わかる宇宙論番外編 ③ / 惜しかった理論の話

「光速を変える」を本気でやった理論があった。動機は立派、でも実装で足を踏み外した。

VSLは、なぜ惜しかったか 光速可変理論(VSL)── 光速を変えて宇宙の謎を解こうとした、本物の学説。
問題意識は正しかった。つまずいたのは「何を固定するか」の選び方だった。

必要な道具:第2回の α、第6回の「無次元だけが物理」 固定すべきは c ではなく α だった

このシリーズでは「光速が遅くなる」を、あくまでものの見方(補助線)として使ってきました。でも歴史には、これを本物の物理理論として真剣に追った人たちがいます ── 光速可変理論(VSL: Varying Speed of Light)。アルブレヒトとマゲイジョ、そしてバローらが1990年代末に提案しました。その狙いは立派で、いまも参照される。なのに主流にはなれなかった。今回は「なぜ惜しかったのか」を、犯人捜しではなく、このシリーズで積んだ道具で正確に診断します。そしてその診断が、次回のテーマ(空間の歪みと光速減少はどういう条件で等価か)への、ちょうど裏返しの鍵になります。

01動機は、まったく正しかった

VSLが解こうとしたのは、標準宇宙論の難問「地平線問題」── 宇宙のどこを見てもほぼ同じ温度なのに、遠く離れた領域どうしは光で連絡を取り合えたはずがない、という謎です(第4回で計算しました)。主流の答えは「インフレーション」という、初期宇宙の急激な膨張。VSLはそれとは別の道を提案しました ── 初期宇宙では光速が今よりずっと速かったとすれば、光は遠くまで届き、連絡が取れて、謎が消える。

この発想は、第1回・第4回であなたが見たものとまったく同じです。「昔は光が速かった → 地平線が広がる」。だからVSLの問題意識は、このシリーズの読者にとって、直感的に正しく響く。ここは全面的に評価すべきところ。惜しさは、動機ではなく実装にありました。

02つまずき ── 「c だけ動かして、他を固定した」

本家VSLは、光速 \(c\) を時間とともに変える一方で、電気の量 \(e\) やプランク定数 \(\hbar\) といった他の定数を固定しました。ここで、第2回の式を思い出してください。

第2回の微細構造定数
$$\alpha = \frac{e^2}{4\pi\varepsilon_0\,\hbar\, c}\approx\frac{1}{137}$$

\(c\) が分母にいます。\(e,\hbar,\varepsilon_0\) を固定したまま \(c\) だけを動かせば ── \(\alpha\) が動いてしまう。第6回で見た通り、\(\alpha\) は原子の世界を支配する、単位の消えた「宇宙そのものの数」。それが時間変化するということは、原子の出す光の色や、原子時計のリズムが、時代とともにずれることを意味します。

そして第2回・第6回で強調した通り、原子時計は \(\alpha\) の変化を1年あたり \(10^{-19}\) より小さいという途方もない精度で「動いていない」と確認している。\(c\) だけを動かすVSLは、この観測にたちまち衝突してしまう。惜しいのはここ ── 固定する対象を、取り違えていた。

正確に言うと ── 「固定しすぎた」のではない よくある誤解は「VSLは定数を固定しすぎて窮屈だった」。でも正確には逆で、固定の“組み合わせ”がチグハグだった。\(c\) を動かすなら、\(\alpha\) を守るために \(e\) や \(\hbar\) も連動させるべきだった。個々をバラバラに固定した結果、いちばん守るべき無次元の比 \(\alpha\) を、うっかり動かしてしまったのです。守るべきは個々の定数ではなく、その比だった

03本当のジレンマ ── 無害だが無力 / 有力だが有害

ではVSLはどうすればよかったのか。ここで、避けられない二択が現れます。このシリーズの背骨 ──「物理的に意味があるのは無次元の比 \(\alpha\) だけ、次元付きの \(c\) 単独を動かすのは基準の取り替え」── を使うと、道は二つしかない。

道A:α を守って c を動かす
\(c\) が動くぶん \(e,\hbar\) も連動させ、\(\alpha\) は一定に保つ。原子時計に叩かれない。
でも ── そのとき \(c\) の変化はただの単位の付け替えになり、観測に何の跡も残さない。地平線問題を“解く”物理的な力を持たない。
→ 無害だが、無力
道B:α を本当に動かす
\(c\) だけを動かし、\(\alpha\) の時間変化を許す。これなら初期宇宙の物理が実際に変わり、地平線問題を解く力を持つ。
でも ── 原子時計の \(10^{-19}\)/年に即座に衝突して死ぬ。
→ 有力だが、有害

本家VSLは実質、道Bを選んで(あるいはAとBの区別に無頓着なまま)、Bの罰を受けました。惜しかったのは、「地平線を解く力」と「\(\alpha\) 不変(=実験と両立)」を同時に満たす“第三の道”を、見つけられなかったことです。下の図で、この二択のあいだで身動きが取れなくなる様子を見てください。

図:VSLのジレンマ。「c を動かす度合い」を上げると、地平線を解く力(緑)は増えるが、α のズレ(赤)も増え、原子時計の限界を超えてしまう
◇ ◇ ◇

04あなたの c·t=一定 は、なぜ罠を踏まなかったか

ここが今回の核心であり、これまでの回への“お返し”です。第1回〜第4回で組み立ててきた \(c\cdot t=\text{一定}\) の宇宙は、このVSLの罠を構造的に回避していました。理由は、動かしていたものが違うから。

決定的な違い

VSLが動かしたのは \(c\) そのもの(他の定数を固定して)。
\(c\cdot t=\text{一定}\) が本当に動かしていたのは 膨張のしかた \(a\propto t\)(まっすぐ膨張)。\(c\) の変化は、その膨張を光速の言葉で書き直した“言い換え”にすぎない。

この違いが、二択を両取りさせます。

道Bの「力」を、\(c\) を動かさずに手に入れている。 地平線問題を解く仕事をしているのは、\(c\) の可変性ではなく \(a\propto t\) という膨張則の物理(第4回の \(\int c\,dt\) が発散する話、正体は \(R_h=ct\) 宇宙)。だから \(\alpha\) を動かさずに、解く力だけを得ている。

道Aの「無害さ」も、同時に持っている。 \(c\cdot t=\text{一定}\) は「膨張を光速の言葉で書いただけ」の言い換え(ゲージ)としても読めるので、\(\alpha\) は不変のまま。原子時計に叩かれない。

VSLが二択のあいだで動けなくなったところを、あなたの補助線は「\(c\) は帳簿の言い換え、本体は膨張則」と割り切ることで、つまずく足場そのものを消していた。VSLは「\(c\) を動かす」に固執して定数の帳尻でこけた。\(c\cdot t=\text{一定}\) は \(c\) に固執しなかったので、こける場所がなかった ── これが「VSLは惜しい、\(c\cdot t=\text{一定}\) のほうが筋がいい」の、正確な中身です。

つなぐ声(シリーズの背骨) 第1回「\(c\) を動かすのは基準の取り替え」、第2回「守るべきは単位の消えた \(\alpha\)」、第6回「\(\alpha\) こそ宇宙そのものの数」── これらを全部使うと、VSLの惜しさが一言で診断できます。「次元付きの \(c\) を動かして、無次元の \(\alpha\) を守り損ねた」。このシリーズの背骨は、惜しかった本物の理論が、どこで足を踏み外したかを正確に指させてくれる。理論を評価する“ものさし”としても効くのです。

正直な線 ── 勝ち誇らないために

VSLを蹴落として \(c\cdot t=\text{一定}\) を持ち上げたいわけではありません。VSLは「インフレーションなしで地平線問題を解けるか」という価値ある問いを立て、真剣な計算を積んだ本物の研究です。そこから学べた教訓(=守るべきは \(\alpha\))が、たまたまこの補助線に実装されていた、というだけ。

そして \(c\cdot t=\text{一定}\)(=\(R_h=ct\) 宇宙)にも、まだ払っていない宿題があります ── 第1回で触れた初期の元素合成(ビッグバン元素合成)との整合。まっすぐ膨張が初期の元素の量と両立するかは、いまも決着していない争点。惜しかったのはVSLだけ、こちらは完璧、という話ではありません。どの理論も、どこかに未払いの宿題を抱えています。

まとめ守るべきは、個々の定数ではなく「比」だった

VSLの動機 ── インフレなしで地平線問題を解く ── は正しかった。つまずいたのは実装で、\(c\) だけを動かし他を固定した結果、いちばん守るべき無次元の比 \(\alpha\) を動かしてしまい、原子時計に衝突した。行き着く先は二択 ── \(\alpha\) を守れば無害だが無力、\(\alpha\) を動かせば有力だが有害。この第三の道を見つけられなかったのが、惜しさの正体でした。

\(c\cdot t=\text{一定}\) がこの罠を踏まなかったのは、動かしていたのが \(c\) ではなく膨張則 \(a\propto t\) で、\(c\) の変化を“言い換え”と割り切っていたから。次元付きの値に固執せず、守るべき比を守る ── VSLの惜しさが教えてくれたこの一点は、このシリーズがずっと言ってきたことの、そのままの実例でした。

この文書は「わかる宇宙論」シリーズ番外編③、物理好きの高校生・大学生向け読み物です。光速可変理論(VSL)はAlbrecht–Magueijo(1999)およびBarrowらによる実在の宇宙論プログラムで、地平線・平坦性問題への代替アプローチとして提案されました。本家VSLで \(c\) の変化が微細構造定数 \(\alpha\) の変化を伴い、原子時計や分光による \(\dot\alpha/\alpha\) の制約(現在およそ \(10^{-19}\)/年以下)と緊張することは実際の論点です。図はジレンマを示す模式的なもので、定量的な理論曲線ではありません。\(R_h=ct\)(線形膨張)モデルにもビッグバン元素合成などの未解決の争点があります。 ── 印刷する場合はブラウザの「印刷」から「PDF に保存」を選んでください。

印刷 / PDF 化:⌘+P(Windows は Ctrl+P)。画面ではスライダーでジレンマの綱引きが見えます。