わかる宇宙論第 11 回 / 質量の側へ ── 背骨が、実験でそのまま起きる

番外編②「絶対値は測れない、差だけが物理」が、比喩でなくニュートリノで literally 起きている

ニュートリノは、差しか教えてくれない ニュートリノの絶対質量は、誰にもまだ測れていない。測れるのは質量の「二乗差」だけ。
これは番外編②で光速について言ったこと ── 絶対値は帳簿、差だけが物理 ── の、実験による証明です。

必要な道具:第9回の i と位相、二乗差、sin²、混合 測れるのは Δm² だけ / 絶対質量は不明

これまでシリーズは、力の側(\(\alpha\))を深く掘ってきました。この回で初めて質量の側に踏み込みます。主役はニュートリノ ── 電子の1000万分の1以下という途方もなく軽い粒子。面白いのは、その絶対質量が、いまだに誰にも測れていないことです。わかっているのは質量の「二乗差」\(\Delta m^2\) だけ。これは偶然の限界ではなく、番外編②で光速について言った背骨 ──絶対値は測る基準しだいの帳簿、物理的に意味があるのは差や比だけ── が、ニュートリノという実在の粒子で、比喩でなく実験でそのまま起きているということなのです。そしてそれを暴くのが、第9回で見た \(i\) の位相 ── ニュートリノ振動です。

01ニュートリノは3種が「混ざって」いる

ニュートリノには3種類あります(電子型 \(\nu_e\)、ミュー型 \(\nu_\mu\)、タウ型 \(\nu_\tau\) ── これをフレーバーと呼ぶ)。ところが決定的なことに、この「フレーバー」は質量が確定した状態ではない。質量が確定した状態(\(\nu_1,\nu_2,\nu_3\)、質量 \(m_1,m_2,m_3\))は別にあって、フレーバーはその混ざり合わせなのです。

フレーバーは、質量状態の混ざり合わせ(2種で書くと)
$$\nu_e = \cos\theta\,\nu_1 + \sin\theta\,\nu_2,\qquad \nu_\mu = -\sin\theta\,\nu_1 + \cos\theta\,\nu_2$$

「電子型ニュートリノ」を1個つくったつもりでも、それは中身では \(\nu_1\) と \(\nu_2\) の重ね合わせ。混ざり具合を決めるのが混合角 \(\theta\) です。ここまでで、第2回・第8回の「原子の中の \(\alpha\)」とは全然ちがう景色 ── 質量の世界は、こういう「混ざり」から始まります。

02振動は「位相のずれ」── 第9回の i が、また効く

ここで第9回が戻ってきます。\(\nu_1\) と \(\nu_2\) は質量が違うので、飛んでいる間に違う速さで位相を回す(第9回でやった \(e^{-iE t/\hbar}\)、\(i\) の実軸方向の回転)。エネルギーは \(E=\sqrt{p^2c^2+m^2c^4}\approx pc+\dfrac{m^2c^4}{2pc}\) で、質量の効きは \(m^2\) を通してだけ。だから \(\nu_1,\nu_2\) の位相のずれは、質量の二乗差 \(\Delta m^2=m_2^2-m_1^2\) で決まります。

飛ぶうちに位相がずれ、はじめ「電子型」だった混ざり方が「ミュー型」の混ざり方へ移り変わる ── これがニュートリノ振動。第9回で「\(i\) の位相のずれが同一性を移す」と言ったこと(崩壊のときと同じ絵)が、ここではフレーバーの移り変わりとして現れます。式にするとこうです。

振動確率 ── 効くのは Δm²(差)だけ
$$P(\nu_e\!\to\!\nu_\mu)=\sin^2(2\theta)\,\sin^2\!\left(1.27\,\frac{\Delta m^2\,[\text{eV}^2]\;L\,[\text{km}]}{E\,[\text{GeV}]}\right)$$

位相の中に入っているのは \(\Delta m^2\) ── 個々の \(m_1,m_2\) ではなく、その二乗差。これが今回の背骨の芽です。下の図で、飛ぶ距離を割ったエネルギー \(L/E\) を動かしてみてください。フレーバーが波打つ ── その波の速さを決めているのは \(\Delta m^2\) だけです。

図:ニュートリノ振動。横軸は L/E(飛距離÷エネルギー)。上=電子型で生まれたニュートリノが、飛ぶうちにミュー型へ振動。波の速さを決めるのは Δm² だけ。下のスライダーで Δm² と、全体の絶対質量シフトを別々に動かせる
電子型 νₑ で残る確率 ミュー型 ν_μ に化けた確率

03だから、絶対質量は測れない ── 背骨そのもの

いま図で確かめてほしいのは、右のスライダー ──全部の質量に一律に \(+\Delta\) を足しても、振動が寸分変わらないことです。理由は式が全部言っています。振動に効くのは \(\Delta m^2=m_2^2-m_1^2\) だけ。全部の \(m_i\) を底上げしても、二乗差は(ほぼ)変わらないから、振動は同じ。

やってみよう ── 絶対値を変えても差は変わらない

測れるのは二乗差だけ(2024–25年の測定値)

$$\Delta m^2_{21}\approx 7.5\times10^{-5}\ \text{eV}^2,\qquad |\Delta m^2_{31}|\approx 2.5\times10^{-3}\ \text{eV}^2$$

同じ Δm² を与える質量は、無限にある

$$(m_1,m_2)=(0,\,0.009)\ \text{eV}\quad\text{も}\quad (0.10,\,0.100)\ \text{eV}\quad\text{も、}\ \Delta m^2\ \text{は同じ}$$

振動は二乗差しか教えてくれないので、\(m_1\) が \(0\) なのか \(0.1\) eV なのか ── 絶対質量は原理的に振動に現れない。実際、ニュートリノの絶対質量は今も未測定で、わかっているのは二乗差と、宇宙論などからの「合計の上限」だけ。これは番外編②で光速について言ったこと ──絶対値は基準しだいの帳簿、物理は差だけ── の、そっくりそのままの実現です。

背骨との一致 ── 比喩が、実物になった 番外編②では「光速の絶対値は測る基準を決めない限り意味を持たない、意味があるのは無次元比 \(\alpha\) だけ」と言いました。ニュートリノでは、それが質量について literally 起きている ── 絶対質量 \(m_i\) は(振動では)測れず、測れるのは差 \(\Delta m^2\) だけ。第1回からの背骨「絶対値は帳簿、差・比だけが物理」が、思考実験ではなく、稼働中の実験(スーパーカミオカンデ、T2K、JUNO…)の日々の測定結果として、目の前に立っているのです。
◇ ◇ ◇

04なぜこんなに軽いのか ── シーソーが GUT スケールと握手する

ニュートリノの質量スケールは \(\sim0.05\) eV(二乗差の平方根)。電子の \(10^7\) 分の1以下という異常な軽さです。なぜか。有力な答えがシーソー機構 ── 「とても重い相棒」がいると、見えるニュートリノは逆に「とても軽く」なる、という仕組みです。

シーソー機構 ── 軽さは、重さの逆数
$$m_\nu \sim \frac{(y\,v)^2}{M_R}\qquad(v=\text{ヒッグスの}246\ \text{GeV},\ M_R=\text{重い相棒の質量})$$

シーソー(片方が重いほど、もう片方が軽く持ち上がる)の名の通り、\(M_R\) が大きいほど \(m_\nu\) は小さい。ここで \(m_\nu\sim0.05\) eV を出すのに必要な \(M_R\) を逆算すると ──

やってみよう ── 軽さから、重い相棒のスケールを逆算 $$M_R \sim \frac{(y\,v)^2}{m_\nu}\sim\frac{(246\ \text{GeV})^2}{0.05\ \text{eV}}\sim 10^{15}\ \text{GeV}\quad(y\sim1)$$

出てきた \(M_R\sim10^{15}\) GeV は、第6回の大統一スケール、第10回で陽子崩壊を支配した \(M_X\sim10^{16}\) GeV のすぐ近く。ニュートリノの軽さという身近な事実が、大統一という最も重いスケールと、逆数を通じて手を握る。質量の側にも、シリーズがずっと指してきた「プランク/GUT スケールの向こう」への扉が開いている。

力の側との対比 ── 対称性 vs 対称性の破れ 第8回で「力は対称性(ゲージ原理)から生まれる」と見ました。質量はその逆 ──対称性の破れ(ヒッグス機構)から生まれる。\(\alpha\) の起源はゲージ原理で見えたが(第8回)、質量比や湯川結合 \(y\) がなぜその値かは、完全に未解決。ニュートリノのシーソーは、その未解決の質量の側が、GUT スケールの重い物理に根を持つらしい、という最も強い手がかりです。力の側(\(\alpha\))を掘り終えたシリーズが、質量の側で出会う「まだ誰も知らない半分」の入口。

05判決 ── c·t=一定 を、質量の側にかける

最後に、いつもの判定を質量の側にかけます。\(\Delta m^2\) は次元付き(eV²)の量。もし「\(c\cdot t=\text{一定}\) のクロックダウンが \(\Delta m^2\) を時代とともに走らせる」と読むと、どうなるか。

ニュートリノ振動も、遠方の超新星や宇宙初期(BBN、CMB)の情報を通じて「昔と今で変わっていないか」が制約されています。だから第7回・第10回とまったく同じ判定が下ります ── 次元付きの \(\Delta m^2\) を額面で走らせれば観測と衝突して棄却。無次元比(質量比 \(m_2/m_1\)、混合角 \(\theta\))を不変に保つゲージとして読めば、観測に跡を残さず生存(ただし観測不能)

読み方動かす量判決
Δm² を額面で走らせる Δm²(次元付き, eV²) 棄却(振動の遠方観測・宇宙論と衝突)
無次元比・混合角を不変に保つ 質量比・混合角(無次元)は不変 生存(観測不能、番外編④の等価)
正直な線 ── この回でわかること / わからないこと

わかること。 ニュートリノ振動は確立した物理(2015年ノーベル賞)で、二乗差 \(\Delta m^2\) は実験で精密に測られている(値は年々更新中 ── JUNO などが2025年に精度を更新)。「絶対質量は振動では測れず、差だけが測れる」も、実験事実です。だからこの回は、シリーズの背骨を実物で確認できる、特別な回になっています。

わからないこと。 ニュートリノの絶対質量、質量の順番(正常階層か逆階層か)、マヨラナ性の有無、シーソーの相棒 \(M_R\) の正体、そして湯川結合 \(y\) がなぜその値か ── これらは未解決。本稿のシーソーの \(M_R\sim10^{15}\) GeV は \(y\sim1\) と仮定した目安で、\(y\) や機構しだいで大きく動きます。\(c\cdot t=\text{一定}\) との接続も、\(\Delta m^2\) を走らせれば棄却・不変ゲージなら観測不能で、番外編④の等価条件をそのまま踏襲します ── 質量の側でも、守るべきは無次元の同一性、という背骨は少しも揺らぎません。

練習問題(今回の式だけで解けます)
  1. 振動確率 \(P=\sin^2(2\theta)\sin^2(1.27\,\Delta m^2 L/E)\) で、全部の質量に一律 \(+\Delta\) を足すと \(P\) はどうなるか。
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    \(P\) は \(\Delta m^2=m_2^2-m_1^2\) だけに依存する。全部の \(m_i\) に同じ量を足しても二乗差はほぼ変わらない(厳密には \(m^2\) の差なので底上げ分が相殺)ので、\(P\) は変わらない。だから絶対質量は振動に現れない=測れない。
  2. \(\Delta m^2_{31}=2.5\times10^{-3}\) eV² のとき、振動が最初に極大になる \(L/E\)(位相が \(\pi/2\))はいくつか。
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    \(1.27\,\Delta m^2 L/E=\pi/2\) より \(L/E=(\pi/2)/(1.27\times2.5\times10^{-3})\approx495\) km/GeV。例えば \(E=1\) GeV なら \(L\approx495\) km で最初の極大。
  3. シーソー \(m_\nu\sim(yv)^2/M_R\) で、相棒 \(M_R\) が10倍重くなると \(m_\nu\) はどうなるか。「シーソー」の名の意味を一言で。
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    \(m_\nu\propto1/M_R\) なので、\(M_R\) が10倍で \(m_\nu\) は1/10。相棒が重いほど、見えるニュートリノは軽い ── シーソーの片方を押し下げると他方が持ち上がる、あの関係。だから極端な軽さは、極端な重さ(GUTスケール)の裏返し。

第11回まとめ質量の側でも、物理は「差」だけを語った

ニュートリノは3種のフレーバーが質量状態の混ざりで(STEP 01)、飛ぶうちに \(\nu_1,\nu_2\) の位相がずれて振動する ── 第9回の \(i\) の位相が、フレーバーの移り変わりとして再登場(STEP 02)。振動確率に効くのは質量の二乗差 \(\Delta m^2\) だけで、全質量を底上げしても振動は不変。だから絶対質量は原理的に測れず、差 \(\Delta m^2\) だけが測れる(STEP 03) ── 番外編②「絶対値は帳簿、差だけが物理」の、実験によるそのままの実現。

そして異常な軽さの起源はシーソー \(m_\nu\sim(yv)^2/M_R\)、逆算すると相棒は \(M_R\sim10^{15}\) GeV ── 第6・10回のGUTスケールと握手(STEP 04)。\(c\cdot t=\text{一定}\) 判定も第7・10回と同じ:\(\Delta m^2\)(次元付き)を額面で走らせれば棄却、無次元比・混合角を守れば観測不能で生存(STEP 05)。力の側の \(\alpha\) も、質量の側の \(\Delta m^2\) も、物理が語るのは絶対値ではなく差・比だけ ── シリーズの背骨が、質量の世界でも寸分違わず貫いていました。

この文書は「わかる宇宙論」シリーズ第11回、物理好きの高校生・大学生向け読み物です。ニュートリノが3世代のフレーバー状態と質量状態の混合(PMNS行列)で記述され、質量二乗差により振動すること、真空振動確率が2フレーバー近似で \(P=\sin^2(2\theta)\sin^2(1.27\,\Delta m^2[\text{eV}^2]\,L[\text{km}]/E[\text{GeV}])\) で与えられること(係数1.267…)、振動が絶対質量ではなく二乗差 \(\Delta m^2\) のみに依存すること、シーソー機構が \(m_\nu\sim(yv)^2/M_R\) で軽い質量を説明することは、確立した標準物理です。測定値 \(\Delta m^2_{21}\approx7.5\times10^{-5}\ \text{eV}^2\)、\(|\Delta m^2_{31}|\approx2.5\times10^{-3}\ \text{eV}^2\) は2024–2025年の世界平均(NuFIT 6.0 および JUNO 2025 更新)に基づく概数で、精度は今後も向上します。絶対質量・質量順序・マヨラナ性・シーソースケール \(M_R\)・湯川結合 \(y\) は未解決で、本稿の \(M_R\sim10^{15}\) GeV は \(y\sim1\) を仮定した目安です。図は真空2フレーバー近似の模式的な可視化です。\(c\cdot t=\text{一定}\) で \(\Delta m^2\) を走らせる解釈は遠方観測・宇宙論と矛盾し、無次元比を不変に保つゲージとしての解釈のみが観測と整合します(番外編④)。 ── 印刷する場合はブラウザの「印刷」から「PDF に保存」を(印刷版ではスライダーと解答は静止・非表示になります)。

印刷 / PDF 化:⌘+P(Windows は Ctrl+P)。画面では Δm² と絶対質量シフトを別々に動かせます。Δm² だけが振動を変え、絶対質量シフトは何も変えないのが見えます。「答えを見る」で解答が開きます。