本編のあいだの、短い寄り道。名前にだまされない話。
宇宙論には「ハッブル定数」\(H_0\) という有名な数があります。宇宙がどれくらいの勢いで膨らんでいるかを表す量で、ニュースにもよく登場する。名前に「定数」とついているので、変わらない値だと思ってしまう ── でも実は、ハッブル定数は時間とともに変わります。名前が、ちょっとした嘘なのです。第1回の式を使って、微分ひとつでそれを確かめましょう。短い寄り道です。
ハッブル定数 \(H\) は、宇宙の大きさ \(a\) が「1あたりどれくらいの速さで増えているか」、つまり増加の割合です。式で書くと、\(a\) の変化の速さ \(\dot a\)(\(a\) を時間で微分したもの)を、\(a\) 自身で割ったもの。
「速さ」ではなく「割合」なのがポイント。たとえば毎年2%ずつ増えるなら \(H\) は 0.02/年、という具合です。この \(H\) の“今の値”が、あの有名な \(H_0\)。では、この割合は本当に一定でしょうか?
第1回・第4回の宇宙(\(c\cdot t=\text{一定}\))では、宇宙が時間に比例してまっすぐ大きくなります。つまり大きさは \(a(t)=k\,t\)(\(k\) はある定数)。これを定義に入れてみます。
大きさ a とその変化の速さ
$$a(t) = k\,t \qquad\Rightarrow\qquad \dot a = k\quad(\text{一定})$$割合 H を作る
$$H = \frac{\dot a}{a} = \frac{k}{k\,t} = \frac{1}{t}$$きれいに \(k\) が消えて、\(H = 1/t\)。宇宙の年齢 \(t\) が大きくなるほど、\(H\) は小さくなる ── 反比例です。宇宙が若いころは \(H\) が大きく(激しく膨らみ)、歳をとるとゆるやかになる。つまりハッブル「定数」は、まったく定数ではなく、時間とともに減っていく量なのです。
下の図で、実際に \(H=1/t\) が時間とともに減っていく様子を見てください。スライダーで「今が宇宙の何歳か」を動かすと、その時代のハッブル“定数”の値が読み取れます。
理由は、名前がついた経緯にあります。ハッブル定数は「いま観測すると、どの銀河も、遠いほど速く遠ざかる。その比例の定数」として登場しました。空を見渡した“ある一瞬”では、遠さと後退速度がきれいに比例していて、その比例定数が \(H_0\)。空間についての定数(どの方向を見ても同じ)ではあるが、時間についての定数ではない ── ここがまぎらわしい。
ハッブル定数は「その瞬間には、空間のどこでも同じ値」という意味の定数。「時間がたっても変わらない」という意味の定数ではない。だから今の値には \(H_0\) と、わざわざ“今”の添え字がついています。
だから正確には「ハッブルパラメータ \(H(t)\)」と呼ぶのが正しく、専門家はそう呼び分けます。「定数」は、歴史的な呼び名の名残なのです。名前にだまされず、定義(\(\dot a/a\))に立ち返れば、\(H=1/t\) で減っていくことは微分ひとつで分かる ── これが今回の小話でした。
\(H=1/t\) ちょうどになるのは、まっすぐ膨張する宇宙(第1回のモデル)での話です。実際の宇宙は膨張のしかたが少し複雑なので、\(H\) と \(1/t\) はぴったり等しくはなく、近い値(\(H_0 t_0\) はおよそ1)になります。それでも「ハッブル定数は時間とともに変わる」という結論は、どの標準的なモデルでも同じ ── 名前が“定数”でも、中身は動きます。
ハッブル定数 \(H=\dot a/a\) を、まっすぐ膨張する宇宙で計算すると \(H=1/t\)。宇宙の年齢に反比例して、時間とともに減っていく ── まったく“定数”ではありませんでした。「定数」とは「その瞬間、空間のどこでも同じ」という意味で、「時間で変わらない」という意味ではなかった。
物理では、名前が実態とずれていることがときどきあります。そういうとき頼りになるのは、名前ではなく定義の式。\(H=\dot a/a\) に立ち返れば、微分ひとつで真実が見える。名前にだまされず、定義を信じる ── 短い寄り道でしたが、これはずっと役に立つ習慣です。
印刷 / PDF 化:⌘+P(Windows は Ctrl+P)。画面ではスライダーで H の値が読み取れます。