考える波 第 1 回 / 第 I 部・道具をつくる
音の話から始めて、物理定数まで行く
微分は高音、積分は低音 ──
まず、実測から
音声を微分すると高音が強くなり、積分すると低音が強くなる。
これは比喩ではなく、1 オクターブあたり きっかり ±6.02 dB の厳密な事実です。
そして物理は、位置 → 速度 → 加速度と、この操作を繰り返しているだけ。
このシリーズの出発点は一つの気づきです ── 音声は波で、微分は高周波を取り出す操作、積分は低周波を取り出す操作。
ならば物理の微積分も全部それだと見ると、何が見えるか。まず、その土台が本当に厳密なのかを測ります。
01試験信号を作って、微分する
48 kHz で 16384 点、2 オクターブおきに正弦波を 4 本 重ねます。どれも FFT のビン中心に乗せてあるので、漏れは出ません。
周波数分解能 \(\Delta f = 1/T = 2.93\) Hz
これを素朴に数値微分します(中心差分)。そしてスペクトルを見ます。
| 周波数 | 元の振幅 | 微分後の振幅 | 比 | \(\omega=2\pi f\) | 比 / \(\omega\) |
|---|---|---|---|---|---|
| 93.75 Hz | 1.0000 | 589.0 | 589.0 | \(5.890\times10^{2}\) | 0.99997 |
| 375 Hz | 1.0000 | 2355.2 | 2355.2 | \(2.356\times10^{3}\) | 0.99960 |
| 1500 Hz | 1.0000 | 9364.3 | 9364.3 | \(9.425\times10^{3}\) | 0.99359 |
| 6000 Hz | 1.0000 | 33941.1 | 33941.1 | \(3.770\times10^{4}\) | 0.90032 |
01節の結論
最後の列が 1 に揃っています ── つまり
微分すると、振幅が \(\omega\) 倍になる。
6000 Hz だけ 0.90 に落ちているのは、物理ではなく差分近似のせいです(04 節で正体を突き止めます)。
02積分は、その逆
| 周波数 | 積分後 / 元 | \(1/\omega\) | 比 × \(\omega\) |
|---|---|---|---|
| 93.75 Hz | \(1.698\times10^{-3}\) | \(1.698\times10^{-3}\) | 0.99999 |
| 375 Hz | \(4.243\times10^{-4}\) | \(4.244\times10^{-4}\) | 0.99980 |
| 1500 Hz | \(1.058\times10^{-4}\) | \(1.061\times10^{-4}\) | 0.99679 |
| 6000 Hz | \(2.515\times10^{-5}\) | \(2.653\times10^{-5}\) | 0.94806 |
音響の世界では、これは日常の道具です
一次のハイパスフィルタの傾きが +6 dB/oct、ローパスが −6 dB/oct。微分回路とハイパスは、同じものです。
レコードの RIAA イコライザも、録音時に高域を持ち上げ(微分寄り)、再生時に戻す(積分寄り)── その組み合わせでできています。
03位相も測る
振幅だけでは半分です。\(i\omega\) の \(i\) が効いているなら、位相が 90° 回るはずです。
| 周波数 | 微分による位相の変化 | 積分による位相の変化 |
|---|---|---|
| 93.75 Hz | \(+90.0°\) | \(-90.0°\) |
| 375 Hz | \(+90.0°\) | \(-90.0°\) |
| 1500 Hz | \(+90.0°\) | \(-90.0°\) |
| 6000 Hz | \(+90.0°\) | \(-90.0°\) |
03節の中心 ── これで全部 説明できます
フーリエ変換の上では、微分も積分もただの掛け算です:
$$\frac{d}{dt}\ \longrightarrow\ \times(i\omega),\qquad \int dt\ \longrightarrow\ \times\frac{1}{i\omega}$$
\(|i\omega|=\omega\) が振幅を、\(\arg(i)=90°\) が位相を決めている。
振幅も位相も、予言どおりでした。
04ズレの正体 ── 物理ではなく、近似
6000 Hz で比が 0.90 に落ちました。中心差分の伝達関数を厳密に書くと、原因がわかります。
| 周波数 | \(\omega\Delta t\) | 予言 \(\mathrm{sinc}(\omega\Delta t)\) | 実測の 比/\(\omega\) |
|---|---|---|---|
| 93.75 Hz | 0.0123 | 0.999975 | 0.999975 |
| 375 Hz | 0.0491 | 0.999598 | 0.999598 |
| 1500 Hz | 0.1963 | 0.993587 | 0.993587 |
| 6000 Hz | 0.7854 | 0.900316 | 0.900316 |
小数点以下 6 桁まで一致しました。ズレは物理ではなく、差分という近似のせいです。
この方法なら、比/\(\omega\) が全周波数で 1.000000000(丸め誤差のみ)
05物理は、この操作の連なりでできている
| 量 | 位置からの階数 | スペクトルの傾き |
|---|---|---|
| 位置の積分(absement) | \(-1\) | \(-6\) dB/oct |
| 位置 \(x\) | 0 | \(0\) |
| 速度 \(v=dx/dt\) | \(+1\) | \(+6\) dB/oct |
| 加速度 \(a=d^2x/dt^2\) | \(+2\) | \(+12\) dB/oct |
| 躍度(ジャーク) | \(+3\) | \(+18\) dB/oct |
この回の結論
物理で微分・積分を繰り返すとは、信号のスペクトルを傾け続けることでした。
ニュートンの法則 \(F=ma\) は「入力を +12 dB/oct 傾けたものに比例する」と読める。
比喩ではなく、フーリエ変換の上では文字どおりそうなっています。
ここから先で使う、たった一つの引っかかり
スペクトル法のコードには、一行だけ特別な処理が要ります ──
if (ω === 0) { 出力 = 0; continue; } // DC は定義できない
\(\omega=0\) では \(1/\omega\) が発散するので、積分は DC 成分を決められない。微分のほうは逆に、DC 成分を 0 に潰してしまう。
この一行が、第 3 回の主題になります。
練習問題
- なぜ「微分 = +6 dB/oct」なのか、1 行で。
答えを見る
微分は振幅を \(\omega\) 倍にする。1 オクターブは \(\omega\) が 2 倍。
\(20\log_{10}2 = \mathbf{6.02}\) dB。それだけです。 - 加速度計の出力を 2 回 積分すると位置が出るはずだが、実際にはドリフトする。なぜか。
答えを見る
積分が \(1/\omega\) 倍だから、低周波ほど巨大に増幅される。2 回なら \(1/\omega^2\)。
センサの微小な直流オフセット(\(\omega\approx0\) の成分)が、発散的に効いてしまいます。
実務ではハイパスを噛ませて DC を落としますが、それは「本当の位置」の一部も捨てているということです。 - 「微分するとノイズが乗る」と言われる理由は。
答えを見る
高周波を \(\omega\) 倍に持ち上げるから。
測定ノイズは高周波まで広く分布している(白色に近い)ので、微分するとノイズだけが選択的に増幅されます。
逆に積分は平滑化になる ── どちらも「フィルタ」として理解すれば当たり前の性質です。
まとめ 微分も積分も、フィルタだった
48 kHz の合成音声を実際に微分・積分して測りました。微分すると振幅が \(\omega\) 倍・位相が \(+90°\)、積分すると \(1/\omega\) 倍・位相が \(-90°\)。オクターブあたり ±6.02 dB。
高周波でのわずかなズレも、中心差分の \(\mathrm{sinc}(\omega\Delta t)\) で小数点以下 6 桁まで説明できました ── 物理ではなく近似のせいです。FFT で直接 \((i\omega)\) を掛ければ誤差は消えます。
そして物理は、位置 → 速度 → 加速度と、この操作を繰り返しているだけでした。\(F=ma\) は「+12 dB/oct 傾けたもの」。
物理の微積分とは、スペクトルを傾け続ける操作である。
次回は \(\alpha\) を連続に動かします。「半分だけ微分する」に意味はあるのか。
結論を先に言うと ── あります。しかも電池の研究室で毎日 測られています。
この文書は「考える波」シリーズ第 1 回です。計算は kenshou/nami.js で行っています(依存なしの素の Node)。本回の数値について:試験信号の周波数(93.75, 375, 1500, 6000 Hz)は \(f_s/N=2.9297\) Hz の整数倍になるよう選んであり、窓関数なしでもスペクトル漏れが出ません。これを外すと振幅が数 % 揺れます(実際、最初は 100/400/1600/6400 Hz で試して漏れが出ました)。数値微分は中心差分、積分は台形則で、いずれも周期境界を仮定しています。積分後の信号からは平均値を引いています ── 引かないと台形則の累積でドリフトし、スペクトルの低域が汚れるためです。この「平均値を引く」操作こそが第 3 回の主題(積分定数)になります。 ── 印刷する場合はブラウザの「印刷」から「PDF に保存」を。