物理を簡単にする 第 11 回 / 第 III 部 厳密とは何か(部の終わり)
関係だけで 7 桁決まる ── しかも誤差は厳密な区間の幅
厳密なのは、
値ではなく関係
QCD の厳密な内容は、量ではなく量と量の間にありました。
そして厳密な主張は、計算した実数より 11 桁よく検証されています。
前回、「QCD は可積分になりえない」と分かりました。では厳密なのは整数だけなのか ── いいえ。「関係」があります。 どれも値については何も言わず、量と量の間だけを言う。そして驚くことに、関係だけで数値が 7 桁決まる例が実際にあります。
01QCD で厳密に成り立つ「関係」
| 厳密な関係 | 中身 | 出どころ |
|---|---|---|
| くりこみ群方程式 | \(\mu\,dG/d\mu = \beta(G)\) ── 全次数で厳密 | スケール不変性 |
| ワード–高橋恒等式 | 厳密 | ゲージ対称性 |
| ユニタリ性(光学定理) | \(\mathrm{Im}\,f(0) = (k/4\pi)\sigma\) ── 厳密 | 確率の保存 |
| 交叉対称性 | 厳密 | 解析性 |
| 分散関係 | 厳密 | 因果律 |
| Adler–Bardeen 定理 | アノマリーは1 ループで完全 | 位相 |
| 't Hooft のアノマリー整合 | 強結合のスペクトルを厳密に縛る | 位相 |
| Vafa–Witten 定理 | ベクトル的対称性は自発的に破れない | 正定値性 |
| Weingarten 不等式 | \(m_\pi \le m_N\) など ── 厳密 | 正定値性 |
| 演算子積展開(OPE) | 漸近的に厳密 | スケール分離 |
どれも、値については何も言いません。関係だけを言います。
QCD の厳密な内容は、量ではなく、量と量の間にありました。
とくに 't Hooft のアノマリー整合は驚くべきものです。何も解かずに、強結合領域のスペクトルに条件を課します ── 高エネルギー側のアノマリー係数と低エネルギー側のそれが一致しなければならない、というだけで、「閉じ込めが起きているなら、こういう粒子がなければおかしい」が出る。
02関係だけで、数値が決まることがある
共形ブートストラップという方法があります。ラグランジアンを使いません。
交叉対称性 + ユニタリ性 + 演算子が有限個
粒子の一覧も、結合定数も、作用も要りません。
| 量 | 値 | 誤差 | 検算 |
|---|---|---|---|
| 3 次元イジング \(\nu\) | 0.6299709 | \(4\times10^{-7}\) | 格子 0.63002 と一致 |
| 3 次元イジング \(\eta\) | 0.0362978 | \(2\times10^{-7}\) | 同上 |
| 3 次元イジング \(\omega\) | 0.8303 | \(1\times10^{-3}\) | 同上 |
模型ゼロ、パラメータゼロ、近似ゼロで 7 桁。
しかも誤差は近似の誤差ではありません ── 厳密な不等式の幅です。値が厳密な区間に閉じ込められている。
これが「近似ではなく厳密に」のいちばん近い実現です。量そのものは閉じた形を持たないが、厳密に囲い込める。
03経験による裏づけ ── 厳密な主張ほど、よく検証されている
「厳密を狙え」という直感には、数字の裏づけがあります。厳密な主張は、計算した実数より桁違いに厳しい試験に通されています。
| 検証された主張 | 精度 | 種類 | ビット |
|---|---|---|---|
| 光子質量 \(m_\gamma/m_e\) | \(<2\times10^{-24}\) | 厳密(ゼロ) | 79 |
| 電荷の中性 \(|q_p+q_e|/e\) | \(<10^{-21}\) | 厳密(整数) | 70 |
| CPT:\(|m_K - m_{\bar K}|/m_K\) | \(<6\times10^{-19}\) | 厳密(対称性) | 61 |
| 電子 \(g-2\)(理論 対 実験) | \(10^{-10}\) | 計算した実数(摂動) | 33 |
| \(\mu\) の \(g-2\) のハドロン部分 | \(10^{-9}\) | 計算した実数(強結合込み) | 30 |
| 格子のハドロン質量 | \(10^{-2}\) | 計算した実数(強結合) | 7 |
厳密な主張(整数・ゼロ) 70 ビット
摂動で計算した実数 33 ビット
強結合で計算した実数 7 ビット
厳密なものは、計算した実数より 37 ビット(11 桁)よく検証されています。
04第 III 部のまとめ ── 目標への道筋
| 段 | やること | 得られるもの |
|---|---|---|
| 1 | 整数かゼロに落とす(「いくつあるか」「消えるか」に問いを変える) | 厳密。20 桁で検証できる |
| 2 | 厳密な関係を積む(値ではなく拘束を書く) | 厳密。値を知らなくても成り立つ |
| 3 | 関係で囲い込む(ブートストラップ) | 厳密な区間。7 桁 |
| 4 | 制御された近似で詰める | 任意精度。1 桁 \(=\) 1000 倍 |
| 5 | 制御されていない近似 | 改良できない |
第 III 部の結論
第 II 部は 5 段目から始めていました。 「これだと単なる近似だ」という不満は、もっともでした。
そして 1〜3 段目は、計算機を一台も使わずにできます。
残された厳密性は二種類だけ ── (a) 答えが整数かゼロになる問い、(b) 値を言わない、量どうしの関係。
02節のブートストラップの「誤差」は厳密な区間ですが、数値的に得た区間です。区間が閉じることの証明は、計算の中身に依存しています。
03節の精度の比較は、測っているものが違います(対称性の破れの上限 対 値の一致)。三段の順序は頑健ですが、ビット数を直接比べるのは乱暴です。
4 次元の \(S\) 行列ブートストラップはいま進行中の前線で、QCD の質量比を 7 桁で囲い込めているわけではありません。
「全部を単純な整数の比で書きたい」── この願いには、物理でいちばん長い実績があります。そして成功例を並べると、驚くことに全部が「距離の比」でした。
この文書は「物理を簡単にする」シリーズ第11回(第 III 部の終わり)です。くりこみ群方程式、ワード–高橋恒等式、't Hooft のアノマリー整合、Vafa–Witten 定理、共形ブートストラップの 3 次元イジング結果、および 03節の実験上限はいずれも確立した標準的な内容です。「厳密なのは値ではなく関係」という整理と、03節の三段の並べ方は本シリーズのものです(kensho/calc05.py)。03節は測っているものが違う量を同じ単位で並べており、順序は頑健ですがビット数の直接比較は乱暴です。4 次元の \(S\) 行列ブートストラップは進行中の研究で、QCD の質量比を高精度で囲い込めているわけではありません。