは信号処理の定理で、物理とは無関係です。
実際に測ると、ガウス波形がきっかり 0.5000、他は必ずそれより大きい。
ここに \(E=\hbar\omega\) を代入するだけで、ハイゼンベルクの不等式になります。
前回、因果律がフィルタの実部と虚部を縛りました。
今回は、フィルタの時間幅と周波数幅を縛る定理です。そしてこちらのほうが、有名な顔を持っています。
01まず、量子力学抜きで測る
短いパルスは、必ず広い帯域を持つ ── それだけの定理
いろいろな波形を作って、時間側と周波数側の標準偏差を実測します。
| 波形 | \(\Delta t\) | \(\Delta\omega\) | \(\Delta t\cdot\Delta\omega\) | |
|---|---|---|---|---|
| ガウス(σ=1) | 0.7071 | 0.7071 | 0.5000 | ★ 最小 |
| ガウス(σ=3) | 2.1213 | 0.2357 | 0.5000 | ★ 最小 |
| 三角(幅 4) | 0.6325 | 0.8661 | 0.5478 | |
| 両側指数(τ=1) | 0.7071 | 1.0003 | 0.7073 | |
| 方形(幅 4) | 1.1544 | 26.33 | 30.40 | (発散する) |
01節の結論
ガウス波形だけが 0.5 に達し、他は必ずそれより大きい。
★ この計算に \(\hbar\) は一度も出てきません。音でも水面波でも電波でも、同じ不等式が成り立ちます。
※ 方形パルスの 30.4 は、実は発散しています ── sinc スペクトルの裾が \(1/\omega\) でしか落ちないので、分散積分が収束しない。「角が立った波形は、帯域が無限に広がる」という、別の言い方の同じ事実です。
02ここで \(\hbar\) を掛ける
量子力学が言うのは、たった二つの対応です。
02節の中心
不確定性原理の中身は、フーリエの定理です。
\(\hbar\) がやっているのは「波の単位」を「粒子の単位」に換算することだけ。
| 定数 | 何を換算するか | 単位 | 備考 |
|---|---|---|---|
| \(c\) | 空間 ↔ 時間 | m/s | 第 4 回。定義値 |
| \(\hbar\) | 波 ↔ 粒子 | J·s | ★ 本回。定義値(2019〜) |
| \(k_B\) | 温度 ↔ エネルギー | J/K | 定義値(2019〜) |
三つとも「換算レート」で、三つとも定義値になりました。第 4 回の「次元付きは帳簿」が、ここでも効いています。
03よくある誤解 ── 測定の擾乱ではない
| 説明 | 正誤 | 理由 |
|---|---|---|
| 測定が乱すから | × | ハイゼンベルクの顕微鏡は直感的説明だが、本質ではない |
| 装置が不完全だから | × | 完璧な装置でも、波である限り成り立つ |
| 波だから | ○ | ★ 01 節で、量子力学抜きに実測した |
証拠は 01 節そのものです
あの計算に \(\hbar\) は出てきません。量子力学が加えたのは「粒子もまた波である」という一点だけで、不等式そのものはフーリエが 1822 年に持っていた道具から出ます。
驚くべきは不等式のほうではなく、粒子が波だという事実のほうでした。
04実測との照合 ── 自然幅
励起状態の寿命 \(\tau\) は、そのままスペクトル線の幅になります ── 有限時間しか続かない波は、幅を持つ。
| 遷移 | 寿命 \(\tau\) | \(E\) [eV] | \(\Gamma\) [eV] | \(\Gamma/E\) |
|---|---|---|---|---|
| 水素 2p → 1s | 1.6 ns | 10.2 | \(4.1\times10^{-7}\) | \(4.0\times10^{-8}\) |
| ナトリウム D 線 | 16 ns | 2.1 | \(4.1\times10^{-8}\) | \(2.0\times10^{-8}\) |
| Fe-57(メスバウアー) | 141 ns | 14 400 | \(4.7\times10^{-9}\) | \(3.24\times10^{-13}\) |
04節 ── この幅で、重力が測れた
Fe-57 の \(\Gamma/E=3.2\times10^{-13}\)。「反跳なしで \(\gamma\) 線を吸収させる」と、この幅がそのまま使えます。
1959 年、パウンド=レブカはこれで重力赤方偏移を測りました:
$$\frac{gh}{c^2}=\frac{9.807\times22.5}{(3\times10^8)^2}=2.46\times10^{-15}$$
これは線幅の 0.76 %。線幅より小さいずれでも、線の「中心」なら測れます(山の頂上の位置は、山の幅より精密に決められる)。
★ 帯域幅定理が決めるのは幅であって、中心の精度ではない。
05交換関係も、フーリエ共役そのもの
| 変数 | 共役な変数 | 物理量 | 不等式 |
|---|---|---|---|
| 時間 \(t\) | 角周波数 \(\omega\) | エネルギー \(E=\hbar\omega\) | \(\Delta t\Delta E\ge\hbar/2\) |
| 位置 \(x\) | 波数 \(k\) | 運動量 \(p=\hbar k\) | \(\Delta x\Delta p\ge\hbar/2\) |
| 角度 \(\varphi\) | 整数 \(m\) | 角運動量 \(L=\hbar m\) | 周期性があるので微妙 |
交換関係は「位置と空間周波数はフーリエ共役」の言い換えでした。\(\hbar\) はここでも、単位を合わせているだけです。
06ただし \(\Delta E\Delta t\) だけは、毛色が違う
| 不等式 | 状況 | 性質 |
|---|---|---|
| \(\Delta x\Delta p\ge\hbar/2\) | 両方とも演算子 | 交換関係から厳密に導ける |
| \(\Delta E\Delta t\ge\hbar/2\) | 時間は演算子でない | ★ 意味を与えるには解釈が要る |
06節の中心 ── 波の視点のほうが広い
\(\Delta E\Delta t\) の「\(\Delta t\)」が意味するのは、状態が変化するのにかかる時間、励起状態の寿命、測定に費やした時間 ── 文脈ごとに違います。
★ 波の言葉(01 節)では、時間も周波数も対等な軸です。量子力学に移すと片方だけが演算子になって非対称が生まれる ──
これは「波として見る」視点が、量子力学より広いことの現れです。
07なぜガウスが最小なのか
時間側と周波数側で「同じ形」── 対称性が最大
| \(\sigma_t\)(設定) | 実測 \(\Delta t\) | 実測 \(\Delta\omega\) | 積 |
|---|---|---|---|
| 0.5 | 0.35355 | 1.41421 | 0.50000 |
| 1.0 | 0.70711 | 0.70711 | 0.50000 |
| 2.0 | 1.41421 | 0.35355 | 0.50000 |
| 5.0 | 3.53553 | 0.14142 | 0.50000 |
\(\sigma\) をどう変えても、積はきっかり 0.5。「片方を狭くすれば、必ず他方が同じだけ広がる」が数値で見えます。
練習問題
- 超短パルスレーザー(10 fs)の帯域幅を見積もれ。
答えを見る
\(\Delta\omega\ge1/(2\Delta t)=1/(2\times10^{-14})=5\times10^{13}\) rad/s。
振動数なら \(\Delta\nu\ge8\times10^{12}\) Hz ── 中心波長 800 nm(\(\nu=3.7\times10^{14}\) Hz)に対して 2 % 以上の帯域が必要です。
だから超短パルスは必ず「白っぽい」光になる。単色の超短パルスは作れません。 - 「不確定性原理は測定の擾乱による」が誤りである証拠を、この回の中から挙げよ。
答えを見る
01 節の計算に \(\hbar\) が出てこないこと。
測定も観測者も量子力学も持ち込まず、ただ波形を FFT しただけで \(\Delta t\Delta\omega\ge1/2\) が出ました。音の波でも同じ不等式が成り立つ以上、量子的な擾乱が原因ではあり得ません。
(擾乱による不確定性は「小澤の不等式」として別に定式化されており、ハイゼンベルクの不等式とは別物です。) - 寿命の長い準位ほどスペクトル線が細い理由を、波の言葉で。
答えを見る
長く続く波は、周波数がよく定まるから。\(\Delta\omega\ge1/(2\Delta t)\) で、\(\Delta t\)(波が続く時間)が大きいほど \(\Delta\omega\) の下限が小さくなります。
Fe-57 の 141 ns は原子遷移より 10 倍 長く、しかもエネルギーが 1000 倍 高いので、相対幅 \(\Gamma/E\) が \(10^{-13}\) まで落ちる── これがメスバウアー分光の分解能の正体です。
まとめ 驚くべきは、不等式のほうではなかった
どんな波でも \(\Delta t\cdot\Delta\omega\ge1/2\)。実測するとガウス波形がきっかり 0.5000、三角 0.548、両側指数 0.707、方形は発散。この計算に \(\hbar\) は出てきません。
ここに \(E=\hbar\omega\)、\(p=\hbar k\) を代入するだけで、ハイゼンベルクの不等式になります。\(\hbar\) は「波の単位」を「粒子の単位」に換算しているだけ ── \(c\)(空間↔時間)、\(k_B\)(温度↔エネルギー)と同じ役回りで、三つとも定義値になりました。
実測との照合も通ります ── 自然幅 \(\Gamma=\hbar/\tau\)。Fe-57 の \(\Gamma/E=3.2\times10^{-13}\) がメスバウアー分光の分解能で、パウンド=レブカはこれで重力赤方偏移(線幅の 0.76 %)を測りました。
交換関係 \([x,p]=i\hbar\) も、掛け算と微分が可換でないという一行から出ます ── フーリエ共役の言い換え。
ただし \(\Delta E\Delta t\) だけは毛色が違います(時間は演算子でない)。波の言葉では時間も周波数も対等なので、この非対称は量子力学に移したときに生まれたものです ── 波の視点のほうが広い。
不確定性原理は、波の性質に \(\hbar\) を掛けたもの。
驚くべきは不等式ではなく、「粒子もまた波である」という一点のほうだった。
次回はもっと素朴な問いです ── 時間の向きは、どこに書かれているのか。
答えは意外なところにありました:微分階数の偶奇です。そして第 2 回の「半分の階数」が、ここで効いてきます。
この文書は「考える波」シリーズ第 9 回です。計算は kenshou/fukakutei.js で行っています。本回の数値について:幅の定義は「強度 \(|f|^2\) を重みとする標準偏差」です ── 定義を変えれば数値も変わります(半値全幅を使うと \(\Delta t\Delta\omega\ge2\ln2\approx1.39\) など)。方形パルスの 30.40 は格子と窓長に依存する値で、真の値は発散です。自然幅の寿命はいずれも文献値で、実際のスペクトル線はドップラー広がりや衝突広がりのほうが大きいのが普通です(メスバウアー効果が特別なのは、反跳とドップラーを同時に抑えられるから)。パウンド=レブカの実験は往復測定や温度補正を含む精密なもので、本稿の見積もりはその原理部分だけを示しています。「測定の擾乱による不確定性」は小澤正直による不等式として別に定式化されており、本稿が否定しているのは「ハイゼンベルクの不等式の由来が擾乱である」という説明のみです。 ── 印刷する場合はブラウザの「印刷」から「PDF に保存」を。