考えるAIと物理 ── 第 5 回
AI・計算 × 物理の境界を、点でなく線で辿る

LLM は物理で書ける 順伝播は冷却、逆伝播は時間反転、attention はボルツマン ── 四行で言えること

2026-10-20 / 「LLM と構造が似ている」を、比喩でなく定理の形で。検証は付録に回した
四行の要約
  1. 逆伝播は、時間を逆向きに走る物理そのもの。 1950 年代の最適制御の随伴方程式と同じで、順方向が位置、逆方向が運動量。両方を合わせたハミルトニアンは保存する。
  2. 逆伝播の信号は、物理でいう「応答」。 softmax の微分は出力のゆらぎ(共分散)に等しい。揺動散逸定理が一個の softmax について厳密に成り立つ。
  3. LLM はすでにボルツマン分布で動いている。 温度は文字どおり温度。attention の一回はホップフィールド網の一更新で、エネルギーは必ず下がる。層を重ねるとトークンは凝集し、文脈内学習は順伝播の中の勾配降下である。
  4. 情報の側は、減ることしかできない。 層を通るたびに入力の情報は減る(データ処理不等式)。予測に効かない記憶は、熱のコストになる(学習の熱力学)。

ここまでの線を LLM に当てると、どれも既に名前が付いていた。新しい主張はしない。代わりに、四行のそれぞれを小さな計算で確かめて、どこまで厳密でどこから崩れるかを書いておく。

00先に仕分け表

線格付けこの日の検証
逆伝播 = 随伴方程式、H = a·f が保存教科書(Pontryagin 1956、Linnainmaa 1970)H の変動 10⁻⁴、勾配一致 7×10⁻⁴
softmax の微分 = 共分散(揺動散逸)教科書恒等式 10⁻¹¹、サンプリングで 10⁻⁴
attention = 現代ホップフィールドの一更新Ramsauer ら 2020(定理つき)エネルギー単調、β で記憶が溶ける
深さとともにトークンが凝集Geshkovski ら 202364 → 1 クラスター、β で遅れる
文脈内学習 = 勾配降下 1 歩von Oswald ら 2023構成は厳密 10⁻¹⁶、学習でも GD 1 歩と同じ精度
データ処理不等式、学習の熱力学教科書 / Still ら 2012— (計算なし)
「順伝播 = 冷却、逆伝播 = 時間反転、揺動散逸が両者をつなぐ」この地図の語り部品ごとには確認、全体としては未

01逆伝播は時間反転

層を時間とみなす(第2回)と、ネットワークは微分方程式 \(\dot x = f(x,\theta)\) で、損失は終端の \(L(x(T))\)。随伴変数 \(a = \partial L/\partial x\) は

$$\dot a = -\Big(\frac{\partial f}{\partial x}\Big)^{\!\top} a,\qquad a(T) = \nabla L,\qquad \frac{dL}{d\theta} = \int_0^T a^\top\frac{\partial f}{\partial \theta}\,dt$$

に従い、これが逆伝播である。\(x\) と \(a\) はハミルトニアン \(H = a\cdot f(x,\theta)\) の正準方程式の組になり、\(\theta\) が時間によらなければ \(H\) は保存する。

計算4 次元の \(\dot x=\tanh(Wx+b)\)、RK4 で 2000 歩、逆向きに随伴を積分

H = a·f を t = 2.0 から 0 まで 6 点で:3.73533 → 3.73532 → 3.73528 → 3.73518 → 3.73501 → 3.73479(変動 1.5×10⁻⁴、離散化誤差の程度)。dL/dW を自動微分(離散の逆伝播)と随伴の積分で比べると相対差 7×10⁻⁴。

見た目は違っても、自動微分の逆伝播と、物理の随伴方程式は同じ計算である。最初に書いた版では随伴の時間の向きを間違え、H が 20% 流れた。符号ひとつで保存が壊れる、というのがこの定理の中身そのものだった。

02逆伝播の信号はゆらぎ

温度 T の softmax \(p_i = e^{h_i/T}/Z\) について

$$\frac{\partial p_i}{\partial h_j} = \frac{1}{T}\,p_i(\delta_{ij} - p_j) = \frac{1}{T}\,\mathrm{Cov}(\mathbf 1_i, \mathbf 1_j)$$

左辺は「ロジットを押したときの出力の応答」で、逆伝播が出力層で運ぶ量。右辺は「出力のゆらぎ」。これは揺動散逸定理の一番小さい形で、第3回の定理 1(対数微分の恒等式)の子どもである。

計算8 トークン、観測量 f(トークン) をランダムに取り、応答は微分で、ゆらぎは 200 万サンプルから
Tmax |応答 − Cov/T|応答の大きさ
1.02.9×10⁻⁴0.26
0.58.4×10⁻⁴0.39

差はサンプリングの統計誤差の程度。恒等式そのものは 4×10⁻¹¹ で成立。

03attention はボルツマン

温度。 LLM の「温度」は比喩ではない。ロジットが −エネルギー、softmax がボルツマン分布、サンプリング温度が \(k_BT\) で、perplexity は \(e^{\text{エントロピー}}\)。第1回の「温度」の線は、LLM では最初から部品に入っている。

attention = ホップフィールド。 記憶パターン \(X\)(鍵 = 値)に対して、エネルギー \(E(\xi) = -\frac1\beta\ln\sum_i e^{\beta\, x_i\cdot\xi} + \frac12|\xi|^2\) を定めると、\(\xi \leftarrow X^\top\mathrm{softmax}(\beta X\xi)\) はその一更新で、E は単調に下がる(Ramsauer ら 2020)。これは attention の式そのものである。

計算64 次元に 20 パターン、ランダムな初期値 200 個から反復
β収束までE 単調最近接パターンとの重なり到達した固定点の数
19.7はい0.421
421.3はい0.451
166.0はい1.0020
643.2はい1.0020

β が小さい(高温)と全部の記憶が溶けて平均一つに落ちる。β が大きい(低温)と 20 個の記憶がそれぞれ取り出せる。相転移の境目は β ≈ 4〜16 の間。

深さ = 時間、トークン = 粒子。 自己注意だけの層を重ねると、トークンは互いに引き合って凝集する(Geshkovski ら 2023)。

計算球面上の 64 トークン、16 次元、残差つき自己注意を L 層。クラスター数(cos > 0.99 で同一視)
βL=0102050100200500
164646411111
464646458111
96464646250246

最後は一点に潰れる。β が大きいほど途中の準安定なクラスターが長持ちする ── 第1回のイジングの流れ、第4回の局所解と同じ構造。

文脈内学習 = 勾配降下。 線形 attention に特定の重みを入れると、文脈中の (x, y) に対する最小二乗の勾配降下を一歩、順伝播の中で実行する(von Oswald ら 2023)。

計算4 次元の線形回帰、文脈 16 点

構成した重みでは attention の出力と GD 一歩の予測が一致(差 7×10⁻¹⁶)。重みをゼロから学習させた線形 attention の試験 MSE は 0.961、最適な歩幅の GD 一歩は 0.952、最小二乗の厳密解は 0.000、ゼロ予測は 4.08。学習した一層は、GD 一歩の精度に収束し、それを超えない。

04情報は減ることしかできない

層は \(X\to h_1\to h_2\to\cdots\) のマルコフ連鎖なので、\(I(X;h_{l+1})\le I(X;h_l)\)(データ処理不等式)。学習は情報を増やす操作ではなく、捨てる順番を選ぶ操作である。第1回のくりこみ群と同じ向きで、違うのは何を残すかの基準だけだった。

学習の熱力学(Still ら 2012)では、系が過去について抱えている情報 \(I_{\rm mem}\) のうち、未来の予測に効かない分 \(I_{\rm mem}-I_{\rm pred}\) が散逸の下限になる。LLM に当てると、文脈のうち次の単語に効かない部分を覚えておくことが、そのまま熱のコストになる。第4回の Landauer(1 ビット消すのに \(kT\ln2\))の、学習版である。ここは計算していない。

05換算表

LLM の部品物理での名前回
ロジット / 温度 / perplexity−エネルギー / \(k_BT\) / \(e^{S}\)1
softmax の微分共分散、感受率(揺動散逸)3, 5
attention 一回ホップフィールドのエネルギー降下一歩5
層時間、虚時間2
トークン球面上の相互作用する粒子5
順伝播冷却、凝集1, 5
逆伝播随伴方程式、時間反転、運動量5
文脈内学習順伝播の中の勾配降下5
学習率 / バッチ温度 η/N1

06正直な線

どこで線が切れるか
まとめ
  1. Pontryagin ら (1956) / Kelley (1960)、Bryson (1961) / Linnainmaa (1970) / Chen ら (2018) Neural ODE
  2. Ramsauer ら (2020) Hopfield Networks is All You Need / Geshkovski, Letrouit, Polyanskiy, Rigollet (2023) A mathematical perspective on Transformers
  3. von Oswald ら (2023) Transformers learn in-context by gradient descent / Ethayarajh (2019)
  4. Still, Sivak, Bell, Crooks (2012) Thermodynamics of prediction / Tishby & Zaslavsky (2015) 情報ボトルネック
  5. スクリプト:scripts/llm_lines.py、出力 scripts/llm_lines_out.txt