第1回の「光速は測れない」を、今度は歴史の側から ── なぜ人類は光速を“固定”したのか
第1回で「光速が遅くなっても測れない、なぜなら物差し自身が光速で定義されているから」と言いました。今回はその裏側 ── そもそも、なぜ光速を物差しの定義にしてしまったのか。実はこれ、人類が「もう光速を独立に測るのをやめる」と決めた瞬間の話です。進歩の到達点のように語られますが、見方を変えると、比べる基準がなくなったので、固定するしかなかったという、少し切ない事情でもある。測るとはどういうことか、その根っこに関わる番外編です。
速さは \(\text{距離}\div\text{時間}\) で決まります。光速を測るには、光がある距離を進むのにかかった時間を測ればいい。ここで大事なのは ── 距離を測るには「長さの基準(物差し)」が、時間を測るには「時間の基準(時計)」が要るということ。測定とは、必ず何か別の基準と比べる行為なのです。
光速 \(c = \dfrac{\text{距離}}{\text{時間}}\) を「測る」= 光速を、長さの基準と時間の基準という、二つの“ものさし”と比べること。基準がなければ、そもそも数値は出せない。
だから光速の値は、ずっと「長さの基準」と「時間の基準」に相対的に決められてきました。基準が変われば、光速の数値も変わる。ここに、今回の話の種があります。
人類が使ってきた「長さの基準」の歴史を並べると、あることに気づきます。基準がどんどん光の性質そのものに近づいていくのです。
金属の棒 → 光の波長 → 光の速さ。長さの基準が、だんだん光に寄っていった。理由は単純で、光のほうが金属棒よりずっと精密で、世界のどこでも同じように再現できるから。金属棒は温度で伸び縮みするし、盗まれたり傷ついたりする。光の性質は、宇宙のどこでも変わらない ── そう信じられている。
1970年代、光速の測定はどんどん精密になり、その精度は「長さの基準(クリプトンの光の波長)そのものの精度」に頭打ちになりました。つまり、光速をこれ以上正確に測ろうとしても、比べる相手である“長さの物差し”のほうがボヤけていて、測れない。物差しの目盛りより細かくは、何も測れないのです。
ここで人類は、選択を迫られました。二つの道があった ──
道A:光速を「測る量」のまま続ける
長さの基準を別に持ち続け、光速はそれと比べて測る。でも ── 基準の精度で頭打ち。これ以上は進めない。
道B:光速を「基準」にしてしまう
光速の値を「これで確定(299792458 m/s)」と定義し、逆に長さのほうを光速から作る。こうすれば、時間の精度がそのまま長さの精度になり、頭打ちが消える。
選ばれたのは道B。1983年、光速は「もう測る量ではなく、決めた値」になりました。値の 299792458 は、それまでの最良の測定値に合わせて選ばれた ── だから何かが変わったわけではなく、役割が入れ替わった。「測られる側」だった光速が、「測る側(基準)」に回った。
光速を固定したのは、光速より精密で、光速と独立な“別のものさし”が、もう存在しなかったから。比べる相手がいれば「測る」を続けられた。いなくなったから「これを基準と決める」しかなかった ── 前向きに言えば英断、正直に言えば、比較対象の消失による“固定せざるを得なかった”選択でした。
ここが第1回とつながる結論です。「光速は変わらない」とよく言われます。でも1983年以降、その一部は物理法則というより“取り決め”になりました。光速が \(299792458\) から動かないのは、宇宙がそう振る舞うからではなく、私たちが「動かない」と決めて、長さをそれに合わせて作っているから。物差しが光速で作られている以上、光速を物差しで測れば、いつでもぴったり \(299792458\) に決まっている ── これは発見ではなく、定義の帰結です。
では、物理として「光速が変わっていないか」は、どうやって問えるのか? 答えは第2回・第6回で見た通り ── 単位のつかない比、微細構造定数 \(\alpha\) を見るしかない。\(\alpha\) は物差しに依存しない純粋な数だから、基準を固定しても、なお「本当に変わったか」を問える。1983年に人類が手放したのは「\(c\) を測ること」であって、「\(\alpha\) を測ること」ではなかった。比べる相手を失った量(\(c\))は固定するしかなく、比べる相手が要らない量(\(\alpha\))だけが、測り続けられる。
「固定は決めごと」と言っても、いい加減に決めたわけではありません。値 \(299792458\) は、それ以前の最良の測定に精密に合わせて選ばれ、単位の連続性が保たれています。また「光速は基準に依存せず不変」という物理的な内容(特殊相対論の、真空中の光速は誰が見ても同じ)は、定義とは別に実験で確かめられ続けています。今回の話は「数値 \(299792458\) が定義である」という一点についてで、相対論そのものが取り決めだ、という意味ではありません。
測るとは比べること。光速は長い間、長さと時間の基準に比べて測られてきた。基準がだんだん光そのものに近づき、1970年代には「光速の精度=長さの基準の精度」で頭打ちになった。比べる相手が光速に追いつき、追い越せなくなった。だから1983年、人類は光速を「測る量」から「基準」へ ── 固定せざるを得なかった。
それ以来「光速は \(299792458\) で不変」は、半分は物理、半分は決めごと。宇宙が本当に変わっていないかを問える窓は、単位の消えた比 \(\alpha\) にだけ残された。絶対の値は、比べる相手がいなければ固定するしかない。測り続けられるのは、比だけ ── これが、このシリーズの背骨の、いちばん根っこにある話でした。
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