考えるAIと物理 ── 第 9 回
AI・計算 × 物理の境界を、点でなく線で辿る

曖昧さが物理量になる 安定な井戸でも級数は曖昧で、負の確率は一層で生まれる

2026-10-27 / 第8回の末尾の二本を掘る。Zinn-Justin の二重井戸と、Moyal 方程式の ħ² 項。検証は付録に
四行の要約
  1. 崩壊しない系でも、摂動級数は曖昧である。 二重井戸の係数は全部同じ符号で、Borel 和は正の結合定数でも虚部を持つ。
  2. その虚部はインスタントン対の大きさで現れる。 指数 −1/(3g)、大きさ (π/4)ΔE² の 1.1 倍。真のエネルギーが実なのは、級数の虚部とインスタントン対の虚部が相殺するから(Zinn-Justin)。
  3. 負の確率を作るのは、Moyal 方程式の ħ² の一項だけ。 古典流(Liouville)は正の分布を正に保ち、量子の再帰を失う。三階微分の一層を足すと、負の値が生まれ、再帰が戻る。
  4. 第8回と合わせて、三つの「曖昧さ」が揃った。 崩壊率(不安定な級数の虚部)、インスタントン対(安定な級数の虚部)、位相(負の確率)。どれも「正の実数で閉じない部分」の名前である。

00先に仕分け表

線格付けこの日の検証
二重井戸の摂動級数は非 Borel 可和(係数が同符号)教科書(Zinn-Justin 1981)e₁…e₃₅ 全部負、比 ≈ 3k
側方 Borel 和の虚部 ∝ e^{−1/(3g)}、インスタントン対と相殺教科書(Zinn-Justin、Jentschura)傾き −0.313(予想 −0.333)、(π/4)ΔE² の 1.1 倍
一インスタントンの準位分裂 ΔE = (2/√(πg))e^{−1/(6g)}教科書比 0.87〜0.62(O(g) 補正)
Moyal 方程式は四次ポテンシャルで厳密、ħ² 項は三階微分教科書(Moyal 1949)⟨x⟩(t) が Schrödinger と一致
Liouville は正値を保ち、ħ² 項だけが負の確率を作る教科書min W:Moyal −0.27、Liouville ≈ 0
三階微分 = カーネル [−1, 3, −3, 1] の畳み込み一層この地図の語り—
三つの曖昧さは同じ型この地図の語り—

01安定な井戸の級数は、それでも曖昧

第8回の非調和振動子では、g > 0 で級数は Borel 可和、g < 0 で曖昧になり、曖昧さが崩壊率だった。二重井戸 V = x²(1 − √g x)²/2 は g > 0 で安定だが、摂動級数の係数が全部同じ符号になる。

計算Rayleigh–Schrödinger 漸化式(V₁ = −x³ が √g の一次、V₂ = x⁴/2 が二次)、70 次まで、60 桁精度

奇数次は厳密に 0(E は g の関数だから)。e_k = 0.5, −1, −4.5, −44.5, −626.6, −11031, …、e₃₅/e₃₄ = 105 ≈ 3k。全部負なので Borel 変換の特異点は t = +1/3 の正の実軸上にあり、ラプラス積分がそれを跨ぐ。安定な系なのに和が一意に決まらない。

積分路を特異点の上と下に避けた二つの側方 Borel 和は、虚部の符号が逆の複素数になる。真の基底エネルギーは実数なので、この虚部を打ち消す何かが要る。それがインスタントン対(インスタントンと反インスタントン)の寄与で、その実部は ln g を含み、虚部は級数の虚部とちょうど逆符号になる、というのが Zinn-Justin (1981) の主張である。

計算側方 Borel 和(Padé [17/17])と、格子対角化の E₀、E₁
gΔE = E₁ − E₀(E₀+E₁)/2 − Re Borel\|Im Borel\|Im / (π/4·ΔE²)実部 / Im
0.021.67×10⁻³3.4×10⁻⁶2.35×10⁻⁶1.081.44
0.031.98×10⁻²4.7×10⁻⁴3.49×10⁻⁴1.131.36
0.046.09×10⁻²4.0×10⁻³3.38×10⁻³1.161.19
0.051.11×10⁻¹1.25×10⁻²1.07×10⁻²1.101.17

前因子を除いた指数:ln(Im·g) の 1/g に対する傾き −0.313(二インスタントンの作用 2S = 1/(3g) → −0.333)、ln(ΔE·√g) の傾き −0.156(一インスタントン S = 1/(6g) → −0.167)。実部/Im は Zinn-Justin のインスタントン対の実部 [ln(2/g) + γ]/π = 1.65〜1.36 と同じ大きさ・同じ傾向。

核心
摂動級数は二つの準位の平均を、曖昧さ e^{−1/(3g)} の精度で与える。一インスタントンが準位を分裂させ(e^{−1/(6g)})、インスタントン対が級数の曖昧さを埋める(e^{−1/(3g)})。崩壊しない系でも、級数の曖昧さは非摂動の寄与の正確な入れ物である。

02負の確率はどこで生まれるか

第8回で、拡散が量子になれないのは負の確率を持てないからだと書いた。では負の確率はどこで生まれるか。Wigner 関数の時間発展は Moyal 方程式

$$\frac{\partial W}{\partial t} = -p\,\frac{\partial W}{\partial x} + V'(x)\frac{\partial W}{\partial p} - \frac{\hbar^2}{24}V'''(x)\frac{\partial^3 W}{\partial p^3} + O(\hbar^4)$$

で、四次ポテンシャルでは ħ² で打ち切った形が厳密である。最初の二項は古典の Liouville 方程式(位相空間の流れ)で、正の分布を正に保つ。負の値を作れるのは三番目の項だけで、これは p 方向の三階微分、つまりカーネル [−1, 3, −3, 1]/dp³ の畳み込み一層である。

計算V = x²/2 + 0.1x⁴、x₀ = 1.5 のコヒーレント状態。Moyal と Liouville は分割演算子法(位相を厳密に)、量子力学は Schrödinger 方程式を別の格子で
t⟨x⟩ Schrödinger⟨x⟩ Moyal⟨x⟩ Liouvillemin W Moyalmin W Liouville
01.5001.5001.5000.0000.000
40.8970.9370.877−0.151−0.006
80.0020.0610.038−0.210−0.005
12−0.188−0.164−0.124−0.252−0.014
18−0.133−0.145−0.034−0.184−0.037
24−0.236−0.274−0.031−0.216−0.048

第2回の「深さ = 時間の CNN」で言えば、量子と古典の違いは一層のカーネルの違いである。古典流のカーネル(一階微分)に三階微分のカーネルを一つ足すと、負の確率が生まれ、再帰が戻る。第8回の「節 = 負の確率」の、生成の側の話がこれになる。

03三つの曖昧さ

不安定な級数(第8回)安定な級数(この回)拡散と量子(第8回・この回)
正の実数の範囲で閉じようとするとBorel 和に虚部Borel 和に虚部二時刻相関が出ない
曖昧さの大きさe^{−S}e^{−2S}Wigner の負の体積
それが運ぶ物理崩壊率 Γ/2インスタントン対(準位の平均の補正)位相、干渉、再帰
作る操作積分路を上下に避ける同じħ² の三階微分の一層
確かめた精度比 1.000比 1.1、指数 −0.313/−0.333符号つきで両立、古典流は潰れる

どれも「正の実数で閉じない部分に、物理が入っている」という同じ形をしている。超準解析(第7回)の言い方なら、標準部分が一意に決まらないときの不定性が物理量である。

04正直な線

どこで線が切れるか
まとめ
  1. Zinn-Justin (1981) Nucl. Phys. B 192, 125 / Zinn-Justin & Jentschura (2004) Ann. Phys. 313, 197 / Bogomolny (1980)
  2. Moyal (1949) / Wigner (1932) / Hillery, O'Connell, Scully, Wigner (1984) Phys. Rep. 106, 121
  3. スクリプト:scripts/double_well_resurgence.py、scripts/moyal_cnn.py(出力 *_out.txt)